2021年08月20日

きもの文化は、終わりよければすべて良し。(*^_^*)

前回の更新を最後にする予定でいましたが、
この場を借りてお礼を伝えたい人がいます。

コロナ禍で大変な時期にタンスと着物を大学の部室に運んでくれた子供達と、
自動車を出してくれた初心者マークの男子君には大学と小庵「着らく」を
2往復もさせてしまい本当に感謝の言葉しかありません。

「本当にありがとうね。」(*^_^*)

これからは卒業した先輩の知恵と手を借りながら、
楽しく着物に着替えられる環境を作って下さい。

小庵「着らく」に掛けてあった皆さんの名札は、
タンス上段の引き出しに思い出と一緒に入れておきました。(*^_^*)

卒業した先輩で小庵「着らく」の着物を引き受けてくれた子もいます。
先日は旦那さんと子供を連れて引き取りに来てくれました。
今は子供に手の掛かる時期です。
「着らく」を始めるのは子育てが終わってからですよ。
それまで何十年でも受け継がれた着物は待ってくれます。

「昨日はありがとうございました。」

この一ヶ月は倉庫の着物と帯の嫁ぎ先を探しながら、
嫁がせると負担になる物を一枚一枚選別していました。
これが精神的には結構キツイ作業になりました。(^_^;)

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それでも何とかすべての着物と帯にお礼とお別れを言えました。

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棚に少し残っていた帯も・・・

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棚と一緒に嫁がせる事ができました。(*^^)v

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奥の秘密基地もタンスと衝立が無くなり風通しが良くなりました。(*^_^*)
遅ればせながらのコロナ対策です。「遅い!」(^_^;)

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「何事も、終わりよければすべて良し!」

これは着物の長すぎる袂に託された日本人の考え方です。
物質的に恵まれた時代になっても大切にしたい心です。

小庵「着らく」は場所を選ばず!

小庵「着らく」に終わりはありません。
衣服の着替えに困っている人がいれば誰でも手を貸します。

そんな当たり前の行為が小庵「着らく」です。

今回の終わりは新しい「着らく」の始まりにもなります。!(^^)!

「終わる事の寂しさよりも、始まる事の喜びが勝る!」

終わりとは、新たに始まる事の過程です。

目先の現実もその先に来る終わりで考える。
これだけでやり直すには足りないと思っていた時間にも余裕が生まれ、
後悔よりも反省の大切さを知る事ができます。

反省の無い人生は同じ失敗を繰り返すだけになります。
若い人は周りの意見を聞きながらこの現実は避けた方が良いですよ。

「中年を過ぎると見事に誰も何も言ってくれません。」(^_^;)

アッ、棚を解体しながら思った事があります。
13年前よりも私の体力はパワーアップしてました。(*^^)v

おそらく1年9か月続けているウォーキングのお蔭だと思います。
還暦を過ぎても体力は戻せる!
30年も体に付けて来た15キロの重りを外して、
その快適さをこの歳で知り得たのは貴重な体験です。

一日動き回っても翌日に疲れを感じる事は無くなりました。
同世代の皆さんは一度体験してみる価値はあると思います。(*^_^*)

棚といえば仕事で使っていたスチールの棚も使ってくれる先が見つかり、
今日は大型のスチール棚をバラバラにしてきれいに拭き掃除です。

仕事も「着らく」も終わりよければすべて良し!

アッ、すべての片付けを終わり一つだけ問題がありました。

預かったのか?頂いたのか?定かでない浴衣が一枚!
これは平安通時代から引き継いだ浴衣と下駄なのですが、
私の記憶では小牧の航空自衛隊の子の物です。
結婚して熊本に住んでいると聞いたまま引き継いで、
和ダンスの中に保管したまま今日に至る!

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13年の歳月を考えると子供に恵まれていれば・・・
その子が女の子なら受け継ぐ先に戻して上げたい浴衣です。
おそらく本人は忘れていると思いますが、
この浴衣だけは勝手に嫁がせる訳にはいきませんので、
誰か連絡先が分かれば送りますので宜しくお願いします。

以上です。 

「本当に、ありがとうございました。」(*^_^*)

ゆうちゃんさんへ コメントの追加記事です。(*^_^*) 令和3年8月21日

私が21年間続けた小庵「着らく」を閉じるに当たり、
手元に残した7着の着物です。

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1番から3番は藍染の女物です。
どの着物も無い袖は振れないまで使われた着物文化の鏡!

4番は戦前の着やすい着物です。

5番は夏物銘仙です。昔の染職人の仕事が分かる着物です。

6番は破れを細かく直してある戦前の銘仙です。

7番は戦前の粋な着やすい着物です。

何故か1枚も現代晴れ着はありませんでした。(^_^;)

日本は戦後の豊かさを知るまで資源の無い島国だったのです。
戦後に日本から油田が出た話も無く、今の豊かさは何処から来たのか?

この着物達を見ていると今の環境に嫌でも感謝しか生まれません。(*^_^*)

藍染の木綿は日本の歴史を伝える着物です。
戦前の着物は着やすさと着心地を知る着物です。

どの着物も四角い風呂敷を自由に着こなした楽しい着物です。

今回帯を整理していたら夏の名古屋帯が50本以上ありました。
最初は名古屋帯=夏の着物
こんなイメージしか持てないのか誰も手を付けないのです。

私が一言。

浴衣に夏の名古屋帯を角出しにしたら粋だぞ〜と伝えると、
アッ、という間に嫁ぎ先は決まりました。(*^_^*)

前から見る帯の幅は半巾帯も袋帯も同じなのですから、
着こなしとはその姿をイメージするだけで良いのです。

浴衣に夏帯をイメージすれば帯揚げはいりません。
これも楽しい着こなしの提案です。

古着着物の世界でゴミになっている物ほど価値がある!

日本人は本来の価値を知らないのではありません。
その価値を否定されたおかしな時代が長かっただけなのです。

ゆうちゃんさん、また遊びに来て下さいね。(*^_^*)


posted by kiraku at 08:14| 愛知 ☁| Comment(13) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年07月15日

着物は迷惑ですか? 小庵「着らく」最後の更新になる予定です。(*^_^*)

今日のタイトルは先週生まれて初めて、
買い取り業者に着物を持ち込んだ時の話です。(^_^;)

羽織は・・・男物は・・・ウールは・・・
晴れ着でも擦れや汚れが少しでもあると・・・
この条件に当てはまると引き取りはしますが値段は付きません。

古い時代着物に汚れの無い着物はまれです。
たとえ汚れの無い着物があったとしてもサイズが小さいと・・・

絹でも無地系統の着物は・・・
絹でも小紋の着物は・・・
黒の留袖はちょっと・・・

「着物類は迷惑ですか?」

「迷惑とは言いませんが私共も利益は欲しいので・・・」

ここで着物古着市場の裏話をいろいろと聞かされる事になりました。(^_^;)

小庵「着らく」の着物に思い出の無いものは一枚もありません。
20年間も皆さんの笑顔を包んで来た思い出は、
使用感としてあちらこちらに残されています。

と言うことは!ガーン!!!!!!!!!!

着やすい昔の時代着物やウール着物は買い取り対象外????
晴れ着でも汚れのない高級着物ならかろうじて値がつく????

小庵「着らく」を始めた2000年はウールでも値は付いていました。
このおかしな現実は10年前頃から始まっていた気がします。
今の古着業界は同じ着物がグルグルとたらい回しにされているようです。

着物のしぶとさはグルグルとたらい回しにされても
生き残っている古い着物が沢山ある事です。(*^_^*)

もしも、日本中の人が着替えの楽しさを知る時代が来たら、
その時まで着やすい着物は古着市場を散歩をするだけですね。(*^^)v

古着市場で値の付けられる高級な絹の晴れ着は、
新たな先でタンスの置き物として余生を過ごすと思います。

「着物はこれからの衣服!」

こんな気持ちで着物に関わる人達が本腰を入れて、
着物に着替える楽しさを伝える時代に入っています。

「着物ってこんなに簡単に着替えられるんですね」

「着物の形には奥深い意味がある事を知りました」

この国には着物を教える学校が星の数ほどあり、
この国には着物を扱うお店も星の数ほどあります。

これは「あったハズです」と、
過去形にした方が正解ですかね〜(^_^;)

その国に受け継がれた衣服に関わる人達が、
これほど多い国はおそらく世界中を探しても、
日本の着物だけではないでしょうか?

その人達が過去に何をして来たのか、
その結果はもう嫌という程に見せられて来ました。

そろそろ本腰を入れて過去の間違いを正す時です。(*^_^*)

自分で衣服を着る行為は着替えです。
それを着付けだと教えた理由はなんですか?

「無理も通れば道理が引っ込む」

道理に外れた事が幅をきかすようになると、
正しい事が行われなくなる。

戦後の日本はこんな環境で成長して来た気がします。


着物文化は日本の姿を映す鏡なのかも知れません。

きもの好きな皆さんで、
これからの日本を明るくして行きましょう。

きっと着物に関わる皆さんも応援してくれますよ。(*^^)v

2000年の8月に始まった小庵「着らく」は、
2021年の8月を最後に終了いたします。

「長い間ありがとうございました。」

嫁がせる着物と帯を数えたらまだ1000枚ほど残っています。
自宅「着らく」をやりたい人は連絡して下さい。

2011年に平安通りから今回の場所に移した際に、
私の相手が出来る世代は大学生までと考え、
それ以外の人達は連絡先も引き継いでいませんので、
フジタさんが健在なら連絡先を問い合わせて下さい。
後は引き継いだ大学繋がりでも分かると思います。
posted by kiraku at 10:51| 愛知 ☁| Comment(2) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年07月03日

小庵「着らく」は場所を選ばず!(*^_^*)

今日のタイトルはブログの中で伝え続けた言葉ですね。

きものに着替える楽しさを知っても外を歩くには勇気がいる。
これは着物教室に通っている生徒さんでも同じです。

着なれてしまえばそれほど気にならない人の目も、
そこまでたどり着くのは大変! 何故なんでしょう。

日本政府は着物禁止令など一度も出していません。

サザエさんのお母さんは着物姿で生活をしています。
ちびまる子ちゃんのおばあちゃんも着物姿です。

小庵「着らく」でもウールに半巾帯を結んで、
家から普通に着物姿で遊びに来る子もいます。

ウールに半巾帯で遊びに来ている子は、
棚から絹のハレ着を手にしても普通に着替えます。

着物を教えている皆さんに気付いてほしい事があります。
着物を習っている皆さんにも気付いてほしい事があります。

これは遊びに来ている子供達には最初に伝える言葉です。

着物に触れたことのない人は着替えの経験もありません。
その人に着付け道具や訳の分からない手順を示して、
言われた通りに着替えなさいと言われたら誰でも戸惑い、
自分が手にした着物を見る余裕など無くなります。

着替えの出来ない人に着せ付けは無理!
反対に着替えの出来る人なら、
手にした着物を見て楽な着せ付けが出来るのです。

この着物は身幅が狭いから右前は少し深めに上げてはしょりましょう。
この着物は身幅が広いから右前は少し折り込んではしょりましょう。

アッ、小庵「着らく」では右前とは言いません。
これはこうだからこうした方が良い!

遊びに来ている子供達は着物用語を知らないのです。

着物は頭で覚えて着替えるような衣服ではありません。
着物用語は着付け師さんや和裁の現場で使われるものです。

着替えを着付けだと教えた学校で習った、
その着付けの出来ない事は当たり前です。

しかし、日本人が着物に着替えられなくなり、
一度も着物に触れた経験のない子供達が、
当たり前のように思われているのは、
やはり日本人として恥ずかしいと思います。

こんな事が40年以上も放置された今の時代を、
今の若い人達はなんの疑いもなく生きています。

40年は三代に繋がる時間です。

御祖母さんが気付けば孫は笑顔になれます。
お母さんが気付けば子供達は笑顔になれます。

しかし、子供や孫が気付いても、
周りの大人は誰もタンスを開けてはくれません。

「これが今の日本の現実です。」

気付いた大人は着物を通して、
子供やお孫さんの笑顔に出会えます。

着物は温もりと和みを受け継いだ衣服文化です。

小庵「着らく」は場所を選ばず!
皆さんの家庭が本来の小庵「着らく」です。


勇気を出して声を出すのは、
子供達なのでしょうか?


周りの大人が気付いてあげれば、
何の勇気も覚悟も必要ありません。

「着替えくらいオバサンが教えてあげる!」(*^^)v
posted by kiraku at 08:12| 愛知 ☔| Comment(0) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年07月02日

きもの時間の百年は長い?(*^_^*)

今日のタイトルは人生100年時代と言われる現代にちなんで、

100年前は人生50年と言われていました。
江戸時代に姥捨ての風習があった地域なら、
山に連れて行かれた年齢は60歳くらいです。

私はボケていなくても確実に口減らしの対象年齢ですね。(^_^;)

令和の現代では63歳の私は世間から見ると若手!
これは私の周りに元気なお年寄りが大勢いるからです。

63歳の私がこの半世紀を振り返ると驚く事が沢山あります。

着物時間の百年前にさかのぼれば、
1912年の日本の自動車登録台数は521台です。
昨日の東京でのコロナ感染者数よりも少ないのです。
一枚の着物が百年間見続けた日本の変化は凄まじいものですね。

ただ無理な変化は数年でその姿を見なくなります。

前回の更新でお正月の着物がウールから振袖に変わった時は、
バブル経済の真っただ中でした。
あの時は経済が豊かになりウール着物が振袖に変わっただけで、
着ている人達の様子はほとんど変わりませんでした。

熱田神宮周辺では歩道の縁石に腰を下ろしてタコ焼きを食べ、
友達とふざけ合って歩く姿はウールも振袖も同じ。

ただ私は貧乏性なので、
絹の着物で縁石に座りながら友達と話す姿には驚きました。
何よりも長い振袖の袂は着ている本人も気になるハズです。

どれほど日本が豊かになっても、
着ている本人の着心地が悪ければ翌年は誰も着ません。
これが数年で初詣の振袖姿が消えた理由です。

しかし、一度派手な振袖姿で初詣を飾った着物は、
本来のウール着物には戻らなかったのです。

着心地の悪さはコスプレ的になった成人式の振袖も同じです。

生まれて初めて着物を経験する場面が振袖になれば、
成人式は着物との卒業式になってしまうのです。

意味を知って生きる事の大切さ!

日本人は千二百年前の平安時代から着物を受け継いで来ました。
その日本人は着心地の悪い衣服を千二百年間も着続けたと思いますか?

日本人にとって着物は、
着やすくて着心地の良かった衣服なのです。

こんな当たり前の事を伝えるだけで、
誰でも着物を好きになってくれます。


友達同士で遊びながら着ても、

現代ハレ着も着心地よく簡単に着られます。

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たった一つの手本を真似なくても、

着物姿は着ている人の個性を表す着こなしが楽しいのです。

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着物から着心地と着こなしを奪ってはいけません。

普通に着れば楽しいだけの衣服なんですよ。

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着替えに手順も作法も道具も必要ありません。

着物の着替えは楽しく無ければ意味が無いからです。

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「コロナ禍前の写真を見ると思います。」

令和の現代では昭和の嘘は通用しない事を、
この国の指導者はいい加減に気付いてほしいと思います。

急速な変化はその環境について行くのが精一杯です。

ほんの30年前は満員御礼の着物教室は無料にしても閑古鳥!
ほんの30年前は飛ぶように売れた高級着物もゴミ扱い!

ステイホームの今だからほんの少し立ち止まり、

「何が悪かったの?」

その答えを知って明日を生きれば、
コロナ禍後の着物文化に暗い世界などあるハズはありません。(*^_^*)
posted by kiraku at 08:48| 愛知 ☔| Comment(0) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年06月30日

いつから着物は時代遅れ? (^_^;)

今日のタイトルは戦後のきもの文化を知るヒント!!(^^)!

