2016年01月02日

「2016年・謹賀新年」今年も小庵「着らく」は健在です。ヽ(^o^)丿

2000年8月から本来の着物文化を伝え始めて、
気付けば「2016年・謹賀新年」になっていたーーーー!!!!!

振り返る過去はすべて「光陰矢の如し」です。

着物文化を伝えるのに大量の着物と帯を集める私に対して、
着付けの資格を手にした周りの先生達は、

「何でそんなに着物や帯を集める必要があるんですか?」

これが小庵「着らく」の入り口でした。

当時は着物の着替え(自装?着付け)を習うには、
教材用に買わされた一枚の着物と帯があれば良かったのです。

たった一枚の着物と帯を使い、
たった一つの手本を真似て買わされる資格とは?

こんな形で着物文化を学んだ先生達にとっては、
着物本来の形を理解するだけでも大変だったのです。(^^ゞ

本来の着物文化とは、
受け継がれた着物と帯の数だけ着方の工夫と着物姿はある!

「たった一つの手本を真似る着物文化など、
 この地球上には常識として存在しないのです」(*^_^*)

何で日本中の人がこんな当たり前の常識を忘れてしまい、
詐欺師の考え出した着付け文化を真に受けてしまったのか!

その原因は敗戦後の日本中がびっくりポンとなった、
天皇陛下の人間宣言から始まっているのです。

「宮家に伝わるお服上げの儀式を真似て、
 着替えを着付けと偽り教えたのが始まりなのです」


もしも身近に着物のプロと言われている人や、
着物講師や師範と言われている人がいたら真剣に訊ねて下さい。

「千年以上も日本人を包んできた無限の着物姿は、
 なぜ戦後のたった40数年で消えたのですか?」

きっと着物講師や着物師範の肩書を持った人なら
「なるほど〜」と誰でも納得のできる答えを教えてくれますよ。(*^^)v

アッ、小庵「着らく」を創めた理由は、
2000年当時の日本では、
こんな簡単な答えを誰も教えてくれなかったのです。(^_^;)

「着物には!!!!!
 庶民には知り得ない!!!!!!!
 大層なしきたりと着方がある!!!!!」

正確には、絹の着物を知らなかった庶民に対して、

「絹の晴れ着には!!!!!!!!
 庶民には知り得ない!!!!!!
 大層なしきたりと着方がある!!!!!」

なぜ日本中の人達が無限にあった着物姿を捨ててしまい、
たった一つの着物姿を真似ることを強要され従う羽目になったのか!

この答えを日本中にいる着物講師や着物師範と言われる人達が伝えるだけで、

「2016年の日本は受け継がれた着物を通して元気になります」ヽ(^。^)ノ

日本人にとって着物とは、
千年以上も飽きずに着続けた無限の着物姿と、
日本の風土にあった着心地と着こなしのできる、
日本人の知恵と温もりを伝え続けた衣服なのです。


日本人としてやってはいけない事があるとしたら、

「教えられた形では着られない!」
「教えられた形では着るのも大変!」
「教えられた形を真似ないと恥ずかしい!」

こんな馬鹿げた理由で、
大切に受け継がれた着物を捨てる行為です。


師匠の元日
初詣は岐阜県海津市のお千代保稲荷ヘ (参拝するのに長蛇の列)
並ぶのは大嫌いな私が一時間以上も忍耐強く並んでいた事に妻はびっくりポン!
その理由は?並ぶ前にお千代保稲荷名物のナマズ定食を食べたから!(*^^)v
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今日は北区の山田天満宮まで昨年のお札を納めて新しいお札をもらいに、
キ〜コキ〜コと人力エンジンの自転車で行って来ました。(*^^)v
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昨年の抱負
「果報は寝て待て!」

今年の抱負
「ただひたすら神頼み!」

神様曰く、
「この大馬鹿者!!!!!」

(^_^;)(^_^;)(^_^;)(^_^;)(^_^;)



詐欺師曰く、

「日本人が着物に着替えるには、
 庶民には知り得ない!!!!!!!!
 大層なしきたりと着方がある!!!!!!」


着物の神様曰く、

「この大馬鹿者!!!!!!!」
ヽ(^。^)ノヽ(^。^)ノヽ(^。^)ノヽ(^。^)ノ


今年は私も数え年の還暦です。
アレレ?還暦になってもカラフルな初更新ですね〜(^_^;)

30年後の日本でも理不尽な理由で捨てられている着物があれば、
私は何一つ変わらない言葉でカラフル更新を続けていると思います。(*^^)v

今年も元気に明るく!
自分の未来を見失わないように!
感謝と笑顔を忘れずに!
堂々と胸を張って生きましょうね。(*^_^*)
posted by kiraku at 18:37| 愛知 ☁| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月03日

一枚の着物は百年先まで温もりを伝えてくれる!(*^_^*)

小庵「着らく」には遊びに来ている子共達の名札が掛けられています。
十回遊びに来た子は白木の名札からオレンジ色に昇格!

ひょっとしたら平成の現代でも着替えを着付けだと教えられ、
着替えには意味の無い着付け道具を使わされ、
着替えには意味の無い形に縛られ、
背中の帯を最初から自分で結びなさいと強要され、
無駄な時間とお金を使いながら着替えている人がいるとしたら、
本当に申し訳ないと思うのですが・・・・・・

本来の空気で着物に触れている子供達は10回も遊びに来れば、
私が過去に出会った大層な資格を手にした着物の先生方よりも、
はるかに着物の着こなしと友達への着せ付けは上手です。

「この意味が分かりますか?」

それは最初から補整道具に着物をそわせたり、
着付け道具に頼らず着物を着ているからです。

楽に着物を着ている子は、
楽に着物を着せ付けるのは自然です。

洋服の下に補正コルセットを着るのは個人の自由です。
それは決まり事のように教室で教える事ではありません。

着付けを教える立場で一番大切な事は、
着せ付けたお客さんが苦しくならない着せ付けです。

伊達締めを使う時は息を吸ってもらい胸を広げてから締める。
コーリンベルトを使う時はアバラ骨の位置は避けて着ける。
帯枕の紐はみぞおちを避けて下に押し込む。

着心地で着替えをしている子供達には、
教えなくても自然な着方になるのです。

洋服でも着物でも
「痛い!苦しい!窮屈!」と感じたら、
それは衣服の常識として着方の間違いだと、
当たり前の一般常識をもっているからです。

オレンジ名札になった時点で私と同じ立場で着物と帯は使いなさいと伝えています。
私と同じ立場とは・・・
着物に興味のある友達や家族がいて小庵「着らく」に来れない人がいるなら、
棚にある着物と帯を持ち帰って自宅で教えてあげれば良いのです。(*^^)v

そんなオレンジ名札の中に白字で名前の書かれている子が2人います。
これは私が黒字で書かれていた文字を白でなぞって白字にした名札です。
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なんで白字にしたのか?

もしもこの世に、本当に、着物の神様が居るとしたら・・・
おそらくこの子なんだと思う感性と空気を感じるからです。(*^^)v

何が凄いのかと言えば、
数ある着物や帯の中から、その声を聞きながら着る着物を選んでいるのです。

昨年末にもこんな事がありました。

私が新しく来た着物にアイロンを掛けようと無造作に袋から出していると、
小さく畳まれている一枚の着物を見て

「キャー!この着物すごいですー!」
「エッ?ナニナニ?この着物がそんなに気になるの?」
「この着物ぜったいに私好きですー!」
「エッ?ナニナニ?何でこの着物がそんなに好きなの?」

小さく畳まれている状態ではこれと言って目立つ色柄でも無く、
普段はおしとやかな子が歓声を上げるような着物には見えなかったのです。

その着物を広げて見た時に、私も歓声の意味を納得しました。遅い!(^_^;)

バチ襟の時代着物には手描きの幾何学模様の柄が上品に描かれ、
裾と袖口には擦り切れない様に可愛いテープが縫ってあるのです。

裾に可愛いテープの縫い付けてある銘仙や時代着物は時々見かけるのですが、
袖口まで同じテープを使い縫ってある着物は初めてでした。

「へ〜、この着物を作った人は、
 この着物が本当に好きで大切にしていたんだな〜」

と、言いながらその子を見ると・・・・
着物を見つめるその瞳は

日本に受け継がれている着物との縁は、
こんな着物との会話から始まるのが理想です。(*^_^*)

アッ、これだけ珍しい着物の話をして写真が無いのはなぜか?

それからの会話

「この着物は着慣れない子が着るには荷が重い着物だな〜」

「・・・・・・・・」

「こだわりや個性の強い着物は着る人を選ぶんだぞ〜、分かるか?」

「・・・・・・・・」

「う〜ん、この着物は今日〇〇に嫁がせる!」

「えー!わたし着て帰ります!!!!!!!!」

「ちょっと待て!新しく来た着物はアイロンだけは掛けさせろ!」

「ハイ!」

と・・・こんな理由で写真に残す前に嫁がせてしまったのです。(^_^;)

一度嫁がせた着物は小庵「着らく」から巣立った着物です。

アイロンを掛けたその着物を着て帰る後姿を見送りながら、
一番喜んでいたのは本来の価値を知る人に着てもらっている着物でした。

私の集めた着物に対する責任と権利は、
本当の価値を受け止めて大切にしてくれる子に出会った時点で終わっています。

最近は死語になりつつある言葉ですが、
嫁がせるとは相手の家に入る事なのです。
このけじめは子供に対しても本当は大切な事なんですよ。(*^^)v

今年は白字名札の子を中心にオレンジ名札の子と協力して、
後輩達の面倒をお願いする予定です。

着心地と着こなしの空気が育った今の小庵「着らく」では、
爺さんは邪魔になる事はあっても伝える事や教える事は何もありません。

世間が何と言おうが!
私は数え年の還暦爺さんなのです。ヽ(^。^)ノ

世間が私の事を「見た目はまだまだ木村拓哉ですよ!」とか、
妻がテレビを観ながら白竜さんが出ると「あんたが出てる!」とか、
若い女の子からいきなり「サインをお願いします」とか(カード払いのレジにて)

誰が何と言おうが!
私は磯野波平さんよりも年上なのです!

遊びに来ている子との会話・・・
私の見た目を世間の人が速水もこみちだと言っても、
私の中身はこの姿なんだぞー!(*^_^*)
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小庵「着らく」からのお知らせです。
初めて来る子はオレンジ名札の先輩と一緒に来ると楽ですよ。
衣服は自然に着替える姿を見ているだけで覚えられるものです。
見た目のこだわりは手が覚えれば自然に身に着くものです。

間違っても最初から着替えを習おうなどと考えない事です。

その理由は、
百年そこそこの歴史しかない洋服を自然に着ている日本人が、
千年以上も着続けた着物を習って着るのは不自然な考え方です。
posted by kiraku at 12:28| 愛知 | Comment(14) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月05日

なんで日本人は着物を手にすると洋服のように着替えられないの?(^_^;)

「幼稚園の子共が朝起きて自分で洋服に着替える!」

「偉いですね〜」(*^_^*)

「いい大人が朝起きて自分で洋服に着替える!」

「あんた自分で着たの!偉いね〜」とは褒めてはくれませんよね〜(^_^;)

自分で衣服を着るのは万国共通の常識として着替えです。

なんで日本人は着物を自分で着ると周りの人達から「偉いね〜」と褒められるの?

「ひょっとしたら周りの人から
 褒められるような着替え方があるのかな?」


「着替えを着付けだと言われて信じる???」

「それは宮家に伝わるお服上げの儀式を真似て、
 着替えには作法があるかのように教えたのです」

エッ?十二単は自分では着られないからお服上げの儀式ですよね〜。
エッ?エッ?エッ?その儀式を真似て自分で着替えたらどうなるの?

う〜ん・・・日本中の人から呆れながら褒められるかも知れません。(^_^;)

「あんた!!!!その十二単を自分で着たの?大変だったね〜」

「十二単を着ていたお方様の着替えは、
 そのままお服上げの儀式として、
 着替え=着せ付けになるのです」

「普通の感覚では誰でも、
 着替えを着付けだと言われたら混乱しますよね〜」

「だから日本中の人が騙されたのです」(^_^;)


舞台の上で踊りながら着替えたり、
世界を回り生着替えを披露したり、

「日本人は何の恥じらいも無く、
 人前で着替える民族だと思われます」(T_T)

こんなハレンチ極まりない行為で、
日本文化そのものを誤解されてしまったら、
日本人の尊厳に関わる大きな問題です(^_^;)

40年以上も世界中に恥を振りまいたのです。
いい加減に気付いても良いと思うのですが・・・(*^_^*)
posted by kiraku at 13:15| 愛知 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月06日

着物文化とは「あったかい〜ん〜だ〜から〜」♫ ♪ !(^^)!

受け継がれた着物に触れているといろんな事を教えてくれます。
100年前の日本の姿、70年前の日本の姿、40年前の日本の姿・・・
日本人は千年以上も百年分の当て布をブラブラと両袖にぶら下げながら、
家事と戦の時にはタスキを掛けてまで百年分の当て布を大切にしたのです。

「着物の形が教えてくれるものは、
 百年先の子孫を思いやる日本人の温かい心です」

日本中のタンスから捨てられる膨大な着物の量を見ていると、
おかしな手本を真似る事に必死になり過ぎてしまい、
着物本来の意味を見失ってしまったのかも知れませんね。(^_^;)

「今は過去の結果でしかありません」

遊びに来ている子共達に伝えている言葉は、

「自分の将来を明るくするには、
 今、今、今の現実に流されず、
 未来を見据えて行動すれば良いのです」(#^.^#)

世間を変えるのは難しくても、
今を「痛い!苦しい!窮屈!」だと感じたら、
自分が至らない人間なんだと納得する前に、
「何で痛いの?何で苦しいの?何で窮屈なの?」
こんな素直な疑問に答えを見つける努力も必要です。

何故なら「痛い!苦しい!窮屈!」と感じているのは自分自身だからです。
他人から無理な事を強要されて意味も分からず我慢するのはおかしい!

今の着物文化も意味を知って付き合えば楽しい着付けゴッコです。
それを世間では「これが日本の着物文化である!」と言っているだけです。

「ハイ、ハイ、日本人は痛くて苦しくて窮屈な着物を、
 何の工夫もしないで千年以上も着続けたお馬鹿な民族なんですね」

本来の意味を知るだけで、
教えられても着物が着れない大問題も、
思わず笑ってしまうような些細な問題になるのです。(*^^)v

今でも着物教室では着替えを着付けだと言いながら、
大層な道具を使い小難しい手順で着替えさせています。

今でもとある着物教室では音楽に合わせて着替える技を、
大きなホールを貸し切り舞台の上で披露しています。

もしもそんな姿を洗脳されていない海外の人が見たら、
どちらも日本女性の痴態にしか見えないのです。

「着物は特別だからできる?」

洋服で同じ事をやりなさいと言われたら
おそらく誰もやりませんよね〜(^_^;)

「それが正気の世界です」(*^^)v

文部科学省の推薦する着物文化とは、
どんな着物文化なのでしょうか?

本来の着物文化とは
豪華絢爛で無ければいけないのでしょうか?

私は日本人として、
着物は普通に着れば良いと思うのです。

着物はボロ布一枚でも先人の託した
温もりと和みを伝えられる文化です。

なぜ日本の着物文化だけが、
特別でなくてはいけないのでしょうか?

なぜ日本の着物文化だけが・・・
普通に着ることを許されないのでしょうか?

と・・・
「着物を着たいー!」と思いながら、
大きな壁の前でその壁の高さに、
呆然としていている人達に伝えたいのです。


傲慢でお馬鹿な行ないは未来に影を落とし、
百年先の未来を閉ざしてしまう場合もあります。

戦後の着物文化を見ていると・・・
「何で日本人は大切に受け継がれた着物を捨てる国民になったのでしょう」
「捨てた着物に託された温もりと思い出は永遠に戻らないのです」

捨てられた着物に意味があるとすれば、
おかしな時代に流されると永遠に失うものもある!

「その教訓になれば捨てられた着物も幸せです」(*^^)v
posted by kiraku at 20:50| 愛知 ☁| Comment(0) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月08日

国から認可を受けている着物教室で一番大切な授業はナニ?(*^_^*)

タイトルの答えに即答できる人は本当の着物通かも知れませんね。(*^^)v

反対におかしな着物教室では絶対に教えない授業です。

と、意味深な問い掛けをして今月末までブログをお休みします。
今月は大学の定期試験期間に入るので小庵「着らく」の予定は無し!(*^_^*)

世間に向かって「目を覚ませー!」と叫ぶのは結構な体力を使うのです。

アッ、もしも痛くて苦しい着替えを習っている人がいたら、
このブログの好きな記事をコピーして先生に見せてあげて下さい。

良識のある先生なら次回からは楽な着替えを教えてくれます。
その方がお互いに百倍は楽しい時間になると思います。(*^^)

ちなみに生徒さんには、
今まで着替えに使っていた「自装と着付け」の表現を、
「着替え」と伝えるだけで笑顔に出会えます。(*^^)v

タイトルのヒントは、

「着物の袂(タモト)を見れば、
 誰でも直ぐに答えは分かりますよね〜」(*^_^*)

posted by kiraku at 18:26| 愛知 ☀| Comment(4) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする