2025年06月29日

一枚の布に託された着物時間は百年ですよ。

今日のタイトルは、
私が小庵「着らく」で伝え続けた言葉です。

今日の更新は着替えの意味に気付いた人はスルーして下さいね。

百年前の着物姿には受け継がれた着物を着こなす創意工夫があります。
着物をファッションとして着こなす姿は誰が見ても粋な着物姿です。

皆さんに聞きたい事があります。

私の大嫌いなナンチャラ着物学院の創立者は初期の教本に、
日本の着物を画一的な形にと書いていました。

「日本の着物姿を画一的な形にして何か意味がありますか?」

着物に関わる皆さんの着物姿を見ているとファッション性は皆無です。

小庵「着らく」で着物に触れていた子供達が名古屋帯は厄介と言った様に、
着物通と言われる人が同じ様に名古屋帯は厄介と言った意味を理解できますか?

百年前の人達が現代の画一的な着物姿を見たらどんな気持ちになるのか、
反対に百年後の子孫も同じように画一的な着物姿なら、
私は日本の着物文化はもう終わっていると思います。

「皆さんは何も思いませんか?」

「 10分の1以下まで落ちても、原因は着物離れですか?」

「 ファッション性の無い衣服にどんな楽しみ方がありますか?」

と、ブログ村に参加して業界人の着物姿に少し……………(^_^;)

小庵「着らく」には画一的な手本の写真は、
着物文化の毒として一枚もありませんでしたよ。

ただ子供達には、
見た目は世間に合わせる知恵は与えました。👍

まだAndroidで更新!
と、言うことはまだ山に居るんですね。
今朝山小屋から出たら生え替わりで取れた立派な鹿の角が落ちてました。
娘に「いるか?」とラインしたら「いらない!」と即答されました。😅
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posted by 師匠 at 20:43| 愛知 ☀| Comment(0) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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