私の父親は明治43年生まれでした。
今でも生きていれば111歳です。
残念ながら34年前に77歳で亡くなっています。

昔の人は一般的に一刻な人が多いと言われています。
私の父親は少し世間の常識とは外れた感覚を持った人でしたが、
これも当時ではそれほど珍しい人では無かった気がします。
ただ父親は道理に外れた事をすると怖かったです、(^_^;)

しかし、明治生まれの道理とは、少し問題があったような?
日露戦争に勝利してその勢いのまま太平洋戦争に向かった世代です。

明治生まれの道理とは「無理も通れば道理も通る」
こんな道理もあった事は事実です。
白いものでも無理に黒だと思わせれば黒になる。無茶苦茶ですね。(^_^;)

この道理を戦前〜戦中の日本に当てはめると、
何であんな事が許されたのか、時代の空気が理解できると思います。

何でこんな話をするのかと言えば、
戦後の日本におかしな着物教室を創立した人達は、
私よりも年齢は20歳ほど上になるのですが、
なんと!その親の年齢は私の親とほぼ同じなのです。(^_^;)

「無理も通れば道理も通る!」

「着替えも着付けに化ければお金儲けになる!」

令和の現代では無理な道理は通りませんね。(^^ゞ

終戦は昭和20年、私の生まれたのは昭和32年です。
小学生の頃はお正月になればウール着物で初詣をする人は大勢いました。
20代の頃でもお正月の着物姿は変わらなかった気がします。

しかし、世間で着物教室が流行れば流行るほど、
お正月の着物はウールから振り袖姿に変化して行きました。
その流行も長くは続かず今ではお正月の着物姿も激減です。

私は氏子総代の役を引き受けているのですが、
学区の八幡神社では初詣の着物姿は一人も見掛けません。

「きものは時代遅れ!」

最近はこんな言葉も聞かなくなりました。
それは着物離れの先にある無関心な時代になったからです。

「皆さんにこの意味が分かりますか?」

着物教室や着物に関わる人達がハレ着!ハレ着!と騒いだ分だけ、
豪華絢爛になり過ぎた着物は着られない着物に化けてしまったのです。

「無関心時代の今は一番暗い夜明け前です。」

「皆さんにこの意味が分かりますか?」

「無関心な人でも本来の着物文化に触れる機会があれば、
 誰でも着物を好きになり自由に着られる時代になってます。」

ひと昔前のお直しオバサンはもう高齢化して表には出て来ません。

自宅「着らく」を始めるなら、
お祖母ちゃん達は孫世代に目を向けて、
お母さん達は子供世代に目を向けて下さい。

家の中が笑い声で包まれます。(*^^)v


着物に右肩下がりの未来はありません。

これは着物に関わる人達に対して、
20年以上前から伝え続けた言葉です。


ちなみに大正生まれの母親は亡くなる前にこんな一言。

「あんたはお父さんよりも頑固だよ」

これだけは自分でも自覚しています。(^_^;)

ただ令和の現代ではこの頑固さは問題です。

心のどこかで時代に流されながら生きたくても、
私は金づちなので流されたら溺れ死んでしまいます。(*^_^*)

ステイホームが解けたら、
先ずはプールに行って泳ぎを覚えようかと思います。(*^^)v
posted by kiraku at 12:42| 愛知 ☁| Comment(0) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年06月29日

着物にストレスを感じてはいけません。(*^_^*)

今日のタイトルはストレス社会と言われる現代では、
何がストレスかを知るのは大切な事かも知れません。

朝起きて歯を磨き顔を洗って服を着る。
こんな日常にストレスを感じながら生活している人は大変です。

日本人にとって着物は日常であった事を忘れてはいけません。

こんな話をすると必ず、日常に着るものと晴れ着は違う!
これは今の日本では40年近く言われ続けた、
意図的な間違いです。
皆さんは何が違うのか考えた事はありますか?

お母さんが朝起きて着物に着替えて食事を作る。
お母さんが着物に着替えて授業参観に来てくれた。

これは昔の日常であり、特別なストレスはありません。

日常の延長線上によそ行きの着物があり、
今日は授業参観だからと、お母さんが美容院で着付けを頼んで、
絹のロングドレスをはしょって来られても子供は困ります。

現代で晴れ着を特別な装束だと考えるなら、
それはコスプレ的になった振袖なら分かります。

しかし、成人式の振袖姿は一生に一度です。
皆さんはその為にわざわざ着せ付けを習いに行きますか?

日本人にとって着物は日常であってはいけない!
浴衣と訪問着では着替え方も使う道具も違う!

今でもこんな風に考えている人がいるとしたら、
平成生まれの子供達から相手にされなくなりますよ。(^_^;)

そもそも日常の着替えに道具など最初から無いのです。
日常の延長線上にある訪問着でもそれは同じです。

昔の着物と現代の晴れ着ではサイズが違うのは確かです。
現代ハレ着は無駄に大きな風呂敷になっています。
その無駄に大きい分だけ体に巻いてあまる布の量も増えます。
余った布の始末に道具を使うのも個人の工夫です。
腰紐を使う人もいればゴム系の紐で留める人もいます。

それを習う流派で使う道具が決められているのはおかしいのです。

昔の着物姿はゆったりと楽に着こなしている人が多いのは、
着ている本人が着やすく着心地よく自分流に着ているからです。

日本人にとって着物は日常でなくてはいけません。

浴衣に着替えられる人は振り袖にも着替えられる、
それは衣服としての形はどちらも同じだからです。

振袖をコスプレ的に着たければ着付けを頼めば良いのです。
振袖の飾り結びを江戸で再現すると花魁の前結び姿になります。

華やかさを表現する帯の形は江戸時代も現代も同じ!(*^_^*)

もしも洋服に着替える楽しさを問われたら皆さんは困る?
では着物に着替える楽しさを問われたらどうですか?

小庵「着らく」で遊んでいた子供達は即答ですよ。
着物に着替える楽しさは選ぶ楽しさと着こなす姿!
ヽ(^。^)ノ


これは2013年小庵「着らく」の写真です。
あれから8年も経っている事が不思議です。
みんなコロナに負けず元気にしてますか?
アッ、一人の子は10月に子供が産まれます。(*^_^*)

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小庵「着らく」は2000年から2020年まで、
今年はおまけの小庵「着らく」です。(*^^)v

女の子の着替えはお母さんや御祖母さんの役目です。

日本は高齢化社会になりお年寄りは沢山います。
その内の半分は御祖母さんなんですよ。

私は20年の歳月で孫もいる正真正銘の爺さんです。
こんな爺さんに子供や孫の着替えを任せて恥ずかしくはありませんか?

そろそろ着物好きな皆さんの出番ですよ。(*^_^*)
posted by kiraku at 08:12| 愛知 ☁| Comment(0) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年06月28日

着物はいつも笑顔が似合う。(*^_^*)

私は着物系の動画はほとんど見ない人です。
着方や帯結びの紹介をされている人は沢山いる事は承知しています。

しかし、動画を見ながら着替える???????

その姿そのものがおかしい事に気付いている人も多いかと思います。

もしも小庵「着らく」の様子を動画で流したら、
ワイワイガヤガヤと洋服と同じように着替えているだけです。

アッ、絶対に動画で流す事はありません。
何故なら、
子供達の着替えを動画で流したら怒られます。(^_^;)

着替え方を動画で紹介する姿に違和感を感じないとしたら、
その時点でおかしな着替えを前提にしていると思えば間違いないです。

帯結びは着物に着替えた後の遊びですから、
手順の参考程度なら見る価値はあると思いますよ。(*^_^*)

と、最近はこんな事ばかり言い続けている気がします。

それは今までは何となく理解していた事もこのコロナ禍で、
コロナ禍前の着らくを思い返す時間の中で見えた事が沢山あります。

着物は手順や形を教える事は簡単です。
しかし、それをすると覚えが悪くなるのです。

今の場所に移した当初は初めての子には教える事もありました。
しかし、着替えの空気が育つ過程でそれは必要ない事に気付きました。

初めての子は2回目や3回目の子に任せてしまう。

当然2回目や3回目の子では分からない事も沢山あります。
それを初めての子を相手に自分流の工夫をしながら着替えるのです。

アッ、手が止まってしまった時は黙って助け船を出します。

「黙って手を貸す」これが大切なんです。

言葉にすると相手は無意識に頭で覚えようとします。
しかし、頭で覚えても次に手にした着物や帯は違うのです。

この着物はウールだからこの方が楽に巻ける。
この着物は現代ハレ着だからこの巻き方の方が楽かも!
この時代着物は巻きやすいからこの道具は要らない!

こんな事は着なれる過程で体が自然に覚えてしまいます。

皆さんにこの意味が分かりますか?

そうです!!!!!
手にした着物を見ながら工夫する習慣が生まれるのです。

私は昔からこんな事を言って来ました。
着物の着替えを教えるなら、生徒さんのタンスを想像して、
100人の生徒さんが通う教室なら最低でも1000枚の着物が必要。

着物の着せ付けを生徒さんに教えるなら、
着つけるお客さんのタンスを想定して、枚数はこの倍でも足りません。

江戸時代に着物教室が無かった理由は簡単ですね。
明治時代でもこの日本に着物教室は無かったのです。

衣服の着替えを教えて成り立つ学校があるとしたら、
最初から、
その教え方に大きな問題があったとは思いませんか?


「普通に着替えれば着物は洋服よりも楽しい!」

それは衣紋の開け加減はその日の気分!
襟の合わせは着物と相談しながら加減する!
同じ着物でも着こなしを少し変えるだけです。

それでも着物姿の雰囲気は誰が見ても別人です。。(*^_^*)

「こんな風に着物姿で遊んだ事がありますか?」

小庵「着らく」の子供達はこれが普通でした。(*^^)v
posted by kiraku at 17:17| 愛知 ☁| Comment(0) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年06月26日

卒業生のメールに時の速さを実感!(*^_^*)

夜に卒業生からメールが入りました。

「借りた着物があるので・・・」

着物を嫁がせている最中に返されても困る!(^_^;)

お久しぶりとの挨拶に今朝名札で確認すると、
2014年に初めて着らくで会っている子でした。

卒業は2018年ですからほんの3年前の事です。
3年前の卒業生はちょうど在学中に私が母親の介護をしていた時期です。

返す機会も無いまま3年間も気にしていたのなら、
その事の方が私には申し訳なかったと謝りたい気持ちです。

この場を借りて着らくの着物を手元に置いている人に、

「嫁がせますから、出戻りにしないで下さいね。」(*^^)v

還暦を過ぎた爺さんが着替えを伝える時代は終わりました。
孫世代が二十歳になった頃を想像すると、
これからの20年間は今までの40年間とは違います。

何が違うのか?

2000年の空気と2021年の空気を見れば分かります。
この変化を見れば20年後の着物文化は安泰です。

着物に着替える楽しい環境が日本に戻り、
着物教室の存在理由は微塵も無くなります。

そもそも民族衣装の専門学校がある国は、
世界中を探してもおそらく日本だけです。

民族衣装とは、
その国や地域の生活に根付いて受け継がれるもの!


今日は昼からウルトラマンマントを持って孫に会いに行きます。ヽ(^。^)ノ

posted by kiraku at 09:20| 愛知 ☁| Comment(0) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年06月25日

コロナ禍の迷走は着物文化で解決!(^_^;)

新型コロナウイルスも一年経つと、
新型から変異型ウイルスに進化する。

オリンピックはコロナ前のお祭り騒ぎから一変して、
何とも微妙な空気のまま開催に向けて迷走状態です。

この何とも微妙で頼りない空気は何なんでしょうね。

時代の空気とはその先を見通す事のできるものです。
40年前に日本中を包み込んだ空気に生きた人達も高齢になり、
今はその空気を振り返りながら生きています。

NHKの朝のドラマでこんな言葉が心にとまりました。

昭和の倫理感では・・・

倫理感も時代によって大きく変化するものです。
あの時代だから許された事も令和の現代では許されない。
反対にあの時代では許されなかった事も令和では許される。

本当は時代に左右されない倫理感が倫理なのでしょうね。(*^_^*)

着物を畳む時に折り目を間違えてしまうと、
次に着る時にはアイロンを掛けなくてはいけません。
着物は折り目を間違えずに畳めばアイロン要らずの衣服なのです。

折り目を正すとは気持ちよく生きる事です。
これも家にある着物を畳めば誰でも自然に分かります。

昔の人は晴れ着などを仕舞う時は必ず躾糸を縫い付けました。
これは滅多に着ない晴れ着の折り目がずれる事を防ぐためです。

先で使う人の事を考えてひと手間を掛ける。

これも時代に左右されない日本の倫理感だと思います。

我々還暦世代は理由も告げられず「着物だから」
この一言ですべてを納得させられた世代です。

着物だから苦しいのは我慢しなさい。
着物だからお金が掛かるのは我慢しなさい。
着物だから難しい着付けも我慢して習いなさい。

そんな時代を経験しても日本人は着物が大好きです。(*^_^*)

何で?

おそらく時代に左右されない良さが着物にはあるのです。

昭和の「着物だから」も令和の現代では真逆になりました。

着物だから楽に着るのは当たり前です。
着物だからお金を掛けないのも当たり前です。
着物だから洋服よりも簡単に着替えるのは当たり前です。

「皆さんはどちらの着物文化を選びますか?」

後者は本来の着物文化に戻っただけの姿です。(*^^)v


来月は17日に小庵「着らく」の予定です。
また妖怪「持ってけ〜」が出ると思いますよ。

小庵「着らく」の様子を写真で紹介できないのは、
このコロナ禍では何が問題視されるか分かりません。

コロナ禍はおそらくこのままズルズルと長引きます。
責任の所在が不明なまま物事を推し進めると、
どんな些細な事でも驚くほどに結論が長引くのです。

それは責任の所在をはっきりさせない為に使う、
忖度と利権の都合に費やされる時間だからです。(^_^;)

と、折り目を正して仕舞われている着物からの意見です。
後々の子孫が困らないように今は我慢のひと手間が必要ですね。(*^^)v

ただ我慢のひと手間がひたすらのステイホームは情けない。
名古屋市はまだワクチン接種の案内すら来ないのです。
当初のPCR検査は何の動きも無いままワクチンが先行してます。(^_^;)

早くこの時代を振り返る場所に立ちたいですね。

昨年末に小腸癌で倒れた友人はこの春に亡くなりました。
あの世に逝く時は何も持っては行けないですね。
この世での行いだけが楽しい思い出として残ります。

「騙される人が悪い!」こんな時代の空気も終わり、
「騙す人が悪い!」こんな当たり前の時代は直ぐそこです。(*^^)v
posted by kiraku at 16:37| 愛知 ☀| Comment(0) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年06月24日

ステイホームは時間がある。(*^^)v

せっかく緊急事態宣言で下がった感染者数も、
なぜか解除後は直ぐに増え始めてしまいますね。(~_~;)

最近は世界でもワクチン接種の進んでいる、
イスラエルとイギリスの感染者数の動きが気になります。

コロナは長期化するのは仕方がないとして、
変異によって若い人も重症化するような事態は避けたいですね。

今週は娘の出産で孫の子守りをする機会に恵まれました。(*^^)v

三歳になる孫の興味はトミカからウルトラマンに変わっていました。
爺さんもウルトラマンなら子供の頃から知っている!と思ったのですが、
半世紀前のウルトラマンは一人しかいなかったのです。
今では総勢何人のウルトラマンがいるのか分からないほど増えています。

ひょっとしてウルトラマンは子沢山?????????

孫と一緒にテレビを見ながらその違いがイマイチ分からない!
ウルトラマンティガ・ウルトラマンフーマ・・・・・・・・
孫は一生懸命に説明をしてくれるのですが・・・イマイチ違いが?

私が子供の頃はウルトラマンはウルトラマンで良かったのです。
しかし、今の子供は同じウルトラマンでも情報量が違い過ぎます。
それだけでも今時の子供は凄い!凄すぎる!!!!!!!!!

そんな孫とのやり取りの流れで、
タオルを首に巻いてマント代わりにしてウルトラマン?
今時のウルトラマンはマントをしているらしいのです。
そこでこんな一言。
「爺ちゃんが今度マントを作ってやる。」
「エッ、なら青いマントが良い!」
ここで孫のお父さんから一言
「ウルトラマンのマントは赤でなくて良いの?」
しかし孫は「青が良い!」

そんな流れから昨日は手芸店で青い生地を買い、
孫にウルトラマンマントを作っていました。(*^^)v

ウルトラマン.jpg

コロナ禍で世の中がひっくり返るような大騒ぎの中でも、
真面目にステイホームを続けている身としては、
今さらジタバタしても流れは急に変わらないのは世の常です。

ウルトラマンマント以外にも
先週はバランスボードも手作りしていました。

ウルトラマント.jpg

これは自画自賛の出来栄えでしたよ。(*^_^*)

江戸時代は基本的に身近な物は買うよりも作る時代。
着物も反物はお店で買っても仕立てるのはお母さんの役割。

針仕事は躾として受け継がれた日本の文化です。

小庵「着らく」では何故か・・・・・
針仕事はいつも私の仕事だった事は今でも納得できない!(^_^;)

針を使った事のない子供が育った理由は、
破れた服を直して着るよりも買った方が楽になったからです。

それだけ豊かな時代が続いた証拠ですね。(*^_^*)

ステイホームを機会に針仕事をするのも楽しいですよ。
posted by kiraku at 09:25| 愛知 ☀| Comment(0) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年06月22日

時代が変われば着物は復活!(*^_^*)

今日のタイトルはコロナ禍で思った事です。

今回のコロナ禍で世界の常識と生活スタイルは大きく変わり、
その変化の大きさに対応できない大勢の人達がいます。

仕事はリモートになりスマホを活用する場面は増え、
新しい考え方や今までには無かった常識が育っています。

すべてが良い方向に向かっているとは思いませんが、
良くも悪くもその行いがはっきりと見える時代です。

私の若い頃は悪さも大人の仲間入り的な風潮がありました。
そんな私の目線で若い人を見ていると聖人君子に見えてしまいます。

一見他愛もない悪ふざけも動画で拡散されれば罪を問われ、
その姿から小さな子供はやってはいけない事を学んでいるのです。

恐るべし動画の世界ですね。(*^_^*)

あおり運転は私が免許をとった45年前からあり、
事故になれば警察の厄介になる事はあっても、
ドライブレコーダの無い時代には災難と諦める。

あおり運転で捕まる人の年齢が意外に40代以上に多いのは、
ドライブレコーダーが一般的になったのはこの5年ほどです。
若い人はドライブレコーダーの存在を認知していても、
中高年はまだドライブレコーダーに対する意識より、
今までの習慣的な行動が優先しているような気がします。

波平さんは54歳であの存在感を持っていた時代と違い、
現代はスーパーの万引き世代が高齢者になっています。

この半世紀に何があってこんな社会になったのでしょうね。

確か30年ほど前のバブル経済が崩壊した時に良識のある人達は、
政府の金融機関に対する甘い救済処置に対しては怒りを込めて、
こんな事をしたら社会にモラルハザードが起きると警告していました。

モラルハザードとは、
道徳と倫理の欠如した時代が必ず来ると危惧していたのです。

ひょっとしてスーパーで万引きしている高齢者は痴呆症の人?
こんな事を真面目に考えてしまいます。

アッ、タイトルとは関係のない話を長々としてしまいました。(^_^;)

しかし、過去を知らずに今を語るのは難しい!
世の中の動きは必然的な結果を体験している事がほとんどです。

こんな事をしていたら先ではこんな事が起こる!

30年前の着物文化でも、良識のある人達は着付け教室の教え方に対して、
こんな事を教えていたら誰も着物を着なくなると危惧していたのです。

残念ながらこの声は30年前の日本ではほとんど表には出ませんでした。

あの頃は日本中のテレビや新聞が相手にしたのは・・・
これはわたし的には今でも文章にするのもおぞましい過去です。(/_;)

何でこんな更新をしているのかと言えば、
若い人と話をしていて今の現実は百年前から存在していると思っている?

「日本の借金はバブル経済崩壊後の数十年で作られた負債なんだぞ」と話しても
「エッ、もっと昔からある負債だと思っていました。」

返済するために税金を上げても、借金の減らない責任は曖昧なまま、
今回のコロナ禍は過去の負債の理由を霧の中に隠すには絶好の好機です。(^^ゞ

今の現実は過去の行いの結果を見ている。
若い人には過去の大人の行いの結果を見せられている。

最近の薄気味悪さは、過去の行いを反省しない大人の姿です。

アッ、昼休みにBS放送でアメリカ大リーグのライブ中継を見ました。
ダルビッシュ投手はアメリカでも頑張っていますね。(*^_^*)
そこで我が目を疑ったのは、観客は満員で誰一人マスクをしていない!

日本では来月のオリンピックに向けて今でもコロナ迷走状態です。
どちらが本来の姿なのでしょうか????????

数字を見る事には長けた人は大勢います。
しかし、人を見て判断する環境は消えているような気がします。

きものに着替える時は、手にした着物を見ながら会話をすると、
お祖母ちゃんやお母さんの思い出に触れる事ができます。

お祖母ちゃんの着物を買い揃えたのはお祖母ちゃんのご両親です。

五年も着ない着物はタンスに眠る価値も無い??????
着物時間は曾孫の代まで確実に繋がっています。

昭和の一時期におかしな着物教室が流行った事も、
令和の一時期にコロナウイルスに世界中が泣いた事も、
先の子孫は着物に着替えて笑いながらの思い出話です。

と、私は今でも真面目にそんな日本の姿を想像しています。

「若い人が角出しはおかしい」
世間を着物姿で歩いたらこんな事を言われた子がいます。

若い人のお太鼓姿に違和感を感じる人は本当の着物通です。(*^^)v

まだまだおかしな常識を振り回す、
お直しオバサンは健在なんですね。(^_^;)


ステイホームの昼休みにダラダラの更新でした。(^_^;)
posted by kiraku at 13:01| 愛知 ☁| Comment(0) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年06月20日

きもの時間はのんびりまったり流れます。(*^_^*)

のんびりまったりと過ごしていたら、
Windows7は過去の遺物になっているらしい!

「エッ、師匠はまだWindows7なんですか?」

これが前回の着らくで言われた驚きの言葉です。
世間ではWindows10でも時代遅れと言われているらしいのです。

むかしの良い道具は100年経っても壊れないものです。
それが近年では壊れる以前の問題で使えない道具もある。

私が二十歳の頃まではもう少しのんびりまったりと時は刻み、
物事の変化も十年一昔と言われた時代が懐かしいです。

現代ではその日の天気はスマホを見れば雲の動きまで一目瞭然!
これも当たり前のようになっている便利な習慣ですね。

子供の頃に下駄を飛ばして天気を占ったのは私より前の世代、
私が小学生の頃は靴を飛ばして天気を占っていました。(*^_^*)

下駄は昭和30年代から急速にその姿を消しました。
理由は簡単です。
道路のアスファルト舗装が進み運動靴になったからです。

下駄を飛ばした時代から半世紀でこんなに変わるんですね。

この半世紀で一番変わった事の一つに、
日本人の着物姿がある事を忘れてはいけません。

日本人は江戸時代から絹の着物に補正や道具を使い着替えていた!
まさかそんな着替えを平安時代からしていたとは誰も思いません。

でも着物を手にするとおかしな着替えを手本にしてしまうのは何故?

これにもしっかりとした理由があるのですが、
文章にすると長くなるだけで伝わらない事が多いのです。(^_^;)

小庵「着らく」で着物に触れていた子供達は同じ着物や帯を使いません。
いつも棚から好きな着物や帯を選んで着替えていました。

名古屋にあるきもの教室では教材用の一枚の着物と一本の帯だけで、
手本になる一つの着物姿を真似て着替える事だけを学びます。

その教室で着替えを覚えた生徒さんが家のタンスを開けて、
お祖母ちゃんの着物やお母さんの着物を出して羽織れば、
習った手本通りに着るには裄が足りない!丈が足りない!
これは晴れ着の世界では当たり前の事なのですが、
広襟を広げて裄を出す着替えの工夫を知らないのです。

それでも解いて仕立て直す方法はあります。
しかし、着物を解いて繋ぎ合せれば買った時と同じ反物に戻る!
着物教室で習って分かっていても解いた経験がないのです。

着物文化を教える学校で和裁は基本中の基本です。
しかし、学科の中で和裁を教えている教室に出会った事がありません。

皆さんは組紐を教えるより和裁だと思いませんか?(^_^;)

小庵「着らく」では本当に着物好きな子は着物を解いています。
解いて見ると簡単にバラバラになる事に驚き、
要所要所はしっかりと留めてある和裁士の仕事を知ります。

浴衣やウールの着物は単ですから解くのに半日も掛かりません。
袷の晴れ着でも休みながら一日あれば十分です。

これで洗い張りに出せば解き代の数千円は安くなります。

こんな工夫や知恵が着物文化の基本です。

「そんな事を教えたら何十万円!何百万円!の新しい着物が売れない!」

基本を知らないから何十万円、何百万円もした着物を捨てるのです。
捨てられる着物を見て育った世代はどんなに勧めても買わないのです。

私の知っている洗い張りをしていたお店は10年前に無くなりました。

着物は受け継がれた思い出と温もりを知らずに、
おかしな着替えに汗を流しても何の意味もありません。

古い白黒映画の着物姿にお太鼓姿の女性は何人登場すると思いますか?

背中で結ぶ広い帯は着付け師の仕事!
手を貸してくれるお手伝いさんや女中さんのいる人達の着物姿です。

戦後に生まれた着物教室がブームになったのは、
今まで無かった事を教えたからです。

それを日本中の人が信じてしまったのは、
高度成長の波に乗ったら何でもありの時代背景があるのです。

家の洋服ダンスを開けて絹のスーツやドレスを持っている人は別です。
一般庶民のタンスにはこれほど豊かな時代を過ごしても、
絹のスーツとドレスを持っている人はおそらくいないと思います。

私が洋服タンスの絹を探して出て来たのはハンカチだけでした。(~_~;)

しかし、何故か?お祖母ちゃんの和タンスを開けると・・・
出てくる着物や帯は豪華絢爛な絹の晴れ着や袋帯なのは何故?????

今まで無かった事を真に受ける人を相手に商売をすれば、
笑いが止まらないほど高価な商品が飛ぶように売れたのです。

前にも伝えましたが袋帯が二重太鼓になるのは、
振袖の飾り結び用に作られた袋帯は、最初から長めに仕立ててあります。
袋帯だから二重太鼓ではありません。
飾り結び用に仕立てられた長い帯だから二重太鼓になるのです。

体格の良い女性が結べば一重太鼓になる事もあります。(*^_^*)

理に適った考え方で着物に着替えるのは楽しい!

着物を教えている人達に気付いてほしかった事です。

これは名古屋帯だから一重太鼓!
私の流派は後ろで一結びするから絶対に一結び!
私の前結びの流派は回すために便利な帯板があります!
・・・・・・・・・・・・・・・・・

手の込んだ刺繍の帯を一結びしたら帯が痛むだけです。
前結びは半巾帯の練習で十分です。

着替えに決まった手順などあるハズは無いのです。

手にした着物や帯を見ながら、
その風合いや大きさ長さに合わせた工夫をするのが着こなしです。

と、ステイホームを続けていると曜日感覚が無くなる!
今日は日曜日で暇潰しに更新をしてみました。(*^_^*)

アッ!!!!!!
昨夜無事に孫が産まれました。
母子ともに健康で元気な女の子です。ヽ(^。^)ノ

夜中に娘から写真付きの生まれたメールをもらい、
オイオイ、出産直後にメールをするか??????
と、二人目の出産でたくましくなった娘の姿を知り、
男女平等は無理!母親のたくましさに脱帽でした。

男尊女卑の考え方は明治期〜昭和初期の風潮ですよね〜
江戸時代は二男三男は養子に出されるか家を追い出されたのです。
本当は江戸時代の女性は男性よりも強かったと思っています。

では病院にいる娘に代わり孫の子守りに出掛けて来ます。(*^_^*)
posted by kiraku at 13:21| 愛知 ☁| Comment(0) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年06月17日

着物とのお別れは楽しい場面もあります。(*^_^*)

どれほど真面目にステイホームを続けても、
なぜか名古屋は未だに非常事態宣言中です。(^_^;)

コロナ禍で何が変わったのか?

三歳になる孫は物心のついた頃からマスク姿の大人しか知らない。
こんな現実だけでも小さな子供にとっては異常な環境です。

コロナだけは早く収まると良いですね。

先週は卒業生の子が自宅「着らく」の友達と子供を連れて、
賑やかな小庵「着らく」になりました。
1歳になる男の子はおんぶをすると寝付くと聞き、
着替えに忙しいお母さんに代わり私がおんぶをすると、
直ぐに背中でスヤスヤと寝てくれました。(*^_^*)

降ろすと目を覚ますと言われ背中の寝息を聞きながら、
爺さんはひたすらウロウロと歩き回る事しかできません。

「本当に小さな子供は何をしていても可愛いですね。」

先週もダンボ―ルケース2箱の着物と帯を嫁がせました。
自宅「着らく」を始めると、
着物を選ぶ楽しさの大切さに気付きます。!(^^)!

ブログでは伝えられない小庵「着らく」の空気は、
嫁がせる着物と一緒に自宅「着らく」にも届いています。

何よりもこのコロナ禍で、
嫁ぎ先の決まった着物や帯が嬉しそうなのです。

「これが受け継がれる着物の姿です。」(*^^)v

私がブログの中で伝えたかった事はただ一つです。

「本当は着物を嫌う日本人は一人もいないのです。」

遊びに来ていた子供達の洋服と同じように着物に着替える姿も、
同じ形の大きな風呂敷を一日中でも飽きずに着替えているのです。

同じ形の洋服なら色柄を変えても一日中は着替えられません。

今の日本でこの意味を理解できない人がいるとしても、
小庵「着らく」で育った子供達は楽しく着替える意味を知っています。

アッ、前回の小庵「着らく」で初めての子にこんな話をしました。

「日本には着物を民族衣装として、
 その歴史や着替え方を教える学校があります。 
 名古屋だけでも着物教室は何校もあります。
 でも誰に聞いても広襟の意味を知らない。
 先生に聞いても受け継がれた形の意味を知らない。
 国の公認した学校で民族衣装を教えている国で、
 着物の畳み方すら分からない日本人が大勢いる
 こんな風に民族衣装を継承している国は日本だけです。」

遊びに来ている子供達は洋服と着物の区別はありません。

それは歴史の浅い洋服を当たり前のように着ているからです。
着物は平安時代から日本人の衣服として毎日着ていた衣服です。

「洋服よりも簡単に着替えられる!」これは普通の事です。

洋服に着替えたら周りの大人から
「自分で着替えたの!偉いね〜」とは言われません。

その日本人が着物に着替えると、
「自分で着替えたの!偉いね〜」と言われる環境がおかしいのです。

コロナ禍でマスク姿の大人しか知らない子供達の環境と、
何となく似ていると思うのは私だけでしょうか?

コロナ禍はワクチン接種が進めば収まると言われています。
戦後に生まれた異常な着物文化にワクチンは無かった事が残念です。

ここで話が少し脱線します。
先日ダイソーの百均に出掛けてこんな光景を目にしました。
子供を連れた若いお母さんの運転する車が駐車場に入って来ました。
狭い駐車場は一杯でお母さんは車を移動しながら出る車を待っていると、
後ろの車がしつこくクラクションを鳴らしています。
何事かと見ていると後ろの車は窓を開けて、
「俺が先に入って来た!」と大きな声で叫んでいるのです。
要するに自分が先に駐車場に入ったのだから空いたら私に権利がある?
確かに一理ある主張なのかも知れませんが、
前に居るお母さんは空いてもいない駐車場でパニックです。
そのまま駐車場を一周回って出て行ってしまいました。

その後ろの車を運転する人が私と同世代だったのです。

最近は分別のある大人世代のおかしな行動を、
ニュースなどでよく見せられます。

若い人なら若気の至りとして納得できるのですが、
若い人を諭す世代に何が起きているのでしょうか?

何となく薄気味悪さを感じる今日この頃です。

話を着物に戻すと、
御祖母さん世代は着物教室全盛期に育った人達です。
お母さん世代は反対に着物離れの環境で育った人達です。

世間でお直しオバサンと言われている人達の育った環境は、
次の母親世代に着物離れの環境を作り上げたのです。

でも安心して下さい。

次の孫世代はおかしな文化を知らない20代に成長しています。
これからの時代は若い人が中心に世の中は動きます。

日本中のタンスから「やっと生きた心地がする」
こんな着物や帯の声が聞こえて来ます。

おはしょり何センチ!
襟の始末は何センチ!
裾は下から何センチ!

受け継がれた着物の声を代弁すると、

「ほんとうに!アホか!」

着物は四角い風呂敷で体を包む衣服です。
小さな体を包むには風呂敷を縫い上げて小さくする。
大きな体を包むには合わせを広げて大きくする。

風呂敷はどんなサイズの物でも包めるから意味があるのです。

皆さんも手本にしている着物姿に何の意味があるのか、
そろそろ考える時代だと周りの子供達に伝えて下さいね。

昨日と今日は2日続けて朝から雨です。
梅雨時期のウォーキングはお休みが増えます。

気になる事は出産予定日を過ぎても娘から連絡が無いのです。
毎日、朝からそわそわと落ち着かない爺さんであります。(^_^;)
posted by kiraku at 04:53| 愛知 ☔| Comment(0) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年04月13日

一枚のきもの時間は百年! 山あり谷ありです。(*^_^*)

先週は小庵「着らく」で幸せな時間を過ごしていました。
13年前に出会った子がお母さんになって、
1歳になる男の子を連れて遊びに来てくれました。!(^^)!

13年の歳月も記憶の中ではそれだけの時は存在しません。
遊びに来た本人も変わらない小庵「着らく」の空気に包まれながら、、
何故か自分は母親になっているのです。
流れる時間とは本当に不思議なものだと感じます。

もう一組!
プロポーズを受けた子が彼氏と一緒に来ていたのですが、
二人の幸せオーラに私も母親になった子もニヤニヤ、ニコニコ。

アッ、私は一才の子を相手に師匠からお爺ちゃんになっていました。(*^_^*)

今の小庵「着らく」には妖怪「持ってけ〜」が居ます。
自分の着替える着物を選ぶより、
友達や家族に着せたい着物をイメージして、
「持ってけ〜、持ってけ〜。」と囁くのです。

先々週にお母さん世代の人が三姉妹で来た時も、
長女の人が自分で選んだ6枚の着物を前に並べて、

「どの着物にするか迷ってしまいます。」

「私には迷う理由が分かりません。
 将来息子さんの奥さんになる人やお孫さんをイメージして、
 全部持って行けばいいのです。」(*^^)v

お母さん世代の人達は着物に縁のない人が多いなかで、
小庵「着らく」で出会った三姉妹は着物好きだったのです。

次女の人は着付け教室にしっかりと通った経験もあり、
長女と三女の人もそれなりに自分で着替えられる人達でした。

着物教室で習った着替えの手順でも、
頭を使わずに体が自然に動けば立派な着替えです。(*^_^*)

しかし、黙っていようと思ったのですが、
二女の人が時代の晴れ着を手にして身八っ口から手を入れ、
少し窮屈そうに背中のはしょりを始末していた時に一言だけ、

「その着物は晴れ着でも身幅のあった着物ですから、
 背中のはしょりは外から始末した方が楽ですよ。」

「手を入れながら少し窮屈だと思いました。」

この時点で私はお直し爺さんですね。(^_^;)

着付けの手順を体で覚えている二女の人は、
伊達締めが無いと落ち着かない様子なのですが、
基本的に着替えに伊達締めは使わないのです。

「きっちりと着たいので伊達締めはありますか?」

リクエストをされて無いとは言えません。
小道具入れから伊達締めを探して渡しました。(^_^;)

三姉妹の皆さんには着物の着心地と着やすさを、
言葉を選びながらもしっかりとお伝えしました。

その話の過程で、
着付け教室の教え方では着替えられない理由も、
着物の形から分かりやすく説明して納得してもらいました

お母さん世代になる三姉妹の人と出会って、
着物教室に通った皆さんは着物好きだと改めて思いました。

着物の襟は首に近付けない着こなし。
身八っ口から手を入れて背中の始末は着物を見て考える。
背中心は着物で合わせるより体に合わせる。
背中の帯は着付けの帯と理解して最初から自分では結ばない。
等々・・・・・・

次女の人にも着物の着こなしと着心地だけは、
何となくでも分かっていただけたと思います。

次回は17歳になる娘を連れて来ても良いですかと言われ、
「お母さんよりも大歓迎です!」と、
思わず素直な気持ちが言葉に出てしまいました。(^_^;)

こんな調子で地道に着物と帯を嫁がせています。
20年間集めた着物と帯には皆さんとの思い出もあり、
着替えの出来る着物好きな人に嫁がせるのは私の責任です。

小庵「着らく」は場所を選ばず!

着物や帯の嫁ぎ先はすべて、
笑顔に包まれた小庵「着らく」です。(*^_^*)

今年はコロナの収束を見ないままオリンピックの開催です。
もしもコロナに出会わなければ東京オリンピックは昨年に終わり、
今頃はどんな日本になっていたのでしょうね。

このコロナ禍を教訓にして明るい未来があると良いですね。

若い人達はこの困難な現実からのスタートです。
多少の事ではくじけない強い大人に成長してくれると思います。(*^_^*)

コロナ禍の収束後に見られる社会の常識は、
おそらく私にはついて行けないほど変化している気がします。
posted by kiraku at 17:56| 愛知 ☔| Comment(2) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年04月03日

夏にきものは暑い!(*^_^*)

昔の人は夏になると麻の着物や単の銘仙!
どちらも涼しくて過ごしやすい着物です。

本麻の甚平などは着ている感じがしないほど軽く着心地満点!
しかし、現代の本麻は高価になり過ぎてしまい手が出ません。

毎日着るものに何万円も出せるのは一握りのお金持ちです。
やはり夏の衣服はTシャツです。(*^_^*)

それでも若い人は夏祭りや花火大会には浴衣を着ます。
着物に関わる人達にとっては有難い現実です。

浴衣と言えば女性の帯で一番歴史の古い半巾帯の登場です。(*^^)v

帯結びの楽しさを実感するには最高の場面になるはずが・・・
着物店の店先には浴衣とセットで作り帯が売られています。

洋品店の店先なら分かるのですが、
着物を扱うお店に浴衣の作り帯は信じられません。

浴衣の季節には半巾帯の楽しさをお客さんに伝えるのも立派な仕事です。

女性の帯は楽しく結ぶから価値の生まれる遊び道具です。
半巾帯は帯結びの楽しさを簡単に伝えられる最高の帯です。
その楽しさを伝えるチャンスを着物店が放棄してはいけません。

高価な着物や袋帯ばかり売れたバブル期と違い、
令和の着物店は帯の楽しさを伝えられる環境になりました。
その理由は簡単です。
楽しさを伝えられる時間的ゆとりと場所はあると思います。(*^_^*)

日本中の着物店で楽しい活動を実践しているお店が増えるだけで、
どれほどのお客さんが笑顔になれると思いますか?ヽ(^。^)ノ

こんな風に考えると着物店に右肩下がりの数字は考えられません。
売り上げに悩むよりお客さんに着物の楽しさを伝える方が忙しく、
お客さんの笑顔に出会える喜びが先の数字に繋がります。

想像しただけでも日本中の着物店は楽しい場所に変わります。

「着物に困ったら着物屋さんに行きなさい、
 どんな事でも優しく教えてもらえますよ。」

晴れ着に踊る前の着物店は、
そんな場所だった気がします。(*^_^*)


突然ですが、竹の子掘りに行って来ましたよ〜。
先ほど近所に住む娘の同級生にメールをしました。

「タケノコ掘ったぞー!
 夕方5時頃にはアク抜き完了します。
 今日でも明日でも都合のよい時間を教えて下さい。
 爺さんウーバーイーツで届けますよ。」

「タケノコとったのぉ??
 すごいすごいっ
 おじさんありがとう
 出かけたりしてるからとりにいくよぉ!!
 今日、5時半過ぎに行こうかなぁ」(*^_^*)

ステイホームのおかげで人に会わずに遊んでいます。

朝6時の竹林を3時間ほど徘徊して、

1617425345495.jpg

竹の子と遊んでいました。(*^_^*)

1617425356822.jpg

今日は目に付いた竹の子を20本ほど掘って、
後から来た友人に半分渡して先に帰って来ました。
愛知県の竹の子はこれからが本格的な時期になります。

今年の竹の子掘りは来週もう一度行って終了の予定です。(*^_^*)
posted by kiraku at 18:27| 愛知 ☁| Comment(0) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年04月01日

きもの復活の難しさは何?(*^_^*)  竹の子覚書!

着物は習うよりも好きになり着替えに慣れる。
洋服は好き嫌いに関係なく毎日着替えないと外に出られません。

昔の人は好き嫌いに関係なく着物に着替えていました。

皆さんもこの意味は分かりますよね〜。(*^_^*)

浴衣に着替えられる人は振り袖にも着替えられます。
これはブログの中で言いつくした言葉です。
その理由は?
袂の長さが違うだけで衣服としての形は同じだからです。

着物に関わる人達は普段着と晴れ着では着替え方は違うと言われます。
そもそもこの区別がおかしいとは考えないのです。

では普段着と晴れ着を区別するものは何でしょうか?

ポリエステルの洗える着物は普段着?
絹の訪問着や付下げや留袖は晴れ着?

答えはどちらも広襟なら晴れ着です。
反対にとちらもバチ襟なら普段着です。

これは広襟とバチ襟の意味を理解している人なら当然の答えです。
ポリエステルの着物でも広襟仕立てもあれば、
反対に絹の付下げや訪問着にもバチ襟はあるのです。

古い着物には絹の広襟をわざわざバチ巾に縫い直してある着物に出会います。
そんな着物に出会うといつもこんな会話が生まれます。

「この着物を着ていた人は相当なお金持ちでしたね。」(*^_^*)

着物に関わる人達がプロとして本来の常識を伝えるだけで、
きもの業界は簡単に復活してしまいます。

普段着と晴れ着を区別するなら着方は同じでも、
晴れ着は広襟に仕立てる意味をしっかりと伝える事です。(*^^)v

これだけで着こなしの意味は理解され、
着替えの楽しさは伝えやすくなります。

こんな常識すら理解されない現実を考え悩むのは、
着物のプロと言われる皆さんの仕事だと思います。


きもの復活の難しさとは、
プロと言われる人達がプロの仕事をしていない、
たったこれだけの本当にお粗末な理由なのです。(^_^;)


プロの仕事と言えば、
先週は氏子総代として八幡神社にある大木の剪定作業にお付き合い!
10メートル以上もある木を短く剪定するのは、
住宅の密集した場所ではその技術は神業でした。

大木を上から分割して切っていくのですが、
梯子を掛けず枝に安全帯を引っ掛けながら体を固定して、
クレーンで幹や枝を吊りながらの作業です。

1616628744635.jpg

幹は分割しても2トン近い重さになり、
切り離す瞬間は見ているこちらの方が緊張しました。
70代の親方は木を見て剪定する場所に白いテープを巻き、
その剪定する場所にも意味がある事を説明してくれました。

「プロの仕事とは本当に凄い!」

ちなみに着物文化でも、
着付け師と言われる人達の仕事は凄いと思います。

しかし、着替えを着付けだと教える人達の仕事は、
道具や形にこだわるお粗末な教え方もあるので要注意です。(^_^;)


ここから竹の子掘りの覚書き!
愛知県では桜前線と竹の子前線は何日ずれるのか?
ステイホームの今年はこれを確認する事にしました。!(^^)!

3月中旬に名古屋でも早い桜はチラホラと咲き始める。
3月24日名古屋城の桜は満開に近づく。
3月25日竹の子の様子を見に行くもまったく気配なし。
3月28日名古屋城も近所の桜も満開。
3月29日竹の子は小さな竹の子6本、中型3本が土の中から顔を出す。
     (足で地面を探りながらやっと見つけました。) 
3月31日桜は満開でも散り始めています。
4月1日竹の子は小さな竹の子3本、中型6本、大きな竹の子2本
    (目視で地面から頭を出しているのを確認できました。)

この状況から今年の竹の子前線は桜の満開から散り始めはまだ早く、
ここ数日の気温を考えると3日の土曜日はかなり出ていると思います。
今週の平均気温は例年に比べるとかなり高めになっています。

26日  19° 6°
27日  20° 7°
28日  18° 14°
29日  25° 14°
30日  24° 12°
31日  24° 11°
4月1日 22° 11°

桜前線と竹の子前線の誤差を正確に記録しておけば、
来年から桜を見ながら竹の子掘りの時期を考えられます。(*^_^*)
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2021年03月18日

春になりましたね。徒然日記(*^_^*)

昨年の3月からコロナに振り回され、
ステイホームも気付いたら一年が過ぎていました。

真面目にステイホームを続けると、
還暦を過ぎた私でもさすがにストレスは溜まって来ます。

私は声が大きいのでコロナ禍の環境は最悪!
しかたが無いので今年は土筆採りに専念していました。

おかげでご近所さんは好き嫌いに関係なく土筆三昧です。(^_^;)

先週もウォーキング後に港区まで出掛けて、

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黙々と土筆を採り、

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黙々と下処理に4時間!

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配り切れない土筆は灰汁抜きをして冷凍庫に1キロ。
最近は土筆を売っているらしいのですが、
いつから土筆は採るものから買う物になったのでしょう。
名古屋人は土筆を卵とじにして食べるのですが、
地域によっては土筆を食べない事をこの歳になって知りました。(^_^;)

このコロナ禍で起こった一年の変化は凄まじく、
コロナ禍前の記憶は遠い過去になってしまうような気がします。

しかし、自然はコロナ前もコロナ後も変わりません。
今年も土筆が終わればタケノコの季節になります。

こんな風に考えるとコロナ禍により人の営みだけが大きく変わり、
自然は何も変わらない時を刻んでいるような不思議な気持ちになります。

ところで小庵「着らく」の移転計画は頓挫したままです。
学生の子も卒業式や部活も制限され大変な状況だと思います。
昨年よりも今年の方がコロナ禍の空気は重く感じられます。

良い悪いに関係なく、
ワクチン接種が進まないと世間の空気は変わらないのかも知れませんね。

後10日もすればタケノコの季節です。
次回の更新はタケノコ掘りになると思います。(*^^)v
posted by kiraku at 17:22| 愛知 ☀| Comment(0) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年02月25日

着物に着替えるのは大変?それはおかしい。(*^_^*)

きょうのタイトルは出会う人に伝えている言葉です。

コロナ禍の最中に小庵「着らく」の移転計画を実行するなかで、
男女に関係なく出会うすべての人に対してこんな質問をしています。

親世代の人達には「お子さんは何年生?」
私と同世代の人達には「お子さんは?お孫さんは何才?」

こんな会話から着物と帯の嫁ぎ先を見つけています。(*^_^*)

先日は3人のお母さん世代の人達に着物の楽しさを伝えました。
1人の人は着付け教室の経験もあり2人の襦袢はお任せして、
着物の形からその意味を分かりやすく説明して、
日本中の人が着物を着られなくなった理由もしっかり伝えましたよ。

教室に通った経験のあるお母さんは着物を手にして一言。
「え〜、やはり忘れてます。」と言いながら、

着替える前に私の伝えた言葉の意味に気付き、
「頭で考えながら着替える衣服はありませんね。」!(^^)!

着物は大きな四角い風呂敷を体に巻いて紐で留めるだけの衣服です。
その大きな風呂敷を使えば体系の違いは着こなしの形で補えます。

裄の出し方も丈の調整も手にした着物との会話が大切です。

手にした着物はどんな体型の人でもやさしく包んでくれます。

「着物の襟は何センチに詰めなさい、
 背中の衣紋は何センチ開けなさい、
 はしょりは帯から何センチにしなさい。」

などとは絶対に言いません。(*^_^*)

昨日は3人のお母さんに3時間で着物の楽しさを伝え、
帰る頃にはその笑顔から着替えの楽しさも伝えられた気がします。

アッ、来る前に小庵「着らく」の空気を吸えば、
一回来れば必ず着替えられるようになりますと約束しました。

着替えのコツは3つだけです。

風呂敷を巻く時のコツ。
腰紐を留めるコツ。
帯の決め方のコツ。

これ以外に着物に着替えるコツがあれば教えて下さい。
大きな風呂敷を体に巻いて紐で留める。
女性にとって帯は楽しい遊び道具です。

昨日は9枚の着物を嫁がせる事ができました。(*^^)v

地道な活動ですが、
お母さん世代の人達にお願いできれば、
着物の温もりを通して着心地と着やすさは、
大勢の子供達に受け継がれて行きます。

緊急事態宣言が解除されたら、
子供達もガラガラと大きなカバンを引きずりながら、
好きな着物と出会いに遊びに来てくれると思います。

それまでは地道に周りの人に声掛けをして、
着物の温もりと着やすさを伝えてます。

自分から声掛けをして着物の楽しさを伝えていると、
何となく20年前に戻ったような気持ちになります。(*^_^*)

日本中で着物好きな人たちが声を掛ければ、
捨てられる着物はコロナの終息する頃には無くなります。

アッ、ステイホーム中にやっている事がもう一つありました。

和菓子作り!
カルカン・きんつば・ふくれ菓子・・・・・・
今はエビ煎餅に試行錯誤してます。(^_^;)
posted by kiraku at 12:13| 愛知 | Comment(4) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年02月01日

偽りの御着物文化は消えても、温もりを伝えたきもの文化は無くなりません。(*^_^*)

昨日の小庵「着らく」は保育園児が走り回る、
いつもとは違う賑やかさでしたよ。
太鼓を叩いて園児が走り回る中で、
お父さんに着物の楽しさを伝えていました。
小さな子供の元気はどこから来るのでしょうね。(*^_^*)

お父さんに伝えた着物文化とは、

着物文化の始まりについて、
平安時代に小幅の布を直線裁ちで仕立てた衣服が始まりです。

小幅の布を繋ぎ合せて体を包めるだけの大きな風呂敷に仕立て、
手を入れる袖を左右に取り付けただけの衣服です。

洋服は広幅の布に型紙をおいて、
着る人の体型に合わせ曲線裁ちに仕立てた衣服です。

この違いは分かりますか?

曲線裁ちに裁断した布は元の広幅の布には戻りません。
洋服を解いても裁断する前の広幅の形には戻らないのです。

しかし、直線裁ちの着物は解いて繋げると、
裁断する前の小幅の布に戻ってしまいます。

これは戦前の着物を解いて元の形に繋ぎ合わせた反物!

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広げて見ると直線に裁断された箇所があります。

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浴衣も振袖も袖の長さが違うだけで、
一反の反物を直線に裁断して八枚の布にして仕立てます。
繋ぎ合せた部分を大きくするとこんな感じです。

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日本の着物は布のロスが出ないように、
着物も帯も直線に裁断された布を使っているのです。
こんな風に丸帯と半巾帯を並べればよく分かります。

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お父さんに伝えた内容は簡単!
洋服はS寸M寸L寸と体型で分けられていますが、
大きな風呂敷を体に巻くだけの着物にサイズはありません。

それが着物本来の着こなしになるのです。

受け継いだ着物が襟を詰めて着ると裄が足りない!
だったら広襟の幅を使って広く襟を出せば裄は足ります。
ここで昔に伝えた写真の登場です。(*^_^*)

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バチ襟の着物は解いて洗い張りに出して子孫に渡す。
晴れ着は洗い張りに出すほど何度も着ない着物です。
だからそのまま子供や孫に受け継がれた着物になるのです。
子供や孫の体型に合わせた着こなしができる工夫が広襟なのです。

この話をお祖母ちゃん世代の人にすると必ず同じ答えが返ってきます。

「そんな事を着物教室では習わなかった!」(^_^;)

たった一つの着物姿を示して、
この手本通りに着なさいと教える教室では、
広襟を広げて着こなす本来の形は存在しては困るのです。

そもそも教える先生が広襟の意味を知らない人もいます。
知っていたら教本の着物姿を手本にして、
ここは何センチ等とは教えられないのです。(*^_^*)

と、若いお父さんには着物文化の七不思議を伝えながら、
楽しく着替えてもらいました。

男性の着物は三回も着替えれば、
男の着こなしは角帯の意味を知る事だと分かります。(*^^)v

コロナ禍の小庵「着らく」は基本お休みです。
倉庫に着物がある内はコッソリと開けてます。

コロナ・・・・・・う〜ん。
新規感染者数の推移を見ていると、
増える理由も、減る理由も、私にはサッパリ分かりません。

この一年間で新規感染者数の増えない県のニュースを見たい!
悪い手本ばかり見せるよりも、良い手本を見た方が戒めになります。

青森県、岩手県、秋田県にも歓楽街はあり、お酒好きな人も大勢います。
感染者数の多い都道府県のニュースは不愉快な思いを増幅させ、
感染者数の少ない県のニュースは自分自身の行いを戒める反省材料です。

しかし、手本となる県のニュースはあまりにも少ない気がします。(^_^;)
posted by kiraku at 17:54| 愛知 ☁| Comment(0) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年01月25日

小庵「着らく」は場所を選ばず!着物は洋服よりも簡単に着替えられる!(*^^)v

明けましておめでとうございます。

コロナ禍の今年はこの挨拶を交わした人は数えるほどです。
一日も早くコロナが落ち着くと良いですね。

ところで昨年の3月19日から更新をしていませんでした。(^_^;)
この間にあった事といえば・・・・・
世界中にコロナウイルスが蔓延した事。
この日本でも非常事態宣言が出され小庵「着らく」も密を避けてお休みです。
人との接触を避けていれば収束すると言われ、
真面目にひたすら人との接触を避けていたにも関わらず、
コロナ感染者はうなぎ上りに上昇している現実と2度目の非常事態宣言です。

一言「なぜ?」

この現実に文句の一つも言いたい所をグッと堪えています。(^_^;)

しかし、昨年末に友人が厄介な病気でICUに入っている事を知らされ、
その後の病状すら分からないまま親族でも面会は許されない状況で、
何でこんな時期に倒れたんだとやり切れない気持ちで年を越してしまい、
この時にはじめてコロナの急増に憤りを覚えました。

日本中の人が外ではマスクをしています。
公共の交通機関では100%かも知れません。
それでも感染拡大が止まらない原因は何なんでしょうね。(^_^;)

専門家でも分からない事の多いウイルスに対して、
素人の人達が軽はずみに情報を発信すれば何が起こるのか?
国の方針は二転三転してしまい何が本当か分からなくなる。

この状況で小庵「着らく」を公に開催するのは無理ですよね〜。
何しろ小庵「着らく」はワイワイガヤガヤと人の数だけ密になります。

政府のコロナに対する方針は二転三転としているようですが、
小庵「着らく」の方向は一つです。
今の場所ではワイワイガヤガヤの密は避けられません。
そこで着物好きな人の家庭に着らくを移す事にしました。(*^^)v

昨年の夏から来ている子供達や知り合いに着物を嫁がせています。
しかし20年間に集めた着物と帯が多過ぎる!!!!!!
子供達は旅行カバンを持って遊びに来ています。
そのカバンを一杯にして帰っても着物は減った気がしません。

そこで遊びに来ている子供達の大学にタンスを一杯にして、
運べるだけの着物を寄贈する事にしました。

しかし、コロナの急増で搬入の手続きが!!!!!!
今回の非常事態宣言でまた先が見えなくなりました。(^_^;)

と・・・小庵「着らく」はこんな近況です。(*^_^*)

小庵「着らく」は公には開けていませんが・・・
着物の嫁ぎ先を探して平日でもこっそりと開けています。

ホームステイの環境は着物文化にとって本来の健全な形です。
コロナ禍の今だから家族で「着らく」だと思います。(*^^)v

「着物は洋服よりも簡単に着られます。」

洋服よりも難しいと感じたら、
何で難しいと感じてしまうのか?

「これは日本人として大切な疑問です。」

洋服の着替えを誰かに聞いて、
難しく教える人はいないと思います。

着物の着替えを誰かに聞いて、
難しく教える人に出会ったらおかしいと思います。

小庵「着らく」の空気とは、
四角い風呂敷を体に巻いて紐で留めるだけの衣服!
難しく教えたり、頭で考える理由が分からない環境です。

「着物は家庭で受け継がれた衣服文化です。」

皆さんも難しいと思う前に、
四角い風呂敷を体に巻いて紐で留めて遊んで下さい。
今の季節は洋服の上から巻けば温かい毛布代わりになります。(*^^)v

歩くのに邪魔なほど大きな風呂敷ならたくし上げます。
それが着物をはしょる理由の原点です。

はしょる時は「アー!ズルズルとうっとおしい!」
こんな気持ちで勢いよく長い風呂敷を持ち上げると、
アレレ・・・何で?
難しいと思っていたはしょりの形は簡単にきまるのです。(*^^)v

このブログはこんな当たり前の常識を、
延々と伝え続けて来ただけの内容です。(^_^;)

着物文化は日本中の家庭に受け継がれていた衣服文化です。

小庵「着らく」は場所を選ばず!

いつの時代でも最悪を想定して最善を尽くしても、
世の中の流れは最悪に向かってしまう事もあります。     

それがコロナ禍でも流れた無料着付け教室のテレビCMです。(@_@;)
この大変な時代だからこそ、
無料きもの着替え教室にする価値があったのに、本当に残念です。

あの教室は着物産地や業界の支援で成り立っていると聞きました。
その教室が未だに着替えを着付けだと宣伝してはいけません。

未だに紛らわしい表現にこだわるのはナゼ?
今さら後戻りはできないとしたら・・・
着物業界は最悪の道を辿り続けている気がします。(T_T)

自分で着物に着替える!ヽ(^。^)ノ

自分に着物を着付ける?\(?o?)/!

もういい加減にしてほしい、
日本人として恥ずかしい表現の誤りです。

と、このブログは正しい日本語の表現を、
延々と伝え続けただけの簡単な内容です。

この間違いを正すだけで、
着物は日本人にとって身近な衣服になります。(*^^)v

アッ、個人的な近況として、
百万歩毎に孫にトミカをプレゼントする万歩計の数字は?

先週600万歩になりました!(*^^)v

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歩いた総キロ数は今日で4552キロです。

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1年前に比べると体力は見違えるほどつきました。
体重は一時期15キロ落ちて痩せすぎだと心配され、
今は4キロ程戻して69キロ前後をキープしています。

雨の日以外は夜明け前の街を時速6キロで2時間歩いてます。
今現在までパトカーに職務質問された事はありません。

本音を言えば風の強い日や冷たい朝はサボりたいと、
布団の中で悪魔がささやく時もあります。
しかし、携帯の待ち受け画面の孫が、
「爺ちゃん!サボるのか!」と言われる気がして、
不思議なほど悪魔のささやきに勝ってしまうのです。

「老いては孫に従え!」 これが一番です。(*^_^*)

孫が二十歳になる頃の日本はどんな国になっているでしょう。
個人的には着物文化の最悪は峠を越えたと感じています。
こんな風に考えればこれからの日本は、
すべてが今より先の明るい日本になっていると思います。(#^.^#)

皆さんの10年後は幾つになっていますか?
皆さんの20年後は幾つになっていますか?

私の今から20年後の目標は、
時速6キロで歩く83歳の元気な老人です。

若い人には大きな目標を掲げるだけの時間があります。
その目標に向かって今を大切に生きて下さい。
目標を見失わなければ20年後も今と変わらない笑顔です。

20年後の私も目標を見失わなければ、
時速6キロで歩く自分の姿を見て、今と変わらない笑顔です。!(^^)!

アッ、もう一つ報告がありました!
孫の七五三に娘と旦那さんが着物で参列。
旦那さんには私の着物を胴で縫い上げて丈の調整をしました。
四角い風呂敷を途中で折って直線にザックリと縫い留めれば完成!
皆さんも対丈で着たい時は風呂敷を広げて胴で折り上げアイロンを掛け、
ザックリと縫い留めれば簡単に丈の調整は出来ますよ。

着物はあくまでも四角い風呂敷を体に巻くだけの衣服です。
四角い風呂敷の長さを変えるには直線に折り上げて縫えば良い!(*^^)v
posted by kiraku at 15:00| 愛知 ☀| Comment(0) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年03月19日

日本人はきもの大好き!!!!!!(#^.^#)

今日のタイトルを理解できる人は、
日本に生まれて良かったー!と、心から思える人です。(*^^)v

私が着物文化を伝え始めた2000年頃にこんな話をしました。

チラシを配るならコンビニの前で座っている中高校生!
次にオカマバーで働いている女性達????

皆さんにこの意味が分かりますか?

そうです!
着物店の人達が敬遠して、着物教室には通えない人達です。
これは私の個人的な理想であって現実的ではありませんでした。(^^ゞ

当時は着物に関わると高額な着物や帯を買わされる恐怖が一般的な常識であって、
中高生の子供達にチラシを渡しても、親が見れば絶対に許しません。
20年前は中高生が着物を着てお出掛けする環境など無かったのです。

アッ、私はお酒を飲まないのでオカマバーで働く人達とは、
残念ながら出会う機会はありませんでした。^^;

あれから今年で20年です。
時代は変わりIKKOさんのように男性が女性の着物を着て、
テレビに出ている姿にも何の違和感も無くなりましたね。(#^.^#)

還暦を過ぎてこの20年間を振り返る時に、
20年前の記憶が今も鮮明に思い出される事に驚いています。

遊びに来ている子共達に20年前の思い出を聞いても赤ちゃんです。
ある年齢からの記憶とは、鮮明な思い出として心に刻まれ、
忘れたい事も含めて、幾つになっても昨日の事のように蘇ります。

友達をいじめれば、その記憶はお互いの心に刻まれてしまいます。
20年後に振り返った時に、心から笑いあえる今を過ごして下さいね。(*^^)v

小庵「着らく」にある着物と帯には、沢山の思い出が残されている物もあります。
世間の人はシミや破れのある着物をゴミのように扱いますが、
着物に伝えられた温もりを知っている子供達は、そのシミや破れを思い出と言います。

ある日の小庵「着らく」

「おはようございます」

男子君は初めての友達相手に着せ付けの練習!

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自分の着せ付けた着物姿を写真に写して自画自賛?
点数は? 着せられた本人が納得すれば100点満点!(^_^;)

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2人での記念写真は楽しい思い出になります。

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お母さんと一緒にお着替え!
さてどちらがお母さんでしょうか?

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DNAが一緒だと選ぶ着物も似ているような・・・

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娘さんの帯はお母さんが結び、お母さんの帯は娘さんが結ぶ。
着物を通して交わされる親子の会話は、友達同士よりも賑やかでしたよ。

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こんな風に親子で着物に着替える姿には笑顔しかありません。
日本中の家庭で見られた、着物を通して受け継がれた温もりです。

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この日の小庵「着らく」はいつも通りワイワイガヤガヤでも、

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コロナウイルスの余波で部活も休止。
「師匠〜、茶道の練習がしたいです〜」
「ゲッ、ここでそれを言うのか?」
「お願いします〜」

40年ぶりに陽の目を見た我が家の茶道具!

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「何でかな〜」と私がブツブツ言いながら出した茶道具の前で、
お点前の練習をしていた子からこんな言葉が、
「師匠、道具も出してもらって喜んでいますよ」と逆に諭されました。(^_^;)

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他の子共達はいつも通りワイワイガヤガヤ!

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着替え終わったら「ハイ、パチリ!」

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この子は新たな挑戦をしていました。

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自分で結んだ半巾帯の形を・・・

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袋帯で再現して遊んでいました。(*^_^*)

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着物を洋服感覚で着替えるのは日本人の常識!

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この空気は特別なものではありません。
日本人なら当たり前の常識だった事を忘れてはいけません。

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子供達が帰った後には、
笑顔の数だけ着替えた着物と帯の山が残されます。(*^^)v

誰一人として、着物に着替えながら悩まない。

その理由は?
洋服に着替える時に頭を使い道具で悩む、
そんな日本人はいないからです。(#^.^#)

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posted by kiraku at 11:26| 愛知 ☀| Comment(2) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年03月14日

きもの文化を伝えるのは、大層な資格よりも思いやりの心!(*^_^*)

今日のタイトルも小庵「着らく」の空気そのままですね。

先月から個人的にやたらとバタバタとした小庵「着らく」です。
アッ、これは私の事で遊びに来ている子供達はいつも通りのマイペースです。(^^ゞ

「おはようございます。」

大勢で来ても2人で来ても、小庵「着らく」の空気は変わりません。
きもの文化の正しい伝え方は、人として当たり前の事をすれば良いのです。

「日本人にとって着物は着れて当たり前の衣服!
 着物に着替えられない友達がいれば手を貸してあげる!」

「パジャマに着替えられない友達がいれば、
 周りの友達は自然な形で手を貸すのは当たり前です。」(#^.^#)

始めて大きな風呂敷を体に巻きつける子は、丈を短く巻くのは正解なんですよ。
最初から丈の長さを気にしなくても、着なれてしまえば自然に丈は調整できます。

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「皆さんにこの意味が分かりますか?」

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丈の長さよりも腰紐でしっかりと留まっている事を意識した方が良いのです。

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丈の短さは腰紐がしっかりと仕事をしている証拠になるのです。(*^^)v

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腰紐の位置と仕事を理解すれば丈を長くしても大丈夫!

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長めに巻いてもズルズルと落ちる事はありません。(*^^)v

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着物は大きな風呂敷を体に巻いて紐で留めるだけの衣服です。
大切なのは丈の長さよりも、腰紐の位置と留め方を知る事が大切です。

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そのコツは何度か巻いていれば、自分にあったやり方で自然に身に付くものです。

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衣服の着替えに頭や道具は使わない!

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衣服の着替えは自然に体が覚えるものです。
着物は四角い大きな風呂敷を体に巻いて一本の紐で留めるだけの衣服です。

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頭で覚える手順も無ければ、
大きな風呂敷の巻き方に決まり事などありません。

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何で?
大きな風呂敷の巻き方に、手順や決まり事など必要ないからです。

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自分には大き過ぎる風呂敷を巻けば余った布はシワになります。
自分の体にあった風呂敷を巻けばシワを作る方が難しくなります。

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現代ハレ着は大き過ぎる風呂敷に仕立ててあります。
昔の着物はハレ着でも体に合せて仕立ててあります。

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「何で昔の着物は着やすいの?」

それは昔の着物は現代ハレ着のようなタンスの置き物ではなく、
日々の生活に根付いた衣服としての着やすさと着心地を大切にしたからです。

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着る物とは着やすさと着心地が大切です。

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衣服として考えれば当たり前の事ですね。(*^_^*)

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戦前の銘仙着物は着付け道具を嫌います。
理由は簡単!
そんな小道具を使わなくても着られるからです。

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と・・・言うよりも、
使うと邪魔になるだけなのです。(^^ゞ

遊びに来ている子供達はその意味を理解して着替えています。

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「皆さんにこの意味が分かりますか?」

もしも、この手本通りに着替えなさいと言われたら・・・

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平成生まれの子供達を笑顔にしているこの着物は、
言われた手順で手本通りに着るわずらわしさ以前に、

「手本通りに着るには裄が足りない!」 

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「手本通りに着るには丈が足りない!」 

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「手順通りに着るには身八ッ口に手が入らない!」

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こんな理不尽な理由から捨てられた着物も沢山あるのです。(T_T)

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着物は大きな風呂敷で体を包む衣服です。

「皆さんにこの意味が分かりますか?」

着物はどんな体型でも包めるサイズの風呂敷!!!(*^^)v

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しかし・・・
包んだ最後の形をセンチの単位で手本通りにしなさいと言われたら、
受け継がれた着やすいサイズの着物は捨てられてしまうのです。(T_T)

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タンスの着物を捨てさせて大儲けをしたお着替え詐欺師の皆さんも、
その捨てられた着物が平成生まれの若い人を笑顔にしている事を知らない!(*^^)v

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大きな風呂敷で日本人の体を優しく包んでいた着物文化に、
体を包んだ形を手本通りにセンチの単位で同じにしなさいと言われたら・・・

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良識のある大人なら即答で、

「そんな事は無理!無理!無理!」と、
それは冗談かと笑いながら答えます。(#^.^#)

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それが百年前に戻った小庵「着らく」の空気です。

少しおしゃれに粋な感じに着替えても、

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近所のお出掛け風に着替えても、
着やすさと着心地は変わりません。

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「皆さんにこの意味が分かりますか?」

どちらも同じ形をした着物だからです。(*^^)v

今年の一年生は育つスピードが速すぎる!!!!!!
先日はオレンジ名札になった子がお母さんと一緒に来ていました。

小庵「着らく」では子から親に伝えられる着物文化になっています。(^^ゞ

親子で着物に着替える姿は微笑ましく、お母さんにこんな話をしました。

お母さんが若い頃から着替えを知っていたら、
浴衣の季節になって娘さんの帯を結ぶのが楽しみだったかも知れませんね。

次は娘さんと二人でお孫さんの帯を結んでいる姿を思い浮かべます。(*^_^*)

とある着物買取業者がテレビCMで、五年着ない着物は・・・

エッ、この業者は日本人の着物時間は百年だと知らない?
何のために百年分の当て布をぶら下げて来たのか?

着物に関してテレビから流れる情報は、
100%の確立でガッカリさせられます。
posted by kiraku at 13:27| 愛知 ☔| Comment(0) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年02月28日

若い人に伝えたい楽しいきもの文化。(#^.^#)

今日のタイトルは小庵「着らく」の空気そのままです。(*^^)v

ある日の小庵「着らく」

「おはようございます。」

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いつものように奥で休んでから適当に着替えだす。

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着なれない子も着なれた子と着替えていれば、
自然に着なれた着こなしになって行きます。

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ワイワイ、ガヤガヤの内容を文章にすると、
「その帯カワイイー!!!私が結んでも良いですか?」
「ありがとう!」
「この着物ならお太鼓か鬼?」
「お太鼓かな〜」
「ハイ」

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全員が着替え終わったら「師匠!お願いします。」「ハイ、パチリ」

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着物も帯も・・・
手順と形を決められたら、
絶対に楽しくは着られない。

「子供達はその理由をよく理解しています。」

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手にした着物と帯には、
同じ着心地と着やすさはありません。

「その違いが楽しい会話に繋がるのです。」

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「師匠!この着物好きです。」

「その着物も、この子大好き!と言っていますよ。」(*^_^*)

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帯を手にして雑談中?思案中?

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結ぶ形のイメージが決まらなかったようです。(^_^;)
決まればサッサと結んで「ハイ、パチリ!」

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半巾帯は人と同じ形に結ぶのは不可能です。

「子供達はその理由をよく理解して遊んでいます。」

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半巾帯でお茶会に行けたら・・・

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着物姿だけで大盛り上がりですね。(#^.^#)
アッ、右端の子は着替えた着物を脱いで次の着物を選んでいます。(^^ゞ

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着なれて行く過程は後姿で分かります。

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この子の結んでいる半巾帯は青森のお祖母ちゃんが、
この子の為に仕立ててくれた愛情のこもった半巾帯です。

お正月に青森のお祖母ちゃんと楽しそうに、
着物の話をしていた光景が目に浮かぶ着物姿ですね。(#^.^#)

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着物の着替えとは、
いろんな時代の着物や帯に触れる事です。

教材として買わされた一枚の着物と帯では、
ほんとうの着物の楽しさは何も理解できないのです。

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着物の着替えとは、
時代の違う着物や帯との会話です。

「振袖の飾り結びは半巾帯の創意工夫が基本です。」

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裾に綿の入った着物を手にしたら引きずり!

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引きずりにしたら帯はダラリ!
こんな遊びから昔の着こなしを知るのです。

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「着替え終わったら自分で畳む!」

こんな事を繰り返して遊んでいれば、
着物の畳み方は一生忘れないのが普通です。(*^^)v

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友達の背中に気になるシワがあれば直してあげる!
すると自分の背中のシワも簡単に直せるようになるのです。

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全員が着替え終わったら「ハイ、パチリ!」

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着替えた回数が増えた分だけ、
自然に着物姿も落ち着いて来ます。

「着なれた形の作り方は頭で考えている内は無理!」

「手が自然に動くようになると、
 驚くほどに着なれた着物姿になります。」

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アッ、これは私が結んだ半巾帯です。
二度と同じ形には結べません。(^_^;)

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着物と帯は時代を合せると落ち着きます。

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時代着物には半巾帯が似合います。

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前から見ると袋帯も名古屋帯も半巾帯も同じ!

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後から見ると半巾帯の楽しさは・・・
見た目と結ぶ楽しさは、どの帯よりも無敵です。(*^^)v

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着物から洋服に着替えても、洋服から着物に着替えても、
なんの違和感も感じないのが小庵「着らく」の空気です。

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「エッ、もう着替えたの?」

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「帯は途中でいいから一緒に並びなさい。」

「え〜・・・・」  「ハイ、パチリ!」

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結び目を横にするのもファッションです。

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「アッ、後姿に帯結びが写りません!」 「ハイ、パチリ!」(^_^;)

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普通に着替えている子供達は知らなくて良い事ですが、
昭和の着物教室は補正を入れて体をドラム缶にしていたのです。
他人から言われて体型補整をするような着替えはありません。

「着物に着替える時はスリムな体型をドラム缶にしなさい!」

平成生まれの若い人には信じられない話ですね。(^_^;)

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それを着替えの決まり事のように強要したのですから、
着心地もへったくれも関係のない衣服に化けたのです。(^_^;)

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着物は衣服の常識で着替えれば、
誰が着ても楽で楽しい衣服なんですよ。

「子供達は着心地と着やすさを知っているのです」

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こんなに楽しいきもの文化をお母さん世代は知らないのです。
アッ、子供達の笑顔を見ていると言わなくて良い事を言ってしまいます。(^_^;)

「昭和の着物文化は詐欺師の醜い心だけを、
 そのまま形にした世界だったと気付きます。」

子供達は背を向けて、見てはいけない世界です。

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この着物はこの子の曾曾御祖母さんの時代です。
それでも平成生まれの子孫を笑顔にしています。

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古い着物を手にすると、
着物本来の着やすさと着心地を教えてくれます。

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この日は男子君オレンジ名札記念日!(*^_^*)

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オレンジ名札になる頃には誰でも粋に着こなしています。

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衣服の着替えとは・・・
いろんな着物に着替えた回数でしか上達しない!

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これだけは文章では伝え切れない空気です。

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最近は毎回裏の倉庫から着物を出して入れ替えています。
理由は簡単!
子供達の着替える回数が増えているからです。(^_^;)

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小庵「着らく」の自慢は、
過去に同じ着物を着ている子は一人もいないのです。(*^^)v

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着物の形は同じでも、
時代によって着やすさと着心地はまったく違います。

「この子達はその違いを理解して着替えているのです。」

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その違いを知ると着替え方も変わります。
これも文章では伝え切れない感覚的な話です。

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ウール着物は着やすい!
古い銘仙は生地が裂けるから力加減に注意!
時代着物は糸が解れだしたら扱いに注意!
現代ハレ着は少々乱暴に扱っても大丈夫!

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この感覚もいろんな着物に触れていれば自然に分かります。

「オイ、振り袖を出しておいたぞ〜」

「ワーイ!誰かに着せ付けたい!!!!」

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後輩に着せ付けていました。(*^_^*)

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「着替えの出来る子は、着せ付けも出来る。」

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着替えの出来ない人に、他人の体に着せ付けは出来ない!
着替えの出来ない人に、自分の体に着付け道具は無理!

「着替えを知らない人に、
 無理難題を言えばお金になる!」

「それがお着替え詐欺師の創り出した、
 お金だけが掛かる昭和のきもの文化でした。」

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この2人はまだオレンジ名札になっていない一年生です。
それでも着替えは出来るのです。

「皆さんにこの意味が分かりますか?」

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帯を選んだのも本人のセンスです。
写真を撮っている子は飾り結びを結んだ本人です。
自分の作品も楽しい思い出になりますね。(*^_^*)

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2人ともセンスが良い!
髪に簪と髪飾りを差したのは誰のセンス?
アッ、このセンスの無さは・・・私でした!(^_^;)

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飾り結びに帯簪! 
これを差したのは作者本人です。
「小人図鑑の帯簪は懐かしいですね。」(#^.^#)
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この半巾帯にも帯簪!
「分かりますか?」

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この子の選んだ帯簪ではありません。
これは私がコッソリと差した帯簪です。(^_^;)

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この日は珍しく先輩達の方が先に洋服にお着替え!

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振り袖姿で何をしているのか?

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友達の帯を手伝っていました。
2人揃って「ハイ、パチリ!」

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最後の「ハイ、パチリ!」

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若い人は洋服を着替えるように着物に着替えれば良いのです。
お母さん世代は「着物だから」「着物だから」「着物だから」
この言葉に惑わされて着替える事を諦めたのです。

洋服よりも着やすく、洋服よりも着心地の良い衣服。

難しいと感じた時点で「何かおかしい!」

苦しいと感じた時点で「何かおかしい!」

小庵「着らく」の20年間は、
「何かおかしい!」の謎解きでした。

すべての謎を平成生まれの子供達は、
着物に触れる笑顔で解いてくれました。

今でも着替えを着付けだと教えている教室があれば、
「何かおかしい!」と思わないまま騙され続けて教えているのか、
悪意を持って生徒さんを騙そうとしている教室なのか?

「着替えを着付けと教えている時点で、
 その場所には近付かない事が賢明です。」

「これは詐欺大国に育った、
 令和の日本を生きる常識です。」(*^^)v



posted by kiraku at 12:43| 愛知 ☀| Comment(0) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年02月19日

若い人はきものの着替えに悩まない!お直しオバサン誕生悲話!(*^_^*)

今日のタイトルは若い人に伝えたい事です。

「着物は誰でも簡単に着られます。」

なぜなら、
着物は日本人の衣服として日本中の人が、
平安時代から誰でも普通に着替えていたのです。


ある日の小庵「着らく」

「おはようございます!」

と、そのまま奥の秘密基地でちゃぶ台を囲みオヤツを食べながら雑談!
その内に奥から出て来て着替えだすのです。

「ワイワイ、ガヤガヤ」

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全員が着替え終わったら写真に残して、

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また新しい着物を選んでワイワイガヤガヤとお着替えです。

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私はこの時は2階で食後のデザートに間に合うように出産祝いのケーキ作り!
全員が着替え終わったら太鼓で呼ばれて「師匠、写真をお願いします。」

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着なれていない一年生の子供達は、
先ずは世間に合せる為にお太鼓の手順を練習していました。

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本人不在の出産祝いのチーズケーキが出来たので記念写真!(#^.^#)

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そのままタスキを掛けて奥の秘密基地でオヤツタイム!(*^^)v

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オヤツタイムが終わればお着替えタイム!

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アッ、着替える子もいれば、奥でそのまま雑談を続ける子もいます。
要するに小庵「着らく」は着物に着替えながら自由に過ごす場所なのです。

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着替えたい子は着替えれば良いし、
着替えよりも楽しい話があれば雑談も良いのです。
着物姿でこんな風に過ごしている子供達は、
着物を着ている事を意識しない自然な着こなしになるのです。

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それでも着替える時は全員が、
手にした着物と帯を見ながら着替えています。

「皆さんにこの意味が分かりますか?」

衣服の着替えをするのに、
手本を見たり、着付け道具を使ったり、
人から言われた通りの手順で着替える事はしない!

「普通の着替えとは、手にした衣服を見ながら、
 その衣服の着心地と着やすさを感じながら着替える」
 
「洋服と同じ感覚で着替えれば良いのです。」(#^.^#)


ある日の小庵「着らく」

オレンジ名札の2年生と一年生でした。
着なれている子も着なれない子も着替える空気は同じです。

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手を止めて困っている友達がいれば、誰かが自然な形で助けています。

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背中で結ぶ帯は、人の背中に結ぶから楽しい!

背中で結ぶ帯は、自分で結ぶのは苦しいだけ!

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お互いに助け合うとは、
お互いが自然な形で学ぶ事になるのです。

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手本の無い着物姿とは、
手にした着物と帯に合せた着こなしになるのです。

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友達の背中に袋帯の飾り結びを結んで遊んでいた子がいます。
結ばれた本人は完成した帯を鏡で見て「エー、凄い!!!」

着付け師ゴッコの帯結びでも、
友達を笑顔にして感動させられる楽しさがあります。

「女性の帯は一番楽しい遊び道具!」

子供達はその意味をよく理解していると思います。

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「自分で着物を着るのは着替えです。」

着替えに手本はありません。
着替えに着付け道具は使いません。
着替えに教えられる手順はありません。
着替えた着物姿を審査する大人は必要ないのです。

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それが自分で衣服に着替える常識だからです。

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子供達は一日中着替えていても飽きないのです。
こんなに楽しい衣服は世界中探しても、
おそらく日本の着物だけかも知れません。

昭和の着物教室を経験した人達は、
たった一つの着物姿と、
訳の分からない決まり事を教えられ、
着替える手順と着付け道具まで決められて、
ただひたすら同じ形になるように着替えさせられ、
最後に着替えた着物姿をジロジロと審査されたのです。

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「人の着替えた着物姿を審査する神経を疑います。
 この行為が日本のお直しオバサンを育てたのです。」

平成生まれの若い人達は普通に着替えて下さい。
着物の楽しさとは、
日本人が千二百年も飽きずに着続けた衣服なのです。

着物は体型に関係なく着られるように、
小幅の布を繋ぎ合せた大きな風呂敷です。

大柄な人は衿を広げて裄を出す!
小柄な人は丈をはしょって着る!

大きな風呂敷の意味を知って着替えれば、
手にした着物は体を優しく包んでくれます。(*^^)v


ここから徒然日記。

娘から誕生日プレゼントで貰った万歩計をきっかけに、
ウォーキングを始めて今日で88日目になりました。

累計歩数は132万歩・累計距離は926キロ・累計歩行時間は190時間

100万歩毎に孫にプレゼントを買うと決めて、
孫におもちゃを買う理由を勝手に作りました。(爺さんの悪知恵!)(#^.^#)

前回のプレゼントはミニカのキャリヤーカーにしました。
先週の金曜日に孫が遊びに来て真っ先に見つけてくれましたよ。(*^^)v

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爺さんは孫におもちゃを買いたい一心でひたすら歩く!

次は200万歩のプレゼントを考えながら歩いています。
最近は片道5キロ圏内はすべて歩きになり、
休日なら片道10キロ圏内は歩いて移動しています。

平日のウォーキングは名古屋城までと決めているのですが、
「着らく」の無い休日は行く先を決めないで歩く事もあり、
個人的にはウォーキングと言うよりも徘徊かも知れません。

アッ、後2年もすると孫にも知恵がつき、
風邪にでもなって歩けないと私の体の心配よりも、
歩かない私の姿にガッカリされるかも知れません。(^_^;)

そんな姿を思い浮かべながら孫の元気な成長を願うのです。(#^.^#)
posted by kiraku at 13:01| 愛知 ☀| Comment(0) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年02月15日

きものに着替える楽しさを伝えるには・・・どうすれば良いの?(^_^;)

この更新をする前に何度か更新画面を開き、
何度も書いては読み返して消し、書いては消しを繰り返し、
同じ事を伝え続けても伝わらない人には伝わらないと思いながら、
何でこんなに分かりやすい詐欺行為が40年以上も正せないのか・・・・・

伝え続けながら不思議だと思うのは、
詐欺師の考え出したおかしな着替え方を強要して、
令和の現代でも何か良いことがあるのでしょうか?

詐欺の手口がばれてしまった令和の時代に続けても・・・
着物に関わる人達はお客さんが離れるだけで何のメリットも無い!
教えるプロと言われる人達は信用を無くすだけで何のメリットも無い!

着物を大層で難しい衣服にしても、
受け継がれた着物は着られない衣服に化けて捨てられる!
着られないまま捨てられた着物は本来の価値を失い、
その捨てられた着物や帯の姿を目にしている人達に、
新たに高価な着物や帯を勧めても誰が買うのでしょうか?

着物教室は着替えを着付けだと教える意味はありません。
どんなに生徒さんが減り続けても本当の理由が分からない?

着物好きな日本女性を40年以上も苦しめた背中の帯を、
未だに自分で結ばせようとするのはなぜ何でしょうか?

「背中のお太鼓は着付け師の結んだ形です。」

昭和の一時期に日本中の人が騙されて、
国を動かすほどに大きなお金が動いた、
そんな時代がまた来ると信じているのでしょうか?

しかし、騙されたお祖母さん世代の人達は高齢になり年金生活です。
親の苦労を見て育ったお母さん世代は完全な着物離れ世代になり、
その子供である平成生まれの若い人達は着物にはまったく興味が無い!

昭和のお着替え詐欺師の残した偉大な功績は、
親子三世代で着物に着替えられない、
そんな日本の着物文化を創り上げた事です。

着物を扱うプロの皆さんは令和も詐欺師の創り上げた着物文化を継承しますか?
着物を教える先生達も詐欺師の創り上げた昭和の着物文化を継承しますか?

詐欺師の教えを守り玉砕するのは構いませんが、
せめて間違った事をやっている罪の意識だけは忘れずに、
できれば若い人達の目の届かない所でコソコソとお願いします。(#^.^#)

ある日の小庵「着らく」

今の小庵「着らく」は普通に着物に着替えていた百年前の空気です。
初めての子でも当たり前のように友達の帯を手伝い、

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初めての子が棚から選んだ着物がたまたま振り袖でも、
周りで着替える友達を見ながら当たり前のように着替えます。
4〜5回目の子になると着こなしの世界でテーマを作り遊びたくなる。
明治の女学生とお嬢様を守る用心棒?(^_^;)

「こんな遊びから、袴の着け方と角帯は覚えてしまいます。」(*^^)v

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着物姿を写真に残したらすぐに次の着物に着替えます。
アッ、見えない背中のシワと帯結びは友達が手を貸してくれます。
その姿を見ているだけでシワの始末と帯結びは自然に覚えてしまうのです。

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男子君の着物姿も着物に触れているだけで自然な着こなしになっています。

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着替えたら写真に残して次の着物を棚から選び、

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直ぐに次の着物に着替えています。

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全員着替え終わったら揃って写真に残し、
着なれていない子はグダグダのヨレヨレでも気にしない、

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次の着物を棚から選びお着替え!お着替え!
着なれてくれば着こなしの世界で形を作り上げて行きます。

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教える人もいなければ、着替えを習う気持ちも無い!

「皆さんにこの意味が分かりますか?」

この子達は手にした着物や帯と向き合いながら、
自分達の工夫で楽しく着替え着こなしているのです。

「皆さんは洋服に着替えている最中に、
 あーだこうだと話しかけられたら、
 何を言われても鬱陶しいだけだと思いませんか?」

着替えの空気とは・・・そんな常識の中で育ちます。

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笑顔で好き勝手な話をしながら着替えても、
着物は四角い風呂敷を体に巻いて、
たった一本の腰紐で留めるだけの衣服です。

「皆さんにこの意味が分かりますか?」

「この子達は頭と道具を使わずに、
 洋服を着替えるように着物に着替えているのです。」

「ハイ、チーズ!」(#^.^#)

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着物姿を写真に残したら次の着物!

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着替え終わったら着物姿を写真に残して、

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次の着物を選びます。
棚に積まれた小庵「着らく」の着物と帯は、
タンスに受け継がれた百年の歴史が詰まっています。

「皆さんにこの意味が分かりますか?」

おかしな手本を示さなければ、
タンスの着物に着られないサイズは無いのです。

着物はどんなサイズの体でも包めるように、
小幅の布を繋いで大きな風呂敷の形にした衣服です。

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この日はいつも半巾帯で結んでいた飾り結びの形を、
マツコに袋帯の飾り結びで再現して遊んでいた子がいます。

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一番楽しいのはやはり半巾帯ですね。

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楽しい着替えは伝え方も、
子供達の個性と工夫で人それぞれです。

この子は自分の背中に角出しを結んでもらうのに、
自分がマツコに角出しを結び手順を教えながら、
友達には自分の背中に角出しを結んでもらってました。
おさらいを兼ねた一石二鳥の伝え方!!!ヽ(^。^)ノ

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小庵「着らく」から嬉しいお知らせです。

金文字名札のエ〇コ先輩が2月6日、無事に男の子を出産しました!
「おめでとうございます!」ヽ(^。^)ノ
明日の小庵「着らく」は後輩達と本人不在の出産祝いをする予定です。(*^^)v

アッ、明後日の小庵「着らく」は20回目のお祝いがありましたね。
最近の小庵「着らく」は盆と正月が毎回来ているような????(^_^;)

新しい命の誕生や子供達が育つ姿を身近に見守れる事は何よりの幸せです。

ある日の小庵「着らく」

誰一人!私の方を見てくれない!!!!!
アッ、私はミシンを使い衣紋抜きを作りながら、
子供達が手を止めて困っていないかを見守るだけです。(*^_^*)

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子供達が私に声を掛けてくれる時はいつも同じ!

「師匠、写真を撮って下さい!」

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全員着なれていない一年生です。
それでもそれなりに着替えられるのはなぜ?
それは日本人にとって着物は洋服よりも歴史のある!

「日本人の衣服だからです。」(*^^)v

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帯枕を外すだけで着物姿は楽になります。
戦後の着物教室だけが帯枕のお太鼓に執着した理由を、
着物教室で教えている先生方は知っていますか?

「その理由を知れば必ずお太鼓嫌いになります。」

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私が2階に居ても大太鼓を叩いて呼ぶのです。
そして一言。
「師匠、写真をお願いします。」(^_^;)

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大人は子供達に非常識な着物姿を強要してはいけません。
子供達は非常識の意味を知って付き合うしかないのです。

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意味を知って世間に合せるから・・・楽しい!
意味を知らずに世間に合せると・・・苦しい!


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ここまで着替えの空気が育つと・・・
昭和の着物教室での光景はコントに思えます。

日本人が着物を普通に着替えて、
誰か損をする人がいるのでしょうか?

着物業界に右肩下がりはありません。
着物に関わる人達に20年以上も伝え続けた言葉です。

着物教室は着物文化の常識を教える場です。
着物を教えている皆さんには今も伝えている言葉です。

日本人が着物を普通に着替えるのは当たり前です。

誰が普通に着替えてはダメだと教えたのですか?

今でもその教えを守る意味がありますか?

着替えを着付けだと教えれば人が集まりますか?

背中の帯は自分では結べない着付け師の帯だと、
着替えも出来ない生徒さんには教えていますか?

間違いを正すだけでも生徒さんには立派な先生です。

「間違いを認める勇気より、
 人を騙す罪の方が重いのです。」


「令和の着物文化に、
 着替えを着付けと教えた詐欺師の嘘だけは、
 何があっても持ちこんではいけません。」


「世界中から陰で笑われた着物文化を、
 何があっても令和に持ち込んではいけません。」


「普通に着替えるだけで誰でも笑顔になれる!
 それが日本人の温もりを伝え続けた着物です。」

「日本人がきものに着替えるのは、
 頭や道具を使わなければ洋服よりも簡単!」

動画で背中の帯を自分で結ぶ姿はダサイ!
友達に結んでもらう姿なら微笑ましい!!!

空気が育つと皆さんもこんな気持ちになりますよ。(*^^)v

「本当は・・・
 普通に着替えれば洋服よりも簡単で楽しい!」

「こんな常識が伝わらないのは何故なんでしょうか?」

「昭和の着物教室に執着する人達にとっては、
 カルト的な文化になっているのかも知れませんね。」
posted by kiraku at 17:18| 愛知 ☁| Comment(0) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年01月30日

日本人がきものに着替えられなくなった理由!少し長めの更新です。(*^^)v

今日のタイトルは着物好きな若い人なら、
おそらく誰でも気付いていると思います。

お母さんやお祖母さん世代の人達も気付いてくれると、
着物を通して親子三代で楽しい会話が生まれると思います。(#^.^#)

日本人にとって着物は洋服よりも遙かに付き合いの長い衣服です。
その歴史を考えれば、
洋服の着替え方を知らない日本人がいても、
着物に着替えられない日本人はいないのです。

「平安時代から衣服として着替えていた着物を、
 何で戦後の日本人は着替えられなくなったのか?」

「着物に関わる人達はこの異常な現実を、
 着物を扱うプロとして考えた事がありますか?」

今でも70代の人と着物の話をすると着替えを着付けと言われます。
そして必ず「私は着付けは習ったけど忘れたから着られない」と言うのです。

着付けは衣裳の着せ付けをするプロの仕事です。
その着付け道具を使わせ自分の体に着せ付けるような、
そんな着付けの技術は最初からこの日本には無かったのです。

明治の文献に着付け教室はありますか?
戦前の教科書に着物教室はありますか?

江戸時代〜平安時代までさかのぼっても、
着替えを着付けだと教え誰が見ても奇々怪々な、
そんな着替え方を強要した時代はないのです。

本来の着付けは自分では着られない衣装の形を、
人に着せ付ける着付け師の人達に受け継がれた技術です。

着替えも知らない人を相手にその着せ付け道具を使わせ、
頭を使いながら自分の体に着せ付けなさいと強要したら、
これはもう完全なイジメか罰ゲームの世界だと分かります。

皆さんは洋服の着替えに頭や道具を使いながら着替えていますか?
なんで着物の着替えは頭や道具を使いながら着替えるのでしょうか?

「頭や道具を使いながら着替える衣服はありません。」

令和の日本では、
着替えを着付けと教えた詐欺師の嘘だけは、
何があっても若い人達に伝えてはいけません。

たったこれだけで着物文化は明るくなります。
日本人として着物に着替えられないのはおかしい!
こんな当たり前の常識と空気は自然に育ちます。

40年以上もこれほど公けな詐欺行為が続けば、
騙された事に気付かないで教えている先生も大勢います。
本当の被害者はお金を払い資格を手にして教えている先生達なのです。

それでも自分の教えられた事の間違いに気付くだけで、
習っても忘れるような着替え方にも工夫は生まれます。

たった一つの手本を真似る事よりも、
無限にある着物姿の一つだと教えられます。(*^^)v

「もう昭和の着物教室は過去の話です。」

「何で日本人は着物に着替えられなくなったの?」

「それは習っても忘れるような着替え方を、
着物教室の看板を掲げて教えたからです。」

その教え方が広まった理由はただ一つ。
国がその詐欺行為を公に認めたからです。

一般常識があれば明らかに詐欺だと分かる行為に対して、
国が学校法人の認可を与え、大臣が表彰状を贈ったとしたら、
40年後には立派な詐欺大国に育つのは自然な流れです。(T_T)

アッ、これも遠い過去になった昭和の話です。
今は教える内容も変わっていると思います。^_^;


おかしな現実も過去の流れから意味を知れば、
未来を明るくするには今が大切だと誰でも気付きます。

令和の現代でも着替えを着付けだと教えられますか?
令和の現代でも生徒さんを舞台に立たせ着替えさせますか?
令和の現代でも踊りながら着替える姿を着付けの舞だと言えますか?

あの奇々怪々な着物文化は日本国内では通用しても、
世界中から陰で笑われていた事を忘れてはいけません。

日本からの留学生に着物について聞いても何も知らない!
着物は着られない!着た経験も無い!
外国の友達から浴衣の着方を聞かれても教えられない!

これはまだ子供の世界での話です。

いい大人が日本文化の紹介と称して世界中を回り、
着物に着替える日本女性の姿を各国の表舞台で、
恥じらう事無く堂々と披露したのは日本の着物だけかも知れません。

「皆さんが30年前に世界の舞台で披露したのは、
 着付けでも日本文化でもなく、ただの生着替えです。」

昭和の着物教室で行われた罰ゲーム的な着替え方は、
平成生まれの若い人達は知らなくて良いのです。

小庵「着らく」では次の20年後も、
温もりのある着物姿で育った令和生まれの子供達が、
着心地と着やすさを感じながら笑顔で遊んでいます。
こんな光景を思い浮かべながら生きると楽しいですよ。(*^^)v


少し余談ですが、
最近は子育てに2000万円!老後生活に2000万円!
お金が無くても子供は親の愛情に包まれて育ちます。
お年寄りはお金が無くても寿命が来ればあの世から迎えが来ます。

世の中のおかしな空気を真に受けると、
貧乏人はあの世からの迎えも来なくなる!!!!!!!!!

「すると私は間違いなく長生きです。」ヽ(^。^)ノ

お着替え詐欺でタンスの着物が空になったら、
次はタンスのヘソクリを狙った詐欺の準備でしょうか?

皆さんは奇々怪々な時代の風に惑わされてはいけません。(#^.^#)

令和の日本では、
着替えを着付けと教えた詐欺師の嘘だけは、
何があっても若い人達に伝えてはいけません。

しつこい!うざい!と言われても、
この間違いだけは令和に持ち込んではいけません。

詐欺師の嘘を持ち込まなければ着物文化は直ぐに再生します。

小庵「着らく」では
若い人の考え方や行動を素直に受け止めて私の方が学ぶ事ばかりです。
先人の言葉に「老いては子に従え」最近はこの言葉を大切にしています。

アッ、私と子供達の会話をそのまま紹介すると、
内容はほとんど私がボケ担当の漫才かコントです。(#^.^#)

昨日の小庵「着らく」は名古屋帯でお茶会用の新しい帯結びを完成させたり、
着物や帯の色から食べ物を想像しながら合せる子もいます。(^_^;)

この着物はマスクメロン!合せる帯は夕張メロン!
帯揚げは種色にして帯締めは銀のスプーン!

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こんな会話をしながら着替えていると、
完成した着物姿は美味しそうなメロンにしか見えません。

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日本人にとって着物は楽しい遊びの世界です。

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一番楽しいのは帯結びの自由な発想と工夫です。

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洋服の着替えで一日遊べますか?
着物なら一日着替えていても飽きないのです。

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こんなに楽しく笑顔になれる衣服は他にありますか?

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「なんで日本人はきものに着替えられなくなったの?」

「着物に関わる皆さんは真剣に考える問題です。」

「せめて令和の日本では、
 着替えを着付けと教えた詐欺師の嘘だけは、
 何があっても若い人達に伝えてはいけません。」

「こんな常識なら今日からでも伝えられます。」
 
「自分で着物を着るのは着替えです。
 着物のプロは着替えを着付けとは言いません。」

「着物のプロは着替えを着付けと言わない!
 それは詐欺師の考えた人を騙す為の嘘です!」


子供達に伝えている常識として、
一般の人や学生の子がお茶会に着て行く着物姿は、
皇族の方達と同じような着物姿ではおかしい!
こんな常識をもって世間の非常識に付き合いなさい。

「本当は絹なら紬まで、帯は半巾帯が落ち着きます。」

「これも着物のプロと言われている皆さんが、
 伝えるべき着物姿の一般常識だと思いませんか?」

遊びに来ている子供達は、
その着物姿の楽しさに気付きながら、
意味を知って世間の非常識に合せているのです。

「この日本には子供達の前で胸を張って、
 私は着物のプロと言える人は何人いるのでしょうか?」 

着替え=着付けの言葉を消すのは、
着物に関わるプロと言われる人達の仕事です。

「着替えは逆立ちしても着替えでしかありません。」(#^.^#)


本音を言えば、
令和になってもこんな更新をするとは思いませんでした。
「馬の耳に念仏」この言葉には重い意味を感じます。
世間が気付けばプロの皆さんだけが取り残されます。
それは逆です。
プロが気付いて正す方が本当の形です。
もうカラフルな更新は最後にしたいですね。
と、もう何年も前から思っています。(*^_^*) 
posted by kiraku at 21:20| 愛知 ☀| Comment(0) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年01月21日

きもの業界は人としての恥を知るだけでも成長する。

昨日は楽しい更新をする予定で写真も加工したのですが、
夕方にたまたま無料きもの教室のテレビCMをみてしまい、
着付け教室NO1の文字を見て力が抜けました。

きもの業界の支援を受けている無料きもの教室が、
令和になっても未だに着替えを教えながら着付け教室の看板を掲げる。

着替えを着付けだと教えても無料なら詐欺にはならない!
「確かに・・・」

しかし、何らかの支援を受けて教えている人達は着物のプロです。
プロとは、なにも知らない人達に正しい知識や常識を教える立場にあります。

着付け教室ナンバー1の看板を掲げて着替えを連想させてはいけません。
情けない・・・本当に情けないテレビCMです。

人は過去の間違いを知るだけで成長するものです。

私でも過去の間違いを振り返れば恥ずかしい事ばかりです。
過去の過ちを恥ずかしいと感じる人は二度と同じ過ちは犯さないものです。

ひょっとして着物に関わる皆さんには、
過去を反省する材料が無いのでしょうか?

日本中で四角い風呂敷の巻き方が分からないから着物は着られない!
日本中で一番楽しいハズの帯結びも汗を流して学んでも結べない!
日本中でタンスに受け継がれた着物が捨てられる理由はゴミだから!

日本中の人が平安時代の大昔から、
当たり前のように着替えていた衣服が着物です。

着替えを着付けだと教える事の罪に気付きませんか?

間違いに気付かない人には罪の意識は生まれません。
令和の着物文化にとって最悪なのは昭和と平成の間違いを認めないまま、

「着替えを着付けだと教える事の、
 恥を知らない人達が表舞台に立つ事です。」

私にはあのテレビCMに起用される女優さんが気の毒に見えてしまいます。

ここで少し冷静になって皆さんにお尋ねしたいのですが、
自分で衣服を着ることは着替えです。
自分では着られない大層な衣服は人に着せ付けてもらいます。

毎日のように着替えている洋服ですが、
過去に自分では着替えられないような洋服に出会いましたか?

私は62年の人生で物心がついてから、
洋服を着付けてもらった記憶は一度もありません。
ましてや洋服の着替えをわざわざ習った記憶もありません。

では過去に着物を着せ付けてもらった経験はどうでしょうか?
私は結婚式の時に紋付き袴姿の衣裳を着せ付けてもらいました。
妻も花嫁衣装を着せ付けてもらった経験があります。

着付けを頼むのは一般的に、
自分では着替えられない形を作る衣裳です。

一般の人達が着る物は装束でも衣裳でもありません。
着物は洋服と同じように着替えられる衣服なのです。

ある日の小庵「着らく」

ガラガラとキャリーケースを引きずりながら「おはようございます。」
何が入っているのかと思ったら成人式に着た振り袖一式でした。

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「師匠、前撮りをしなかったので写真が無くて・・・」

バックを開けて何をするのかと思ったら振り袖を出して、
私に成人式の振り袖姿を見せるためにマツコに着せ付けを始めたのです。

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私は意味が分からず唖然!
友達は着替えながら興味津々!

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着替えでは使わない三重紐の使い方を私は聞かれた覚えも無ければ、
教えた覚えも無いのにしっかりと扱いながら着せ付けているのです。

「エッ、なんで自分の振り袖姿を再現できるの?」
「私が最後の着せ付けで前にいた2人の着せ付けを見ていました。」

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たった一度の振り袖姿をこんな風に再現できる子が育ったのか〜
この辺りからその見事な着付けに笑うしかありませんでした。(*^_^*)

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「着付け師さんはこんなに力のいる帯を何人も結んで凄いですよ。」
と解説をしながら帯の形をきれいに再現しているのです。

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後姿と帯の確認をして・・・

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前からの着物姿を確認して・・・「師匠、完成しました!」

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完成した見事な振り袖姿に戸惑いながら、

「ゆかたの着られる子は振り袖も着られる!なぜなら形は同じだから!」

この言葉を素直に受け止めて着替えている子供達にとっては、
振り袖の着付けを経験して難しいと感じたのは背中の帯結びだけだった様です。

素直な気持ちで着物に触れている子供達を相手にしていると、
私自身が昔の忌まわしい常識に縛られている事に嫌でも気付かされます。

その後の成人式にまつわる同級生との会話です。

「私は襦袢の伊達締めが苦しくて大変だった。」

「今度は私が道具を使わずに着せ付けてあげるよ。」

「エッ、ほんとに、ありがとう!」

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きものは楽しい!

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一番左の子の帯結びは自己流だから教えられない帯結び!

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普通に着替えれば誰でも楽しい衣服です。

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手にした着物に合せるから着こなしになるのです。

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世間に合せるタレ物のお太鼓姿も、
無限にある着物姿の一つでしかありません。

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若い人達にとっての着物文化とは、
ワイワイガヤガヤと好き勝手に着替えられる環境が一番です。

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この着物はこんな風に着こなしたい!
この着物にはこんな帯をこんな風に結びたい!

「すべてが着ている本人の意思です。」

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男子君はお祖父さんの着物を受け継いで来ました!

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着物姿とは・・・
着ている人の個性を着こなしで表現する衣服です。

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衣服は着る形を決められた時点で制服や礼服になるのです。
質素倹約と思いやりの心を受け継いだ着物文化には、
受け継がれた着物や帯に合わせる着方は存在しても、
手本に合せて着替えるような理不尽な文化は存在してはいけない!

今でもシワなくこの形で着ないと駄目ですか?
これは昭和の詐欺師が考え出した一番厄介な手本です。

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と・・若い人は気付いて遊べば良いのです。(*^^)v


令和になって新春のテレビCMに、
着付け教室ナンバー1の看板を掲げたのは、
取り返しのつかない汚点だと気付きませんか?

きもの着替え教室ナンバー1ではダメでしたか?

きもの業界の無知と恥を、
わざわざテレビでさらす意味が分かりません。

着付けの嘘を本来の着替えに戻すだけで、
着物人口がどれほど増えるのか、まだ分かりませんか?????

通勤や通学に着替えたくなるような、
楽しい着物姿を想像させるのがプロの仕事です。

あーーーーー!また最後にお節介な一言を伝えてしまいました。
さすがに最近は伝えた後は必ず自己嫌悪です。
posted by kiraku at 12:42| 愛知 ☁| Comment(0) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年01月04日

きものは誰でも簡単に着られないとおかしい!(*^_^*)

今日のタイトルは私が2000年に着物文化を伝え始めた動機です。

20年前は日本中が右を見ても左を見ても上を見ても下を見ても、

「御着物様は高価なものです!」
「御着物様はおいそれと着てはいけません!」
「御着物様は誰かにお伺いを立てないと着られない!」
「御着物様は一度着たら手入れにお金を掛けないといけない!」
「御着物様は子供に触らせてはいけません!」
「御着物様は体をドラム缶にしてシワなく着るものです!」
「御着物様は着て行く場所で格式を考えなくてはいけません!」

何で日本中が「御着物様」の言葉に騙されたのか?

私は難しいと思う事は単純に考えるタイプです。
きものは日本中の人が着ていた衣服だったハズです。
それが何でありもしない決まり事を信じて、
誰でも着ていたきものが「御着物様」に化けてしまったのか?

図書館に通い詰めて昔の写真やら常識を紐解いても、
日本中の人が「御着物様」と崇めるような着物文化は無かったのです。
次に着物教室に国が認可を与えた学校法人の意味も知らべました。

その内容を理解した上で一言つぶやいた言葉は「アホか!」

この歳になると20年という時間の感覚がわからなくなります。
遊びに来ている子供達はオギャーと生まれ、ハイハイから立ち上がり二足歩行をし、
言葉を覚えて学校に通い、いろんな経験を積んで二十歳まで成長しています。

20年後の今も着物文化だけが
「御着物様」であり続ける事はあり得ないのです。
なぜなら嘘はつき通してもどこかで無理が生じます。

きもの教室の内容も時代に合わせて変化をして来ました。
最初は庶民には縁の無かった絹のタレ物を「御着物様」と言うだけで良かったのです。
その嘘も先が見えて来ると振り袖の飾り結びまで着替えの対象にしたのです。
しかし、さすがに背中の飾り結びは自分では結べない!
そこで生徒さんに飾り結びのハメ込み式の帯を教材用として売り付け、
着付けだと教えながらハメ込み式の飾り結びを生徒さんに背負わせたのです。(^_^;)

ここで限界を感じて諦めれば良かったのですが、
次に手を出したのが庶民には一生縁の無い十二単の世界です。
ある着物学院では海外から来た学生に十二単を着せ付けていました。
皆さんは十二単を家のタンスに持っている人を知っていますか?

ここまで来ると着物教室の教えている内容は着物文化でも何でもありません。
ただ華美でお金の掛かる着物文化を創り上げる事だけが仕事になったのです。

先の無い階段は登った分だけ落ちる高さが増すだけです。
早くに気付いた人は下りる事も容易です。
しかし、40年以上も登り続けた人達にとっては、
先が無いと分かっていても下りられない事情が生まれます。

「その人達が今でも髪をアップにして、
 絹のタレ物にお太鼓を背負っている人達になるのです。」

私にとって小庵「着らく」の辿り着く形は、
20年前から何となく頭の中にはありました。

きものから「御」を取るのに数年!
伝える場所から「先生」の呼び方を取るのに数年?(これは無理でした。)
年配の人は形を教えた段階で目の前の人を先生と言わないと落ち着かない!
着物は大層に習って着替えるものだと信じているからです。
それでも何となく今の小庵「着らく」の原型は出来ました。
ここまでに費やした時間でオギャーと生まれた子は小学校に通っています。(^_^;)

今の場所に移してからは私が直接相手をしたのにも理由があります。
それは過去の記事で書いた覚えがあるのですが、
小庵「着らく」の辿り着く先は50年前はどこの町にもあった卓球場なのです。

子供も大人も関係なく友達同士で遊びに行けば、
テレビを見ながら店番をしているオヤジさんは笑顔で迎えてくれました。
ラケットを持参する人もいれば、使い古されたラケットを借りる人もいる。

下手な人は下手なりに楽しく遊び、
上手な人に聞けば誰でも親切に教えてくれました。

間違っても卓球に御を付けて、
「御卓球様」をやるには等と講釈を述べる人はいません。

私は20年の歳月をかけて小庵「着らく」を、
50年前ならどこの町にもあった卓球場にしただけです。

文化とは生活に根付いた場所で受け継がれるものです。

きものは日本人にとって着る物!
着る物を自分流に着飾るのも個人の自由!

衣服の着替えに作法や道具を強要してはいけません。
そもそも着替えは学校で教える事ではありません。

若い人にとって20年後を想像するのは大変な事です。
しかし我々世代にとって過去の20年を反省するのは簡単な事です。

若い人にとって最悪の20年後があるとすれば、
我々世代が過去の20年を反省しないまま先を生きる事です。

アッ、着物文化に関して言えば平成生まれの若い人は安心して下さい。
二十歳の頃から先輩達の反省の無い時間を生きたのは我々世代なのです。

今は先の無い階段も崩れ落ちている時代です。
若い人はその姿を見て新しい常識は作れば良いのです。(*^_^*)

着替えを着付けと教える人にはキッパリと間違いを指摘しましょう。
私は歳上の人に対しても堂々と指摘しています。(*^^)v

背中の帯は着付け師の仕事です。
最初から自分で結べと言われたら無理ですと言えば良いのです。
着なれない人が見えない背中で苦労する姿は見ていても気の毒です。(*^^)v

絹のタレ物やポリエステルはサイズが大きく巻きづらいだけです。
最初はウールや銘仙などの古い着物を巻いてコツを覚えましょう。
四角い風呂敷を巻くだけの意味は簡単につかめます。(*^^)v

着付け道具はハレ着でも大き過ぎる着物の始末に使うものです。
人から言われて使うものではありません。
体に巻いた着物の布がダブダブに余る時に考えれば良いのです。(*^^)v

昭和の着物教室が流行らせた着物姿の手本は気にしない!
あの手本通りに着ると手にした着物は着られない着物に化けてしまいます。
先ずは着替えの常識として、手にした着物から着物姿を想像して下さい。(*^^)v

小庵「着らく」はこれからも、
皆さんの着物姿を応援します。(*^_^*)

アッ、最初の着物姿はグダグダのヨレヨレで良いのです。
着なれるとは、先ずは自分流の工夫で着替える回数が大切です。
着こなしとは手にした着物に合せた着物姿を言うのです。

最初から着付け道具を持たされ、手本通りに着替えても、
永遠の七五三スタイルは作れても着こなしには程遠いのです。

お正月にテレビで見る女優さんの着物姿は着せ付けられた着物姿です。
同じ着物姿で街を歩きたいと思ったら美容院に行けばいいのです。(*^_^*)

昨日と今日は卒業生の賑やかな小庵「着らく」でした。
卓球場のオヤジは子供達が帰った後の掃除と片付けだけが仕事です。

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次回の小庵「着らく」は17日と18日です。
17日はオレンジ名札になる子がいます。
18日は一年生だけで8人来るそうです。
どちらも賑やかな小庵「着らく」になりますね。(*^_^*)

皆さんも「着らく」を始めて下さいね。
パジャマに着替えられない子に着方を教えるだけで良いのです。
一年後には笑顔に溢れた楽しい場所に育ちますよ。
posted by kiraku at 16:58| 愛知 ☁| Comment(2) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年01月03日

令和のきものは・・・(*^_^*)

新年あけまして おめでとうございます。

令和のきものはどんな風に変わって行くのでしょうね。
小庵「着らく」の空気に触れていると先の姿は分かるのですが、
世間とのズレはどれほどなのかが分からないのです。(^_^;)

きものは日本人なら誰でも着替えられるのは当たり前!

きものはお金を使わない質素倹約を形にした衣服!

きものの着替えは洋服と同じように頭と道具は使わない!

「この3つは世間でも令和の常識になっていますか?」

今年も春になると無料着物教室のテレビCMは流れると思いますが、
あのCMは小庵「着らく」と世間のズレを知るには良い材料です。

令和の着物文化には、
着付けとハレ着の表現は必要ないですね。
きものは日本人の着る物!それだけです。(*^^)v
posted by kiraku at 17:34| 愛知 ☀| Comment(0) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年12月29日

昭和の着物文化はもう終わりにしませんか?(#^.^#)

昨日は今年最後の小庵「着らく」でした。
8人の子供を相手に張り切り過ぎて今朝は見事に寝坊をしてしまい、
朝のウォーキングに出掛けたのは午前7時でした。
名城公園に着く頃にはジョギングコースを走っている人が大勢いたので、
私は邪魔にならないようにサイクリングコースを二周歩いて帰路につきました。

多少は筋力がついて来たのか少し走っても一ヶ月前とは足の軽さが違います。
朝の名城公園ではきれいなフォームで走っている若い人を何人か見かけました。

「若い人はそれだけで60代には真似のできない凄い能力がある!」

と、小庵「着らく」での会話を思い出していました。

小庵「着らく」には決まったカリキュラムは何もありません。
予定も遊びに来ている子供達が決めています。

着物が好きになり毎月遊びに来る子もいれば、
初めて遊びに来てから数年ぶりに来る子もいます。

私は遊びに来た子が着物を好きになってくれるように努力はします。
しかし、今の日本の環境では着物に着替えられたとしても、
通学や通勤に着物に着替えて行くのは無理があります。

江戸時代に庶民の着物姿に対して御布令が出された事は何度もあります。

未婚の男子が袂を振り袖のように長くしたり、
庶民が裾を引きずるような丈の長い着物を着た時です。

どちらも華美な着物姿が流行した時に出された御布令です。

本来の着物文化には、
国が華美な着物姿を戒めるお布令はあっても、
庶民に華美な着物姿を奨励した事はなかったのです。

何で着物を着るだけで周りの目を気にしなくてはいけないの?

これは昭和生まれの人なら誰でも経験した事です。
扱いやすい普段着のウールを着れば貧乏臭いと思われ、
派手な絹のタレ物を着ればお見合いかと冷やかされる。

着物を特別な装いにしたお馬鹿な人達も1人を残して皆さんあの世です。
残っている人も年齢を理由に着物文化の表舞台からは完全に消えています。

アッ、今でも着物文化を牛耳るような勢いで髪をアップにして、
絹のタレ物にお太鼓を背負っている人達は完全に昭和の遺物です。(^_^;)

令和の着物文化は庶民の生活に根付く!
それは着物姿の形だけだと私は思っています。

昭和の遺物となったハレ着スタイルを見ても、
平成生まれの若い人達は着物を着たいとは思わないのです。

「着物を教えている皆さんは、
 この現実に気付いていますか?」

絹のタレ物にお太鼓を背負うのはハレの場で世間に合せる時だけ!
それ以外にも着こなしの世界なら着物姿のイメージは無限にあるのです。

「着物を教えている皆さんは、
 着こなしの世界を知っていますか?」

庶民には縁の無かった絹のタレ物は、
昭和の着物教室が強要したハレ着の形なのです。

「着物を教えている皆さんは、
 教えているハレ着の意味を知っていますか?」

おそらく教えている先生は何も知らないのです。
アッ、少なくと私が過去に出会った人達はそうでした。

世間に合せるだけなら一つの形を真似れば良い!
 
「着替えられる子なら、
 道具を使わなくても簡単に真似てしまいます。」

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背中の帯も世間に合せるならお太鼓だけで良いのです。

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遊びに来ている子共達にこんな話をよくします。

「お前達は簡単に着替えているけどな、着物の学校に通っている人達は、
 その形を作るのに時間とお金を使っても着替えられないんだぞ。」

「??????エッ、なんで学校に通って着替えられないんですか?」

「さぁ〜、それだけが私にも分からない。」(^_^;)

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着物は着こなしの世界で遊ばないと楽しさは分からない!

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着替えの出来る人なら着せ付けも簡単にできます。

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反対に着替えの出来ない人に楽な着せ付けは無理なのです。

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もしも着物学校に通っている人がいたら、
目の前で教えている先生にまじめに聞いてみて下さい。

「先生は着付け道具を使わずに、
 ふつうに着替えた事はありますか?」


ふつうに着替えた事のある先生なら、
着替えに着付け道具を使いなさいとは言わないのです。

この子達は補正と伊達締めの存在すら知らないのです。
アッ、成人式の振り袖を経験すると名前だけは覚えます。(^_^;)

道具を使わなくても友達の着せ付けは出来るのです。

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着なれていない子でも直ぐに着なれます。

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江戸時代なら着付けは男性の仕事です。
アッ、男子君は尻はしょりで着付けの腕をあげています。

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自分で着替えられる子だから楽な着せ付けも出来るのです。

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着替えを着付けと教えた昭和の着物教室の功績は、
子供や友達にも教えられない着物文化を創り上げた事です。

小庵「着らく」で遊んでいる子供達は親や友達にも、
衣服の常識として楽しい着物文化を伝えてくれています。

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白矢印の帯はナント!
短くて一巻きしか出来なかった!

「師匠、この帯は子供用ですか?短くて一巻きしか出来ません。」

「エッ!う〜ん・・・角出しなら帯締めで留めるから一巻きでも結べる。」
 ひょっとして一巻きの方が楽だと思って短く仕立てた帯かも知れませんね。(#^.^#)

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どれが一巻きだけの短い帯なのか分かりますか?

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こんな空気で着物や帯と触れるのが本来の着物文化です。

袋帯は何がナンデも二重太鼓!
名古屋帯は何がナンデも一重太鼓!

小庵「着らく」には存在しない常識です。
手にした着物や帯と楽しく会話をすれば楽な着こなしになります。

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手本を真似るよりも大切な事は、
着ている本人が楽で楽しくなる着こなしなのです。

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洋服に着替えて帰り際に、マツコに着せ付けていた子がいます。

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この帯結びに「師匠、来年もよろしく!」そんな思いを感じました。

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この爺さんは後何年続けられるのか神様しか分かりません。
しかし、還暦を過ぎて悟った事があります。

遊びに来ている子共達には、
「10回目のオレンジ名札になる頃には誰でも、
 着物学院の講師より着替えも着付けも上手になっています。」

「はい、頑張ります!」

「頑張らなくても良いから適当に遊びに来なさい」

私は若い人に頑張れとは言わない、
しかし、還暦になって必死に頑張る意味が分かりました。

年寄りは若い頃には考えなかった死を意識する。
だから必死に頑張る姿にも本来の意味が生まれる!ヽ(^。^)ノ

過去の間違いと過ちを償うにも時間は限られている!!!!!!!

「エライコッチャー!!!!!!!!!!」

と・・・今年はこんな言葉を残して終わりにしたいと思います。(*^^)v

この一年間、ブログに遊びに来てくれた皆さん、
そして小庵「着らく」に遊びに来てくれた子供達に、

「良いお年をお迎えください。」(#^.^#)
posted by kiraku at 19:41| 愛知 ☀| Comment(0) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする