2025年03月20日

平安時代から着物は日本人の衣服でした。

今日のタイトルを理解できれば「着物文化はこれから!」の意味は理解できるかな?

小庵「着らく」は場所を選ばず!

着物は平安時代から受け継がれた日本人の衣服です。
日本中の人が毎日着物に着替えて生活していた衣服です。
大人も子供も自分で着替えていた衣服です。

小庵「着らく」は過去に4回引っ越しをしながら復活して来ました。
守山区の「着らく」で遊んでいた子供達も今は20代〜30代になっています。
着物好きな皆さんの周りにいる子供達にも、
着物を通してこんな笑顔の思い出を残してあげて下さいね。(#^.^#)

笑顔

竜

弟子2

弟子1

教え子

マナ

きもの好きなお母さんと一緒に遊びに来ていた大ちゃんも今は立派な大人になっていますね。

ショウ2

友達

昔ブログに載せていた写真を見ていら、
懐かしい銘仙着物の写真に出会いました。

銘仙

ブログで紹介した明治40年に撮られた着物姿の写真もありました。

明治40年

西区時代の小庵「着らく」は子供達だけの場になりましたね。
なぜ?
この流れもブログを読めば必然だと分かります。
私はご飯とおやつ作りの師匠に変身!
振り返ると私の人生で女子力アップの小庵「着らく」時代です。

着替えではなく着付けを習いに来た男子君も、今はもう三十路のテレビマンですね。
着替えを知らないで着付けは無理!と、私に言われて着替えた着物姿です。(*^-^*)
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着替えのできる子は知らない子に手を貸すのは自然な流れです。
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着物と洋服の区別が無くなれば・・・・・

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百人百通りの着こなしが生まれます。

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着付けは舞台衣装や花嫁衣裳など等・・・・
他人の体に衣裳を着せ付ける行為です。

洋服でも着物でも
自分で着るのは着替えです。

着替えに着付け道具を使いなさいと言われたら?
子供達の笑顔は一瞬で消えてしまいます。

着替えを着付けと教えるのは百歩譲って良しとして、
日本中の人が同じ着物姿を教えられたのは着物文化最悪の悲劇です。

その形に着られない受け継がれた着物はどうなりましたか?

着物も洋服も
着替えの常識をもって着替えれば、
着物の方が百倍楽しい衣服だと気付きますよ。

着付けを習いに来た子に、
着替えを知らないで着付けをするのは無理と言った理由は、
日本中で言われている苦しいだけの着物姿になるからです。


着替えの常識で育った子供達には、
着物の苦しさは理解できないのです。



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小庵「着らく」は場所を選ばず。

sunaさんへ
着物は普通に着替えるだけで楽しい衣服です。
小さな子は着物に触れるだけで笑顔を見せてくれます。
大ちゃんはお母さんの着物に鼻水をつけていましたよ。
そのシミは着物に残された、かけがえのない思い出です。
着付けの形では着られない昔の着物を広げると、
その着物に残された工夫や思い出は見ているだけで楽しい。
着物は楽しく着替えると着こなしに現れます。
縁があれば身近な子供達にも着物に触れる機会を与えて下さい。
子育ても着物姿も百人百通りです。
自信をもって生きる事の大切さは着物姿を見れば分かります。

教えられた形になっているかな?
補正は完璧にしたけどシワは大丈夫かな?
背中の帯は苦しくて重いけど落ちないかな?
おかしな着替えを教えられたお母さんの着物姿を想像して下さい。

着物文化の楽しさを子供に伝えられるお母さんは日本に何人いると思いますか?
小庵「着らく」で育った子供たちは安泰!
笑顔に包まれたその着物姿を見れば分かります。(*^^*)

それから小庵「着らく」の再開はいつになるのか?
これだけは私の年齢を考えると着物の神様にしか分からない気がします。(;^ω^)

先ずは今の日本で唯一テレビCMで着替えを宣伝している、
日本〇装の無料着付け教室に注目しています。
今年の春はまだ着付け教室でしたね。
秋のテレビCMは着替え教室になる事を期待しています。

着物は書いて字のごとく、日本人の着ていた衣服です。

おかしな人達がお金儲けのために着替えを着付けだと教え、
日本人の衣服を自分では簡単に着替えられない衣裳にしただけです。
自分では着替えられない衣裳なら最初から着付けを頼めば安上がりです。

それを着付け道具を使い、自分の体に着付けなさいと教えた結果に何が起こったのか?
日本の風土にあった機能的で楽しい衣服から、
子孫に伝えられない苦しくて難しのいだけの衣裳文化に化けたのです。

着替えは着替え!
こんな当たり前の常識を伝える大人が身近にいるだけで着物文化は復活します。

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着替えの常識は周りに対する思いやりの心を育てます。

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小庵「着らく」は場所を選ばず!
本来は日本中の家庭に「着らく」は存在していた事を忘れないで下さいね。
ではでは日本中の「着らく」を心から応援して本日の更新は終わりにします。

最後に・・・

「着物を教える先生には責任があります。
 まずは自分自身が楽な着替えを実践しないとダメですよ。」
posted by kiraku at 12:27| 愛知 ☀| Comment(2) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年03月09日

着物を楽しくする方法は簡単なんですよ。

着物は苦しい!
着物は難しい!

ひと昔前ならこれ以外に着物は高価で敷居が高いもありましたね。(;^ω^)

昔は日本中の人が苦しくて難しい着物を毎日着ながら生活していた?
誰が考えてもそんな事は無いと思いますよね。

今でも着物に着替える=着付けと思っている人は大勢います。
しかし、正しい日本語で着物に触れるとすべての問題は解決します。

まずは着付けの看板を掲げながら着替えを教えている先生から始める事です。
舞台衣装の着付けや美容院で振袖の着付けをしている人達は着付けで良いのです。

日本〇装のように公に着替えを着付けだと教えている先生達から始める事です。
先生達も着替えを着付けだと教えられていたのですから罪はありません。
着付けと教えられたから着付け道具や無駄な作法や手順が必要になるのです。

まずは先生から着替えと表現しながら教えている内容を見直して下さい。

着替えに着付け道具はいりますか?

着替えに手順や作法は必要ですか?

着替えにそこは何センチの指摘は必要ですか?

着替えに最初から補正は必要だと思いますか?

これだけで着物は苦しくて難しい原因はすべて解決されます。(*^^)v

日本におかしな着付け文化を創り出して、
大儲けをした皆さんは全員あの世に召されました。

今でも着替えを着付けだと教えている先生達は皆さん被害者です。
これからは生徒さんと百人百通りの楽しい着物姿を創り出す時代です。

洋服でも着物でも自分で着るのは着替えです。
教えている先生達も同じです。

私は毎日洋服を自分に着付けて出かけています!!!!!!!
もしも周りにこんな人がいたら教えてあげて下さい。

「それは着付けとは言いません。
 おそらく着替えだと思いますよ。」

アッ、着替えを着付けだと教えられたら、
勇気をもって先生にも教えてあげて下さいね。

昔の写真になりますが、
小庵「着らく」で着物に着替えていた皆さんの写真になります。

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着物でも洋服でも自分で着るのは着替えです。

着替えに作法も手順もありません。
着替えに着付け道具など言語道断です。

「着物は楽しくて楽な衣服!」

sunaさんや日本中の着らくの皆さんへ
これからの子供達には、
本来の正しい着物文化を伝えてあげて下さいね。
posted by kiraku at 20:59| 愛知 ☀| Comment(2) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年03月03日

着物文化はこれからですよ。(*^-^*)

2021年8月20日の更新から3年半の歳月ですね。
今でもブログを訪ねてくれる人達に伝えたい言葉があります。
一般の着物好きな人でも、着物にかかわる仕事をしている人にでも、

「着物文化はこれからですよ」((*^-^*)

今年も無料着付け教室CMが流れていました。

還暦を過ぎた世代には高額な着付け教室の授業料が無料!!!!
この現実だけでも夢のような時代です。
それでも今の日本では着物姿を目にするのは稀なことです。

着付け教室は無料になったのに・・・・なんで?
この理由を様々な視点から解説している人は大勢います。

では着付け教室が無料になった理由は?

着付け教室の様子を動画に流してユーチューバー収入を得ている?
裏で高価な着物や帯を売りつけて収入を得ている?

こんな詮索をしても意味はありません。

このブログは2007年9月から2021年8月まで14年間に伝え続けた内容は、
たった一つだけなんですよ。(;^_^A

それは着付け文化と着物文化は違うことです。

なんで着付け教室は無料になったの?
それはCMを見れば答えは簡単です。

「着物を自分で着たいから無料着付け教室に行く!」

このブログを読んだ人ならおかしいと気付きますよね〜

人の体に衣装を着せるのは着付けです。
自分で衣服を着るのは着替えです。

「自分で着物を着たいから無料着替え教室に行く!」

もう分かりましたね。
本来の着物文化にはお金を払って着替えを習うような衣服文化は無かったのです。
 
なんで三年半も経ってこんな更新をしたのか?
それは先月に一日でこのブログを1618ページも読まれた事実に触れたからです。

ひょっとしてまだ着替えを着付けだと勘違いして悩んでいる人がいるの?

これは着物にかかわる人達から正していく間違いです。
もしもあのテレビCMが正しい内容で宣伝していたら、

日本〇装「無料きもの着替え教室を今年も開催します」

私でも行きたくなる言葉に変わります。

皆さんはもう御分かりですね。
半世紀以上の時間は掛かりましたが、
きもの着替え教室はやっと無料になったのです。

ただ、無料にしながら未だに着付け教室を名乗るから怪しまれる!(;^ω^)

私に言わせれば巨額な宣伝費と有名な女優さんを使い、
言葉の間違いで世界中から笑われるのは勿体ない話です。

自分で着物を着るのは着替えです。
この意味を知って小庵「着らく」で遊んでいた子供達も立派な大人に成長しています。

早ければ今年の秋からは・・・
無料きもの着替え教室のテレビCMに出会えるかも知れません。

日本中の人が無料の意味に納得するハズです。ヽ(^。^)ノ

このブログを未だに読んでくれている皆さんにお礼の更新でした。

小庵「着らく」は場所を選ばす!

日本人として着物に触れた経験のない人に、
楽しく着替えを教えるのは衣服文化としての常識です。

小庵「着らく」は場所を選ばず!ブログの中で伝え続けた言葉です。
皆さんの「着らく」を心から応援しています。
posted by kiraku at 20:59| 愛知 ☁| Comment(2) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年08月20日

きもの文化は、終わりよければすべて良し。(*^_^*)

前回の更新を最後にする予定でいましたが、
この場を借りてお礼を伝えたい人がいます。

コロナ禍で大変な時期にタンスと着物を大学の部室に運んでくれた子供達と、
自動車を出してくれた初心者マークの男子君には大学と小庵「着らく」を
2往復もさせてしまい本当に感謝の言葉しかありません。

「本当にありがとうね。」(*^_^*)

これからは卒業した先輩の知恵と手を借りながら、
楽しく着物に着替えられる環境を作って下さい。

小庵「着らく」に掛けてあった皆さんの名札は、
タンス上段の引き出しに思い出と一緒に入れておきました。(*^_^*)

卒業した先輩で小庵「着らく」の着物を引き受けてくれた子もいます。
先日は旦那さんと子供を連れて引き取りに来てくれました。
今は子供に手の掛かる時期です。
「着らく」を始めるのは子育てが終わってからですよ。
それまで何十年でも受け継がれた着物は待ってくれます。

「昨日はありがとうございました。」

この一ヶ月は倉庫の着物と帯の嫁ぎ先を探しながら、
嫁がせると負担になる物を一枚一枚選別していました。
これが精神的には結構キツイ作業になりました。(^_^;)

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それでも何とかすべての着物と帯にお礼とお別れを言えました。

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棚に少し残っていた帯も・・・

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棚と一緒に嫁がせる事ができました。(*^^)v

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奥の秘密基地もタンスと衝立が無くなり風通しが良くなりました。(*^_^*)
遅ればせながらのコロナ対策です。「遅い!」(^_^;)

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「何事も、終わりよければすべて良し!」

これは着物の長すぎる袂に託された日本人の考え方です。
物質的に恵まれた時代になっても大切にしたい心です。

小庵「着らく」は場所を選ばず!

小庵「着らく」に終わりはありません。
衣服の着替えに困っている人がいれば誰でも手を貸します。

そんな当たり前の行為が小庵「着らく」です。

今回の終わりは新しい「着らく」の始まりにもなります。!(^^)!

「終わる事の寂しさよりも、始まる事の喜びが勝る!」

終わりとは、新たに始まる事の過程です。

目先の現実もその先に来る終わりで考える。
これだけでやり直すには足りないと思っていた時間にも余裕が生まれ、
後悔よりも反省の大切さを知る事ができます。

反省の無い人生は同じ失敗を繰り返すだけになります。
若い人は周りの意見を聞きながらこの現実は避けた方が良いですよ。

「中年を過ぎると見事に誰も何も言ってくれません。」(^_^;)

アッ、棚を解体しながら思った事があります。
13年前よりも私の体力はパワーアップしてました。(*^^)v

おそらく1年9か月続けているウォーキングのお蔭だと思います。
還暦を過ぎても体力は戻せる!
30年も体に付けて来た15キロの重りを外して、
その快適さをこの歳で知り得たのは貴重な体験です。

一日動き回っても翌日に疲れを感じる事は無くなりました。
同世代の皆さんは一度体験してみる価値はあると思います。(*^_^*)

棚といえば仕事で使っていたスチールの棚も使ってくれる先が見つかり、
今日は大型のスチール棚をバラバラにしてきれいに拭き掃除です。

仕事も「着らく」も終わりよければすべて良し!

アッ、すべての片付けを終わり一つだけ問題がありました。

預かったのか?頂いたのか?定かでない浴衣が一枚!
これは平安通時代から引き継いだ浴衣と下駄なのですが、
私の記憶では小牧の航空自衛隊の子の物です。
結婚して熊本に住んでいると聞いたまま引き継いで、
和ダンスの中に保管したまま今日に至る!

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13年の歳月を考えると子供に恵まれていれば・・・
その子が女の子なら受け継ぐ先に戻して上げたい浴衣です。
おそらく本人は忘れていると思いますが、
この浴衣だけは勝手に嫁がせる訳にはいきませんので、
誰か連絡先が分かれば送りますので宜しくお願いします。

以上です。 

「本当に、ありがとうございました。」(*^_^*)

ゆうちゃんさんへ コメントの追加記事です。(*^_^*) 令和3年8月21日

私が21年間続けた小庵「着らく」を閉じるに当たり、
手元に残した7着の着物です。

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1番から3番は藍染の女物です。
どの着物も無い袖は振れないまで使われた着物文化の鏡!

4番は戦前の着やすい着物です。

5番は夏物銘仙です。昔の染職人の仕事が分かる着物です。

6番は破れを細かく直してある戦前の銘仙です。

7番は戦前の粋な着やすい着物です。

何故か1枚も現代晴れ着はありませんでした。(^_^;)

日本は戦後の豊かさを知るまで資源の無い島国だったのです。
戦後に日本から油田が出た話も無く、今の豊かさは何処から来たのか?

この着物達を見ていると今の環境に嫌でも感謝しか生まれません。(*^_^*)

藍染の木綿は日本の歴史を伝える着物です。
戦前の着物は着やすさと着心地を知る着物です。

どの着物も四角い風呂敷を自由に着こなした楽しい着物です。

今回帯を整理していたら夏の名古屋帯が50本以上ありました。
最初は名古屋帯=夏の着物
こんなイメージしか持てないのか誰も手を付けないのです。

私が一言。

浴衣に夏の名古屋帯を角出しにしたら粋だぞ〜と伝えると、
アッ、という間に嫁ぎ先は決まりました。(*^_^*)

前から見る帯の幅は半巾帯も袋帯も同じなのですから、
着こなしとはその姿をイメージするだけで良いのです。

浴衣に夏帯をイメージすれば帯揚げはいりません。
これも楽しい着こなしの提案です。

古着着物の世界でゴミになっている物ほど価値がある!

日本人は本来の価値を知らないのではありません。
その価値を否定されたおかしな時代が長かっただけなのです。

ゆうちゃんさん、また遊びに来て下さいね。(*^_^*)
posted by kiraku at 08:14| 愛知 ☁| Comment(13) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年07月15日

着物は迷惑ですか? 小庵「着らく」最後の更新になる予定です。(*^_^*)

今日のタイトルは先週生まれて初めて、
買い取り業者に着物を持ち込んだ時の話です。(^_^;)

羽織は・・・男物は・・・ウールは・・・
晴れ着でも擦れや汚れが少しでもあると・・・
この条件に当てはまると引き取りはしますが値段は付きません。

古い時代着物に汚れの無い着物はまれです。
たとえ汚れの無い着物があったとしてもサイズが小さいと・・・

絹でも無地系統の着物は・・・
絹でも小紋の着物は・・・
黒の留袖はちょっと・・・

「着物類は迷惑ですか?」

「迷惑とは言いませんが私共も利益は欲しいので・・・」

ここで着物古着市場の裏話をいろいろと聞かされる事になりました。(^_^;)

小庵「着らく」の着物に思い出の無いものは一枚もありません。
20年間も皆さんの笑顔を包んで来た思い出は、
使用感としてあちらこちらに残されています。

と言うことは!ガーン!!!!!!!!!!

着やすい昔の時代着物やウール着物は買い取り対象外????
晴れ着でも汚れのない高級着物ならかろうじて値がつく????

小庵「着らく」を始めた2000年はウールでも値は付いていました。
このおかしな現実は10年前頃から始まっていた気がします。
今の古着業界は同じ着物がグルグルとたらい回しにされているようです。

着物のしぶとさはグルグルとたらい回しにされても
生き残っている古い着物が沢山ある事です。(*^_^*)

もしも、日本中の人が着替えの楽しさを知る時代が来たら、
その時まで着やすい着物は古着市場を散歩をするだけですね。(*^^)v

古着市場で値の付けられる高級な絹の晴れ着は、
新たな先でタンスの置き物として余生を過ごすと思います。

「着物はこれからの衣服!」

こんな気持ちで着物に関わる人達が本腰を入れて、
着物に着替える楽しさを伝える時代に入っています。

「着物ってこんなに簡単に着替えられるんですね」

「着物の形には奥深い意味がある事を知りました」

この国には着物を教える学校が星の数ほどあり、
この国には着物を扱うお店も星の数ほどあります。

これは「あったハズです」と、
過去形にした方が正解ですかね〜(^_^;)

その国に受け継がれた衣服に関わる人達が、
これほど多い国はおそらく世界中を探しても、
日本の着物だけではないでしょうか?

その人達が過去に何をして来たのか、
その結果はもう嫌という程に見せられて来ました。

そろそろ本腰を入れて過去の間違いを正す時です。(*^_^*)

自分で衣服を着る行為は着替えです。
それを着付けだと教えた理由はなんですか?

「無理も通れば道理が引っ込む」

道理に外れた事が幅をきかすようになると、
正しい事が行われなくなる。

戦後の日本はこんな環境で成長して来た気がします。


着物文化は日本の姿を映す鏡なのかも知れません。

きもの好きな皆さんで、
これからの日本を明るくして行きましょう。

きっと着物に関わる皆さんも応援してくれますよ。(*^^)v

2000年の8月に始まった小庵「着らく」は、
2021年の8月を最後に終了いたします。

「長い間ありがとうございました。」

嫁がせる着物と帯を数えたらまだ1000枚ほど残っています。
自宅「着らく」をやりたい人は連絡して下さい。

2011年に平安通りから今回の場所に移した際に、
私の相手が出来る世代は大学生までと考え、
それ以外の人達は連絡先も引き継いでいませんので、
フジタさんが健在なら連絡先を問い合わせて下さい。
後は引き継いだ大学繋がりでも分かると思います。
posted by kiraku at 10:51| 愛知 ☁| Comment(2) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年07月03日

小庵「着らく」は場所を選ばず!(*^_^*)

今日のタイトルはブログの中で伝え続けた言葉ですね。

きものに着替える楽しさを知っても外を歩くには勇気がいる。
これは着物教室に通っている生徒さんでも同じです。

着なれてしまえばそれほど気にならない人の目も、
そこまでたどり着くのは大変! 何故なんでしょう。

日本政府は着物禁止令など一度も出していません。

サザエさんのお母さんは着物姿で生活をしています。
ちびまる子ちゃんのおばあちゃんも着物姿です。

小庵「着らく」でもウールに半巾帯を結んで、
家から普通に着物姿で遊びに来る子もいます。

ウールに半巾帯で遊びに来ている子は、
棚から絹のハレ着を手にしても普通に着替えます。

着物を教えている皆さんに気付いてほしい事があります。
着物を習っている皆さんにも気付いてほしい事があります。

これは遊びに来ている子供達には最初に伝える言葉です。

着物に触れたことのない人は着替えの経験もありません。
その人に着付け道具や訳の分からない手順を示して、
言われた通りに着替えなさいと言われたら誰でも戸惑い、
自分が手にした着物を見る余裕など無くなります。

着替えの出来ない人に着せ付けは無理!
反対に着替えの出来る人なら、
手にした着物を見て楽な着せ付けが出来るのです。

この着物は身幅が狭いから右前は少し深めに上げてはしょりましょう。
この着物は身幅が広いから右前は少し折り込んではしょりましょう。

アッ、小庵「着らく」では右前とは言いません。
これはこうだからこうした方が良い!

遊びに来ている子供達は着物用語を知らないのです。

着物は頭で覚えて着替えるような衣服ではありません。
着物用語は着付け師さんや和裁の現場で使われるものです。

着替えを着付けだと教えた学校で習った、
その着付けの出来ない事は当たり前です。

しかし、日本人が着物に着替えられなくなり、
一度も着物に触れた経験のない子供達が、
当たり前のように思われているのは、
やはり日本人として恥ずかしいと思います。

こんな事が40年以上も放置された今の時代を、
今の若い人達はなんの疑いもなく生きています。

40年は三代に繋がる時間です。

御祖母さんが気付けば孫は笑顔になれます。
お母さんが気付けば子供達は笑顔になれます。

しかし、子供や孫が気付いても、
周りの大人は誰もタンスを開けてはくれません。

「これが今の日本の現実です。」

気付いた大人は着物を通して、
子供やお孫さんの笑顔に出会えます。

着物は温もりと和みを受け継いだ衣服文化です。

小庵「着らく」は場所を選ばず!
皆さんの家庭が本来の小庵「着らく」です。


勇気を出して声を出すのは、
子供達なのでしょうか?


周りの大人が気付いてあげれば、
何の勇気も覚悟も必要ありません。

「着替えくらいオバサンが教えてあげる!」(*^^)v
posted by kiraku at 08:12| 愛知 ☔| Comment(0) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年07月02日

きもの時間の百年は長い?(*^_^*)

今日のタイトルは人生100年時代と言われる現代にちなんで、

100年前は人生50年と言われていました。
江戸時代に姥捨ての風習があった地域なら、
山に連れて行かれた年齢は60歳くらいです。

私はボケていなくても確実に口減らしの対象年齢ですね。(^_^;)

令和の現代では63歳の私は世間から見ると若手!
これは私の周りに元気なお年寄りが大勢いるからです。

63歳の私がこの半世紀を振り返ると驚く事が沢山あります。

着物時間の百年前にさかのぼれば、
1912年の日本の自動車登録台数は521台です。
昨日の東京でのコロナ感染者数よりも少ないのです。
一枚の着物が百年間見続けた日本の変化は凄まじいものですね。

ただ無理な変化は数年でその姿を見なくなります。

前回の更新でお正月の着物がウールから振袖に変わった時は、
バブル経済の真っただ中でした。
あの時は経済が豊かになりウール着物が振袖に変わっただけで、
着ている人達の様子はほとんど変わりませんでした。

熱田神宮周辺では歩道の縁石に腰を下ろしてタコ焼きを食べ、
友達とふざけ合って歩く姿はウールも振袖も同じ。

ただ私は貧乏性なので、
絹の着物で縁石に座りながら友達と話す姿には驚きました。
何よりも長い振袖の袂は着ている本人も気になるハズです。

どれほど日本が豊かになっても、
着ている本人の着心地が悪ければ翌年は誰も着ません。
これが数年で初詣の振袖姿が消えた理由です。

しかし、一度派手な振袖姿で初詣を飾った着物は、
本来のウール着物には戻らなかったのです。

着心地の悪さはコスプレ的になった成人式の振袖も同じです。

生まれて初めて着物を経験する場面が振袖になれば、
成人式は着物との卒業式になってしまうのです。

意味を知って生きる事の大切さ!

日本人は千二百年前の平安時代から着物を受け継いで来ました。
その日本人は着心地の悪い衣服を千二百年間も着続けたと思いますか?

日本人にとって着物は、
着やすくて着心地の良かった衣服なのです。

こんな当たり前の事を伝えるだけで、
誰でも着物を好きになってくれます。


友達同士で遊びながら着ても、

現代ハレ着も着心地よく簡単に着られます。

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たった一つの手本を真似なくても、

着物姿は着ている人の個性を表す着こなしが楽しいのです。

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着物から着心地と着こなしを奪ってはいけません。

普通に着れば楽しいだけの衣服なんですよ。

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着替えに手順も作法も道具も必要ありません。

着物の着替えは楽しく無ければ意味が無いからです。

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「コロナ禍前の写真を見ると思います。」

令和の現代では昭和の嘘は通用しない事を、
この国の指導者はいい加減に気付いてほしいと思います。

急速な変化はその環境について行くのが精一杯です。

ほんの30年前は満員御礼の着物教室は無料にしても閑古鳥!
ほんの30年前は飛ぶように売れた高級着物もゴミ扱い!

ステイホームの今だからほんの少し立ち止まり、

「何が悪かったの?」

その答えを知って明日を生きれば、
コロナ禍後の着物文化に暗い世界などあるハズはありません。(*^_^*)
posted by kiraku at 08:48| 愛知 ☔| Comment(0) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年06月30日

いつから着物は時代遅れ? (^_^;)

今日のタイトルは戦後のきもの文化を知るヒント!!(^^)!

私の父親は明治43年生まれでした。
今でも生きていれば111歳です。
残念ながら34年前に77歳で亡くなっています。

昔の人は一般的に一刻な人が多いと言われています。
私の父親は少し世間の常識とは外れた感覚を持った人でしたが、
これも当時ではそれほど珍しい人では無かった気がします。
ただ父親は道理に外れた事をすると怖かったです、(^_^;)

しかし、明治生まれの道理とは、少し問題があったような?
日露戦争に勝利してその勢いのまま太平洋戦争に向かった世代です。

明治生まれの道理とは「無理も通れば道理も通る」
こんな道理もあった事は事実です。
白いものでも無理に黒だと思わせれば黒になる。無茶苦茶ですね。(^_^;)

この道理を戦前〜戦中の日本に当てはめると、
何であんな事が許されたのか、時代の空気が理解できると思います。

何でこんな話をするのかと言えば、
戦後の日本におかしな着物教室を創立した人達は、
私よりも年齢は20歳ほど上になるのですが、
なんと!その親の年齢は私の親とほぼ同じなのです。(^_^;)

「無理も通れば道理も通る!」

「着替えも着付けに化ければお金儲けになる!」

令和の現代では無理な道理は通りませんね。(^^ゞ

終戦は昭和20年、私の生まれたのは昭和32年です。
小学生の頃はお正月になればウール着物で初詣をする人は大勢いました。
20代の頃でもお正月の着物姿は変わらなかった気がします。

しかし、世間で着物教室が流行れば流行るほど、
お正月の着物はウールから振り袖姿に変化して行きました。
その流行も長くは続かず今ではお正月の着物姿も激減です。

私は氏子総代の役を引き受けているのですが、
学区の八幡神社では初詣の着物姿は一人も見掛けません。

「きものは時代遅れ!」

最近はこんな言葉も聞かなくなりました。
それは着物離れの先にある無関心な時代になったからです。

「皆さんにこの意味が分かりますか?」

着物教室や着物に関わる人達がハレ着!ハレ着!と騒いだ分だけ、
豪華絢爛になり過ぎた着物は着られない着物に化けてしまったのです。

「無関心時代の今は一番暗い夜明け前です。」

「皆さんにこの意味が分かりますか?」

「無関心な人でも本来の着物文化に触れる機会があれば、
 誰でも着物を好きになり自由に着られる時代になってます。」

ひと昔前のお直しオバサンはもう高齢化して表には出て来ません。

自宅「着らく」を始めるなら、
お祖母ちゃん達は孫世代に目を向けて、
お母さん達は子供世代に目を向けて下さい。

家の中が笑い声で包まれます。(*^^)v


着物に右肩下がりの未来はありません。

これは着物に関わる人達に対して、
20年以上前から伝え続けた言葉です。


ちなみに大正生まれの母親は亡くなる前にこんな一言。

「あんたはお父さんよりも頑固だよ」

これだけは自分でも自覚しています。(^_^;)

ただ令和の現代ではこの頑固さは問題です。

心のどこかで時代に流されながら生きたくても、
私は金づちなので流されたら溺れ死んでしまいます。(*^_^*)

ステイホームが解けたら、
先ずはプールに行って泳ぎを覚えようかと思います。(*^^)v
posted by kiraku at 12:42| 愛知 ☁| Comment(0) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年06月29日

着物にストレスを感じてはいけません。(*^_^*)

今日のタイトルはストレス社会と言われる現代では、
何がストレスかを知るのは大切な事かも知れません。

朝起きて歯を磨き顔を洗って服を着る。
こんな日常にストレスを感じながら生活している人は大変です。

日本人にとって着物は日常であった事を忘れてはいけません。

こんな話をすると必ず、日常に着るものと晴れ着は違う!
これは今の日本では40年近く言われ続けた、
意図的な間違いです。
皆さんは何が違うのか考えた事はありますか?

お母さんが朝起きて着物に着替えて食事を作る。
お母さんが着物に着替えて授業参観に来てくれた。

これは昔の日常であり、特別なストレスはありません。

日常の延長線上によそ行きの着物があり、
今日は授業参観だからと、お母さんが美容院で着付けを頼んで、
絹のロングドレスをはしょって来られても子供は困ります。

現代で晴れ着を特別な装束だと考えるなら、
それはコスプレ的になった振袖なら分かります。

しかし、成人式の振袖姿は一生に一度です。
皆さんはその為にわざわざ着せ付けを習いに行きますか?

日本人にとって着物は日常であってはいけない!
浴衣と訪問着では着替え方も使う道具も違う!

今でもこんな風に考えている人がいるとしたら、
平成生まれの子供達から相手にされなくなりますよ。(^_^;)

そもそも日常の着替えに道具など最初から無いのです。
日常の延長線上にある訪問着でもそれは同じです。

昔の着物と現代の晴れ着ではサイズが違うのは確かです。
現代ハレ着は無駄に大きな風呂敷になっています。
その無駄に大きい分だけ体に巻いてあまる布の量も増えます。
余った布の始末に道具を使うのも個人の工夫です。
腰紐を使う人もいればゴム系の紐で留める人もいます。

それを習う流派で使う道具が決められているのはおかしいのです。

昔の着物姿はゆったりと楽に着こなしている人が多いのは、
着ている本人が着やすく着心地よく自分流に着ているからです。

日本人にとって着物は日常でなくてはいけません。

浴衣に着替えられる人は振り袖にも着替えられる、
それは衣服としての形はどちらも同じだからです。

振袖をコスプレ的に着たければ着付けを頼めば良いのです。
振袖の飾り結びを江戸で再現すると花魁の前結び姿になります。

華やかさを表現する帯の形は江戸時代も現代も同じ!(*^_^*)

もしも洋服に着替える楽しさを問われたら皆さんは困る?
では着物に着替える楽しさを問われたらどうですか?

小庵「着らく」で遊んでいた子供達は即答ですよ。
着物に着替える楽しさは選ぶ楽しさと着こなす姿!
ヽ(^。^)ノ


これは2013年小庵「着らく」の写真です。
あれから8年も経っている事が不思議です。
みんなコロナに負けず元気にしてますか?
アッ、一人の子は10月に子供が産まれます。(*^_^*)

49.jpg

小庵「着らく」は2000年から2020年まで、
今年はおまけの小庵「着らく」です。(*^^)v

女の子の着替えはお母さんや御祖母さんの役目です。

日本は高齢化社会になりお年寄りは沢山います。
その内の半分は御祖母さんなんですよ。

私は20年の歳月で孫もいる正真正銘の爺さんです。
こんな爺さんに子供や孫の着替えを任せて恥ずかしくはありませんか?

そろそろ着物好きな皆さんの出番ですよ。(*^_^*)
posted by kiraku at 08:12| 愛知 ☁| Comment(0) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年06月28日

着物はいつも笑顔が似合う。(*^_^*)

私は着物系の動画はほとんど見ない人です。
着方や帯結びの紹介をされている人は沢山いる事は承知しています。

しかし、動画を見ながら着替える???????

その姿そのものがおかしい事に気付いている人も多いかと思います。

もしも小庵「着らく」の様子を動画で流したら、
ワイワイガヤガヤと洋服と同じように着替えているだけです。

アッ、絶対に動画で流す事はありません。
何故なら、
子供達の着替えを動画で流したら怒られます。(^_^;)

着替え方を動画で紹介する姿に違和感を感じないとしたら、
その時点でおかしな着替えを前提にしていると思えば間違いないです。

帯結びは着物に着替えた後の遊びですから、
手順の参考程度なら見る価値はあると思いますよ。(*^_^*)

と、最近はこんな事ばかり言い続けている気がします。

それは今までは何となく理解していた事もこのコロナ禍で、
コロナ禍前の着らくを思い返す時間の中で見えた事が沢山あります。

着物は手順や形を教える事は簡単です。
しかし、それをすると覚えが悪くなるのです。

今の場所に移した当初は初めての子には教える事もありました。
しかし、着替えの空気が育つ過程でそれは必要ない事に気付きました。

初めての子は2回目や3回目の子に任せてしまう。

当然2回目や3回目の子では分からない事も沢山あります。
それを初めての子を相手に自分流の工夫をしながら着替えるのです。

アッ、手が止まってしまった時は黙って助け船を出します。

「黙って手を貸す」これが大切なんです。

言葉にすると相手は無意識に頭で覚えようとします。
しかし、頭で覚えても次に手にした着物や帯は違うのです。

この着物はウールだからこの方が楽に巻ける。
この着物は現代ハレ着だからこの巻き方の方が楽かも!
この時代着物は巻きやすいからこの道具は要らない!

こんな事は着なれる過程で体が自然に覚えてしまいます。

皆さんにこの意味が分かりますか?

そうです!!!!!
手にした着物を見ながら工夫する習慣が生まれるのです。

私は昔からこんな事を言って来ました。
着物の着替えを教えるなら、生徒さんのタンスを想像して、
100人の生徒さんが通う教室なら最低でも1000枚の着物が必要。

着物の着せ付けを生徒さんに教えるなら、
着つけるお客さんのタンスを想定して、枚数はこの倍でも足りません。

江戸時代に着物教室が無かった理由は簡単ですね。
明治時代でもこの日本に着物教室は無かったのです。

衣服の着替えを教えて成り立つ学校があるとしたら、
最初から、
その教え方に大きな問題があったとは思いませんか?


「普通に着替えれば着物は洋服よりも楽しい!」

それは衣紋の開け加減はその日の気分!
襟の合わせは着物と相談しながら加減する!
同じ着物でも着こなしを少し変えるだけです。

それでも着物姿の雰囲気は誰が見ても別人です。。(*^_^*)

「こんな風に着物姿で遊んだ事がありますか?」

小庵「着らく」の子供達はこれが普通でした。(*^^)v
posted by kiraku at 17:17| 愛知 ☁| Comment(0) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年06月26日

卒業生のメールに時の速さを実感!(*^_^*)

夜に卒業生からメールが入りました。

「借りた着物があるので・・・」

着物を嫁がせている最中に返されても困る!(^_^;)

お久しぶりとの挨拶に今朝名札で確認すると、
2014年に初めて着らくで会っている子でした。

卒業は2018年ですからほんの3年前の事です。
3年前の卒業生はちょうど在学中に私が母親の介護をしていた時期です。

返す機会も無いまま3年間も気にしていたのなら、
その事の方が私には申し訳なかったと謝りたい気持ちです。

この場を借りて着らくの着物を手元に置いている人に、

「嫁がせますから、出戻りにしないで下さいね。」(*^^)v

還暦を過ぎた爺さんが着替えを伝える時代は終わりました。
孫世代が二十歳になった頃を想像すると、
これからの20年間は今までの40年間とは違います。

何が違うのか?

2000年の空気と2021年の空気を見れば分かります。
この変化を見れば20年後の着物文化は安泰です。

着物に着替える楽しい環境が日本に戻り、
着物教室の存在理由は微塵も無くなります。

そもそも民族衣装の専門学校がある国は、
世界中を探してもおそらく日本だけです。

民族衣装とは、
その国や地域の生活に根付いて受け継がれるもの!


今日は昼からウルトラマンマントを持って孫に会いに行きます。ヽ(^。^)ノ

posted by kiraku at 09:20| 愛知 ☁| Comment(0) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年06月25日

コロナ禍の迷走は着物文化で解決!(^_^;)

新型コロナウイルスも一年経つと、
新型から変異型ウイルスに進化する。

オリンピックはコロナ前のお祭り騒ぎから一変して、
何とも微妙な空気のまま開催に向けて迷走状態です。

この何とも微妙で頼りない空気は何なんでしょうね。

時代の空気とはその先を見通す事のできるものです。
40年前に日本中を包み込んだ空気に生きた人達も高齢になり、
今はその空気を振り返りながら生きています。

NHKの朝のドラマでこんな言葉が心にとまりました。

昭和の倫理感では・・・

倫理感も時代によって大きく変化するものです。
あの時代だから許された事も令和の現代では許されない。
反対にあの時代では許されなかった事も令和では許される。

本当は時代に左右されない倫理感が倫理なのでしょうね。(*^_^*)

着物を畳む時に折り目を間違えてしまうと、
次に着る時にはアイロンを掛けなくてはいけません。
着物は折り目を間違えずに畳めばアイロン要らずの衣服なのです。

折り目を正すとは気持ちよく生きる事です。
これも家にある着物を畳めば誰でも自然に分かります。

昔の人は晴れ着などを仕舞う時は必ず躾糸を縫い付けました。
これは滅多に着ない晴れ着の折り目がずれる事を防ぐためです。

先で使う人の事を考えてひと手間を掛ける。

これも時代に左右されない日本の倫理感だと思います。

我々還暦世代は理由も告げられず「着物だから」
この一言ですべてを納得させられた世代です。

着物だから苦しいのは我慢しなさい。
着物だからお金が掛かるのは我慢しなさい。
着物だから難しい着付けも我慢して習いなさい。

そんな時代を経験しても日本人は着物が大好きです。(*^_^*)

何で?

おそらく時代に左右されない良さが着物にはあるのです。

昭和の「着物だから」も令和の現代では真逆になりました。

着物だから楽に着るのは当たり前です。
着物だからお金を掛けないのも当たり前です。
着物だから洋服よりも簡単に着替えるのは当たり前です。

「皆さんはどちらの着物文化を選びますか?」

後者は本来の着物文化に戻っただけの姿です。(*^^)v


来月は17日に小庵「着らく」の予定です。
また妖怪「持ってけ〜」が出ると思いますよ。

小庵「着らく」の様子を写真で紹介できないのは、
このコロナ禍では何が問題視されるか分かりません。

コロナ禍はおそらくこのままズルズルと長引きます。
責任の所在が不明なまま物事を推し進めると、
どんな些細な事でも驚くほどに結論が長引くのです。

それは責任の所在をはっきりさせない為に使う、
忖度と利権の都合に費やされる時間だからです。(^_^;)

と、折り目を正して仕舞われている着物からの意見です。
後々の子孫が困らないように今は我慢のひと手間が必要ですね。(*^^)v

ただ我慢のひと手間がひたすらのステイホームは情けない。
名古屋市はまだワクチン接種の案内すら来ないのです。
当初のPCR検査は何の動きも無いままワクチンが先行してます。(^_^;)

早くこの時代を振り返る場所に立ちたいですね。

昨年末に小腸癌で倒れた友人はこの春に亡くなりました。
あの世に逝く時は何も持っては行けないですね。
この世での行いだけが楽しい思い出として残ります。

「騙される人が悪い!」こんな時代の空気も終わり、
「騙す人が悪い!」こんな当たり前の時代は直ぐそこです。(*^^)v
posted by kiraku at 16:37| 愛知 ☀| Comment(0) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年06月24日

ステイホームは時間がある。(*^^)v

せっかく緊急事態宣言で下がった感染者数も、
なぜか解除後は直ぐに増え始めてしまいますね。(~_~;)

最近は世界でもワクチン接種の進んでいる、
イスラエルとイギリスの感染者数の動きが気になります。

コロナは長期化するのは仕方がないとして、
変異によって若い人も重症化するような事態は避けたいですね。

今週は娘の出産で孫の子守りをする機会に恵まれました。(*^^)v

三歳になる孫の興味はトミカからウルトラマンに変わっていました。
爺さんもウルトラマンなら子供の頃から知っている!と思ったのですが、
半世紀前のウルトラマンは一人しかいなかったのです。
今では総勢何人のウルトラマンがいるのか分からないほど増えています。

ひょっとしてウルトラマンは子沢山?????????

孫と一緒にテレビを見ながらその違いがイマイチ分からない!
ウルトラマンティガ・ウルトラマンフーマ・・・・・・・・
孫は一生懸命に説明をしてくれるのですが・・・イマイチ違いが?

私が子供の頃はウルトラマンはウルトラマンで良かったのです。
しかし、今の子供は同じウルトラマンでも情報量が違い過ぎます。
それだけでも今時の子供は凄い!凄すぎる!!!!!!!!!

そんな孫とのやり取りの流れで、
タオルを首に巻いてマント代わりにしてウルトラマン?
今時のウルトラマンはマントをしているらしいのです。
そこでこんな一言。
「爺ちゃんが今度マントを作ってやる。」
「エッ、なら青いマントが良い!」
ここで孫のお父さんから一言
「ウルトラマンのマントは赤でなくて良いの?」
しかし孫は「青が良い!」

そんな流れから昨日は手芸店で青い生地を買い、
孫にウルトラマンマントを作っていました。(*^^)v

ウルトラマン.jpg

コロナ禍で世の中がひっくり返るような大騒ぎの中でも、
真面目にステイホームを続けている身としては、
今さらジタバタしても流れは急に変わらないのは世の常です。

ウルトラマンマント以外にも
先週はバランスボードも手作りしていました。

ウルトラマント.jpg

これは自画自賛の出来栄えでしたよ。(*^_^*)

江戸時代は基本的に身近な物は買うよりも作る時代。
着物も反物はお店で買っても仕立てるのはお母さんの役割。

針仕事は躾として受け継がれた日本の文化です。

小庵「着らく」では何故か・・・・・
針仕事はいつも私の仕事だった事は今でも納得できない!(^_^;)

針を使った事のない子供が育った理由は、
破れた服を直して着るよりも買った方が楽になったからです。

それだけ豊かな時代が続いた証拠ですね。(*^_^*)

ステイホームを機会に針仕事をするのも楽しいですよ。
posted by kiraku at 09:25| 愛知 ☀| Comment(0) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年06月22日

時代が変われば着物は復活!(*^_^*)

今日のタイトルはコロナ禍で思った事です。

今回のコロナ禍で世界の常識と生活スタイルは大きく変わり、
その変化の大きさに対応できない大勢の人達がいます。

仕事はリモートになりスマホを活用する場面は増え、
新しい考え方や今までには無かった常識が育っています。

すべてが良い方向に向かっているとは思いませんが、
良くも悪くもその行いがはっきりと見える時代です。

私の若い頃は悪さも大人の仲間入り的な風潮がありました。
そんな私の目線で若い人を見ていると聖人君子に見えてしまいます。

一見他愛もない悪ふざけも動画で拡散されれば罪を問われ、
その姿から小さな子供はやってはいけない事を学んでいるのです。

恐るべし動画の世界ですね。(*^_^*)

あおり運転は私が免許をとった45年前からあり、
事故になれば警察の厄介になる事はあっても、
ドライブレコーダの無い時代には災難と諦める。

あおり運転で捕まる人の年齢が意外に40代以上に多いのは、
ドライブレコーダーが一般的になったのはこの5年ほどです。
若い人はドライブレコーダーの存在を認知していても、
中高年はまだドライブレコーダーに対する意識より、
今までの習慣的な行動が優先しているような気がします。

波平さんは54歳であの存在感を持っていた時代と違い、
現代はスーパーの万引き世代が高齢者になっています。

この半世紀に何があってこんな社会になったのでしょうね。

確か30年ほど前のバブル経済が崩壊した時に良識のある人達は、
政府の金融機関に対する甘い救済処置に対しては怒りを込めて、
こんな事をしたら社会にモラルハザードが起きると警告していました。

モラルハザードとは、
道徳と倫理の欠如した時代が必ず来ると危惧していたのです。

ひょっとしてスーパーで万引きしている高齢者は痴呆症の人?
こんな事を真面目に考えてしまいます。

アッ、タイトルとは関係のない話を長々としてしまいました。(^_^;)

しかし、過去を知らずに今を語るのは難しい!
世の中の動きは必然的な結果を体験している事がほとんどです。

こんな事をしていたら先ではこんな事が起こる!

30年前の着物文化でも、良識のある人達は着付け教室の教え方に対して、
こんな事を教えていたら誰も着物を着なくなると危惧していたのです。

残念ながらこの声は30年前の日本ではほとんど表には出ませんでした。

あの頃は日本中のテレビや新聞が相手にしたのは・・・
これはわたし的には今でも文章にするのもおぞましい過去です。(/_;)

何でこんな更新をしているのかと言えば、
若い人と話をしていて今の現実は百年前から存在していると思っている?

「日本の借金はバブル経済崩壊後の数十年で作られた負債なんだぞ」と話しても
「エッ、もっと昔からある負債だと思っていました。」

返済するために税金を上げても、借金の減らない責任は曖昧なまま、
今回のコロナ禍は過去の負債の理由を霧の中に隠すには絶好の好機です。(^^ゞ

今の現実は過去の行いの結果を見ている。
若い人には過去の大人の行いの結果を見せられている。

最近の薄気味悪さは、過去の行いを反省しない大人の姿です。

アッ、昼休みにBS放送でアメリカ大リーグのライブ中継を見ました。
ダルビッシュ投手はアメリカでも頑張っていますね。(*^_^*)
そこで我が目を疑ったのは、観客は満員で誰一人マスクをしていない!

日本では来月のオリンピックに向けて今でもコロナ迷走状態です。
どちらが本来の姿なのでしょうか????????

数字を見る事には長けた人は大勢います。
しかし、人を見て判断する環境は消えているような気がします。

きものに着替える時は、手にした着物を見ながら会話をすると、
お祖母ちゃんやお母さんの思い出に触れる事ができます。

お祖母ちゃんの着物を買い揃えたのはお祖母ちゃんのご両親です。

五年も着ない着物はタンスに眠る価値も無い??????
着物時間は曾孫の代まで確実に繋がっています。

昭和の一時期におかしな着物教室が流行った事も、
令和の一時期にコロナウイルスに世界中が泣いた事も、
先の子孫は着物に着替えて笑いながらの思い出話です。

と、私は今でも真面目にそんな日本の姿を想像しています。

「若い人が角出しはおかしい」
世間を着物姿で歩いたらこんな事を言われた子がいます。

若い人のお太鼓姿に違和感を感じる人は本当の着物通です。(*^^)v

まだまだおかしな常識を振り回す、
お直しオバサンは健在なんですね。(^_^;)


ステイホームの昼休みにダラダラの更新でした。(^_^;)
posted by kiraku at 13:01| 愛知 ☁| Comment(0) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年06月20日

きもの時間はのんびりまったり流れます。(*^_^*)

のんびりまったりと過ごしていたら、
Windows7は過去の遺物になっているらしい!

「エッ、師匠はまだWindows7なんですか?」

これが前回の着らくで言われた驚きの言葉です。
世間ではWindows10でも時代遅れと言われているらしいのです。

むかしの良い道具は100年経っても壊れないものです。
それが近年では壊れる以前の問題で使えない道具もある。

私が二十歳の頃まではもう少しのんびりまったりと時は刻み、
物事の変化も十年一昔と言われた時代が懐かしいです。

現代ではその日の天気はスマホを見れば雲の動きまで一目瞭然!
これも当たり前のようになっている便利な習慣ですね。

子供の頃に下駄を飛ばして天気を占ったのは私より前の世代、
私が小学生の頃は靴を飛ばして天気を占っていました。(*^_^*)

下駄は昭和30年代から急速にその姿を消しました。
理由は簡単です。
道路のアスファルト舗装が進み運動靴になったからです。

下駄を飛ばした時代から半世紀でこんなに変わるんですね。

この半世紀で一番変わった事の一つに、
日本人の着物姿がある事を忘れてはいけません。

日本人は江戸時代から絹の着物に補正や道具を使い着替えていた!
まさかそんな着替えを平安時代からしていたとは誰も思いません。

でも着物を手にするとおかしな着替えを手本にしてしまうのは何故?

これにもしっかりとした理由があるのですが、
文章にすると長くなるだけで伝わらない事が多いのです。(^_^;)

小庵「着らく」で着物に触れていた子供達は同じ着物や帯を使いません。
いつも棚から好きな着物や帯を選んで着替えていました。

名古屋にあるきもの教室では教材用の一枚の着物と一本の帯だけで、
手本になる一つの着物姿を真似て着替える事だけを学びます。

その教室で着替えを覚えた生徒さんが家のタンスを開けて、
お祖母ちゃんの着物やお母さんの着物を出して羽織れば、
習った手本通りに着るには裄が足りない!丈が足りない!
これは晴れ着の世界では当たり前の事なのですが、
広襟を広げて裄を出す着替えの工夫を知らないのです。

それでも解いて仕立て直す方法はあります。
しかし、着物を解いて繋ぎ合せれば買った時と同じ反物に戻る!
着物教室で習って分かっていても解いた経験がないのです。

着物文化を教える学校で和裁は基本中の基本です。
しかし、学科の中で和裁を教えている教室に出会った事がありません。

皆さんは組紐を教えるより和裁だと思いませんか?(^_^;)

小庵「着らく」では本当に着物好きな子は着物を解いています。
解いて見ると簡単にバラバラになる事に驚き、
要所要所はしっかりと留めてある和裁士の仕事を知ります。

浴衣やウールの着物は単ですから解くのに半日も掛かりません。
袷の晴れ着でも休みながら一日あれば十分です。

これで洗い張りに出せば解き代の数千円は安くなります。

こんな工夫や知恵が着物文化の基本です。

「そんな事を教えたら何十万円!何百万円!の新しい着物が売れない!」

基本を知らないから何十万円、何百万円もした着物を捨てるのです。
捨てられる着物を見て育った世代はどんなに勧めても買わないのです。

私の知っている洗い張りをしていたお店は10年前に無くなりました。

着物は受け継がれた思い出と温もりを知らずに、
おかしな着替えに汗を流しても何の意味もありません。

古い白黒映画の着物姿にお太鼓姿の女性は何人登場すると思いますか?

背中で結ぶ広い帯は着付け師の仕事!
手を貸してくれるお手伝いさんや女中さんのいる人達の着物姿です。

戦後に生まれた着物教室がブームになったのは、
今まで無かった事を教えたからです。

それを日本中の人が信じてしまったのは、
高度成長の波に乗ったら何でもありの時代背景があるのです。

家の洋服ダンスを開けて絹のスーツやドレスを持っている人は別です。
一般庶民のタンスにはこれほど豊かな時代を過ごしても、
絹のスーツとドレスを持っている人はおそらくいないと思います。

私が洋服タンスの絹を探して出て来たのはハンカチだけでした。(~_~;)

しかし、何故か?お祖母ちゃんの和タンスを開けると・・・
出てくる着物や帯は豪華絢爛な絹の晴れ着や袋帯なのは何故?????

今まで無かった事を真に受ける人を相手に商売をすれば、
笑いが止まらないほど高価な商品が飛ぶように売れたのです。

前にも伝えましたが袋帯が二重太鼓になるのは、
振袖の飾り結び用に作られた袋帯は、最初から長めに仕立ててあります。
袋帯だから二重太鼓ではありません。
飾り結び用に仕立てられた長い帯だから二重太鼓になるのです。

体格の良い女性が結べば一重太鼓になる事もあります。(*^_^*)

理に適った考え方で着物に着替えるのは楽しい!

着物を教えている人達に気付いてほしかった事です。

これは名古屋帯だから一重太鼓!
私の流派は後ろで一結びするから絶対に一結び!
私の前結びの流派は回すために便利な帯板があります!
・・・・・・・・・・・・・・・・・

手の込んだ刺繍の帯を一結びしたら帯が痛むだけです。
前結びは半巾帯の練習で十分です。

着替えに決まった手順などあるハズは無いのです。

手にした着物や帯を見ながら、
その風合いや大きさ長さに合わせた工夫をするのが着こなしです。

と、ステイホームを続けていると曜日感覚が無くなる!
今日は日曜日で暇潰しに更新をしてみました。(*^_^*)

アッ!!!!!!
昨夜無事に孫が産まれました。
母子ともに健康で元気な女の子です。ヽ(^。^)ノ

夜中に娘から写真付きの生まれたメールをもらい、
オイオイ、出産直後にメールをするか??????
と、二人目の出産でたくましくなった娘の姿を知り、
男女平等は無理!母親のたくましさに脱帽でした。

男尊女卑の考え方は明治期〜昭和初期の風潮ですよね〜
江戸時代は二男三男は養子に出されるか家を追い出されたのです。
本当は江戸時代の女性は男性よりも強かったと思っています。

では病院にいる娘に代わり孫の子守りに出掛けて来ます。(*^_^*)
posted by kiraku at 13:21| 愛知 ☁| Comment(0) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年06月17日

着物とのお別れは楽しい場面もあります。(*^_^*)

どれほど真面目にステイホームを続けても、
なぜか名古屋は未だに非常事態宣言中です。(^_^;)

コロナ禍で何が変わったのか?

三歳になる孫は物心のついた頃からマスク姿の大人しか知らない。
こんな現実だけでも小さな子供にとっては異常な環境です。

コロナだけは早く収まると良いですね。

先週は卒業生の子が自宅「着らく」の友達と子供を連れて、
賑やかな小庵「着らく」になりました。
1歳になる男の子はおんぶをすると寝付くと聞き、
着替えに忙しいお母さんに代わり私がおんぶをすると、
直ぐに背中でスヤスヤと寝てくれました。(*^_^*)

降ろすと目を覚ますと言われ背中の寝息を聞きながら、
爺さんはひたすらウロウロと歩き回る事しかできません。

「本当に小さな子供は何をしていても可愛いですね。」

先週もダンボ―ルケース2箱の着物と帯を嫁がせました。
自宅「着らく」を始めると、
着物を選ぶ楽しさの大切さに気付きます。!(^^)!

ブログでは伝えられない小庵「着らく」の空気は、
嫁がせる着物と一緒に自宅「着らく」にも届いています。

何よりもこのコロナ禍で、
嫁ぎ先の決まった着物や帯が嬉しそうなのです。

「これが受け継がれる着物の姿です。」(*^^)v

私がブログの中で伝えたかった事はただ一つです。

「本当は着物を嫌う日本人は一人もいないのです。」

遊びに来ていた子供達の洋服と同じように着物に着替える姿も、
同じ形の大きな風呂敷を一日中でも飽きずに着替えているのです。

同じ形の洋服なら色柄を変えても一日中は着替えられません。

今の日本でこの意味を理解できない人がいるとしても、
小庵「着らく」で育った子供達は楽しく着替える意味を知っています。

アッ、前回の小庵「着らく」で初めての子にこんな話をしました。

「日本には着物を民族衣装として、
 その歴史や着替え方を教える学校があります。 
 名古屋だけでも着物教室は何校もあります。
 でも誰に聞いても広襟の意味を知らない。
 先生に聞いても受け継がれた形の意味を知らない。
 国の公認した学校で民族衣装を教えている国で、
 着物の畳み方すら分からない日本人が大勢いる
 こんな風に民族衣装を継承している国は日本だけです。」

遊びに来ている子供達は洋服と着物の区別はありません。

それは歴史の浅い洋服を当たり前のように着ているからです。
着物は平安時代から日本人の衣服として毎日着ていた衣服です。

「洋服よりも簡単に着替えられる!」これは普通の事です。

洋服に着替えたら周りの大人から
「自分で着替えたの!偉いね〜」とは言われません。

その日本人が着物に着替えると、
「自分で着替えたの!偉いね〜」と言われる環境がおかしいのです。

コロナ禍でマスク姿の大人しか知らない子供達の環境と、
何となく似ていると思うのは私だけでしょうか?

コロナ禍はワクチン接種が進めば収まると言われています。
戦後に生まれた異常な着物文化にワクチンは無かった事が残念です。

ここで話が少し脱線します。
先日ダイソーの百均に出掛けてこんな光景を目にしました。
子供を連れた若いお母さんの運転する車が駐車場に入って来ました。
狭い駐車場は一杯でお母さんは車を移動しながら出る車を待っていると、
後ろの車がしつこくクラクションを鳴らしています。
何事かと見ていると後ろの車は窓を開けて、
「俺が先に入って来た!」と大きな声で叫んでいるのです。
要するに自分が先に駐車場に入ったのだから空いたら私に権利がある?
確かに一理ある主張なのかも知れませんが、
前に居るお母さんは空いてもいない駐車場でパニックです。
そのまま駐車場を一周回って出て行ってしまいました。

その後ろの車を運転する人が私と同世代だったのです。

最近は分別のある大人世代のおかしな行動を、
ニュースなどでよく見せられます。

若い人なら若気の至りとして納得できるのですが、
若い人を諭す世代に何が起きているのでしょうか?

何となく薄気味悪さを感じる今日この頃です。

話を着物に戻すと、
御祖母さん世代は着物教室全盛期に育った人達です。
お母さん世代は反対に着物離れの環境で育った人達です。

世間でお直しオバサンと言われている人達の育った環境は、
次の母親世代に着物離れの環境を作り上げたのです。

でも安心して下さい。

次の孫世代はおかしな文化を知らない20代に成長しています。
これからの時代は若い人が中心に世の中は動きます。

日本中のタンスから「やっと生きた心地がする」
こんな着物や帯の声が聞こえて来ます。

おはしょり何センチ!
襟の始末は何センチ!
裾は下から何センチ!

受け継がれた着物の声を代弁すると、

「ほんとうに!アホか!」

着物は四角い風呂敷で体を包む衣服です。
小さな体を包むには風呂敷を縫い上げて小さくする。
大きな体を包むには合わせを広げて大きくする。

風呂敷はどんなサイズの物でも包めるから意味があるのです。

皆さんも手本にしている着物姿に何の意味があるのか、
そろそろ考える時代だと周りの子供達に伝えて下さいね。

昨日と今日は2日続けて朝から雨です。
梅雨時期のウォーキングはお休みが増えます。

気になる事は出産予定日を過ぎても娘から連絡が無いのです。
毎日、朝からそわそわと落ち着かない爺さんであります。(^_^;)
posted by kiraku at 04:53| 愛知 ☔| Comment(0) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年04月13日

一枚のきもの時間は百年! 山あり谷ありです。(*^_^*)

先週は小庵「着らく」で幸せな時間を過ごしていました。
13年前に出会った子がお母さんになって、
1歳になる男の子を連れて遊びに来てくれました。!(^^)!

13年の歳月も記憶の中ではそれだけの時は存在しません。
遊びに来た本人も変わらない小庵「着らく」の空気に包まれながら、、
何故か自分は母親になっているのです。
流れる時間とは本当に不思議なものだと感じます。

もう一組!
プロポーズを受けた子が彼氏と一緒に来ていたのですが、
二人の幸せオーラに私も母親になった子もニヤニヤ、ニコニコ。

アッ、私は一才の子を相手に師匠からお爺ちゃんになっていました。(*^_^*)

今の小庵「着らく」には妖怪「持ってけ〜」が居ます。
自分の着替える着物を選ぶより、
友達や家族に着せたい着物をイメージして、
「持ってけ〜、持ってけ〜。」と囁くのです。

先々週にお母さん世代の人が三姉妹で来た時も、
長女の人が自分で選んだ6枚の着物を前に並べて、

「どの着物にするか迷ってしまいます。」

「私には迷う理由が分かりません。
 将来息子さんの奥さんになる人やお孫さんをイメージして、
 全部持って行けばいいのです。」(*^^)v

お母さん世代の人達は着物に縁のない人が多いなかで、
小庵「着らく」で出会った三姉妹は着物好きだったのです。

次女の人は着付け教室にしっかりと通った経験もあり、
長女と三女の人もそれなりに自分で着替えられる人達でした。

着物教室で習った着替えの手順でも、
頭を使わずに体が自然に動けば立派な着替えです。(*^_^*)

しかし、黙っていようと思ったのですが、
二女の人が時代の晴れ着を手にして身八っ口から手を入れ、
少し窮屈そうに背中のはしょりを始末していた時に一言だけ、

「その着物は晴れ着でも身幅のあった着物ですから、
 背中のはしょりは外から始末した方が楽ですよ。」

「手を入れながら少し窮屈だと思いました。」

この時点で私はお直し爺さんですね。(^_^;)

着付けの手順を体で覚えている二女の人は、
伊達締めが無いと落ち着かない様子なのですが、
基本的に着替えに伊達締めは使わないのです。

「きっちりと着たいので伊達締めはありますか?」

リクエストをされて無いとは言えません。
小道具入れから伊達締めを探して渡しました。(^_^;)

三姉妹の皆さんには着物の着心地と着やすさを、
言葉を選びながらもしっかりとお伝えしました。

その話の過程で、
着付け教室の教え方では着替えられない理由も、
着物の形から分かりやすく説明して納得してもらいました

お母さん世代になる三姉妹の人と出会って、
着物教室に通った皆さんは着物好きだと改めて思いました。

着物の襟は首に近付けない着こなし。
身八っ口から手を入れて背中の始末は着物を見て考える。
背中心は着物で合わせるより体に合わせる。
背中の帯は着付けの帯と理解して最初から自分では結ばない。
等々・・・・・・

次女の人にも着物の着こなしと着心地だけは、
何となくでも分かっていただけたと思います。

次回は17歳になる娘を連れて来ても良いですかと言われ、
「お母さんよりも大歓迎です!」と、
思わず素直な気持ちが言葉に出てしまいました。(^_^;)

こんな調子で地道に着物と帯を嫁がせています。
20年間集めた着物と帯には皆さんとの思い出もあり、
着替えの出来る着物好きな人に嫁がせるのは私の責任です。

小庵「着らく」は場所を選ばず!

着物や帯の嫁ぎ先はすべて、
笑顔に包まれた小庵「着らく」です。(*^_^*)

今年はコロナの収束を見ないままオリンピックの開催です。
もしもコロナに出会わなければ東京オリンピックは昨年に終わり、
今頃はどんな日本になっていたのでしょうね。

このコロナ禍を教訓にして明るい未来があると良いですね。

若い人達はこの困難な現実からのスタートです。
多少の事ではくじけない強い大人に成長してくれると思います。(*^_^*)

コロナ禍の収束後に見られる社会の常識は、
おそらく私にはついて行けないほど変化している気がします。
posted by kiraku at 17:56| 愛知 ☔| Comment(2) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年04月03日

夏にきものは暑い!(*^_^*)

昔の人は夏になると麻の着物や単の銘仙!
どちらも涼しくて過ごしやすい着物です。

本麻の甚平などは着ている感じがしないほど軽く着心地満点!
しかし、現代の本麻は高価になり過ぎてしまい手が出ません。

毎日着るものに何万円も出せるのは一握りのお金持ちです。
やはり夏の衣服はTシャツです。(*^_^*)

それでも若い人は夏祭りや花火大会には浴衣を着ます。
着物に関わる人達にとっては有難い現実です。

浴衣と言えば女性の帯で一番歴史の古い半巾帯の登場です。(*^^)v

帯結びの楽しさを実感するには最高の場面になるはずが・・・
着物店の店先には浴衣とセットで作り帯が売られています。

洋品店の店先なら分かるのですが、
着物を扱うお店に浴衣の作り帯は信じられません。

浴衣の季節には半巾帯の楽しさをお客さんに伝えるのも立派な仕事です。

女性の帯は楽しく結ぶから価値の生まれる遊び道具です。
半巾帯は帯結びの楽しさを簡単に伝えられる最高の帯です。
その楽しさを伝えるチャンスを着物店が放棄してはいけません。

高価な着物や袋帯ばかり売れたバブル期と違い、
令和の着物店は帯の楽しさを伝えられる環境になりました。
その理由は簡単です。
楽しさを伝えられる時間的ゆとりと場所はあると思います。(*^_^*)

日本中の着物店で楽しい活動を実践しているお店が増えるだけで、
どれほどのお客さんが笑顔になれると思いますか?ヽ(^。^)ノ

こんな風に考えると着物店に右肩下がりの数字は考えられません。
売り上げに悩むよりお客さんに着物の楽しさを伝える方が忙しく、
お客さんの笑顔に出会える喜びが先の数字に繋がります。

想像しただけでも日本中の着物店は楽しい場所に変わります。

「着物に困ったら着物屋さんに行きなさい、
 どんな事でも優しく教えてもらえますよ。」

晴れ着に踊る前の着物店は、
そんな場所だった気がします。(*^_^*)


突然ですが、竹の子掘りに行って来ましたよ〜。
先ほど近所に住む娘の同級生にメールをしました。

「タケノコ掘ったぞー!
 夕方5時頃にはアク抜き完了します。
 今日でも明日でも都合のよい時間を教えて下さい。
 爺さんウーバーイーツで届けますよ。」

「タケノコとったのぉ??
 すごいすごいっ
 おじさんありがとう
 出かけたりしてるからとりにいくよぉ!!
 今日、5時半過ぎに行こうかなぁ」(*^_^*)

ステイホームのおかげで人に会わずに遊んでいます。

朝6時の竹林を3時間ほど徘徊して、

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竹の子と遊んでいました。(*^_^*)

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今日は目に付いた竹の子を20本ほど掘って、
後から来た友人に半分渡して先に帰って来ました。
愛知県の竹の子はこれからが本格的な時期になります。

今年の竹の子掘りは来週もう一度行って終了の予定です。(*^_^*)
posted by kiraku at 18:27| 愛知 ☁| Comment(0) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年04月01日

きもの復活の難しさは何?(*^_^*)  竹の子覚書!

着物は習うよりも好きになり着替えに慣れる。
洋服は好き嫌いに関係なく毎日着替えないと外に出られません。

昔の人は好き嫌いに関係なく着物に着替えていました。

皆さんもこの意味は分かりますよね〜。(*^_^*)

浴衣に着替えられる人は振り袖にも着替えられます。
これはブログの中で言いつくした言葉です。
その理由は?
袂の長さが違うだけで衣服としての形は同じだからです。

着物に関わる人達は普段着と晴れ着では着替え方は違うと言われます。
そもそもこの区別がおかしいとは考えないのです。

では普段着と晴れ着を区別するものは何でしょうか?

ポリエステルの洗える着物は普段着?
絹の訪問着や付下げや留袖は晴れ着?

答えはどちらも広襟なら晴れ着です。
反対にとちらもバチ襟なら普段着です。

これは広襟とバチ襟の意味を理解している人なら当然の答えです。
ポリエステルの着物でも広襟仕立てもあれば、
反対に絹の付下げや訪問着にもバチ襟はあるのです。

古い着物には絹の広襟をわざわざバチ巾に縫い直してある着物に出会います。
そんな着物に出会うといつもこんな会話が生まれます。

「この着物を着ていた人は相当なお金持ちでしたね。」(*^_^*)

着物に関わる人達がプロとして本来の常識を伝えるだけで、
きもの業界は簡単に復活してしまいます。

普段着と晴れ着を区別するなら着方は同じでも、
晴れ着は広襟に仕立てる意味をしっかりと伝える事です。(*^^)v

これだけで着こなしの意味は理解され、
着替えの楽しさは伝えやすくなります。

こんな常識すら理解されない現実を考え悩むのは、
着物のプロと言われる皆さんの仕事だと思います。


きもの復活の難しさとは、
プロと言われる人達がプロの仕事をしていない、
たったこれだけの本当にお粗末な理由なのです。(^_^;)


プロの仕事と言えば、
先週は氏子総代として八幡神社にある大木の剪定作業にお付き合い!
10メートル以上もある木を短く剪定するのは、
住宅の密集した場所ではその技術は神業でした。

大木を上から分割して切っていくのですが、
梯子を掛けず枝に安全帯を引っ掛けながら体を固定して、
クレーンで幹や枝を吊りながらの作業です。

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幹は分割しても2トン近い重さになり、
切り離す瞬間は見ているこちらの方が緊張しました。
70代の親方は木を見て剪定する場所に白いテープを巻き、
その剪定する場所にも意味がある事を説明してくれました。

「プロの仕事とは本当に凄い!」

ちなみに着物文化でも、
着付け師と言われる人達の仕事は凄いと思います。

しかし、着替えを着付けだと教える人達の仕事は、
道具や形にこだわるお粗末な教え方もあるので要注意です。(^_^;)


ここから竹の子掘りの覚書き!
愛知県では桜前線と竹の子前線は何日ずれるのか?
ステイホームの今年はこれを確認する事にしました。!(^^)!

3月中旬に名古屋でも早い桜はチラホラと咲き始める。
3月24日名古屋城の桜は満開に近づく。
3月25日竹の子の様子を見に行くもまったく気配なし。
3月28日名古屋城も近所の桜も満開。
3月29日竹の子は小さな竹の子6本、中型3本が土の中から顔を出す。
     (足で地面を探りながらやっと見つけました。) 
3月31日桜は満開でも散り始めています。
4月1日竹の子は小さな竹の子3本、中型6本、大きな竹の子2本
    (目視で地面から頭を出しているのを確認できました。)

この状況から今年の竹の子前線は桜の満開から散り始めはまだ早く、
ここ数日の気温を考えると3日の土曜日はかなり出ていると思います。
今週の平均気温は例年に比べるとかなり高めになっています。

26日  19° 6°
27日  20° 7°
28日  18° 14°
29日  25° 14°
30日  24° 12°
31日  24° 11°
4月1日 22° 11°

桜前線と竹の子前線の誤差を正確に記録しておけば、
来年から桜を見ながら竹の子掘りの時期を考えられます。(*^_^*)
posted by kiraku at 13:32| 愛知 ☁| Comment(0) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年03月18日

春になりましたね。徒然日記(*^_^*)

昨年の3月からコロナに振り回され、
ステイホームも気付いたら一年が過ぎていました。

真面目にステイホームを続けると、
還暦を過ぎた私でもさすがにストレスは溜まって来ます。

私は声が大きいのでコロナ禍の環境は最悪!
しかたが無いので今年は土筆採りに専念していました。

おかげでご近所さんは好き嫌いに関係なく土筆三昧です。(^_^;)

先週もウォーキング後に港区まで出掛けて、

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黙々と土筆を採り、

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黙々と下処理に4時間!

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配り切れない土筆は灰汁抜きをして冷凍庫に1キロ。
最近は土筆を売っているらしいのですが、
いつから土筆は採るものから買う物になったのでしょう。
名古屋人は土筆を卵とじにして食べるのですが、
地域によっては土筆を食べない事をこの歳になって知りました。(^_^;)

このコロナ禍で起こった一年の変化は凄まじく、
コロナ禍前の記憶は遠い過去になってしまうような気がします。

しかし、自然はコロナ前もコロナ後も変わりません。
今年も土筆が終わればタケノコの季節になります。

こんな風に考えるとコロナ禍により人の営みだけが大きく変わり、
自然は何も変わらない時を刻んでいるような不思議な気持ちになります。

ところで小庵「着らく」の移転計画は頓挫したままです。
学生の子も卒業式や部活も制限され大変な状況だと思います。
昨年よりも今年の方がコロナ禍の空気は重く感じられます。

良い悪いに関係なく、
ワクチン接種が進まないと世間の空気は変わらないのかも知れませんね。

後10日もすればタケノコの季節です。
次回の更新はタケノコ掘りになると思います。(*^^)v
posted by kiraku at 17:22| 愛知 ☀| Comment(0) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年02月25日

着物に着替えるのは大変?それはおかしい。(*^_^*)

きょうのタイトルは出会う人に伝えている言葉です。

コロナ禍の最中に小庵「着らく」の移転計画を実行するなかで、
男女に関係なく出会うすべての人に対してこんな質問をしています。

親世代の人達には「お子さんは何年生?」
私と同世代の人達には「お子さんは?お孫さんは何才?」

こんな会話から着物と帯の嫁ぎ先を見つけています。(*^_^*)

先日は3人のお母さん世代の人達に着物の楽しさを伝えました。
1人の人は着付け教室の経験もあり2人の襦袢はお任せして、
着物の形からその意味を分かりやすく説明して、
日本中の人が着物を着られなくなった理由もしっかり伝えましたよ。

教室に通った経験のあるお母さんは着物を手にして一言。
「え〜、やはり忘れてます。」と言いながら、

着替える前に私の伝えた言葉の意味に気付き、
「頭で考えながら着替える衣服はありませんね。」!(^^)!

着物は大きな四角い風呂敷を体に巻いて紐で留めるだけの衣服です。
その大きな風呂敷を使えば体系の違いは着こなしの形で補えます。

裄の出し方も丈の調整も手にした着物との会話が大切です。

手にした着物はどんな体型の人でもやさしく包んでくれます。

「着物の襟は何センチに詰めなさい、
 背中の衣紋は何センチ開けなさい、
 はしょりは帯から何センチにしなさい。」

などとは絶対に言いません。(*^_^*)

昨日は3人のお母さんに3時間で着物の楽しさを伝え、
帰る頃にはその笑顔から着替えの楽しさも伝えられた気がします。

アッ、来る前に小庵「着らく」の空気を吸えば、
一回来れば必ず着替えられるようになりますと約束しました。

着替えのコツは3つだけです。

風呂敷を巻く時のコツ。
腰紐を留めるコツ。
帯の決め方のコツ。

これ以外に着物に着替えるコツがあれば教えて下さい。
大きな風呂敷を体に巻いて紐で留める。
女性にとって帯は楽しい遊び道具です。

昨日は9枚の着物を嫁がせる事ができました。(*^^)v

地道な活動ですが、
お母さん世代の人達にお願いできれば、
着物の温もりを通して着心地と着やすさは、
大勢の子供達に受け継がれて行きます。

緊急事態宣言が解除されたら、
子供達もガラガラと大きなカバンを引きずりながら、
好きな着物と出会いに遊びに来てくれると思います。

それまでは地道に周りの人に声掛けをして、
着物の温もりと着やすさを伝えてます。

自分から声掛けをして着物の楽しさを伝えていると、
何となく20年前に戻ったような気持ちになります。(*^_^*)

日本中で着物好きな人たちが声を掛ければ、
捨てられる着物はコロナの終息する頃には無くなります。

アッ、ステイホーム中にやっている事がもう一つありました。

和菓子作り!
カルカン・きんつば・ふくれ菓子・・・・・・
今はエビ煎餅に試行錯誤してます。(^_^;)
posted by kiraku at 12:13| 愛知 | Comment(4) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年02月01日

偽りの御着物文化は消えても、温もりを伝えたきもの文化は無くなりません。(*^_^*)

昨日の小庵「着らく」は保育園児が走り回る、
いつもとは違う賑やかさでしたよ。
太鼓を叩いて園児が走り回る中で、
お父さんに着物の楽しさを伝えていました。
小さな子供の元気はどこから来るのでしょうね。(*^_^*)

お父さんに伝えた着物文化とは、

着物文化の始まりについて、
平安時代に小幅の布を直線裁ちで仕立てた衣服が始まりです。

小幅の布を繋ぎ合せて体を包めるだけの大きな風呂敷に仕立て、
手を入れる袖を左右に取り付けただけの衣服です。

洋服は広幅の布に型紙をおいて、
着る人の体型に合わせ曲線裁ちに仕立てた衣服です。

この違いは分かりますか?

曲線裁ちに裁断した布は元の広幅の布には戻りません。
洋服を解いても裁断する前の広幅の形には戻らないのです。

しかし、直線裁ちの着物は解いて繋げると、
裁断する前の小幅の布に戻ってしまいます。

これは戦前の着物を解いて元の形に繋ぎ合わせた反物!

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広げて見ると直線に裁断された箇所があります。

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浴衣も振袖も袖の長さが違うだけで、
一反の反物を直線に裁断して八枚の布にして仕立てます。
繋ぎ合せた部分を大きくするとこんな感じです。

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日本の着物は布のロスが出ないように、
着物も帯も直線に裁断された布を使っているのです。
こんな風に丸帯と半巾帯を並べればよく分かります。

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お父さんに伝えた内容は簡単!
洋服はS寸M寸L寸と体型で分けられていますが、
大きな風呂敷を体に巻くだけの着物にサイズはありません。

それが着物本来の着こなしになるのです。

受け継いだ着物が襟を詰めて着ると裄が足りない!
だったら広襟の幅を使って広く襟を出せば裄は足ります。
ここで昔に伝えた写真の登場です。(*^_^*)

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バチ襟の着物は解いて洗い張りに出して子孫に渡す。
晴れ着は洗い張りに出すほど何度も着ない着物です。
だからそのまま子供や孫に受け継がれた着物になるのです。
子供や孫の体型に合わせた着こなしができる工夫が広襟なのです。

この話をお祖母ちゃん世代の人にすると必ず同じ答えが返ってきます。

「そんな事を着物教室では習わなかった!」(^_^;)

たった一つの着物姿を示して、
この手本通りに着なさいと教える教室では、
広襟を広げて着こなす本来の形は存在しては困るのです。

そもそも教える先生が広襟の意味を知らない人もいます。
知っていたら教本の着物姿を手本にして、
ここは何センチ等とは教えられないのです。(*^_^*)

と、若いお父さんには着物文化の七不思議を伝えながら、
楽しく着替えてもらいました。

男性の着物は三回も着替えれば、
男の着こなしは角帯の意味を知る事だと分かります。(*^^)v

コロナ禍の小庵「着らく」は基本お休みです。
倉庫に着物がある内はコッソリと開けてます。

コロナ・・・・・・う〜ん。
新規感染者数の推移を見ていると、
増える理由も、減る理由も、私にはサッパリ分かりません。

この一年間で新規感染者数の増えない県のニュースを見たい!
悪い手本ばかり見せるよりも、良い手本を見た方が戒めになります。

青森県、岩手県、秋田県にも歓楽街はあり、お酒好きな人も大勢います。
感染者数の多い都道府県のニュースは不愉快な思いを増幅させ、
感染者数の少ない県のニュースは自分自身の行いを戒める反省材料です。

しかし、手本となる県のニュースはあまりにも少ない気がします。(^_^;)
posted by kiraku at 17:54| 愛知 ☁| Comment(0) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年01月25日

小庵「着らく」は場所を選ばず!着物は洋服よりも簡単に着替えられる!(*^^)v

明けましておめでとうございます。

コロナ禍の今年はこの挨拶を交わした人は数えるほどです。
一日も早くコロナが落ち着くと良いですね。

ところで昨年の3月19日から更新をしていませんでした。(^_^;)
この間にあった事といえば・・・・・
世界中にコロナウイルスが蔓延した事。
この日本でも非常事態宣言が出され小庵「着らく」も密を避けてお休みです。
人との接触を避けていれば収束すると言われ、
真面目にひたすら人との接触を避けていたにも関わらず、
コロナ感染者はうなぎ上りに上昇している現実と2度目の非常事態宣言です。

一言「なぜ?」

この現実に文句の一つも言いたい所をグッと堪えています。(^_^;)

しかし、昨年末に友人が厄介な病気でICUに入っている事を知らされ、
その後の病状すら分からないまま親族でも面会は許されない状況で、
何でこんな時期に倒れたんだとやり切れない気持ちで年を越してしまい、
この時にはじめてコロナの急増に憤りを覚えました。

日本中の人が外ではマスクをしています。
公共の交通機関では100%かも知れません。
それでも感染拡大が止まらない原因は何なんでしょうね。(^_^;)

専門家でも分からない事の多いウイルスに対して、
素人の人達が軽はずみに情報を発信すれば何が起こるのか?
国の方針は二転三転してしまい何が本当か分からなくなる。

この状況で小庵「着らく」を公に開催するのは無理ですよね〜。
何しろ小庵「着らく」はワイワイガヤガヤと人の数だけ密になります。

政府のコロナに対する方針は二転三転としているようですが、
小庵「着らく」の方向は一つです。
今の場所ではワイワイガヤガヤの密は避けられません。
そこで着物好きな人の家庭に着らくを移す事にしました。(*^^)v

昨年の夏から来ている子供達や知り合いに着物を嫁がせています。
しかし20年間に集めた着物と帯が多過ぎる!!!!!!
子供達は旅行カバンを持って遊びに来ています。
そのカバンを一杯にして帰っても着物は減った気がしません。

そこで遊びに来ている子供達の大学にタンスを一杯にして、
運べるだけの着物を寄贈する事にしました。

しかし、コロナの急増で搬入の手続きが!!!!!!
今回の非常事態宣言でまた先が見えなくなりました。(^_^;)

と・・・小庵「着らく」はこんな近況です。(*^_^*)

小庵「着らく」は公には開けていませんが・・・
着物の嫁ぎ先を探して平日でもこっそりと開けています。

ホームステイの環境は着物文化にとって本来の健全な形です。
コロナ禍の今だから家族で「着らく」だと思います。(*^^)v

「着物は洋服よりも簡単に着られます。」

洋服よりも難しいと感じたら、
何で難しいと感じてしまうのか?

「これは日本人として大切な疑問です。」

洋服の着替えを誰かに聞いて、
難しく教える人はいないと思います。

着物の着替えを誰かに聞いて、
難しく教える人に出会ったらおかしいと思います。

小庵「着らく」の空気とは、
四角い風呂敷を体に巻いて紐で留めるだけの衣服!
難しく教えたり、頭で考える理由が分からない環境です。

「着物は家庭で受け継がれた衣服文化です。」

皆さんも難しいと思う前に、
四角い風呂敷を体に巻いて紐で留めて遊んで下さい。
今の季節は洋服の上から巻けば温かい毛布代わりになります。(*^^)v

歩くのに邪魔なほど大きな風呂敷ならたくし上げます。
それが着物をはしょる理由の原点です。

はしょる時は「アー!ズルズルとうっとおしい!」
こんな気持ちで勢いよく長い風呂敷を持ち上げると、
アレレ・・・何で?
難しいと思っていたはしょりの形は簡単にきまるのです。(*^^)v

このブログはこんな当たり前の常識を、
延々と伝え続けて来ただけの内容です。(^_^;)

着物文化は日本中の家庭に受け継がれていた衣服文化です。

小庵「着らく」は場所を選ばず!

いつの時代でも最悪を想定して最善を尽くしても、
世の中の流れは最悪に向かってしまう事もあります。     

それがコロナ禍でも流れた無料着付け教室のテレビCMです。(@_@;)
この大変な時代だからこそ、
無料きもの着替え教室にする価値があったのに、本当に残念です。

あの教室は着物産地や業界の支援で成り立っていると聞きました。
その教室が未だに着替えを着付けだと宣伝してはいけません。

未だに紛らわしい表現にこだわるのはナゼ?
今さら後戻りはできないとしたら・・・
着物業界は最悪の道を辿り続けている気がします。(T_T)

自分で着物に着替える!ヽ(^。^)ノ

自分に着物を着付ける?\(?o?)/!

もういい加減にしてほしい、
日本人として恥ずかしい表現の誤りです。

と、このブログは正しい日本語の表現を、
延々と伝え続けただけの簡単な内容です。

この間違いを正すだけで、
着物は日本人にとって身近な衣服になります。(*^^)v

アッ、個人的な近況として、
百万歩毎に孫にトミカをプレゼントする万歩計の数字は?

先週600万歩になりました!(*^^)v

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歩いた総キロ数は今日で4552キロです。

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1年前に比べると体力は見違えるほどつきました。
体重は一時期15キロ落ちて痩せすぎだと心配され、
今は4キロ程戻して69キロ前後をキープしています。

雨の日以外は夜明け前の街を時速6キロで2時間歩いてます。
今現在までパトカーに職務質問された事はありません。

本音を言えば風の強い日や冷たい朝はサボりたいと、
布団の中で悪魔がささやく時もあります。
しかし、携帯の待ち受け画面の孫が、
「爺ちゃん!サボるのか!」と言われる気がして、
不思議なほど悪魔のささやきに勝ってしまうのです。

「老いては孫に従え!」 これが一番です。(*^_^*)

孫が二十歳になる頃の日本はどんな国になっているでしょう。
個人的には着物文化の最悪は峠を越えたと感じています。
こんな風に考えればこれからの日本は、
すべてが今より先の明るい日本になっていると思います。(#^.^#)

皆さんの10年後は幾つになっていますか?
皆さんの20年後は幾つになっていますか?

私の今から20年後の目標は、
時速6キロで歩く83歳の元気な老人です。

若い人には大きな目標を掲げるだけの時間があります。
その目標に向かって今を大切に生きて下さい。
目標を見失わなければ20年後も今と変わらない笑顔です。

20年後の私も目標を見失わなければ、
時速6キロで歩く自分の姿を見て、今と変わらない笑顔です。!(^^)!

アッ、もう一つ報告がありました!
孫の七五三に娘と旦那さんが着物で参列。
旦那さんには私の着物を胴で縫い上げて丈の調整をしました。
四角い風呂敷を途中で折って直線にザックリと縫い留めれば完成!
皆さんも対丈で着たい時は風呂敷を広げて胴で折り上げアイロンを掛け、
ザックリと縫い留めれば簡単に丈の調整は出来ますよ。

着物はあくまでも四角い風呂敷を体に巻くだけの衣服です。
四角い風呂敷の長さを変えるには直線に折り上げて縫えば良い!(*^^)v
posted by kiraku at 15:00| 愛知 ☀| Comment(0) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年03月19日

日本人はきもの大好き!!!!!!(#^.^#)

今日のタイトルを理解できる人は、
日本に生まれて良かったー!と、心から思える人です。(*^^)v

私が着物文化を伝え始めた2000年頃にこんな話をしました。

チラシを配るならコンビニの前で座っている中高校生!
次にオカマバーで働いている女性達????

皆さんにこの意味が分かりますか?

そうです!
着物店の人達が敬遠して、着物教室には通えない人達です。
これは私の個人的な理想であって現実的ではありませんでした。(^^ゞ

当時は着物に関わると高額な着物や帯を買わされる恐怖が一般的な常識であって、
中高生の子供達にチラシを渡しても、親が見れば絶対に許しません。
20年前は中高生が着物を着てお出掛けする環境など無かったのです。

アッ、私はお酒を飲まないのでオカマバーで働く人達とは、
残念ながら出会う機会はありませんでした。^^;

あれから今年で20年です。
時代は変わりIKKOさんのように男性が女性の着物を着て、
テレビに出ている姿にも何の違和感も無くなりましたね。(#^.^#)

還暦を過ぎてこの20年間を振り返る時に、
20年前の記憶が今も鮮明に思い出される事に驚いています。

遊びに来ている子共達に20年前の思い出を聞いても赤ちゃんです。
ある年齢からの記憶とは、鮮明な思い出として心に刻まれ、
忘れたい事も含めて、幾つになっても昨日の事のように蘇ります。

友達をいじめれば、その記憶はお互いの心に刻まれてしまいます。
20年後に振り返った時に、心から笑いあえる今を過ごして下さいね。(*^^)v

小庵「着らく」にある着物と帯には、沢山の思い出が残されている物もあります。
世間の人はシミや破れのある着物をゴミのように扱いますが、
着物に伝えられた温もりを知っている子供達は、そのシミや破れを思い出と言います。

ある日の小庵「着らく」

「おはようございます」

男子君は初めての友達相手に着せ付けの練習!

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自分の着せ付けた着物姿を写真に写して自画自賛?
点数は? 着せられた本人が納得すれば100点満点!(^_^;)

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2人での記念写真は楽しい思い出になります。

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お母さんと一緒にお着替え!
さてどちらがお母さんでしょうか?

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DNAが一緒だと選ぶ着物も似ているような・・・

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娘さんの帯はお母さんが結び、お母さんの帯は娘さんが結ぶ。
着物を通して交わされる親子の会話は、友達同士よりも賑やかでしたよ。

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こんな風に親子で着物に着替える姿には笑顔しかありません。
日本中の家庭で見られた、着物を通して受け継がれた温もりです。

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この日の小庵「着らく」はいつも通りワイワイガヤガヤでも、

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コロナウイルスの余波で部活も休止。
「師匠〜、茶道の練習がしたいです〜」
「ゲッ、ここでそれを言うのか?」
「お願いします〜」

40年ぶりに陽の目を見た我が家の茶道具!

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「何でかな〜」と私がブツブツ言いながら出した茶道具の前で、
お点前の練習をしていた子からこんな言葉が、
「師匠、道具も出してもらって喜んでいますよ」と逆に諭されました。(^_^;)

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他の子共達はいつも通りワイワイガヤガヤ!

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着替え終わったら「ハイ、パチリ!」

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この子は新たな挑戦をしていました。

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自分で結んだ半巾帯の形を・・・

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袋帯で再現して遊んでいました。(*^_^*)

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着物を洋服感覚で着替えるのは日本人の常識!

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この空気は特別なものではありません。
日本人なら当たり前の常識だった事を忘れてはいけません。

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子供達が帰った後には、
笑顔の数だけ着替えた着物と帯の山が残されます。(*^^)v

誰一人として、着物に着替えながら悩まない。

その理由は?
洋服に着替える時に頭を使い道具で悩む、
そんな日本人はいないからです。(#^.^#)

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posted by kiraku at 11:26| 愛知 ☀| Comment(2) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年03月14日

きもの文化を伝えるのは、大層な資格よりも思いやりの心!(*^_^*)

今日のタイトルも小庵「着らく」の空気そのままですね。

先月から個人的にやたらとバタバタとした小庵「着らく」です。
アッ、これは私の事で遊びに来ている子供達はいつも通りのマイペースです。(^^ゞ

「おはようございます。」

大勢で来ても2人で来ても、小庵「着らく」の空気は変わりません。
きもの文化の正しい伝え方は、人として当たり前の事をすれば良いのです。

「日本人にとって着物は着れて当たり前の衣服!
 着物に着替えられない友達がいれば手を貸してあげる!」

「パジャマに着替えられない友達がいれば、
 周りの友達は自然な形で手を貸すのは当たり前です。」(#^.^#)

始めて大きな風呂敷を体に巻きつける子は、丈を短く巻くのは正解なんですよ。
最初から丈の長さを気にしなくても、着なれてしまえば自然に丈は調整できます。

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「皆さんにこの意味が分かりますか?」

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丈の長さよりも腰紐でしっかりと留まっている事を意識した方が良いのです。

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丈の短さは腰紐がしっかりと仕事をしている証拠になるのです。(*^^)v

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腰紐の位置と仕事を理解すれば丈を長くしても大丈夫!

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長めに巻いてもズルズルと落ちる事はありません。(*^^)v

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着物は大きな風呂敷を体に巻いて紐で留めるだけの衣服です。
大切なのは丈の長さよりも、腰紐の位置と留め方を知る事が大切です。

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そのコツは何度か巻いていれば、自分にあったやり方で自然に身に付くものです。

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衣服の着替えに頭や道具は使わない!

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衣服の着替えは自然に体が覚えるものです。
着物は四角い大きな風呂敷を体に巻いて一本の紐で留めるだけの衣服です。

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頭で覚える手順も無ければ、
大きな風呂敷の巻き方に決まり事などありません。

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何で?
大きな風呂敷の巻き方に、手順や決まり事など必要ないからです。

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自分には大き過ぎる風呂敷を巻けば余った布はシワになります。
自分の体にあった風呂敷を巻けばシワを作る方が難しくなります。

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現代ハレ着は大き過ぎる風呂敷に仕立ててあります。
昔の着物はハレ着でも体に合せて仕立ててあります。

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「何で昔の着物は着やすいの?」

それは昔の着物は現代ハレ着のようなタンスの置き物ではなく、
日々の生活に根付いた衣服としての着やすさと着心地を大切にしたからです。

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着る物とは着やすさと着心地が大切です。

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衣服として考えれば当たり前の事ですね。(*^_^*)

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戦前の銘仙着物は着付け道具を嫌います。
理由は簡単!
そんな小道具を使わなくても着られるからです。

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と・・・言うよりも、
使うと邪魔になるだけなのです。(^^ゞ

遊びに来ている子供達はその意味を理解して着替えています。

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「皆さんにこの意味が分かりますか?」

もしも、この手本通りに着替えなさいと言われたら・・・

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平成生まれの子供達を笑顔にしているこの着物は、
言われた手順で手本通りに着るわずらわしさ以前に、

「手本通りに着るには裄が足りない!」 

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「手本通りに着るには丈が足りない!」 

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「手順通りに着るには身八ッ口に手が入らない!」

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こんな理不尽な理由から捨てられた着物も沢山あるのです。(T_T)

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着物は大きな風呂敷で体を包む衣服です。

「皆さんにこの意味が分かりますか?」

着物はどんな体型でも包めるサイズの風呂敷!!!(*^^)v

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しかし・・・
包んだ最後の形をセンチの単位で手本通りにしなさいと言われたら、
受け継がれた着やすいサイズの着物は捨てられてしまうのです。(T_T)

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タンスの着物を捨てさせて大儲けをしたお着替え詐欺師の皆さんも、
その捨てられた着物が平成生まれの若い人を笑顔にしている事を知らない!(*^^)v

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大きな風呂敷で日本人の体を優しく包んでいた着物文化に、
体を包んだ形を手本通りにセンチの単位で同じにしなさいと言われたら・・・

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良識のある大人なら即答で、

「そんな事は無理!無理!無理!」と、
それは冗談かと笑いながら答えます。(#^.^#)

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それが百年前に戻った小庵「着らく」の空気です。

少しおしゃれに粋な感じに着替えても、

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近所のお出掛け風に着替えても、
着やすさと着心地は変わりません。

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「皆さんにこの意味が分かりますか?」

どちらも同じ形をした着物だからです。(*^^)v

今年の一年生は育つスピードが速すぎる!!!!!!
先日はオレンジ名札になった子がお母さんと一緒に来ていました。

小庵「着らく」では子から親に伝えられる着物文化になっています。(^^ゞ

親子で着物に着替える姿は微笑ましく、お母さんにこんな話をしました。

お母さんが若い頃から着替えを知っていたら、
浴衣の季節になって娘さんの帯を結ぶのが楽しみだったかも知れませんね。

次は娘さんと二人でお孫さんの帯を結んでいる姿を思い浮かべます。(*^_^*)

とある着物買取業者がテレビCMで、五年着ない着物は・・・

エッ、この業者は日本人の着物時間は百年だと知らない?
何のために百年分の当て布をぶら下げて来たのか?

着物に関してテレビから流れる情報は、
100%の確立でガッカリさせられます。
posted by kiraku at 13:27| 愛知 ☔| Comment(0) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年02月28日

若い人に伝えたい楽しいきもの文化。(#^.^#)

今日のタイトルは小庵「着らく」の空気そのままです。(*^^)v

ある日の小庵「着らく」

「おはようございます。」

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いつものように奥で休んでから適当に着替えだす。

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着なれない子も着なれた子と着替えていれば、
自然に着なれた着こなしになって行きます。

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ワイワイ、ガヤガヤの内容を文章にすると、
「その帯カワイイー!!!私が結んでも良いですか?」
「ありがとう!」
「この着物ならお太鼓か鬼?」
「お太鼓かな〜」
「ハイ」

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全員が着替え終わったら「師匠!お願いします。」「ハイ、パチリ」

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着物も帯も・・・
手順と形を決められたら、
絶対に楽しくは着られない。

「子供達はその理由をよく理解しています。」

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手にした着物と帯には、
同じ着心地と着やすさはありません。

「その違いが楽しい会話に繋がるのです。」

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「師匠!この着物好きです。」

「その着物も、この子大好き!と言っていますよ。」(*^_^*)

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帯を手にして雑談中?思案中?

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結ぶ形のイメージが決まらなかったようです。(^_^;)
決まればサッサと結んで「ハイ、パチリ!」

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半巾帯は人と同じ形に結ぶのは不可能です。

「子供達はその理由をよく理解して遊んでいます。」

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半巾帯でお茶会に行けたら・・・

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着物姿だけで大盛り上がりですね。(#^.^#)
アッ、右端の子は着替えた着物を脱いで次の着物を選んでいます。(^^ゞ

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着なれて行く過程は後姿で分かります。

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この子の結んでいる半巾帯は青森のお祖母ちゃんが、
この子の為に仕立ててくれた愛情のこもった半巾帯です。

お正月に青森のお祖母ちゃんと楽しそうに、
着物の話をしていた光景が目に浮かぶ着物姿ですね。(#^.^#)

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着物の着替えとは、
いろんな時代の着物や帯に触れる事です。

教材として買わされた一枚の着物と帯では、
ほんとうの着物の楽しさは何も理解できないのです。

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着物の着替えとは、
時代の違う着物や帯との会話です。

「振袖の飾り結びは半巾帯の創意工夫が基本です。」

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裾に綿の入った着物を手にしたら引きずり!

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引きずりにしたら帯はダラリ!
こんな遊びから昔の着こなしを知るのです。

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「着替え終わったら自分で畳む!」

こんな事を繰り返して遊んでいれば、
着物の畳み方は一生忘れないのが普通です。(*^^)v

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友達の背中に気になるシワがあれば直してあげる!
すると自分の背中のシワも簡単に直せるようになるのです。

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全員が着替え終わったら「ハイ、パチリ!」

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着替えた回数が増えた分だけ、
自然に着物姿も落ち着いて来ます。

「着なれた形の作り方は頭で考えている内は無理!」

「手が自然に動くようになると、
 驚くほどに着なれた着物姿になります。」

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アッ、これは私が結んだ半巾帯です。
二度と同じ形には結べません。(^_^;)

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着物と帯は時代を合せると落ち着きます。

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時代着物には半巾帯が似合います。

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前から見ると袋帯も名古屋帯も半巾帯も同じ!

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後から見ると半巾帯の楽しさは・・・
見た目と結ぶ楽しさは、どの帯よりも無敵です。(*^^)v

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着物から洋服に着替えても、洋服から着物に着替えても、
なんの違和感も感じないのが小庵「着らく」の空気です。

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「エッ、もう着替えたの?」

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「帯は途中でいいから一緒に並びなさい。」

「え〜・・・・」  「ハイ、パチリ!」

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結び目を横にするのもファッションです。

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「アッ、後姿に帯結びが写りません!」 「ハイ、パチリ!」(^_^;)

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普通に着替えている子供達は知らなくて良い事ですが、
昭和の着物教室は補正を入れて体をドラム缶にしていたのです。
他人から言われて体型補整をするような着替えはありません。

「着物に着替える時はスリムな体型をドラム缶にしなさい!」

平成生まれの若い人には信じられない話ですね。(^_^;)

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それを着替えの決まり事のように強要したのですから、
着心地もへったくれも関係のない衣服に化けたのです。(^_^;)

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着物は衣服の常識で着替えれば、
誰が着ても楽で楽しい衣服なんですよ。

「子供達は着心地と着やすさを知っているのです」

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こんなに楽しいきもの文化をお母さん世代は知らないのです。
アッ、子供達の笑顔を見ていると言わなくて良い事を言ってしまいます。(^_^;)

「昭和の着物文化は詐欺師の醜い心だけを、
 そのまま形にした世界だったと気付きます。」

子供達は背を向けて、見てはいけない世界です。

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この着物はこの子の曾曾御祖母さんの時代です。
それでも平成生まれの子孫を笑顔にしています。

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古い着物を手にすると、
着物本来の着やすさと着心地を教えてくれます。

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この日は男子君オレンジ名札記念日!(*^_^*)

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オレンジ名札になる頃には誰でも粋に着こなしています。

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衣服の着替えとは・・・
いろんな着物に着替えた回数でしか上達しない!

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これだけは文章では伝え切れない空気です。

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最近は毎回裏の倉庫から着物を出して入れ替えています。
理由は簡単!
子供達の着替える回数が増えているからです。(^_^;)

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小庵「着らく」の自慢は、
過去に同じ着物を着ている子は一人もいないのです。(*^^)v

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着物の形は同じでも、
時代によって着やすさと着心地はまったく違います。

「この子達はその違いを理解して着替えているのです。」

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その違いを知ると着替え方も変わります。
これも文章では伝え切れない感覚的な話です。

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ウール着物は着やすい!
古い銘仙は生地が裂けるから力加減に注意!
時代着物は糸が解れだしたら扱いに注意!
現代ハレ着は少々乱暴に扱っても大丈夫!

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この感覚もいろんな着物に触れていれば自然に分かります。

「オイ、振り袖を出しておいたぞ〜」

「ワーイ!誰かに着せ付けたい!!!!」

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後輩に着せ付けていました。(*^_^*)

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「着替えの出来る子は、着せ付けも出来る。」

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着替えの出来ない人に、他人の体に着せ付けは出来ない!
着替えの出来ない人に、自分の体に着付け道具は無理!

「着替えを知らない人に、
 無理難題を言えばお金になる!」

「それがお着替え詐欺師の創り出した、
 お金だけが掛かる昭和のきもの文化でした。」

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この2人はまだオレンジ名札になっていない一年生です。
それでも着替えは出来るのです。

「皆さんにこの意味が分かりますか?」

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帯を選んだのも本人のセンスです。
写真を撮っている子は飾り結びを結んだ本人です。
自分の作品も楽しい思い出になりますね。(*^_^*)

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2人ともセンスが良い!
髪に簪と髪飾りを差したのは誰のセンス?
アッ、このセンスの無さは・・・私でした!(^_^;)

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飾り結びに帯簪! 
これを差したのは作者本人です。
「小人図鑑の帯簪は懐かしいですね。」(#^.^#)
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この半巾帯にも帯簪!
「分かりますか?」

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この子の選んだ帯簪ではありません。
これは私がコッソリと差した帯簪です。(^_^;)

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この日は珍しく先輩達の方が先に洋服にお着替え!

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振り袖姿で何をしているのか?

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友達の帯を手伝っていました。
2人揃って「ハイ、パチリ!」

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最後の「ハイ、パチリ!」

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若い人は洋服を着替えるように着物に着替えれば良いのです。
お母さん世代は「着物だから」「着物だから」「着物だから」
この言葉に惑わされて着替える事を諦めたのです。

洋服よりも着やすく、洋服よりも着心地の良い衣服。

難しいと感じた時点で「何かおかしい!」

苦しいと感じた時点で「何かおかしい!」

小庵「着らく」の20年間は、
「何かおかしい!」の謎解きでした。

すべての謎を平成生まれの子供達は、
着物に触れる笑顔で解いてくれました。

今でも着替えを着付けだと教えている教室があれば、
「何かおかしい!」と思わないまま騙され続けて教えているのか、
悪意を持って生徒さんを騙そうとしている教室なのか?

「着替えを着付けと教えている時点で、
 その場所には近付かない事が賢明です。」

「これは詐欺大国に育った、
 令和の日本を生きる常識です。」(*^^)v



posted by kiraku at 12:43| 愛知 ☀| Comment(0) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年02月19日

若い人はきものの着替えに悩まない!お直しオバサン誕生悲話!(*^_^*)

今日のタイトルは若い人に伝えたい事です。

「着物は誰でも簡単に着られます。」

なぜなら、
着物は日本人の衣服として日本中の人が、
平安時代から誰でも普通に着替えていたのです。


ある日の小庵「着らく」

「おはようございます!」

と、そのまま奥の秘密基地でちゃぶ台を囲みオヤツを食べながら雑談!
その内に奥から出て来て着替えだすのです。

「ワイワイ、ガヤガヤ」

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全員が着替え終わったら写真に残して、

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また新しい着物を選んでワイワイガヤガヤとお着替えです。

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私はこの時は2階で食後のデザートに間に合うように出産祝いのケーキ作り!
全員が着替え終わったら太鼓で呼ばれて「師匠、写真をお願いします。」

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着なれていない一年生の子供達は、
先ずは世間に合せる為にお太鼓の手順を練習していました。

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本人不在の出産祝いのチーズケーキが出来たので記念写真!(#^.^#)

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そのままタスキを掛けて奥の秘密基地でオヤツタイム!(*^^)v

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オヤツタイムが終わればお着替えタイム!

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アッ、着替える子もいれば、奥でそのまま雑談を続ける子もいます。
要するに小庵「着らく」は着物に着替えながら自由に過ごす場所なのです。

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着替えたい子は着替えれば良いし、
着替えよりも楽しい話があれば雑談も良いのです。
着物姿でこんな風に過ごしている子供達は、
着物を着ている事を意識しない自然な着こなしになるのです。

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それでも着替える時は全員が、
手にした着物と帯を見ながら着替えています。

「皆さんにこの意味が分かりますか?」

衣服の着替えをするのに、
手本を見たり、着付け道具を使ったり、
人から言われた通りの手順で着替える事はしない!

「普通の着替えとは、手にした衣服を見ながら、
 その衣服の着心地と着やすさを感じながら着替える」
 
「洋服と同じ感覚で着替えれば良いのです。」(#^.^#)


ある日の小庵「着らく」

オレンジ名札の2年生と一年生でした。
着なれている子も着なれない子も着替える空気は同じです。

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手を止めて困っている友達がいれば、誰かが自然な形で助けています。

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背中で結ぶ帯は、人の背中に結ぶから楽しい!

背中で結ぶ帯は、自分で結ぶのは苦しいだけ!

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お互いに助け合うとは、
お互いが自然な形で学ぶ事になるのです。

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手本の無い着物姿とは、
手にした着物と帯に合せた着こなしになるのです。

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友達の背中に袋帯の飾り結びを結んで遊んでいた子がいます。
結ばれた本人は完成した帯を鏡で見て「エー、凄い!!!」

着付け師ゴッコの帯結びでも、
友達を笑顔にして感動させられる楽しさがあります。

「女性の帯は一番楽しい遊び道具!」

子供達はその意味をよく理解していると思います。

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「自分で着物を着るのは着替えです。」

着替えに手本はありません。
着替えに着付け道具は使いません。
着替えに教えられる手順はありません。
着替えた着物姿を審査する大人は必要ないのです。

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それが自分で衣服に着替える常識だからです。

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子供達は一日中着替えていても飽きないのです。
こんなに楽しい衣服は世界中探しても、
おそらく日本の着物だけかも知れません。

昭和の着物教室を経験した人達は、
たった一つの着物姿と、
訳の分からない決まり事を教えられ、
着替える手順と着付け道具まで決められて、
ただひたすら同じ形になるように着替えさせられ、
最後に着替えた着物姿をジロジロと審査されたのです。

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「人の着替えた着物姿を審査する神経を疑います。
 この行為が日本のお直しオバサンを育てたのです。」

平成生まれの若い人達は普通に着替えて下さい。
着物の楽しさとは、
日本人が千二百年も飽きずに着続けた衣服なのです。

着物は体型に関係なく着られるように、
小幅の布を繋ぎ合せた大きな風呂敷です。

大柄な人は衿を広げて裄を出す!
小柄な人は丈をはしょって着る!

大きな風呂敷の意味を知って着替えれば、
手にした着物は体を優しく包んでくれます。(*^^)v


ここから徒然日記。

娘から誕生日プレゼントで貰った万歩計をきっかけに、
ウォーキングを始めて今日で88日目になりました。

累計歩数は132万歩・累計距離は926キロ・累計歩行時間は190時間

100万歩毎に孫にプレゼントを買うと決めて、
孫におもちゃを買う理由を勝手に作りました。(爺さんの悪知恵!)(#^.^#)

前回のプレゼントはミニカのキャリヤーカーにしました。
先週の金曜日に孫が遊びに来て真っ先に見つけてくれましたよ。(*^^)v

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爺さんは孫におもちゃを買いたい一心でひたすら歩く!

次は200万歩のプレゼントを考えながら歩いています。
最近は片道5キロ圏内はすべて歩きになり、
休日なら片道10キロ圏内は歩いて移動しています。

平日のウォーキングは名古屋城までと決めているのですが、
「着らく」の無い休日は行く先を決めないで歩く事もあり、
個人的にはウォーキングと言うよりも徘徊かも知れません。

アッ、後2年もすると孫にも知恵がつき、
風邪にでもなって歩けないと私の体の心配よりも、
歩かない私の姿にガッカリされるかも知れません。(^_^;)

そんな姿を思い浮かべながら孫の元気な成長を願うのです。(#^.^#)
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2020年02月15日

きものに着替える楽しさを伝えるには・・・どうすれば良いの?(^_^;)

この更新をする前に何度か更新画面を開き、
何度も書いては読み返して消し、書いては消しを繰り返し、
同じ事を伝え続けても伝わらない人には伝わらないと思いながら、
何でこんなに分かりやすい詐欺行為が40年以上も正せないのか・・・・・

伝え続けながら不思議だと思うのは、
詐欺師の考え出したおかしな着替え方を強要して、
令和の現代でも何か良いことがあるのでしょうか?

詐欺の手口がばれてしまった令和の時代に続けても・・・
着物に関わる人達はお客さんが離れるだけで何のメリットも無い!
教えるプロと言われる人達は信用を無くすだけで何のメリットも無い!

着物を大層で難しい衣服にしても、
受け継がれた着物は着られない衣服に化けて捨てられる!
着られないまま捨てられた着物は本来の価値を失い、
その捨てられた着物や帯の姿を目にしている人達に、
新たに高価な着物や帯を勧めても誰が買うのでしょうか?

着物教室は着替えを着付けだと教える意味はありません。
どんなに生徒さんが減り続けても本当の理由が分からない?

着物好きな日本女性を40年以上も苦しめた背中の帯を、
未だに自分で結ばせようとするのはなぜ何でしょうか?

「背中のお太鼓は着付け師の結んだ形です。」

昭和の一時期に日本中の人が騙されて、
国を動かすほどに大きなお金が動いた、
そんな時代がまた来ると信じているのでしょうか?

しかし、騙されたお祖母さん世代の人達は高齢になり年金生活です。
親の苦労を見て育ったお母さん世代は完全な着物離れ世代になり、
その子供である平成生まれの若い人達は着物にはまったく興味が無い!

昭和のお着替え詐欺師の残した偉大な功績は、
親子三世代で着物に着替えられない、
そんな日本の着物文化を創り上げた事です。

着物を扱うプロの皆さんは令和も詐欺師の創り上げた着物文化を継承しますか?
着物を教える先生達も詐欺師の創り上げた昭和の着物文化を継承しますか?

詐欺師の教えを守り玉砕するのは構いませんが、
せめて間違った事をやっている罪の意識だけは忘れずに、
できれば若い人達の目の届かない所でコソコソとお願いします。(#^.^#)

ある日の小庵「着らく」

今の小庵「着らく」は普通に着物に着替えていた百年前の空気です。
初めての子でも当たり前のように友達の帯を手伝い、

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初めての子が棚から選んだ着物がたまたま振り袖でも、
周りで着替える友達を見ながら当たり前のように着替えます。
4〜5回目の子になると着こなしの世界でテーマを作り遊びたくなる。
明治の女学生とお嬢様を守る用心棒?(^_^;)

「こんな遊びから、袴の着け方と角帯は覚えてしまいます。」(*^^)v

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着物姿を写真に残したらすぐに次の着物に着替えます。
アッ、見えない背中のシワと帯結びは友達が手を貸してくれます。
その姿を見ているだけでシワの始末と帯結びは自然に覚えてしまうのです。

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男子君の着物姿も着物に触れているだけで自然な着こなしになっています。

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着替えたら写真に残して次の着物を棚から選び、

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直ぐに次の着物に着替えています。

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全員着替え終わったら揃って写真に残し、
着なれていない子はグダグダのヨレヨレでも気にしない、

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次の着物を棚から選びお着替え!お着替え!
着なれてくれば着こなしの世界で形を作り上げて行きます。

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教える人もいなければ、着替えを習う気持ちも無い!

「皆さんにこの意味が分かりますか?」

この子達は手にした着物や帯と向き合いながら、
自分達の工夫で楽しく着替え着こなしているのです。

「皆さんは洋服に着替えている最中に、
 あーだこうだと話しかけられたら、
 何を言われても鬱陶しいだけだと思いませんか?」

着替えの空気とは・・・そんな常識の中で育ちます。

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笑顔で好き勝手な話をしながら着替えても、
着物は四角い風呂敷を体に巻いて、
たった一本の腰紐で留めるだけの衣服です。

「皆さんにこの意味が分かりますか?」

「この子達は頭と道具を使わずに、
 洋服を着替えるように着物に着替えているのです。」

「ハイ、チーズ!」(#^.^#)

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着物姿を写真に残したら次の着物!

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着替え終わったら着物姿を写真に残して、

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次の着物を選びます。
棚に積まれた小庵「着らく」の着物と帯は、
タンスに受け継がれた百年の歴史が詰まっています。

「皆さんにこの意味が分かりますか?」

おかしな手本を示さなければ、
タンスの着物に着られないサイズは無いのです。

着物はどんなサイズの体でも包めるように、
小幅の布を繋いで大きな風呂敷の形にした衣服です。

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この日はいつも半巾帯で結んでいた飾り結びの形を、
マツコに袋帯の飾り結びで再現して遊んでいた子がいます。

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一番楽しいのはやはり半巾帯ですね。

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楽しい着替えは伝え方も、
子供達の個性と工夫で人それぞれです。

この子は自分の背中に角出しを結んでもらうのに、
自分がマツコに角出しを結び手順を教えながら、
友達には自分の背中に角出しを結んでもらってました。
おさらいを兼ねた一石二鳥の伝え方!!!ヽ(^。^)ノ

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小庵「着らく」から嬉しいお知らせです。

金文字名札のエ〇コ先輩が2月6日、無事に男の子を出産しました!
「おめでとうございます!」ヽ(^。^)ノ
明日の小庵「着らく」は後輩達と本人不在の出産祝いをする予定です。(*^^)v

アッ、明後日の小庵「着らく」は20回目のお祝いがありましたね。
最近の小庵「着らく」は盆と正月が毎回来ているような????(^_^;)

新しい命の誕生や子供達が育つ姿を身近に見守れる事は何よりの幸せです。

ある日の小庵「着らく」

誰一人!私の方を見てくれない!!!!!
アッ、私はミシンを使い衣紋抜きを作りながら、
子供達が手を止めて困っていないかを見守るだけです。(*^_^*)

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子供達が私に声を掛けてくれる時はいつも同じ!

「師匠、写真を撮って下さい!」

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全員着なれていない一年生です。
それでもそれなりに着替えられるのはなぜ?
それは日本人にとって着物は洋服よりも歴史のある!

「日本人の衣服だからです。」(*^^)v

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帯枕を外すだけで着物姿は楽になります。
戦後の着物教室だけが帯枕のお太鼓に執着した理由を、
着物教室で教えている先生方は知っていますか?

「その理由を知れば必ずお太鼓嫌いになります。」

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私が2階に居ても大太鼓を叩いて呼ぶのです。
そして一言。
「師匠、写真をお願いします。」(^_^;)

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大人は子供達に非常識な着物姿を強要してはいけません。
子供達は非常識の意味を知って付き合うしかないのです。

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意味を知って世間に合せるから・・・楽しい!
意味を知らずに世間に合せると・・・苦しい!


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ここまで着替えの空気が育つと・・・
昭和の着物教室での光景はコントに思えます。

日本人が着物を普通に着替えて、
誰か損をする人がいるのでしょうか?

着物業界に右肩下がりはありません。
着物に関わる人達に20年以上も伝え続けた言葉です。

着物教室は着物文化の常識を教える場です。
着物を教えている皆さんには今も伝えている言葉です。

日本人が着物を普通に着替えるのは当たり前です。

誰が普通に着替えてはダメだと教えたのですか?

今でもその教えを守る意味がありますか?

着替えを着付けだと教えれば人が集まりますか?

背中の帯は自分では結べない着付け師の帯だと、
着替えも出来ない生徒さんには教えていますか?

間違いを正すだけでも生徒さんには立派な先生です。

「間違いを認める勇気より、
 人を騙す罪の方が重いのです。」


「令和の着物文化に、
 着替えを着付けと教えた詐欺師の嘘だけは、
 何があっても持ちこんではいけません。」


「世界中から陰で笑われた着物文化を、
 何があっても令和に持ち込んではいけません。」


「普通に着替えるだけで誰でも笑顔になれる!
 それが日本人の温もりを伝え続けた着物です。」

「日本人がきものに着替えるのは、
 頭や道具を使わなければ洋服よりも簡単!」

動画で背中の帯を自分で結ぶ姿はダサイ!
友達に結んでもらう姿なら微笑ましい!!!

空気が育つと皆さんもこんな気持ちになりますよ。(*^^)v

「本当は・・・
 普通に着替えれば洋服よりも簡単で楽しい!」

「こんな常識が伝わらないのは何故なんでしょうか?」

「昭和の着物教室に執着する人達にとっては、
 カルト的な文化になっているのかも知れませんね。」
posted by kiraku at 17:18| 愛知 ☁| Comment(0) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年01月30日

日本人がきものに着替えられなくなった理由!少し長めの更新です。(*^^)v

今日のタイトルは着物好きな若い人なら、
おそらく誰でも気付いていると思います。

お母さんやお祖母さん世代の人達も気付いてくれると、
着物を通して親子三代で楽しい会話が生まれると思います。(#^.^#)

日本人にとって着物は洋服よりも遙かに付き合いの長い衣服です。
その歴史を考えれば、
洋服の着替え方を知らない日本人がいても、
着物に着替えられない日本人はいないのです。

「平安時代から衣服として着替えていた着物を、
 何で戦後の日本人は着替えられなくなったのか?」

「着物に関わる人達はこの異常な現実を、
 着物を扱うプロとして考えた事がありますか?」

今でも70代の人と着物の話をすると着替えを着付けと言われます。
そして必ず「私は着付けは習ったけど忘れたから着られない」と言うのです。

着付けは衣裳の着せ付けをするプロの仕事です。
その着付け道具を使わせ自分の体に着せ付けるような、
そんな着付けの技術は最初からこの日本には無かったのです。

明治の文献に着付け教室はありますか?
戦前の教科書に着物教室はありますか?

江戸時代〜平安時代までさかのぼっても、
着替えを着付けだと教え誰が見ても奇々怪々な、
そんな着替え方を強要した時代はないのです。

本来の着付けは自分では着られない衣装の形を、
人に着せ付ける着付け師の人達に受け継がれた技術です。

着替えも知らない人を相手にその着せ付け道具を使わせ、
頭を使いながら自分の体に着せ付けなさいと強要したら、
これはもう完全なイジメか罰ゲームの世界だと分かります。

皆さんは洋服の着替えに頭や道具を使いながら着替えていますか?
なんで着物の着替えは頭や道具を使いながら着替えるのでしょうか?

「頭や道具を使いながら着替える衣服はありません。」

令和の日本では、
着替えを着付けと教えた詐欺師の嘘だけは、
何があっても若い人達に伝えてはいけません。

たったこれだけで着物文化は明るくなります。
日本人として着物に着替えられないのはおかしい!
こんな当たり前の常識と空気は自然に育ちます。

40年以上もこれほど公けな詐欺行為が続けば、
騙された事に気付かないで教えている先生も大勢います。
本当の被害者はお金を払い資格を手にして教えている先生達なのです。

それでも自分の教えられた事の間違いに気付くだけで、
習っても忘れるような着替え方にも工夫は生まれます。

たった一つの手本を真似る事よりも、
無限にある着物姿の一つだと教えられます。(*^^)v

「もう昭和の着物教室は過去の話です。」

「何で日本人は着物に着替えられなくなったの?」

「それは習っても忘れるような着替え方を、
着物教室の看板を掲げて教えたからです。」

その教え方が広まった理由はただ一つ。
国がその詐欺行為を公に認めたからです。

一般常識があれば明らかに詐欺だと分かる行為に対して、
国が学校法人の認可を与え、大臣が表彰状を贈ったとしたら、
40年後には立派な詐欺大国に育つのは自然な流れです。(T_T)

アッ、これも遠い過去になった昭和の話です。
今は教える内容も変わっていると思います。^_^;


おかしな現実も過去の流れから意味を知れば、
未来を明るくするには今が大切だと誰でも気付きます。

令和の現代でも着替えを着付けだと教えられますか?
令和の現代でも生徒さんを舞台に立たせ着替えさせますか?
令和の現代でも踊りながら着替える姿を着付けの舞だと言えますか?

あの奇々怪々な着物文化は日本国内では通用しても、
世界中から陰で笑われていた事を忘れてはいけません。

日本からの留学生に着物について聞いても何も知らない!
着物は着られない!着た経験も無い!
外国の友達から浴衣の着方を聞かれても教えられない!

これはまだ子供の世界での話です。

いい大人が日本文化の紹介と称して世界中を回り、
着物に着替える日本女性の姿を各国の表舞台で、
恥じらう事無く堂々と披露したのは日本の着物だけかも知れません。

「皆さんが30年前に世界の舞台で披露したのは、
 着付けでも日本文化でもなく、ただの生着替えです。」

昭和の着物教室で行われた罰ゲーム的な着替え方は、
平成生まれの若い人達は知らなくて良いのです。

小庵「着らく」では次の20年後も、
温もりのある着物姿で育った令和生まれの子供達が、
着心地と着やすさを感じながら笑顔で遊んでいます。
こんな光景を思い浮かべながら生きると楽しいですよ。(*^^)v


少し余談ですが、
最近は子育てに2000万円!老後生活に2000万円!
お金が無くても子供は親の愛情に包まれて育ちます。
お年寄りはお金が無くても寿命が来ればあの世から迎えが来ます。

世の中のおかしな空気を真に受けると、
貧乏人はあの世からの迎えも来なくなる!!!!!!!!!

「すると私は間違いなく長生きです。」ヽ(^。^)ノ

お着替え詐欺でタンスの着物が空になったら、
次はタンスのヘソクリを狙った詐欺の準備でしょうか?

皆さんは奇々怪々な時代の風に惑わされてはいけません。(#^.^#)

令和の日本では、
着替えを着付けと教えた詐欺師の嘘だけは、
何があっても若い人達に伝えてはいけません。

しつこい!うざい!と言われても、
この間違いだけは令和に持ち込んではいけません。

詐欺師の嘘を持ち込まなければ着物文化は直ぐに再生します。

小庵「着らく」では
若い人の考え方や行動を素直に受け止めて私の方が学ぶ事ばかりです。
先人の言葉に「老いては子に従え」最近はこの言葉を大切にしています。

アッ、私と子供達の会話をそのまま紹介すると、
内容はほとんど私がボケ担当の漫才かコントです。(#^.^#)

昨日の小庵「着らく」は名古屋帯でお茶会用の新しい帯結びを完成させたり、
着物や帯の色から食べ物を想像しながら合せる子もいます。(^_^;)

この着物はマスクメロン!合せる帯は夕張メロン!
帯揚げは種色にして帯締めは銀のスプーン!

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こんな会話をしながら着替えていると、
完成した着物姿は美味しそうなメロンにしか見えません。

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日本人にとって着物は楽しい遊びの世界です。

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一番楽しいのは帯結びの自由な発想と工夫です。

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洋服の着替えで一日遊べますか?
着物なら一日着替えていても飽きないのです。

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こんなに楽しく笑顔になれる衣服は他にありますか?

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「なんで日本人はきものに着替えられなくなったの?」

「着物に関わる皆さんは真剣に考える問題です。」

「せめて令和の日本では、
 着替えを着付けと教えた詐欺師の嘘だけは、
 何があっても若い人達に伝えてはいけません。」

「こんな常識なら今日からでも伝えられます。」
 
「自分で着物を着るのは着替えです。
 着物のプロは着替えを着付けとは言いません。」

「着物のプロは着替えを着付けと言わない!
 それは詐欺師の考えた人を騙す為の嘘です!」


子供達に伝えている常識として、
一般の人や学生の子がお茶会に着て行く着物姿は、
皇族の方達と同じような着物姿ではおかしい!
こんな常識をもって世間の非常識に付き合いなさい。

「本当は絹なら紬まで、帯は半巾帯が落ち着きます。」

「これも着物のプロと言われている皆さんが、
 伝えるべき着物姿の一般常識だと思いませんか?」

遊びに来ている子供達は、
その着物姿の楽しさに気付きながら、
意味を知って世間の非常識に合せているのです。

「この日本には子供達の前で胸を張って、
 私は着物のプロと言える人は何人いるのでしょうか?」 

着替え=着付けの言葉を消すのは、
着物に関わるプロと言われる人達の仕事です。

「着替えは逆立ちしても着替えでしかありません。」(#^.^#)


本音を言えば、
令和になってもこんな更新をするとは思いませんでした。
「馬の耳に念仏」この言葉には重い意味を感じます。
世間が気付けばプロの皆さんだけが取り残されます。
それは逆です。
プロが気付いて正す方が本当の形です。
もうカラフルな更新は最後にしたいですね。
と、もう何年も前から思っています。(*^_^*) 
posted by kiraku at 21:20| 愛知 ☀| Comment(0) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年01月21日

きもの業界は人としての恥を知るだけでも成長する。

昨日は楽しい更新をする予定で写真も加工したのですが、
夕方にたまたま無料きもの教室のテレビCMをみてしまい、
着付け教室NO1の文字を見て力が抜けました。

きもの業界の支援を受けている無料きもの教室が、
令和になっても未だに着替えを教えながら着付け教室の看板を掲げる。

着替えを着付けだと教えても無料なら詐欺にはならない!
「確かに・・・」

しかし、何らかの支援を受けて教えている人達は着物のプロです。
プロとは、なにも知らない人達に正しい知識や常識を教える立場にあります。

着付け教室ナンバー1の看板を掲げて着替えを連想させてはいけません。
情けない・・・本当に情けないテレビCMです。

人は過去の間違いを知るだけで成長するものです。

私でも過去の間違いを振り返れば恥ずかしい事ばかりです。
過去の過ちを恥ずかしいと感じる人は二度と同じ過ちは犯さないものです。

ひょっとして着物に関わる皆さんには、
過去を反省する材料が無いのでしょうか?

日本中で四角い風呂敷の巻き方が分からないから着物は着られない!
日本中で一番楽しいハズの帯結びも汗を流して学んでも結べない!
日本中でタンスに受け継がれた着物が捨てられる理由はゴミだから!

日本中の人が平安時代の大昔から、
当たり前のように着替えていた衣服が着物です。

着替えを着付けだと教える事の罪に気付きませんか?

間違いに気付かない人には罪の意識は生まれません。
令和の着物文化にとって最悪なのは昭和と平成の間違いを認めないまま、

「着替えを着付けだと教える事の、
 恥を知らない人達が表舞台に立つ事です。」

私にはあのテレビCMに起用される女優さんが気の毒に見えてしまいます。

ここで少し冷静になって皆さんにお尋ねしたいのですが、
自分で衣服を着ることは着替えです。
自分では着られない大層な衣服は人に着せ付けてもらいます。

毎日のように着替えている洋服ですが、
過去に自分では着替えられないような洋服に出会いましたか?

私は62年の人生で物心がついてから、
洋服を着付けてもらった記憶は一度もありません。
ましてや洋服の着替えをわざわざ習った記憶もありません。

では過去に着物を着せ付けてもらった経験はどうでしょうか?
私は結婚式の時に紋付き袴姿の衣裳を着せ付けてもらいました。
妻も花嫁衣装を着せ付けてもらった経験があります。

着付けを頼むのは一般的に、
自分では着替えられない形を作る衣裳です。

一般の人達が着る物は装束でも衣裳でもありません。
着物は洋服と同じように着替えられる衣服なのです。

ある日の小庵「着らく」

ガラガラとキャリーケースを引きずりながら「おはようございます。」
何が入っているのかと思ったら成人式に着た振り袖一式でした。

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「師匠、前撮りをしなかったので写真が無くて・・・」

バックを開けて何をするのかと思ったら振り袖を出して、
私に成人式の振り袖姿を見せるためにマツコに着せ付けを始めたのです。

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私は意味が分からず唖然!
友達は着替えながら興味津々!

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着替えでは使わない三重紐の使い方を私は聞かれた覚えも無ければ、
教えた覚えも無いのにしっかりと扱いながら着せ付けているのです。

「エッ、なんで自分の振り袖姿を再現できるの?」
「私が最後の着せ付けで前にいた2人の着せ付けを見ていました。」

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たった一度の振り袖姿をこんな風に再現できる子が育ったのか〜
この辺りからその見事な着付けに笑うしかありませんでした。(*^_^*)

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「着付け師さんはこんなに力のいる帯を何人も結んで凄いですよ。」
と解説をしながら帯の形をきれいに再現しているのです。

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後姿と帯の確認をして・・・

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前からの着物姿を確認して・・・「師匠、完成しました!」

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完成した見事な振り袖姿に戸惑いながら、

「ゆかたの着られる子は振り袖も着られる!なぜなら形は同じだから!」

この言葉を素直に受け止めて着替えている子供達にとっては、
振り袖の着付けを経験して難しいと感じたのは背中の帯結びだけだった様です。

素直な気持ちで着物に触れている子供達を相手にしていると、
私自身が昔の忌まわしい常識に縛られている事に嫌でも気付かされます。

その後の成人式にまつわる同級生との会話です。

「私は襦袢の伊達締めが苦しくて大変だった。」

「今度は私が道具を使わずに着せ付けてあげるよ。」

「エッ、ほんとに、ありがとう!」

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きものは楽しい!

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一番左の子の帯結びは自己流だから教えられない帯結び!

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普通に着替えれば誰でも楽しい衣服です。

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手にした着物に合せるから着こなしになるのです。

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世間に合せるタレ物のお太鼓姿も、
無限にある着物姿の一つでしかありません。

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若い人達にとっての着物文化とは、
ワイワイガヤガヤと好き勝手に着替えられる環境が一番です。

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この着物はこんな風に着こなしたい!
この着物にはこんな帯をこんな風に結びたい!

「すべてが着ている本人の意思です。」

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男子君はお祖父さんの着物を受け継いで来ました!

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着物姿とは・・・
着ている人の個性を着こなしで表現する衣服です。

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衣服は着る形を決められた時点で制服や礼服になるのです。
質素倹約と思いやりの心を受け継いだ着物文化には、
受け継がれた着物や帯に合わせる着方は存在しても、
手本に合せて着替えるような理不尽な文化は存在してはいけない!

今でもシワなくこの形で着ないと駄目ですか?
これは昭和の詐欺師が考え出した一番厄介な手本です。

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と・・若い人は気付いて遊べば良いのです。(*^^)v


令和になって新春のテレビCMに、
着付け教室ナンバー1の看板を掲げたのは、
取り返しのつかない汚点だと気付きませんか?

きもの着替え教室ナンバー1ではダメでしたか?

きもの業界の無知と恥を、
わざわざテレビでさらす意味が分かりません。

着付けの嘘を本来の着替えに戻すだけで、
着物人口がどれほど増えるのか、まだ分かりませんか?????

通勤や通学に着替えたくなるような、
楽しい着物姿を想像させるのがプロの仕事です。

あーーーーー!また最後にお節介な一言を伝えてしまいました。
さすがに最近は伝えた後は必ず自己嫌悪です。
posted by kiraku at 12:42| 愛知 ☁| Comment(0) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年01月04日

きものは誰でも簡単に着られないとおかしい!(*^_^*)

今日のタイトルは私が2000年に着物文化を伝え始めた動機です。

20年前は日本中が右を見ても左を見ても上を見ても下を見ても、

「御着物様は高価なものです!」
「御着物様はおいそれと着てはいけません!」
「御着物様は誰かにお伺いを立てないと着られない!」
「御着物様は一度着たら手入れにお金を掛けないといけない!」
「御着物様は子供に触らせてはいけません!」
「御着物様は体をドラム缶にしてシワなく着るものです!」
「御着物様は着て行く場所で格式を考えなくてはいけません!」

何で日本中が「御着物様」の言葉に騙されたのか?

私は難しいと思う事は単純に考えるタイプです。
きものは日本中の人が着ていた衣服だったハズです。
それが何でありもしない決まり事を信じて、
誰でも着ていたきものが「御着物様」に化けてしまったのか?

図書館に通い詰めて昔の写真やら常識を紐解いても、
日本中の人が「御着物様」と崇めるような着物文化は無かったのです。
次に着物教室に国が認可を与えた学校法人の意味も知らべました。

その内容を理解した上で一言つぶやいた言葉は「アホか!」

この歳になると20年という時間の感覚がわからなくなります。
遊びに来ている子供達はオギャーと生まれ、ハイハイから立ち上がり二足歩行をし、
言葉を覚えて学校に通い、いろんな経験を積んで二十歳まで成長しています。

20年後の今も着物文化だけが
「御着物様」であり続ける事はあり得ないのです。
なぜなら嘘はつき通してもどこかで無理が生じます。

きもの教室の内容も時代に合わせて変化をして来ました。
最初は庶民には縁の無かった絹のタレ物を「御着物様」と言うだけで良かったのです。
その嘘も先が見えて来ると振り袖の飾り結びまで着替えの対象にしたのです。
しかし、さすがに背中の飾り結びは自分では結べない!
そこで生徒さんに飾り結びのハメ込み式の帯を教材用として売り付け、
着付けだと教えながらハメ込み式の飾り結びを生徒さんに背負わせたのです。(^_^;)

ここで限界を感じて諦めれば良かったのですが、
次に手を出したのが庶民には一生縁の無い十二単の世界です。
ある着物学院では海外から来た学生に十二単を着せ付けていました。
皆さんは十二単を家のタンスに持っている人を知っていますか?

ここまで来ると着物教室の教えている内容は着物文化でも何でもありません。
ただ華美でお金の掛かる着物文化を創り上げる事だけが仕事になったのです。

先の無い階段は登った分だけ落ちる高さが増すだけです。
早くに気付いた人は下りる事も容易です。
しかし、40年以上も登り続けた人達にとっては、
先が無いと分かっていても下りられない事情が生まれます。

「その人達が今でも髪をアップにして、
 絹のタレ物にお太鼓を背負っている人達になるのです。」

私にとって小庵「着らく」の辿り着く形は、
20年前から何となく頭の中にはありました。

きものから「御」を取るのに数年!
伝える場所から「先生」の呼び方を取るのに数年?(これは無理でした。)
年配の人は形を教えた段階で目の前の人を先生と言わないと落ち着かない!
着物は大層に習って着替えるものだと信じているからです。
それでも何となく今の小庵「着らく」の原型は出来ました。
ここまでに費やした時間でオギャーと生まれた子は小学校に通っています。(^_^;)

今の場所に移してからは私が直接相手をしたのにも理由があります。
それは過去の記事で書いた覚えがあるのですが、
小庵「着らく」の辿り着く先は50年前はどこの町にもあった卓球場なのです。

子供も大人も関係なく友達同士で遊びに行けば、
テレビを見ながら店番をしているオヤジさんは笑顔で迎えてくれました。
ラケットを持参する人もいれば、使い古されたラケットを借りる人もいる。

下手な人は下手なりに楽しく遊び、
上手な人に聞けば誰でも親切に教えてくれました。

間違っても卓球に御を付けて、
「御卓球様」をやるには等と講釈を述べる人はいません。

私は20年の歳月をかけて小庵「着らく」を、
50年前ならどこの町にもあった卓球場にしただけです。

文化とは生活に根付いた場所で受け継がれるものです。

きものは日本人にとって着る物!
着る物を自分流に着飾るのも個人の自由!

衣服の着替えに作法や道具を強要してはいけません。
そもそも着替えは学校で教える事ではありません。

若い人にとって20年後を想像するのは大変な事です。
しかし我々世代にとって過去の20年を反省するのは簡単な事です。

若い人にとって最悪の20年後があるとすれば、
我々世代が過去の20年を反省しないまま先を生きる事です。

アッ、着物文化に関して言えば平成生まれの若い人は安心して下さい。
二十歳の頃から先輩達の反省の無い時間を生きたのは我々世代なのです。

今は先の無い階段も崩れ落ちている時代です。
若い人はその姿を見て新しい常識は作れば良いのです。(*^_^*)

着替えを着付けと教える人にはキッパリと間違いを指摘しましょう。
私は歳上の人に対しても堂々と指摘しています。(*^^)v

背中の帯は着付け師の仕事です。
最初から自分で結べと言われたら無理ですと言えば良いのです。
着なれない人が見えない背中で苦労する姿は見ていても気の毒です。(*^^)v

絹のタレ物やポリエステルはサイズが大きく巻きづらいだけです。
最初はウールや銘仙などの古い着物を巻いてコツを覚えましょう。
四角い風呂敷を巻くだけの意味は簡単につかめます。(*^^)v

着付け道具はハレ着でも大き過ぎる着物の始末に使うものです。
人から言われて使うものではありません。
体に巻いた着物の布がダブダブに余る時に考えれば良いのです。(*^^)v

昭和の着物教室が流行らせた着物姿の手本は気にしない!
あの手本通りに着ると手にした着物は着られない着物に化けてしまいます。
先ずは着替えの常識として、手にした着物から着物姿を想像して下さい。(*^^)v

小庵「着らく」はこれからも、
皆さんの着物姿を応援します。(*^_^*)

アッ、最初の着物姿はグダグダのヨレヨレで良いのです。
着なれるとは、先ずは自分流の工夫で着替える回数が大切です。
着こなしとは手にした着物に合せた着物姿を言うのです。

最初から着付け道具を持たされ、手本通りに着替えても、
永遠の七五三スタイルは作れても着こなしには程遠いのです。

お正月にテレビで見る女優さんの着物姿は着せ付けられた着物姿です。
同じ着物姿で街を歩きたいと思ったら美容院に行けばいいのです。(*^_^*)

昨日と今日は卒業生の賑やかな小庵「着らく」でした。
卓球場のオヤジは子供達が帰った後の掃除と片付けだけが仕事です。

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次回の小庵「着らく」は17日と18日です。
17日はオレンジ名札になる子がいます。
18日は一年生だけで8人来るそうです。
どちらも賑やかな小庵「着らく」になりますね。(*^_^*)

皆さんも「着らく」を始めて下さいね。
パジャマに着替えられない子に着方を教えるだけで良いのです。
一年後には笑顔に溢れた楽しい場所に育ちますよ。
posted by kiraku at 16:58| 愛知 ☁| Comment(2) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年01月03日

令和のきものは・・・(*^_^*)

新年あけまして おめでとうございます。

令和のきものはどんな風に変わって行くのでしょうね。
小庵「着らく」の空気に触れていると先の姿は分かるのですが、
世間とのズレはどれほどなのかが分からないのです。(^_^;)

きものは日本人なら誰でも着替えられるのは当たり前!

きものはお金を使わない質素倹約を形にした衣服!

きものの着替えは洋服と同じように頭と道具は使わない!

「この3つは世間でも令和の常識になっていますか?」

今年も春になると無料着物教室のテレビCMは流れると思いますが、
あのCMは小庵「着らく」と世間のズレを知るには良い材料です。

令和の着物文化には、
着付けとハレ着の表現は必要ないですね。
きものは日本人の着る物!それだけです。(*^^)v
posted by kiraku at 17:34| 愛知 ☀| Comment(0) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年12月29日

昭和の着物文化はもう終わりにしませんか?(#^.^#)

昨日は今年最後の小庵「着らく」でした。
8人の子供を相手に張り切り過ぎて今朝は見事に寝坊をしてしまい、
朝のウォーキングに出掛けたのは午前7時でした。
名城公園に着く頃にはジョギングコースを走っている人が大勢いたので、
私は邪魔にならないようにサイクリングコースを二周歩いて帰路につきました。

多少は筋力がついて来たのか少し走っても一ヶ月前とは足の軽さが違います。
朝の名城公園ではきれいなフォームで走っている若い人を何人か見かけました。

「若い人はそれだけで60代には真似のできない凄い能力がある!」

と、小庵「着らく」での会話を思い出していました。

小庵「着らく」には決まったカリキュラムは何もありません。
予定も遊びに来ている子供達が決めています。

着物が好きになり毎月遊びに来る子もいれば、
初めて遊びに来てから数年ぶりに来る子もいます。

私は遊びに来た子が着物を好きになってくれるように努力はします。
しかし、今の日本の環境では着物に着替えられたとしても、
通学や通勤に着物に着替えて行くのは無理があります。

江戸時代に庶民の着物姿に対して御布令が出された事は何度もあります。

未婚の男子が袂を振り袖のように長くしたり、
庶民が裾を引きずるような丈の長い着物を着た時です。

どちらも華美な着物姿が流行した時に出された御布令です。

本来の着物文化には、
国が華美な着物姿を戒めるお布令はあっても、
庶民に華美な着物姿を奨励した事はなかったのです。

何で着物を着るだけで周りの目を気にしなくてはいけないの?

これは昭和生まれの人なら誰でも経験した事です。
扱いやすい普段着のウールを着れば貧乏臭いと思われ、
派手な絹のタレ物を着ればお見合いかと冷やかされる。

着物を特別な装いにしたお馬鹿な人達も1人を残して皆さんあの世です。
残っている人も年齢を理由に着物文化の表舞台からは完全に消えています。

アッ、今でも着物文化を牛耳るような勢いで髪をアップにして、
絹のタレ物にお太鼓を背負っている人達は完全に昭和の遺物です。(^_^;)

令和の着物文化は庶民の生活に根付く!
それは着物姿の形だけだと私は思っています。

昭和の遺物となったハレ着スタイルを見ても、
平成生まれの若い人達は着物を着たいとは思わないのです。

「着物を教えている皆さんは、
 この現実に気付いていますか?」

絹のタレ物にお太鼓を背負うのはハレの場で世間に合せる時だけ!
それ以外にも着こなしの世界なら着物姿のイメージは無限にあるのです。

「着物を教えている皆さんは、
 着こなしの世界を知っていますか?」

庶民には縁の無かった絹のタレ物は、
昭和の着物教室が強要したハレ着の形なのです。

「着物を教えている皆さんは、
 教えているハレ着の意味を知っていますか?」

おそらく教えている先生は何も知らないのです。
アッ、少なくと私が過去に出会った人達はそうでした。

世間に合せるだけなら一つの形を真似れば良い!
 
「着替えられる子なら、
 道具を使わなくても簡単に真似てしまいます。」

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背中の帯も世間に合せるならお太鼓だけで良いのです。

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遊びに来ている子共達にこんな話をよくします。

「お前達は簡単に着替えているけどな、着物の学校に通っている人達は、
 その形を作るのに時間とお金を使っても着替えられないんだぞ。」

「??????エッ、なんで学校に通って着替えられないんですか?」

「さぁ〜、それだけが私にも分からない。」(^_^;)

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着物は着こなしの世界で遊ばないと楽しさは分からない!

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着替えの出来る人なら着せ付けも簡単にできます。

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反対に着替えの出来ない人に楽な着せ付けは無理なのです。

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もしも着物学校に通っている人がいたら、
目の前で教えている先生にまじめに聞いてみて下さい。

「先生は着付け道具を使わずに、
 ふつうに着替えた事はありますか?」


ふつうに着替えた事のある先生なら、
着替えに着付け道具を使いなさいとは言わないのです。

この子達は補正と伊達締めの存在すら知らないのです。
アッ、成人式の振り袖を経験すると名前だけは覚えます。(^_^;)

道具を使わなくても友達の着せ付けは出来るのです。

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着なれていない子でも直ぐに着なれます。

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江戸時代なら着付けは男性の仕事です。
アッ、男子君は尻はしょりで着付けの腕をあげています。

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自分で着替えられる子だから楽な着せ付けも出来るのです。

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着替えを着付けと教えた昭和の着物教室の功績は、
子供や友達にも教えられない着物文化を創り上げた事です。

小庵「着らく」で遊んでいる子供達は親や友達にも、
衣服の常識として楽しい着物文化を伝えてくれています。

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白矢印の帯はナント!
短くて一巻きしか出来なかった!

「師匠、この帯は子供用ですか?短くて一巻きしか出来ません。」

「エッ!う〜ん・・・角出しなら帯締めで留めるから一巻きでも結べる。」
 ひょっとして一巻きの方が楽だと思って短く仕立てた帯かも知れませんね。(#^.^#)

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どれが一巻きだけの短い帯なのか分かりますか?

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こんな空気で着物や帯と触れるのが本来の着物文化です。

袋帯は何がナンデも二重太鼓!
名古屋帯は何がナンデも一重太鼓!

小庵「着らく」には存在しない常識です。
手にした着物や帯と楽しく会話をすれば楽な着こなしになります。

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手本を真似るよりも大切な事は、
着ている本人が楽で楽しくなる着こなしなのです。

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洋服に着替えて帰り際に、マツコに着せ付けていた子がいます。

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この帯結びに「師匠、来年もよろしく!」そんな思いを感じました。

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この爺さんは後何年続けられるのか神様しか分かりません。
しかし、還暦を過ぎて悟った事があります。

遊びに来ている子共達には、
「10回目のオレンジ名札になる頃には誰でも、
 着物学院の講師より着替えも着付けも上手になっています。」

「はい、頑張ります!」

「頑張らなくても良いから適当に遊びに来なさい」

私は若い人に頑張れとは言わない、
しかし、還暦になって必死に頑張る意味が分かりました。

年寄りは若い頃には考えなかった死を意識する。
だから必死に頑張る姿にも本来の意味が生まれる!ヽ(^。^)ノ

過去の間違いと過ちを償うにも時間は限られている!!!!!!!

「エライコッチャー!!!!!!!!!!」

と・・・今年はこんな言葉を残して終わりにしたいと思います。(*^^)v

この一年間、ブログに遊びに来てくれた皆さん、
そして小庵「着らく」に遊びに来てくれた子供達に、

「良いお年をお迎えください。」(#^.^#)
posted by kiraku at 19:41| 愛知 ☀| Comment(0) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年12月26日

きものに着替える健全な空気とは・・・ (*^_^*)

ふ〜、今年も残り後わずかですね〜。
少しだけ個人的な話をすると、今日でウォーキングを始めて1ヶ月です。
朝晩に分けて一日2万歩を目標にして歩いているのですが、
当初の膝の痛みは娘からプレゼントされたサポーターのおかげで消え、
ふくらはぎの筋肉痛だけは未だに消えず残念ながら走るには至りません。

黙って座っていれば体力と筋力の衰えを気にする事もなく過ごせたのでしょうが、
50代と60代ではこんなにも体は衰えるものかと今の現実を受け止めています。(^^ゞ

「皆さんも運動だけは継続した方が良いですよ。」(*^_^*)

ところで今日のタイトルも不思議な表現かも知れませんね。
洋服に着替えるのに毎朝健全な空気を意識した人はおそらくいないと思います。

このシャツの着方は?
このワンピースに着方はあった?
このズボンはどうやって穿けばいいの?
このスーツを着るには道具が必要だっけ?

毎朝こんな事を考えながら着替えている人は・・・
アッ、痴呆になった母親は毎朝シャツの前後ろを間違えていたので、
着替えに悩む前に私が黙って手を貸していました。(#^.^#)

健康な若い人が頭を使いながら着替えていたらおかしいと思いませんか?

小庵「着らく」の空気とは・・・
頭や道具を使わなくても着物は着替えられる!
こんな当たり前の常識しか存在しないのです。

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振り袖に着替えて帯を結ばないで手で持っている理由は?
結ぶ帯が決まらないままお昼の休憩になったからです。(^_^;)

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この子達は補正と伊達締めの存在すら知らないのです。

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この子達は手本になる形を知らないのです。

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手にした着物を見ながら着替える。

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手にした着物との会話しか、
その着物をきれいに着る工夫は生まれません。

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着替えの常識は洋服も着物も同じです。

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お太鼓はどんなにきれいに結んでも形はお太鼓です。
しかし、友達が半巾帯を結ぶだけでその着物姿は注目の的になる。

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洋服の楽しさは何を着るかで悩みながら選ぶ時です。
着物の着替えも楽しいのは何を着てどんな帯を合せるかです。

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着替えの空気は自然体で良いのです。

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学校の話や趣味の話をしながら着替えても、
小難しく頭や道具を使いながら着替えても、
着物の形が同じように着物姿もそれほど変わりません。

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ただ着こなしはまったく違います。
頭と道具を使わなければ、
自分流の着やすさと着心地で着替えられるからです。

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小庵「着らく」の空気とは・・・
当たり前すぎて文章では伝えられない空気です。
アッ、手前の子は休憩中でみかんを食べてます。
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この子達は昭和の着物教室にタイムスリップしても大丈夫!

着付けの舞だと言われても、舞台の上で着替え踊りをする事はありません。
昭和の時代には着替え踊りは海を渡り世界で披露されていたのです。
その姿を堂々と日本の着物文化だと伝えたきもの学院もあった事を、
我々世代は日本の恥として忘れてはいけません。

これはハレ着の着付けだと周りの大人から言われ、
若い人達が舞台の上で着替えさせられた姿も、
平成生まれの若い人達は見なくて良かったのです。

昭和の時代を生きたお母さんやお祖母さん世代の人達は、
その嘘に気付いた人達が着物嫌いになっただけの時代です。

お母さんやお祖母さんは着替えを知らないのではありません。
普通に着替えてはいけないと着物文化を学ぶ学校で教えられたのです。

我々世代にとって着物とは、
「きものに触れて騙されますか?
 それとも諦めて洋服にしますか?」
こんな選択しかなかった情けない時代を生きたのです。


「令和になってやっと、
 過去の笑い話になりました。」(#^.^#)


小庵「着らく」からのお知らせです。
棚の着物は昨日すべて入れ替えました。(*^^)v
posted by kiraku at 04:34| 愛知 ☁| Comment(0) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年12月17日

きものの着替え方は誰に聞けばいいの?(*^_^*)

着物文化から「着付けとハレ着」の表現を消してしまうと、
目の前に今まで気付かなかった世にも不思議な世界が現れます。

着物に着替えてみたいと思った日本の若い人は、
「着物の着替え方は誰に聞けばいいの?」と悩むのです。

すると親や友達も「??????」一緒になって悩むのです。

インドの若い人がサリーに着替えてみたいと思ったら、
「サリーの着替え方は誰に聞けばいいの?」とは悩まないのです。

親や友達は「待ってました!」と喜んで手を貸してくれます。

日本の着物は誰でも簡単に体を包めるように、
小幅の布を大きな風呂敷の形に縫い合わせた衣服です。

インドのサリーは長さ6メートル近くもある広幅の布を、
そのまま何重にも体に巻き付けて着る衣服です。

皆さんは何も知らない人が着るには、
どちらの衣服が難しいと思いますか?

着物は大きな風呂敷で体を包んで紐で留めれば終わりです。
サリーは幾重にも巻き付ける過程で6メートルもある布の始末が必要になります。

着物は難しいと勘違いしている皆さんは、
着物の着替えは「ハレ着の着付け」だと騙されているだけです。

令和になった今でもハレ着と普段着では着替え方は違うと教えるのなら、
礼服と普段着と表現した方が教えられる生徒さんは分かりやすい気がします。

礼服も普段着も着替え方は同じだと直ぐに気付いてくれます。

「きものの着替え方は誰に聞けばいいの?」

令和になった現代でも着替えをおかしな表現で教えている教室があるなら、
着物の着替えは着替えられる人なら誰でも教えてあげれば良いのです。

「それが本来の形になるからです。」(*^_^*)

もしも本当に決まり事に縛られた礼服の着付けがあるのなら、
最初から礼服の着付けとしてホテルや美容院でお願いすれば簡単です。

「今さら着替えと表現して教えるのは恥ずかしい事ですか?」

もしも恥ずかしいと思うならそれは大きな間違いです。
着替えを大層な表現で教える事の方が恥ずかしい時代になってます。

「きものの着替え方は誰に聞けばいいの?」

着物教室が戦後の日本に現れる前には誰も口にしなかった言葉です。

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

「着物教室の先生として、
 着物文化を教える難しさとは何か?」

参考になれば幸いです。

「今までの間違いを正すだけでも、
 着物を教える立派な仕事になると私は思います。」


posted by kiraku at 20:51| 愛知 ☔| Comment(3) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年12月14日

歩きながらの考え事。きものを着られない空気は何? 徒然日記 (*^_^*)

ナント!昨夜は19時に就寝して・・・5時まで10時間も寝ていました。(*^^)v
こんなに寝たのは記憶にないほど何年ぶりなのか・・・朝から気分爽快です。

今朝は6時からウォーキングに出掛け名古屋城まで歩き、
名城公園のジョギングコースを一周して7時半に帰宅。

これで歩数は11082歩、歩行距離は7.75キロ、歩行時間は1時間35分

歩いている時は足を前に動かして進むこと以外にやる事が無いので、
考え事をするには最適な環境です。

皆さんは20歳と60歳の違いは何だと思います。

簡単に言えば生きた時間の違いです。
二十歳の頃には今の常識が日本の常識として40年後もあり続けると、
私も当たり前のように考えていました。

しかし現実は違います。

今の常識や価値観も40年後には変わっています。
変わらないのは40年後には二十歳の子は60歳になり、
60歳の人は百歳になっている事です。

我々世代のお母さんやお祖母さんに着物教室の話を聞くと、
何らかの形で若い頃に習った経験のある人は大勢います。

今の若い人に着物教室の話をしても経験者に出会うのは難しいのです

40年前は当たり前だった常識が40年後には無くなる理由は簡単です。
時代にそぐわないか必要性を感じないからです。

それでは街で見掛ける着物姿はどうでしょうか?
40年前より今の方が若い人の着物姿は確実に増えています。

着物教室と着物業界が衰退すると着物姿は増える?

こんな視点から今までのやり方を考え直すヒントは見つかると思います。(*^_^*)

「朝起きて着物に着替えるのか?洋服に着替えるのか?」

私は令和10年にはこんな日本人の姿を想像しています。

日本の憲法には、
着物に着替えて学校や会社に行ってはいけない法律はありません。

着物=ハレ着のイメージを植え付けたのは誰ですか?

ハレ着と普段着の着替え方に違いがあるのなら、
最初に教えるのはウールや銘仙の普段着物です。

アッ、ハレ着と普段着の着替え方は同じです。
道具を使う使わないは体に巻く風呂敷の大きさで考えるものです。

何であんな子供騙しの着物教室に日本中の人が騙されたのかな〜
あれはあの時代が生んだ集団催眠だったのかな〜・・・・・

などと考え事をしながら朝は歩いていました。(*^_^*)

それと若い人の結婚観についても考えていました。
40年前は女性は20代で結婚するのは当たり前と言われていました。
これには選択の余地がありませんでしたね。(^_^;)

今は結婚をしない選択もあります。

どちらが幸せとも今は言えませんが、
40年後の常識はまた変わっていると思います。

アッ、いつの時代もこれからの常識を作るのは若い人なんですよ。
昭和の着物教室も入り口を開いた人の年齢も当時はまだ20代の後半でした。

令和に生まれる着物の常識は次の時代にも受け継がれる、
温もりと感謝に溢れた着物文化の常識であってほしいですね。

「明らかにおかしな事や間違った事は、
 目上の人にでもキッパリと言える時代です。」

「自分で着物に着替えるのは、
 着付けでも着装でもありません。」

「それを着替えと教えられる人が、
 嘘偽りのない着物教室の先生です。」(*^^)v
posted by kiraku at 17:42| 愛知 ☀| Comment(0) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年12月13日

継続は力なり!(*^_^*) 徒然日記

今日のタイトルは着物とはまったく関係のない徒然日記です。(^_^;)

「継続は力なり!」
「継続しなかった事に力なし!」

青字は2010年の過去記事です。

2010年07月18日

「謹賀新年????」(*^^)v
あけましておめでとうございます。
今年も365日の大冒険が始まりました。
明るく!楽しく!何よりも健康で元気に365日の大冒険を楽しみましょう。
アッ!今年の7月17日は何があっても富士山に登ります。
と、新しいカレンダーを見ながら今決めました。(*^_^*)
今年も生涯の記憶に残る楽しい一年にしたいと思います。
ダラダラと一年を過ごしてしまうと記憶に残らない歳月は以外に多いのです。
先ずは今年の富士登山の思い出はキープしました。(*^^)v
皆さんも十年先の記憶に残る思い出として、今年の予定を考えると楽しいかも知れませんよ。
タンスに眠る着物のように今の時間は必ず先に続いているのです。(*^_^*)

と、今年の1月2日にブログの更新をしてから

アッ、と言う間に7月17日になったのです。
昨日は富士山で過ごしておりました。(*^^)v
10代の頃から富士山には何度も登っているのですが、
六年ぶりになる今回の富士山で驚いたのはゴミが落ちてないのです。
須走り登山道の入り口で「ゴミを見つけたら拾って下さい」とゴミ袋を渡されたのですが、
登山途中で私の拾ったゴミはペットボトル1本とタバコの吸殻1つだけでした。
ゴミを片付けるのに苦労した山から、ゴミを探すのに苦労する山に変わったのが富士山です。
登山に9時間、下山に4時間!
昨夜の帰宅は夜明け前の午前三時でした。(^^ゞ


過去記事から富士登山を検索したら最後に登ったのは2010年の7月17日でした。
2010年の頃は名城公園の1.2キロのジョギングコースを、
ほぼ毎日7〜8周はジョギングしていたのです。

53歳の私は今よりも5キロは軽く細かった!!!!
ちなみにこの時履いていた地下足袋は今も竹の子掘りの時に使っています。
日本の地下足袋は歩きやすさと丈夫さでは高級登山靴にも負けません。(*^^)v

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あの当時同じジョギングコースを歩いている先輩方を見ながら、
私は還暦を過ぎても走っているイメージしかなかったのです。
いつから走らなくなったのか記憶は定かではありませんが、
今の場所に小庵「着らく」を移してからは走った記憶がありません。(^_^;)

ここからタイトルに繋がります。
先月の誕生日に娘から万歩計と膝のサポーターをプレゼントされました。
おそらく娘は私が還暦になったら富士山に登ると言い続けていた事を覚えていて、
今のままでは富士山は無理だと言いたかったのだと思います。

プレゼントされたその日から万歩計を付けて歩いてビックリ!
還暦過ぎの爺さんは走りたくても走れない!(当たり前!)(^_^;)

「継続しなかった事に力なし!」

時速5キロで歩くのがやっとの状態に過去のサボりを反省しながら、
さすがに膝のサポーターは必要ないだろうと思っていたら、
先週の日曜日に黙々と3時間歩き続けた帰宅後に膝が・・・・ガーン!!!!!!!

ここで娘に私の行動パターンは完全に見抜かれている事に気付き、
月曜日からは両膝にサポーターを巻いてのウォーキングになりました。(T_T)

今は早朝と夜にわけて一日3時間のウォーキングで、
ひたすら動かなくなった足の筋力を付けています。
アッ、名城公園の外堀を歩いていると若い子が私の横を走り抜けて行きます。
その後姿を見送りながら「70歳までには必ず後ろを追いかけてやるー!」
と、ン年後には必ず辿り着ける姿を想像しながら歩いていると、
名古屋の新たな都市伝説として早朝に外堀を走っていると変な爺さんに追走される!
こんな事を考えながら歩いていると自然に歩く速度が上がるのです。

年が明ける頃には膝の痛みも消えていると思いますので、
新年の挨拶には富士登山の予定を更新するかも知れません。(*^^)v

年が明ければ2020年です。

来年の元旦はおそらく庄内川の堤防から日の出を見ながら、
「前回の富士山から10年か〜」
「着物文化を伝えて20年か〜」
「妻と初めて会ってから40年か〜」
と、自分の人生を思い返していると思います。(*^_^*)

昨夜の外堀から見た名古屋城です。

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と、この更新を10年後の令和10年にはどんな姿で読んでいるのか?
過ぎた時間とは振り返った時にその重さと意味を知るものです。
今の行ないは必ず先に繋がっている事を忘れないようにして下さいね。
特に若い人は先に繋がる時間は長いです。

還暦を過ぎると反省よりも取り返しのつかない後悔が多くなるものです。
 
着物文化を見れば今の古着市場に積まれた着物の山は、
取り返しのつかない後悔の山にも見えてしまいます。(^_^;)

年配の人は着替えを覚えると必ず捨てた着物を惜しみます。
それは一番最初に捨てる着物が着やすい受け継がれた着物だからです。
皆さんも捨てる前に少しだけ考えて下さいね。
豪華な現代晴れ着は令和でも買えますが、
受け継がれた着やすい着物にはお金では買えない思い出が残されています。

着物を捨てるのは、本来の着替え方を知らないだけ!
大きな風呂敷を体に巻いて一本の腰ひもで留めるだけの衣服です。

着替えられる人は周りの皆さんにも、
着物の楽しさを伝えてあげて下さいね。(*^^)v


posted by kiraku at 07:22| 愛知 ☀| Comment(0) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年12月02日

きものは着物!(*^_^*)

今日のタイトルは個人的に伝えたい令和のきもの常識です。

「昭和の着物文化にはあって、令和には消える着物の常識」

それはハレ着と普段着の表現です。
消えると言うよりも平成生まれの若い人にとって、
ハレ着は成人式に着せられる振り袖のイメージしかありません。

留袖は? 付下げは? 訪問着は? 何が違うの?

クイズ番組でこんな問題を出したら、はたして日本人の正解率は?

きものクイズその1
「結婚式でお母さんは黒留袖を着るのが一般的ですが、
 留袖の由来を1分以内にググって正しいと思うものを答えなさい。」

きものクイズその2
「昔は成人式の礼服として振り袖は黒に統一されていた。〇か✕かで答えなさい」

小庵「着らく」で私が伝えている本来の着物文化とは、
むかしの人なら当たり前に考えていた常識を若い人に伝えているだけです。

もしもお母さんが結婚式で留袖を着るのが一般的な常識なら、
その留袖姿はお母さんの結婚当時を思い出させてくれる楽しい着物姿になります。

平成生まれの子供達は棚にある黒留袖を手に取ると、

「これは年配の人が着るきものですよね〜」

「違う!違う!それは昭和の着物教室がお金儲けの為に考えて、
 一番格式の高い礼服だと教えたナンチャッテ黒留袖ですよ。」

平成生まれの子供達にはハレ着と普段着の区別は無くなります。
なぜなら・・・
同じ形をした着物の着替えにハレ着も普段着も関係ないからです。

棚にあった黒留袖に着替えたのは昨日が3回目の子でした。(*^_^*)
理由は・・・「着たかった」  それだけの事です。

小庵「着らく」の着物姿は着なれていない子でも、
着物の楽しさと温もりを知っている凛とした心を感じます。

「ツッコミ所は満載でも、お直しオバサンは声を掛けないで下さいね。
 形の意味を知って着替えている子に下手に突っ込むと笑われます。」(#^.^#)

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現代の黒留袖を正しく教えるなら、
礼装用(結婚式用)の豪華黒着物が正解です。
誰が見ても黒振り袖の袂を短く直した着物ではありません。

黒留袖は喪服と同じ礼服なの?
それとも振り袖と同じハレ着なの?

「これだけが未だに分かりません。」(^_^;)

将軍家の礼服姿にも女性が黒留袖で揃えた着物姿はありません。

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自分が分からない事を若い人には伝えられません。
誰か黒留袖について詳しい人は教えて下さい。

アッ、若い頃は自分の感じた着物の七不思議について
いろんな人に尋ねましたが納得のいく答えには出会えませんでした。(^_^;)

そんな私が着物文化を伝える小庵「着らく」ですから、
グダグダでヨレヨレな着物姿になるのは当たり前ですね。
しかし、お茶会などの場ではそれなりの着物姿に化けている様です。(*^^)v

昨日は男子君の参加で私のテンションは高かった!

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帯がなかなか決まらない・・・
着物姿を想像しながら帯を選ぶこの時が一番楽しい時間です

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迷いに迷って最後は座って帯選びです。
こんな時間に交わされる会話で着物姿のイメージは育ちます。

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男子君は着付け師ゴッコの着付け師修行中。

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男子君の男結びに女の子も「私も結びたい!」
ハイハイ、男結びなら任せなさい。

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貝の口よりも楽で簡単な素浪人結び。
着なれていない子に私が伝える言葉はいつも同じです。
着物の巻き方や帯の結び方は、体が覚えるまで形はあまり気にしない!
体が覚えればきれいな着物姿の工夫も自然な形で覚えます。

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何も知らない子に、
「これが着物姿の手本である!手本通りの形に着替えなさい!」
等とは、良識のある大人が教える事ではありません。

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畳んだ着物に膨らみが・・・アレ? 「先輩、どこかおかしいですか?」
奥では袴を覚えたての男子君が早速袴の着付けです。
こんな風にワイワイガヤガヤと遊んでいれば、
着物に興味のない子でも着替えは一日で覚えてしまいます。

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帯の着付けは男性の仕事です。
着付け師の結んでいた豪華な丸帯は力がないと結べなかったのです。
帯結び修行中の彼はなぜか赤い着物が似合っていました。(*^_^*)

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着物を巻く時はそれぞれの癖や工夫があります。
それは体型や手にした着物によって変わる工夫です。

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正面の黒地の着物に二重太鼓の子は自分で角出しも結んでいました。
今の2年生の中で最初にオレンジ名札になった子です。
他の子となにが違うの? それは着替えた回数が違うだけです。
帯の手順を体が覚えれば自分で結ぶのもそれほど難しくありません。

本人曰く・・・「やっぱり結んでもらった方が楽!」

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帯結びで一番楽しい帯は? もちろん半巾帯です。
帯は余った長さで結ぶ形を考える女性の遊び道具です。

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7人で着替えた着物と帯の山を見ながら、
「今日もまじめに着替え過ぎだよな〜」と独り言。
帰った後の着物と帯の整理は私の仕事です。(^_^;)

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小庵「着らく」で着物に着替えている子供達を見ていると、
ひと昔前まで日本中の人が口にしていたハレ着の意味が分からなくなります。

「ハレ着と普段着は違う!ハレ着だから着付けを習う!」  

ハレ着の振り袖は最初から美容院かホテルで着せ付けてもらうでしょう。

「着る本人が着付けを習って誰に着せ付けるの?」

若い人は知らなくて良い事ですが、
昭和を生きたお祖母さん世代の人達は想像もできない程、
劣悪な着物環境を経験している事だけは忘れないで下さいね。

その子供になるお母さん世代の人達は着物から離れたのではありません。
わが子を守るために親が着物から遠ざけたのです。

平成生まれの皆さんは本来の着物文化に受け継がれた、
温もりと感謝の心を家族や周りの友達に楽しく伝えて下さいね。

と、私は遊びに来ている子共達に毎回伝えています。(*^^)v

昭和の着物文化を学ぶと、
平成の日本は詐欺大国だと言われた歴史が学べます。

令和の日本は温もりを受け継いだ着物文化を通して、
日本中の家庭でタンスを開けながら笑顔に包まれます。
アッ、令和と言っても年内ではありませんよ〜 (^_^;)

それは本当に近い将来の話だと、私はその空気を肌で感じています。(#^.^#)

「これは若い人には関係のないお節介な無駄話ですが、
 着物に関わる人達はプロとして本来の着物文化を伝え教える責任があります。
 いつまでも昭和の夢にしがみつくのは見苦しく、
 本来の着物文化を伝えるだけで、お店も教室も一年で息を吹き返します。
 皆さんが地元で愛されるお店と教室になる事を、日本中の人が待ち望んでいます。」

「皆さんは子供達を笑顔にする着物のプロです。」(#^.^#)
posted by kiraku at 18:44| 愛知 🌁| Comment(0) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年11月30日

令和の着物文化は昭和とは真逆の常識が育っています。(*^_^*)

今日のタイトルは昭和の着物文化を知っている人にしか分からない!
おそらく還暦の我々世代から上の人です。(^_^;)

平成生まれの若い人達は令和の常識で育って行くと思います。

若い人が着物に着替える時の参考になれば・・・
そんな気持ちでこれからはのんびりと更新して行きます。

昨日の小庵「着らく」は社会人の先輩が有休をとって後輩と楽しくお着替えでした。

小庵「着らく」に掛けられた名札の中で3人だけ、
私が名札に書かれた名前の色を変えた子がいます。

この3人は他の子と少し違いおそらく百年前の人は、
こんな感覚で着物に着替えていたと思わせる子なのです。

「エッ、??????意味が分かりません。」

と言われそうですが、自然すぎて意味の伝え方すら分からない!
昨日はその内の一人が卒業後初めて遊びに来ていました。青星の子です。

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この子がいるだけで周りの人も百年前の空気に包まれる気がします。

「皆さんにこの意味が分かりますか?」

う〜ん・・・やはり言葉や文章では伝えられないのがその場で感じる空気です。

今の場所に移してからは男性の私が直接相手をするようになり、
形の作り方も基本のコツだけ簡単に伝えて後は野放し状態!(^_^;)

「何で?」

着物に着なれた着こなしとは、
いろんな着物や帯を使い着替えた回数でしか生まれません。(*^^)v

小庵「着らく」で着物に着替えている子供達は、
手本や教えられる言葉がない代わりに、
手にした着物と帯を見ながら着替えているのです。

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「体に巻く大きな風呂敷のサイズは、
 どれも手にした着物の数だけ違います。」

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背中の帯も昔は短いものが多く個性的だったり、
長さも硬さも手にした帯の数だけ違います。
それを最初から手本通りに自分の背中で結ぶのは無理!(^_^;)

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着付け師ゴッコとして他人の背中に結んでいれば、
帯の違いと始末の方法は自然に体が覚えるのです。

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小庵「着らく」の空気は私流のものです。
着付けの資格を手にして教えている先生なら、
着付け師ゴッコの延長で楽しい自分流の着替えを伝えれば良いのです。

着替える過程は人それぞれに違っても、
最後の着物姿にそれほどの違いはありません。

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青星の子との会話。

「オイ、会社の友達にも着物の着替えは教えてあげなさいよ。」

「エ〜、めんどくさいです。」

「日本人が着物に着替えられないのは恥ずかしい事、
 着物に着替えられるのに着ないのは普通の事、
 問題は着物に着替えられないから着ない事なんだぞ。」

「エ〜、友達なら一緒に着替えれば見て覚えますよ」

「確かに・・・それが親から子に受け継がれた衣服文化の形だな〜」

と、百年前の人なら同じ事を言ったと思います。

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もうカラフル更新をする必要はありません。
なぜなら・・・日本中の人も何となくですが、
この手本通りに着替える事の意味を知り始めているからです。

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今の小庵「着らく」で着なれた子供達を見ていると、
この着物姿に着替える事の方が恥ずかしく感じる・・・
そんな時代はもう目の前に来ている気がします。

皇后陛下の着物姿はお付きの人が着せ付けた形です。
庶民が皇后陛下と同じ着物姿に着替えるのは如何なものか?

「こんな常識は直ぐに育ちます。」(#^.^#)

令和は手にした着物と帯の数だけ、
誰でも楽しく着替えられる時代です。

昨日4人で着替えた着物の山です。

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奥で帰り支度をする子供達の声を聞きながら、
私は袖が解れてしまった戦前の着物を直していました。

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子供達が前を通るたびに、
「何で女の子がこんなにいるのに・・・・」といつもの愚痴が出ます。(^_^;)

令和の着物文化は楽しくなりますよ。
これは遊びに来ている子供達にはいつも伝えています。(#^.^#)

アッ、明日は8人でした!
まだ着物と帯が昨日のまま放置されています。
今から片付けて掃除をしなくてはいけませんね。(*^_^*)
posted by kiraku at 16:57| 愛知 ☀| Comment(2) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年11月27日

着物店を営む資格!(#^.^#)

今週は金曜日に「着らく」の予定が入っています。
オレンジ名札昇格の子が来ますよ〜
誰でも暇な子はひよっこり顔を出してお祝いしてあげて下さい。

おやつのリクエストは秘密ですが・・・
いつも通り多めに作りますから食い逃げ持ち逃げ大歓迎です。(*^^)v

このブログも「着らく」ネタだけでボツボツ更新すれば、
アクもカドもトゲもない楽しいブログかも知れませんね。(#^.^#)

私の中では
令和になった時点でカラフル更新はやめる予定でいたのです。

しかし、世の中の動きを見ていると着物に関わる人達にとって、
最悪のパターンになり始めているような気がしてなりません。

それは着物に関わる人達が世の中の変化に気付かないまま、
ポツンと昭和の世界に取り残されている状態の事です。

令和になっても昭和に取り残された状態とは、
ハシゴでも掛けないと入れないほどに高くした、
着物の敷居をそのままに、ハレ着だけに目を向け、
何を尋ねてもチンプンカンプンで中身の無い状態です。

本来の着物文化を伝え始めた頃に、
親しかった北区の着物店でこんな話をしました。

「朝は何時にお店を開けるんですか?」

「9時には開けてますよ。」

「もう30分早くシャッターを開けると、
 お店の前を小学生や中高生は通りませんか?」

「ここは通学路だからね。」

「何で30分早くシャッター開けて、
 お店の前を掃除しながらでも子供達に挨拶をしないんですか?」

「???????????」

こんな話をしてから15年以上が過ぎているのです。
あの頃小学生だった子供は幾つになっていると思います。
あの頃中高生だった子供は幾つになっていると思います。

私はご近所にある着物店の本来の姿を伝えたつもりです。

着物店を営むご夫婦にはお店の前を通る子供達が、
大人になって挨拶する姿が見えていなかったみたいです。(^_^;)

着物店を営むのに資格があるとすれば、
毎朝お店の外に出て子供達に声を掛け、
気さくに挨拶のできる人かも知れません。

ちびまる子ちゃんの時代にはご近所の着物店と言えば
御主人は信用があり頼られる存在だったと聞いています。

皆さんのご近所に佐々木のじいさんがいたら、
浴衣の帯結びを教えてもらえるかも知れませんよ。

そのお店の空気は毎朝の挨拶から誰でも想像はできます。(*^_^*)

着物は恐い!着物店に近寄るな!
こんな事を言われた昭和の着物屋さんは平成に消えています。

スマホ時代になっても、
着物文化にはご近所の着物店は必要です。
 
20年前から着物店には安心安全を紹介する。
食べログよりも着るログが必要だった気がします。(*^^)v


今日も独り言です。

令和はもう着るログも常識になっているのかも知れませんね。
良いお店ならお客さんが育ててくれる時代になり、
着物店が元気になって増える事はあっても減る事はありません。

「令和の着物店は商店街でも元気な存在になります。」(*^_^*)

その理由は、
着物には若い人を元気な笑顔にする知恵と工夫が、
平安時代から受け継がれた千二百年分もあるからです。(*^^)v

最近フッと気が付くと、
親しかった着物店や若い頃にお世話になった床屋さんが無くなっている。
この歳になるとフッと気が付くまでに10年の時間が経っているのは日常になります。
私が若い頃にお世話になった人達はもうあの世に向かう階段を登る世代です。

若い人なら先輩や知人と30年先でも会えます。

若い頃は気にもとめなかった当たり前も、
世代によって変わる事を痛感しています。(^_^;)

「着物店も着物教室の先生も受け継がれた着物を通して、
 例えあの世に逝っても百年先まで感謝をされる仕事です。」

2009年からブログの中で伝え続けた事は、

着物店の伝える常識。
着物教室の伝える常識。
着物に関わる皆さんが伝える常識。

すべて着物のプロと言われる人達が、
目の前のお客さんや生徒さんに伝える内容です。

10年前は20歳の子も30歳になり新たな常識を持っています。
10年前は30歳だった人は40歳になり新たな常識を伝えています。

このブログも世間の常識が変われば、
10年後の今は内容があまりにも当たり前すぎて、
伝え続けている私が恥ずかしく思えるほど世の中の空気は変わりました。

おそらく変わっていないのは髪をアップにして、
高級そうな着物に御太鼓を結んだ着物姿で人前に立ち続けている人達と、
相も変わらず着替えを着付けと教えている着物教室だけのような気がします。

還暦を過ぎてのカラフル更新はもう良いですね。(*^_^*)
posted by kiraku at 13:17| 愛知 ☁| Comment(0) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年11月26日

ガラ系は時代遅れ?(^_^;) きもの着替え教室を育てるコツは?(#^.^#)

先日、ガラ系を頑なに手放さい私に同世代の人から言われた・・・

「今どきアフリカの原住民でもスマホの時代にガラ系か?」

確かに・・・返す言葉がない。
最近ガラ系を持っていて肩身が狭くなった事件があります。

テレビであおり運転のニュースが動画で流れた時に、
あのオバサンがガラ系の携帯で撮影していた事です。
あれから人前でガラ系の携帯を出すのが何となく恥ずかしくなった事と、
BMWの車を見ると何となく危ないオヤジが運転しているような気がする!

テレビから流される動画の影響力は大きいですね。

ここまで更新をしてフッと我に返り思い出したのは、
私がガラ系を手放さないのは携帯電話は電話機能だけで良いと思っているからです。

携帯にお財布、カメラ、ビデオカメラ、ナビ、おかしなアプリ・・・
これって本当に必要な機能なの?と思った頃は携帯電話はまだ電話でした。

おそらく今はスマホを電話として使っている人はほとんどいないと思います。
連絡はラインを使い、後はゲームや動画再生や検索に使っている姿しか見ません。

犬、猫、人も動物である。しかし人は動物とは言わない。

ガラ系、スマホは電話である。しかしスマホは携帯電話とは言わない。

こんな風に考えてあの動画のオバサンの行動を見ると・・・
ガラ系を持っているだけで人として認められないような気がするのです。(-_-;)

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

ところで着替え教室で人を育てるコツは、
その場に集まる人の数だけ無限にあります。

「無限にある工夫とは、
 永遠に広がる意味にもなるのです。」
 
着替えは教える人の考え方によって工夫も無限です。
仕事として着替え教室を考えるならその方向も無限です。

言える事はただ一つ。

昭和の着物教室の空気を内から出したり、
外から持って来られても無限の広がりはその分だけ狭くなります。

常にその空気を排除する事を意識しながら、
生徒さんと真剣に向き合うと本来の着物文化に近付いて行きます。

本来の着物文化に近付くと、
目の前に無限の広がりが見えて来ます。(*^^)v

昭和の着物教室のやった事は、
無限の着物姿をたった一つの手本に縛り付けただけ!

教える人の着物姿を見ながら、
その着物姿になった形の意味を伝えるだけで笑顔に出会えます。

「着物は着心地と着やすさに、
 着替える意味が生まれるのです。」

「その事を、教える先生がしっかりと意識して、
 生徒さんに伝える言葉と道具を選べば良いのです。」

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

もうガラ系の携帯とブログの時代は終わりましたね。
それでもこのブログは平成までは母親の介護中も含めて、
更新されなくても大勢の人が訪ねてくれていたのです。

令和になって訪問者数の変化を見ながら内心ホッとしています。
このブログが注目される内は着物文化は安泰ではなかったのです。
今は動画の世界でも楽しい着物文化が生まれています。

私にとってこのブログを続けたr理由は、
本来の着物文化が広く浸透して行く過程で、
ブログの訪問者数の減った時の日本の姿を見たかったのです。

もう着物文化は百年先まで安泰です。(#^.^#)

ただ一つ残念な事もあります。
着物に関わる産地と着物店は苦難の時代は続きます。

今日のヤフオクで結城紬と大島紬の未使用の反物が、
産地の証紙の貼られた状態で出品されています。

私にとって大島紬の思い出と言えば、
30年前に着物店で男性の私に対して店長らしき人は、
男性の着物はこんな反物しかありませんと言われました、
こんな反物と言われたのが30万円の大島紬だったのです。

あれから30年経っても大島紬の反物としての価値は何も変わらないと思います。
しかし、衣服の布としての価値は幾らになっているのでしょうか?

「それがヤフオクで見せられる、
 消費者目線の価値になるのです。」

着物に関わる人にとってこのヤフオクの画面は、
過去の売り方を反省する大きな材料になると思います。

「逸品 高級 全て正絹 結城紬 大島紬 反物8点 キングサイズ
 全て新品未使用 全て着尺アンサンブル 結城紬多数 絹100% 男物」

ヤフオクの画面で検索して、
ウォッチリストに入れて幾らの値段が付くのか見て下さい。
これからやるべき事の参考になると思います。

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

私の手元には倉庫一杯に日本中から捨てられた着物と帯があります。
その捨てられた物の中に大島紬も反物のままの状態で眠っています。

着物に関わっている皆さんの手元には、
捨てられた着物と帯がどれほどありますか?

皆さん流の着替えや着物文化を伝える教材として、
今からでも遅くはありませんからコツコツと集めてはどうですか?

集めた着物や帯は必ず産地や着物店を元気にしてくれます。

日本中の産地や着物店で本来の着物文化を伝えれば、
着物を捨てる人は無くなり、着物の着心地と着やすさを知れば、
大島紬は衣服としての着やすさから布としての本当の価値も分かります。

昭和と平成には着物に着替える大変さだけを、
当然のように伝えるプロは掃いて捨てる程いました。

着物のプロと言われる皆さんが、
着物の着心地と着やすさを伝えないで、
いったい誰が着物の楽しさを伝えるのでしょうか?

これは冗談ではなく、
今日から本気でやるべき事だと思っています。(#^.^#)


最後に独り言。

大島紬も結城紬も布として価値は百年先まで変わらない!
それがたった30年で束売りされる時代になりました。
どちらも紬本来の価値からかけ離れている気がします。

我々世代にはその異常な価値観の変化を理解できても、
今の若い人には大島紬も結城紬も一山幾らの商品なのです。(^_^;)

日本には着物文化を教える教室は星の数ほどありました。
その着物教室ではいったい何を教えていたのでしょうか?

posted by kiraku at 08:23| 愛知 ☁| Comment(0) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年11月25日

令和のきもの業界は大忙し!(*^_^*)

令和になって何年ぶりかに着物でいろいろ検索すると、
着付けの表現は激減して着方になり、遂に着替え教室もありました。ヽ(^。^)ノ

着物のプロと言われている人達は、
20年前から本来の着物文化を想像して地道に活動していたのだと思います。

着物の温もりを伝え続けた着物店は、
受け継がれた着物の仕立て直しや染み抜きで大忙し!

「これは先々代のお祖父さんから買った着物なんですよ。」

「こんなに大切にされて先々代も喜んでます。」

タンスを開けて着物を出すと、
着物を包んでいる文庫(たとう紙)には、
必ずお店の名前と連絡先が書かれています。

昔から着物の文庫にお店の名前と連絡先があるのは、
30年後に代が替わってしまっても、
大切な着物とお客さんがお手入れに困らないように、
一番目立つ文庫の表に必ずお店の連絡先を入れたのです。

高価な着物が一番売れたのは30年前です。
代が替わりお手入れに出される着物は大量です。

文庫の意味を知って仕事をしているお店なら、
着物が売れない事を嘆く暇もないほど忙しいのです。

「着物を売るお店は、
 百年の着物時間に付き合ってくれるのです。」

「百年先まで夢と責任の持てる、
 若い人にも楽しい仕事だと私は思います。」
(#^.^#)


「着物を教える先生は、
 同じように百年の着物時間で教えています。」

「目の前の生徒さんがお祖母さんになり、
 子供や孫に伝えた着物文化は、
 百年先まで笑顔で受け継がれるのです。」
(#^.^#)

本来の着物文化なら、
若い人にも夢のある職業になる!!!!

「着物はこれからですよ」

焦らず程よく適当に頑張って下さいね。(*^^)v




posted by kiraku at 08:29| 愛知 ☁| Comment(0) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年11月24日

きもの文化は身近な人から伝えられるものです。(#^.^#)

今日のタイトルは常識過ぎて伝えるのも難しい!(^_^;)

衣服の着替えは親の伝えるものです。
衣服の身だしなみは親の躾として伝えられるものです。

私が着物教室の先生に気付いてほしいと願うのは、
親から子に受け継がれる着物文化は、
今の日本では完全に消えているからです。

消えた理由は今さら伝える必要はないと思いますが、
こんな時代だからこそ、文化としての着物を伝える場が必要になります。

平成生まれの人達を育てなければ、
令和の着物文化はどうなると思いますか?

正確には平成の段階で温もりを伝えた着物文化は、
跡形も無く完全に消滅している事を,
先生として着物を教えている人達には自覚してほしいのです。

着替えを着付けと教えて資格を売れば詐欺です。
これは昭和〜平成の着物教室に伝えた事です。

着替えは親の伝えた身だしなみの文化です。
こんな常識を教えるのが令和の着物教室です。

先生としてしっかりとした事を伝えれば、
平成生まれの人達も親世代になり始めています。
令和10年には親から子に受け継がれる着物文化に戻せます。


「こんな常識をダラダラと伝え続けながら気付けば還暦を過ぎ、
 令和になった現代でも着替えを着付けだと教えている人に出会うのです。」(T_T)
(昔に比べれば少数派になっていると思います。)


私にはその事が不思議でなりません。
自分で衣服を着ることは誰が見ても着替えです。

怪我や病気で自分では着替えられない人に、
衣服を着せる事は着せてあげるです。

「最初から自分では着られない装束を人の手を借り、
 着せ付けてもらう事を着付けと言うのです。」

「何で着物の着替えだけが着付けになるの?
 考えなくても誰でもおかしいと思うでしょう。」

 こんな問いに皆さんは口を揃えて言うのです。

「着物教室で着替えを着付けだと習いました!」

「着替えを着付けだと言われて、
 その奇々怪々な着替え方に誰もおかしいとは思わなかった?」

「これは着付けと教えられ、それほど深く考えませんでした。」

「深いも浅いも関係なくやらされた事を見れば、
 誰でも不思議で奇々怪々な着替え方だと間違いに気付くでしょう。」

「自分では着られないから着付けを頼むのです。」

最初から自分では着替えられない着付けの形を、
自分の体に道具を使わせて勉強をさせる???
そんな着付けを教える学校は令和には絶対に無い!


着替えを着付けと教わった人が先生なら、
自分の経験から間違いを正して教えれば良いのです。

「生徒さんにとって先生は、
 信頼できる身近な人になるのです。」

楽しい着物文化をどんどん伝えて下さい。(*^^)v



例えば・・・

「着物は大きな風呂敷を体に巻いて
 一本の腰紐で留めるだけの衣服なんですよ。」

「現代ハレ着は風呂敷が大き過ぎて少し巻きづらいですね。
 その時は余った布の始末にこのベルトを使うと便利ですよ。」

「アッ、〇〇さんの着物は余りが少ないからそのままでも良いですよ。」

「ゴムの付いた道具類は手にした着物を一度巻いてみて、
 始末の段階で使う使わないは自分で考えましょうね。」

「着物に着替えて一番大切な事は、
 痛い!苦しい!窮屈!だと感じたらダメですよ。」

「そんな風に感じたらその場所は緩めましょうね。」

「日本人が痛くて苦しくて窮屈な衣服を着ていたと思いますか?」

「それは着替え方の間違いですからね。」(#^.^#)


教える人の数だけ流派はあって良いのです。
それは着替えている生徒さんを見ている先生が、
生徒さんに合せた着方と手順を考えるからです。


着替えの世界で最悪の流派は・・・
教祖の考え出した手順と道具で統一して、
信者さんに同じ方法で着替えさせる流派です。

これは着物教室と言うよりも、
私にはカルト的な教団にしか見えない!

同じ手順と道具で統一する着替えは無い!
同じ着物姿を強要される着替えも無い!!

今はもう令和の時代なんですよ。(・_・;)


「このブログで出会った皆さんは、
 生徒さんや着物友達と楽しく向き合って下さいね。」(#^.^#)


令和になってもカラフル更新ですね〜〜〜
まさか次の年号も?それはありえません。(*^_^*)

posted by kiraku at 20:17| 愛知 ☁| Comment(0) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年11月23日

令和のきものは知らない人に良さを伝える時代です。(#^.^#)

昨日は蒲郡で母親がお世話になった親戚の人が亡くなりお葬式でした。
蒲郡の親戚は集まるとビール、焼酎、日本酒と、とにかくお酒が強い!
これは先代のお爺さんがお酒好きで皆さんは若い頃から鍛えられているのです。

名古屋に住む私は30歳で禁酒をしてからはお茶での付き合いになってます。(^_^;)

お酒の話と言えば、
昔はお酒を飲む人なら一度や二度は飲酒運転をした経験はあったような?
還暦世代のお酒にまつわる逸話話はもう日本むかし話に近い話ですね。

今は車の運転があると言えばお酒を勧めるだけでも犯罪者になり、
若い人には理解されない遠い昔の話になるからです。(^_^;)

同じように今の若い人には想像もできない環境として、
30年前は電車の座席、飛行機の座席、映画館にも灰皿があって、
人の集まる場所なら銀行でも座席の前に灰皿は必ず置いてあったのです。

もしも令和の現代に同じ環境を再現したら・・・皆さんはどう思います。

アッ!私が伝えたい事は禁酒禁煙の話ではありません。

「30年で世の中の景色と常識は180度変わる!」

30年前の常識は30年後には非常識になっている事もある。

30年前の常識を知らない世代が新しい常識を創り出すのは、
間違った常識は次の世代には受け継がれること無く、
過去の常識に縛られた人達も30年後には表舞台から消えているからです。

これは何度も伝えている事ですが、
おかしな洗脳を受けた人には繰り返し伝えても、
なかなか現実を理解されない人も大勢います。

高齢化社会とは過去の常識を持った人が大勢いる社会なのです。

「世代交代を着物文化に当てはめて考えると」


お祖母さん世代は流行りの着付け教室に通い、
着替えを着付けと教えられたのですが、
その奇々怪々な着替えでは自分では着替えられずに、
習った着替えを子供には伝えていないのです。

その子供だった母親世代はどうしたのかと言えば、
親から着物に着替えるのは大変で難しいとだけ教わり、
着替えを習った経験も親の着物姿も見ないまま、
畳み方も知らない状態で親になっているのです。

遊びに来ている子供達がお母さんに、
「着替えを覚えたから家の着物を見たい」と言っても、
畳み方を知らないお母さんはタンスから出せないのです。

「着替え方を覚えた子供達でも出してもらえない!」

では着替え方を誰一人知らない家庭では、
お祖母さんが亡くなって何が起こるのでしょうか?

着物に関わる若い人と話をして悲しくなるのは、
先代から良かった時代のむかし話は聞かされていても、
何でこんな時代になったのか理由が分からず、
何をしたら良いのかもまったく理解していない事です。

「着物教室は生徒さんが集まらない!!!!!!」
「着物店はお客さんが来ない!!!!!!」
「今では古着店もどんなに安くしても売れない!!!」

スタジオジブリの映画「紅の豚」でこんな名台詞!

「飛ばねぇ豚はただの豚だ」

着物に関わる皆さんはこれから何をすれば良いのか?

どんなに華やかで高価な着物や帯を店先に並べても、
どんなに有名な俳優さんに着物教室のテレビCMを頼んでも、

「着られねぇ衣服はただのゴミだ!」と思われている。

着物に関わる皆さんが一番伝えなくてはいけないのは、

「着物の着心地と着やすさなのです。」

日本中で着物に関わる人達が気付けば、
令和の日本では着物文化の常識として、

「着物は楽だから着ると良いよ!」

「着物は簡単だから着ると良いよ!」

「着物は楽しいから着ると良いよ!」

「本当に本当だから!
 騙されたと思って一度着なさい!」


これは私が若い頃に出会う人にドン引きされながら伝え続けた言葉です。
当時は着物を口にするだけで怪しい!危ない!近寄るな!の時代でした。(^_^;)

今なら胸を張って伝えられる言葉です。
なぜなら、
「着物は怪しい!着物は危ない!着物に近寄るな!」
今はお着替え詐欺にあった世代も表舞台から消えているのです。
これからは本来の着物文化をストレートに伝えるだけで人は育ちます。

ひょっとして・・・プロの皆さんも・・・
お着替え詐欺の被害者で・・・
着物の着心地と着やすさを伝えられない?

それでも安心して下さい。
着物のプロとして着物本来の意味をまじめに考えれば、
小庵「着らく」の子供達でも一日で理解できる事です。
posted by kiraku at 21:10| 愛知 ☁| Comment(0) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年11月21日

令和のきもの常識!!!!!(*^_^*)

昨夜は娘さんにお母さんをお任せして正解でした。
2人で手を貸しあいながら着替える姿は微笑ましく私の出番はありません。
これが日本に受け継がれた着物文化の姿です。

お母さんの帯は娘さんが結び・・・

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娘さんの帯はお母さんが結ぶ。
この後背中で帯をキメル時に勢いよく回した手が娘さんの頭に「ゴン!」
その後のやり取りに私は大笑いでした。

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着物教室で着付けを習っている人はおそらく、
「2人に任せて教えなくて良いんですか?」と思うハズです。

小庵「着らく」は私流の空気で着物文化を伝えている場所です。
着替えられる人がいれば親子友達に関係なく、その人が教えてあげれば良いのです。

さすが親子だな〜と思ったのは、
2人とも帯締めを結ぶ時になると最初は必ず縦結びにして、

「アレ?おかしくない?」
「アレ、なんで?」

もう一度結び直して

「ちょっと待って!アレ!」
「エー!!!!何で?」

見るに見かねて手を貸すと、

「オー!何で?凄い!」

紐を普通に結んだだけで2人から凄いと言われでも・・・私は困ってしまいました。(^_^;)

親子での小庵「着らく」も笑いの絶えない楽しい時間が流れました。

その国に受け継がれた衣服に着替えるのは、
どこの国でも特別な事ではありません。

とくに日本の着物は民族衣装と言うより、
夏場の浴衣のように生活に根付いた衣服文化です。

「着物を教えている先生にお伝えしたい事は」

着物を着こなすとは・・・いろんな着物と帯を使い着替えた回数でしか上達しません。

着物の着替えとは・・・手にした風呂敷を体に巻き付けるだけの衣服です。
           
「きれいに巻くコツも手にした着物によって変わります。」

現代のポリエステル着物はツルツルして着心地が悪く巻きづらい!
現代ハレ着はやたらとサイズが大きく着心地以前に始末が悪い!

着なれない人が洗える着物や現代ハレ着を巻いた後に、
ウール着物や昔の着物を巻くと・・・「エッ、私は着替えの天才!」と思えるのです。

いろんな着物や帯に触れているだけで自然に体が着やすい着辛いを覚えます。

巻き方を体が覚えると次に着物によって気になる箇所が生まれます。

「師匠、このモコモコ何とかなりませんか?」

自分の着物姿に気になる箇所が生まれた時に、
その始末の仕方は手を貸して教えてあげれば良いのです。

「いろんな着物や帯に触れる事の大切さは、
 着物に限らず衣服の着替えでは常識です。」


この着物はこんな工夫が必要!
この着物にはこんな始末が必要!
この着物は巻くだけで収まりが良い!

これは先ず着替えている本人の感覚から生まれる工夫です。
自分で気になる事が大切で、その時が手を貸して覚える時なのです。

昭和の着物教室の様子を動画で見れば
(沢山あった教室の動画が削除されている!)^^;

教えられた手順に頭を使いながら、
必死になって着替えている生徒さんに対して、
ここはこうしなさい!そこはこうしなさい!と言えば、
着替えている本人は永遠に頭を使いながら着替える事になるのです。

手にした衣服を見ないで、
教えられた手順と道具の使い方を頭で必死に考えながら、
言われた通りに着替える衣服文化はあってはいけないのです。(*^_^*)

平安時代から続く着物文化の歴史で、
お上の認可した寺子屋で着物姿の手本を示して、
この通りに着替えなさいと教えられた時代は無い!

なぜなら、日本の歴史にはそんな怪しげな寺子屋に
お上が認可を与えるような・・・
そこまでお馬鹿なお殿様はいなかったのです。(#^.^#)

令和の空気は平成では正せなかった昭和の歪みが、
恐いくらいの速度で本来の姿に戻り始めている気がします。

皆さんはこの力がどこから生まれているのか知っていますか?

それは昭和の着物文化を知らない、平成生まれの若い人の力です。

着物を教えている先生や着物に関わっている皆さんが、
今の現実からその意味を理解して行動すれば、
着物文化は一年で明るい笑顔に包まれます。(*^^)v

着物を職業にしている着物のプロとは、
着物を通して人を笑顔にするのも立派な仕事です。
posted by kiraku at 08:52| 愛知 ☀| Comment(0) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年11月20日

きもの文化の本来あるべき形とは・・・(*^_^*)

今日のタイトルは衣服文化の本来あるべき姿とは・・・ですね。

このブログを読み続けている人は気付いていると思います。
その国に受け継がれた衣服文化に着替えを教える学校は必要ないのです。

戦後の着物教室が着替えを着付けだと偽って教えた理由も
本来の着替えには手本や作法などは存在しない事を知っていたからです。

「皆さんは今でもハレ着と普段着では着替え方が違うと信じていますか?」

「皆さんは今でも着物の着替えには手順やしきたりがあると信じていますか?」

もしも令和になった今でも、
そんな迷信を信じている人がいたら教えてあげて下さい。

浴衣に着替えられる人なら振袖にも着替えられますよ。
何故なら浴衣も振袖も同じ形をした大きな風呂敷です。

こんな常識を教えているのが、
令和の着物教室だと私は思っています。(*^^)v

日本人は着物の着替えを忘れた民族ではありません。
日本人から本来の着物文化を消してお金儲けをした人がいるのです。

おかしな資格を手にして着替えを着付けだと教えた先生は、
自分もお着替え詐欺の被害者だと気付けば良いのです。

「それだけで目の前の生徒さんは救われます。」

「今までの教え方や流れを急には断ち切れません!」
と言いながら、ズルズルと時間だけを過ごした結果が今の現実です。

小庵「着らく」は紆余曲折の末に過去に4回も場所と人を入れ替えています。
今の場所と形はやっと辿り着いた私流の着物文化の姿です。

皆さんには皆さん流の教え方の工夫と形があって良いのです。
ただ意味の無い看板に縛られて、

「着替えを着付けと教えてはいけません。」

大層な時間とお金を使いやっと手に入れた教室の看板から、
その教室の名前を消すだけで教え方に縛られる理由は無くなります。

これは前に紹介した着物店の娘さんにお伝えしたのと同じ言葉です。

こんな爺さんでも本来の着物文化を通してたった一つの縁を育て繋げれば、
何の宣伝もしなくてもこれだけの名札を掛けているのです。
この名札の数は平成23年に今の場所に移してから仕事と母親の介護の片手間です。

着物を教える先生が女性なら何もしなくても、
同じ歳月で教室にはこの10倍の名札が掛かっています。
なぜなら、皆さんは着物を教えるのが本業だからです。

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日本人は着物の着替えを忘れたのではありません。
自分では着替えられない形と作法を強要されたのです。

着物の先生は正しい着物文化を教えるのが仕事です。
今の日本でこんなに夢のある仕事はありません。

「着物はこれからです。」

私は着物に関わる人に嘘を言った覚えはありません。
ただ間違った行ないを正さないで、
私を嘘つき呼ばわりされても困るのです。(^_^;)

「着物のプロが気付かなければ、
 ダラダラと無駄な時間が過ぎるだけ!」

「着物のプロが気付けば一年で正される文化です。」(*^^)v


突然ですが、
お昼休みにブログ更新の片手間に染みしみ大根を作りました!
夜には味が染みているので遊びに来る親子の手土産ですね。
私の料理は不味くても不味いとは言えない欠点があります。(^_^;)

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posted by kiraku at 13:01| 愛知 ☔| Comment(0) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年11月19日

きもの文化はその時代を映す鏡かも知れません。(*^_^*)

明日は夜の7時からお母さんと娘さんの小庵「着らく」です。

娘さんの方が遊びに来ている回数が多いので、
今回は子供から親に受け継がれる着物文化になりますね。

娘さんからのメールには
「お母さんはお任せします。」とお願いしておきました。(*^^)v

前にもお伝えした事ですが、
お祖母さん世代の人達は着替えを着付けと教えた着物教室の経験者です。
その子供世代の人達は(30代〜50代)着物離れ世代になっています。
平成生まれの人達は成人式の振り袖など完全な着せ付け世代になります。

お正月になるとウールの着物に着替えて初詣に出掛けた人達は、
そろそろ80歳を越えている世代になるのかも知れませんね。

平成生まれの人達は着物に着替える文化から、
美容院で振り袖を着せ付けてもらい初詣に行く着せ付け文化なのです。

若い人達は着替えを諦めてしまい最初から着せ付けを選んでいるのです。

「着物教室の先生はこの変化に気付いていましたか?」

今の若い人に「着物に着替えた事はありますか?」と聞くと、
ほとんどの人は「ありません!」と、それが当然のように笑顔で答えます。

着物は大きな風呂敷を体に巻いて包み、
その風呂敷を一本の紐で留めるだけの衣服です。

平安時代から受け継がれているこんなに単純で簡単な衣服に、
日本に暮らす若い人は一度も着替えた経験が無いとしたら・・・

「皆さんはこの現実に異様さを感じませんか?」

自分では簡単に着替えられない民族衣装など、
世界中を探してもおそらく日本の着物だけです。

「若い人が着物に着替えた経験の無い理由は?」

着替えを着付けと教えられたお祖母さん世代は別にして、
若い人なら着物は簡単に着替えられる衣服だと直ぐに理解できます。

小庵「着らく」と世間の違いはただ一つです。

「それは身近な大人が伝える言葉です。」


「洋服に着替えられるなら着物は簡単!
 着物は大きな風呂敷を体に巻いて
 たった一本の紐で留めるだけの衣服!」

こんな当たり前の常識を伝えるだけで、
若い人は簡単に着物に着替えられるのです。

「着らく」では初めての子でも2〜3回目の着替えで巻き方は覚えます。
帰る頃には自分が着物を着ている事を忘れて友達の帯を手伝っています。

私が30数年前に着物店の御主人に言われた言葉は、

「着物を着たければ着付け教室に行きなさい!」

「今なら分かるのです。」

男の着物は対丈の大きな風呂敷を体に巻いて、
たった一本の角帯で留めるだけの衣服です。

着物の着替えは身近な大人が、
人としての常識を伝えるだけで、
誰でも簡単に着替えられる衣服です。

大人として、人として、
着物は簡単に着替えられないと教えてはいけません。

着替えのできる皆さんにお願いがあります。

「着物は簡単に着替えられないと笑われますよ。」

こんな言葉を若い人に伝えて、
普通の着替えを教えてあげて下さい。(*^_^*)
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2019年11月18日

袋帯の価値は?????(^_^;)

昼休みにヤフオクを見ていたら

「超大量呉服袋帯500点★
 刺繍伝統美術織物西陣本金箔純金箔綴れ24kプラチナ・・・送料無料」
 即決価格600.000万円 

17個口の送料を無料にしても買い手のつかないその画面を見ながら、

「遂に袋帯が一本1200円でも買い手の付かない時代になったのか・・・」

私の母親が25年前に30万円で買った金糸銀糸の華やかな袋帯を思いだし、
画面の中に似たような帯を見て深い溜め息をついてしまいました。(^_^;)

「袋帯は主に成人式の飾り結びに使われた帯です。」

当時70歳の母親に袋帯を勧めた着物店はもうありませんが、
あの当時は年齢や用途に関係なく着物店の勧める帯は袋帯でした。

「今から考えると本当におかしな時代でしたね。」

袋帯は一生に何度も結ぶことのないハレの場で結ぶ帯です。
本来であればその家のタンスで大切に受け継がれる帯なんですよ。

二束三文でも買い手のつかない袋帯の山を見ていると、

「星の数ほどあった着物教室は、
 着物について何を教えていたのか!」

と・・・少し腹立たしくなりました。

平安時代から千二百年以上も受け継がれた着物文化の歴史で、
たった25年でこれほど見せられる景色が変化した時代はありません。

「着物教室は本来の着物文化を教える場所です。」

「日本の着物は子孫に温もりを伝えた衣服です。」

「日本の着物は縦に長い日本の四季と風土にあった衣服です。」

「日本の着物に受け継がれた直線裁ちは質素倹約の知恵です。」

日本中がバブル景気で浮かれた時代だからこそ、
着物教室では着物本来の価値を伝える意味があったのです。

「日本に受け継がれた着物の価値は、
 着物に託された温もりと質素倹約の心です。」

あの当時の着物教室は何を教えていたのでしょうか?

男性の私は通いたくてもすべての教室から拒否されたので、
教えていた内容について詳しくは知らないのです。(^_^;)

ただ資格を手にした人の教え方に触れるたびに不愉快になり、
着物に対する知識の無さには驚かされた思い出があります。(^_^;)

着物文化と着物業界の明るい未来は、
着物教室が当たり前の常識を教えるだけです。

「エッ?アレレ?ナニナニ?
 私は何かおかしな事を言っているー!」

着物教室で着物の常識を教えるのは、
べつに特別な事ではありません。(*^_^*)


今の古着市場を見ていると、
袋帯がタンスの邪魔になるほど売れた時代の名残りです。
プロと言われる人達が着替えの文化を育てなければ、
現代ハレ着の古着は躾糸を付けたまま、この先100年は日本中を巡ります。

来年の春には「無料きもの着替え教室」のテレビCMが流れると良いですね。(*^^)v
posted by kiraku at 16:04| 愛知 ☀| Comment(0) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年11月15日

きものは楽に着ましょうね。(*^_^*)

「きものは楽に着ましょうね。」

「きものを着て痛い苦しい窮屈はありませんよ。」

「浴衣の着れる子は振り袖も着れる。」
(ら抜きでスイマセン)

「着替えに着付け道具は使わない。」

「着物文化の決まり事は右前と左前の合せだけです。」

「背中で結ぶ帯は着付け師の結んだ帯です。
 最初から自分で結んではいけません。」

「着物のTPOは洋服の常識と同じですよ。
 ハレの場は絹のシャネルと言われたら困ります。」

これは私が小庵「着らく」で伝え続けた言葉です。
今年も残り一ヶ月半になりました。
来年になると2000年から始めた着らくは20年目に入ります。

「ブログを始めた2009年は本来の着物文化を伝える意味と、
 すべての意味で着らくを続ける事に限界を感じていた時期です。
 このブログは着らくが消えても想いだけは残そうと始めた内容です。」

令和になって世の中の空気が激変している事を、
着物に関わる人や着物教室の先生は肌で感じていると思います。

令和になって着物店や着物教室が辞める話をよく耳にします。
高齢の方がやっているお店や教室では仕方がないのかも知れません。

20年前は42歳だった私も今月で62歳です。

今の着物業界や着物教室の先生達の平均年齢は何歳になりましたか?
何よりもお客さんや生徒さんの平均年齢は何歳ですか?

中村区にある着物教室に通う生徒さんの平均年齢は60歳です。

小庵「着らく」で着物に触れている子供達の平均年齢は20歳です。

着物のプロとして、やるやらない、できるできないは別にして、
若い人に正しい着物文化を伝える責任と義務はあります。

小庵「着らく」の引き出しの中には、
その方法と手段は腐るほどあります。

過去の記憶で残念だった事は・・・
きものに関わる人達に本来の着物文化の空気を伝えても、
まるで他人事のような顔をして、何一つ質問をされなかった事です。

古着市場の値崩れは令和になっても止まりません。
着物文化がここまで衰退した理由を、
着物のプロと言われている皆さんは解っていない気がします。

この着物姿は昭和30年代に結婚式場で流行った、
着付けの現場で作られた着付け師の作品です。

004.jpg

昭和の一時期にこの着物姿を着替えの手本にして、
大衆を騙してお金儲けをした詐欺師がいたのです。
(そんな着物教室の歴史はたかが40数年です。)

着替えを着付けだと教えられてしまうと、
着替えの形に着心地と着やすさは無くなります。


お母さんは朝から着物に着替えても、
この着物姿では味噌汁も作れないのです。

004.jpg

「こんなオヤジがなんで着替えを教えなくてはいけないのか?」

これは2000年に創める時に思った着物文化最大の七不思議です。

令和の着物文化はパジャマに着替えられない人が身近にいれば、
プロやアマに関係なく誰でも笑顔で教えてあげれば良いのです。

教える形はその人が笑顔になれる楽しい着物姿で良いのです。

私が20年前に思い描いた今の小庵「着らく」の空気は、
同じように着物文化に危機感を持っていたプロと言われる人達なら、
20年後の今は同じ空気の中で楽しく着物に触れているハズです。

受け継がれた着物の価値は、
作者の落款や産地の証紙ではありません。
着物に残された先代の思い出なのです。

本来の着物文化が広く伝われば、
古着市場の様子も10年後は様変わりをしています。(*^^)v



小庵「着らく」からのお知らせです。

先月からボツボツと今の場所に移す前の平安通りに来ていた人も遊びに来ています。
あれから7年も経ってしまいましたが、縁があれば皆さんもまた遊びに来て下さい。
連絡を頂ければ平日でも小庵「着らく」は開けてお待ちします。

アッ、平安通りに来ていた人は皆さん着替えられる人です。
私は相手をしませんので勝手に着替えて遊んで下さい。
できれば家族やお友達に着物の楽しさを伝える場として使って下さい。(*^_^*)
 
「令和になって私もやっと・・・
 本当にやっと引退ができそうな気がします。」


明日は妻と41号線を通って紅葉を観ながら下呂方面に向かい、
途中の道の駅で野菜を買いながら美輝の湯でのんびり過ごします。

「この季節は鬼饅頭用にサツマイモは多めに買って帰ります。」

今年は年末年始の休日も妻は急病センターの仕事が入っています。
私は独りでどこに行く予定もありませんので、
「着らく」の予定が入ればお正月でも喜んでお迎えいたします。(*^^)v
posted by kiraku at 12:29| 愛知 ☀| Comment(0) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年11月13日

きものは簡単に着られる衣服です。(#^.^#)

今日のタイトルは当たり前すぎておかしい!(^_^;)

昨夜は7時からお母さんと娘さんの小庵「着らく」でした。
娘さんは6回目でほぼどんな着物でも着こなしているので安心!

2回目のお母さんには私が簡単に帯の手順をマネキンで説明し始めると、
お母さんは忘れないようにアイフォンで動画を撮影しながら見ていました。
私はマネキンに帯を結びながら笑顔でこんな一言。

「後から動画を見ても帯結びの参考にはなりませんよ」(*^_^*)

6回目の娘さんはその意味を理解していましたが、
皆さんは動画を見ても帯は結べない理由は分かりますか?

女性の帯は半巾帯でも名古屋帯でも袋帯でも丸帯でも、
体に2回巻いた後にキメルまではすべて同じです。

後は余っている帯の長さで結ぶ形を考える遊び道具です。

お母さんは説明している時も画面の中で手順を見ているだけで、
目の前で結んでいる帯を見ていない事に気付いていないのです。(^_^;)

これは昭和の着物教室の教え方と同じで、
先生は手本を示して結ぶ手順だけを教えようとする、
生徒さんはその手順を頭で覚えようと必死になり、
帯を結ぶ意味も楽しさも感じられない形になるのです。

「帯にあわせた工夫ができなくなります。」(^_^;)

今回も簡単に一通りの手順をお母さんに伝えてから、
1回目の帯結びは最初に娘さんがお母さんの帯を結び、
娘さんの帯は私が手を貸しながらお母さんに結んでもらいました。

次は娘さんの帯は娘さんが鏡を見ながらお母さんに言葉を掛けて結んでもらい、
お母さんの帯も娘さんが結びながら意味を説明して結んでいました。

3回目の帯結びでは2回巻いた後のキメ方のコツも体が覚え、
余った長さで二重太鼓にするか一重太鼓にするかの意味も理解されていました。

帯を見ながら結べばキメ方だけを覚えれば後は余った長さで、
長ければ二重太鼓、短ければ一重太鼓や角出しにするのは簡単なのです。

女性の帯は手本を見ても絶対にその通りには結べません。
手にした帯を見ながら余った長さで工夫する遊び道具だからです。

この理屈が分かるとお太鼓は簡単で楽しい帯だと分かります。

親子で楽しく着替えた着物と帯の山です。

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戦後の日本に着物教室が誕生する前の日本では、
和裁を教えてくれる人はご近所にいても、
わざわざ着替えを教える教室は無かったのです。

着物教室の先生はその意味を理解すれば、
生徒さんに教える内容も楽しくなります。

令和を区切りに本来の着物文化の楽しさを伝えるのも、
笑顔に包まれた立派な仕事になると思います。(#^.^#)

posted by kiraku at 12:35| 愛知 ☀| Comment(0) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年11月11日

きもの姿は人それぞれです。(*^_^*)

今日のタイトルも当たり前すぎておかしいですよね〜(^_^;)

こんな当たり前の常識すら着物の世界では理解されなかった時代もあります。

おかしな呪縛から解放された世間の空気を感じながら、
そろそろ意味を知って着替える楽しさも大切かと思います。

私は意味を知って着替える大切さを子供達には伝えています。

昭和の着物教室がはしょりの長さにこだわった理由は?

おかしな洗脳を受けてしまった人はあの長さを黄金比率だと言います。
この言葉に皆さんは納得して着替えているのかも知れません。

小庵「着らく」では・・・・・・

「違う!違う!昔の写真を見れば一目瞭然!」

「一般の人はお金持ちでも先染めのかたものが晴れ着であって、
 はしょりを長く出せるたれものを持っていた人は珍しかったのです。」

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昭和の着付け教室が、
絹のたれものとはしょりの長さにこだわったのは、
手本通りの長さではしょれるような絹のたれものを着ていたのは,

「この人達なのです。」

002.JPG

着付け師さんのお客さんは花嫁衣装と花柳界のお姉さん!

この人達が着付け師さんにお願いしていたのは
自分では結べない背中の帯を結んでもらっていたからです。
(この時代に背中で結んでいた帯は丸帯です)

絹のたれものは衿を広げて着せ付けるのは常識です。

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昭和の着付け教室がはしょりの長さにこだわったのは黄金比率ではありません。

あの長さではしょれる絹のたれものは庶民のタンスには一枚も無かったからです。

受け継がれた着物では着られない形を手本にすれば、
生徒さんは新たに高価な着物と帯を揃えるのです。

「着物教室で教えられる着物には、
 意味も分からずお金が掛かった理由です。」


遊びに来ている子供達は着物教室に行くと着物を買わされた意味と、
タンスの着物が捨てられた理由を知った上で長さを気にせずはしょっています。(*^^)v

皆さんは家の洋服ダンスを開けて、
引きずる長さのロングドレスを何着持っていますか?

御祖母さんの和タンスを開けると、
引きずりサイズの絹のたれものが山ほど出て来ます。
しかし、着やすい昔の着物は見事に捨てられています。

令和の着物教室では、
はしょりの長さを決めないで着替えていると思います、

昭和の着物教室の先生は、
形の意味をまったく知らずに教えていたのです。
知っていたらはしょりの長さは決めません。(#^.^#)

アーーーー!!!!!!
令和のタンスは高価な絹のたれものばかりでしたね。
それでも意味を知れば楽しく着替えられます。(*^_^*)


もしも今でも、
はしょりの長さを決めている先生がいたら、
長さを決めてしまうと丈の足りない着物はゴミとして、
捨てられた時代があった事を知っているのでしょうか?

意味を知って昭和の着物教室を振り返ると、
楽しい着付けゴッコだったと分かるのです。
真に受けるとお金と時間を奪われます。(T_T)

posted by kiraku at 21:47| 愛知 ☀| Comment(0) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年11月09日

きものに着替えたい!!!エッ、誰に聞けばいいの?(^_^;)

今日のタイトルもおかしなタイトルかも知れませんね〜(^_^;)

皆さんは洋服の着替えを習った記憶はありますか?
おそらく物心がつく頃には自分で着替えていたと思います。

では洋服の着替えは誰が教えたのか?

この答えが健全な衣服文化のあり方です。

文章では小庵「着らく」の空気を伝えられないのも、
着物は好き勝手に着替えていれば自然に着られるようになるからです。

私がいつも伝えている言葉があります。

「頭を使って着替えている内は形を気にしてはいけない!
 巻き方や決めるコツを体が覚えれば形は自然に作れるものです。」

皆さんにこの意味が分かりますか?

「頭を使いながら着替える衣服はないのです。」

年配の人は最初から着物は習って着る物だと思っている人が多く、
本来の着替え方を理解するまでには時間がかかります。(^_^;)

なぜか?

子供達は最初に巻き方のコツとキメるポイントだけを簡単に教えれば、
後は手にした着物や帯を見ながらどうしたら良いのかを自分で工夫します。

年配の人は次はどうしたら良いのかと私を見るのです。

問題なのは、最初からどうしたら良いのかと考えるイメージの先に、
着付け教室で教えているシワの無い決められた形があることです。

目の前に手本は無くても勝手に頭の中に手本を持ってしまうと、
手にした着物や帯との会話ができなくなってしまいます。(^_^;)

今の場所に移す前の着らくでこんな事がありました。

着物教室で講師の資格を手にしている人が遊びに来た時に、
棚から古い刺繍の帯を見つけて「カワイイ帯ですね〜」と自分の体に巻きながら、
最後のテが自分のイメージ通りに結ぶには足りなかったのです。
すると不機嫌な顔で「この帯は短くてきれいに結べません!」

結ばれた帯は「この人は何が不満なの?」と困惑していました。^_^;

皆さんは私が何を伝えたいのか分かりますか?

着物は大きな風呂敷を体に巻いて紐で留める衣服です。
女性の帯はその衣服を飾るための細長い布なのです。

風呂敷はどんな形の物でもきれいに包み込む一枚の布です。
女性の帯は風呂敷で体を包んだ後に楽しく結ぶ飾りなのです。

着物に着替える楽しさは、
手にした風呂敷と帯を見ながら、
自分の体を包み飾る工夫だと気付けば良いのです。

着物が着られなくなった理由は簡単です。

似たような体型の人はいても同じ体型の人はいません。
太い人も細い人もそれぞれに大きな風呂敷と帯を持たされ、

「その風呂敷と帯を使い教えられた手順と道具を使い、
 この手本通りにセンチの単位まで真似て体を包みなさい!」

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こんな馬鹿な事を教えていた着物教室が昭和の時代には、
国から認可を受けた学校法人として存在していたのです。

「きものに着替えたい!!!」

お母さんに聞いても教えてもらえないとしたら、
近所の着物店で聞くか着物教室に通うしかありません。(*^_^*)

「そこで着替えを着付けだと教えられたら困るのです。」

もう直ぐ着物のプロと言われる人達が気付きます。
アッ、もう気付いて行動しているプロの人もいます。(#^.^#)

もしも身近に聞ける人がいなければ、
手にした着物や帯から着方を学ぶのも楽しいですよ。

小庵「着らく」で遊んでいる子供達は、
着物や帯との会話を楽しみながら学んでいます。

令和になった現代では、
着替えを着付けと表現している着物のプロはいません。

「プロは間違った事は教えないのです。」(*^^)v
posted by kiraku at 17:28| 愛知 ☀| Comment(0) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年11月08日

着物の着替えは忘れない!(*^_^*)

衣服の着替え方を忘れる人はいません。
やはり今日のタイトルはおかしいですね。(・_・;)

このタイトルにした理由は同世代の人と話をすると必ず言われるのが、

「若い頃に習ったけど忘れました。」

皆さんも周りの還暦世代よりも上の人に聞いてみて下さい。(*^_^*)

我々世代はこれが挨拶のように当たり前の会話になっているのですが、
普通に着物を着ている人や若い人には理解できないかも知れません。

私がしつこく着替えを着付けだと偽って教えてはいけませんと言うのは、
着付けは忘れても不思議ではなくなり、着替えだと忘れる人はいなくなる!

この意味は言葉をそのまま文章にすると理解できます。

「お母さんは着物の着付けを習ったけど忘れた!」

「お母さんは着物の着替えを習ったけど忘れた?」

着付けを着替えに置き換えるだけで忘れた事が不思議になるのです。
これは着物を教えている先生にも同じ事が言えます。

「今から着物の着付けを教えます!」

「今から着物の着替えを教えます?」

着付けを着替えに置き換えると今までの教え方に疑問が生まれ、
先ずは着付け道具の意味を考えるようになると思います。

これだけで教えている先生も着替えには意味の無い、
無駄な手順や道具がどれほどあるのかを自覚できます。

過去に着替えを習ったのに忘れた人は、
最初から着替えには必要のない無駄な手順と、
着付け道具の使い方を忘れているのです。(*^_^*)

お孫さんと遊びに来てくれた御祖母ちゃんに着物の形からその意味を伝えると、
すべての説明に対して「着付け教室では教えてもらわなかった」と言われました。

着物の常識と疑問を生徒さんにおもしろおかしく伝えるだけで、
過去の間違いを正しながら生徒さんの笑顔に繋がると思います。(#^.^#)

女性の着物にだけバチ襟と広襟のある理由とバチ襟と広襟の意味は?

女性の着物にだけ身八ッ口のある理由は?

丸帯は裏表に柄のある理由は?

同じ形でも袋帯は裏に柄のない理由は?

名古屋帯は畳みづらい理由は?

昔の着物は丈が短く巻きやすい理由は?

現代の着物は丈が長く巻きづらい理由は?

背中心を掛け衿で合せてはいけない理由は?

身八ッ口から手を入れて背中のはしょりの始末をしてはいけない理由は?

着物の縫い糸は生地よりも弱い糸を使う理由は?

40年前は着物店では着せ付けをやらなかった理由は?

戦前までは着物教室が無くても日本中の人が着物を着られた理由は?

昭和の着物教室がはしょりの長さにこだわった理由は?

昭和の着物教室が襟周りの形にこだわった理由は?

昭和の着物教室が背中の帯を自分の背中で結ばせた理由は?

昭和の着物教室が着替えに補正道具を強要した理由は?

こんな疑問や質問にすべて答えられる先生なら
着替えを習いに来ている生徒さんも笑顔です。(*^^)v

昔の人がハレ着の着物姿で
とくに気を付けていた常識があります。

それは着物の襟を詰めて首に近付けない事です。
昔の人は襦袢の衿に好きな布を縫い付けオシャレを楽しみ、
着物の衿はできるだけ広げ首から遠ざけて汚さないようにしていました。

着物姿の意味とその理由を知れば高価な晴れ着ほど、
着物の衿を首から遠ざけている人は粋な着こなしに見えるのです。

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白黒時代の時代劇を見ればお太鼓の着物姿はほとんどありません。
現代の着物姿はなぜかお太鼓の着物姿しか見られないのです。

令和の着物姿はどんな形になるのでしょうか・・・

着物の常識を教えている先生の数だけ、
日本中で無限の着物姿に出会えると思います。(#^.^#)

衣服の常識として、
好き嫌いで着る着ないを考えるのは健全な文化です。

過去の着物文化を見れば好き嫌いより以前に、
着られる着られないが問題になる異常な文化です。


遊びに来ている子供達は着物と洋服の区別がありません。

着物は大きな風呂敷を体に巻いて一本の紐で留めるだけの衣服!
こんな当たり前の常識をもつだけで、
着やすさと着心地を感じながら簡単に着ているのです。

前回の卒業生は五年ぶりでも着物の着替えを忘れていないのは、
この先六十年は洋服の着替えを忘れないのと同じです。(*^^)v

着物を教える先生の喜びは、
出会うすべての生徒さんの笑顔です。

「着物の着やすさと着心地を伝えていますか?」

着物を売る人のやりがいは、
三代先の子孫まで着物を通して感謝をされる仕事です。

「子孫を思いやる着物の温もりを伝えていますか?」


と・・・このブログを通して、
こんな当たり前の常識を伝え続けて丸十年です。

着物のプロと言われている皆さんの抱えている現実と、
ブログを更新しながら思い描いた今の現実は違うのでしょうか?

先月お話した着物店の娘さんに伝えた言葉があります。

小庵「着らく」に掛けられている名札は、
今の場所に移した平成23年から新たに来ている人の名札です。

「こんな爺さんが仕事と母親の介護の片手間に、
 何の宣伝もしないでたった一つの縁を育て繋げただけの結果です。
 女性のあなたなら本来の着物文化を伝えるだけで、
 何もしなくてもこの十倍の名札をお店に掛けたと思います。」

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着物に関わる若い人に伝えたい言葉は、

「着物はこれからですよ。」(#^.^#)

着物に関わるご老体に伝えたい言葉は、

「明日から若い人に道を譲り、
 木立の陰から黙って見守りなさい。」

今を見逃すと子孫の難儀を、
草葉の陰から見守る事になりますよ。(・_・;)


posted by kiraku at 19:27| 愛知 ☀| Comment(2) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年11月07日

小庵「着らく」はいつも穏やかな着物時間です。(*^_^*)

月曜日は5年ぶりの卒業生と再会していました。

このグダグダとした着こなしは5年前と何も変わらない!
そんな着物姿を見ているとタイムスリップしたような気持ちになります。

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驚いたのは自分でお太鼓を結んでいた事です。

「アレ、前は自分でお太鼓を結んでいたか?」

「好き勝手にやっていた気がします」

う〜ん・・・個人的には心の中で
「久しぶりのお太鼓なら友達に頼めば良いのに・・・」と思いながらも、
着物に合わせてお太鼓もグダグダの方が相性は良いような気がします。(^_^;)

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アッ、青★の子は小庵「着らく」で数々の伝説を残した子です。
1日で着替えた回数は今も後輩達が挑戦するも破られていません。

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今は結婚をして晴れの場での着物が多くなり袋帯を結ぶ機会が増えたそうです。
と私に話しながら着らくではグダグダな着物姿が好きみたいです。(#^.^#)

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そんな小庵「着らく」での楽しい会話を紹介すると、
私の前で一人の子が持って来た袋から着物を出しているので、

「家から持って来たのか?」

「エッ?これは着らくで借りていた物です。」(笑)

と言いながら袋から数枚の着物と帯を出すのです。

「アレ?そんな着物あったか?その下の着物は見たことあるわ!
 オイ、5年ぶりに帰って来た着物を見て何か得した気持ちだぞ〜」(大笑い)

するともう一人の子が横から、

「師匠、キティーちゃんの帯簪を持って来ました。」

「オー、魚屋のキティーちゃんが帰って来たかー!
 後輩にキティーちゃんの帯簪の話をする時に現物が無いから、
 もうこれは幻の帯簪になっていたんだぞ。」

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するともう一人の子が「私の家にも制服姿のキティーちゃんがあります。」(笑)

小庵「着らく」の着物時間では、
すべてのキティーちゃん帯簪が揃うのはまだン十年先ですね。

「着物時間で育った子供達はそれで良いのです。」(#^.^#)

受け継がれた着物に包まれるとのんびりとした穏やかな心が育ちます。

手本通りの形に囚われてしまうと他人の着物姿や形が気になり、
その着物姿で人を判断するギスギスとした心を育ててしまいます。

やはり着物は穏かな心を包んで着こなしたいですね。(*^^)v


令和の空気はビックリするほど大きく動いています。
その流れは誰にも止められない環境で育っている気がします。
今の日本を動かしているのは遊びに来ている子供達の世代です。

本来の着物文化も確実に育っています。(*^_^*)

遊びに来ている子供達と私の年齢差は40年です。
このまま同じ環境で20年続けられたとしても年齢差が60年になります。

80過ぎた爺さんが相も変わらず子供達に着替えを教えている?
その姿は想像するだけでも笑ってしまうのです。(^_^;)

オレンジ名札の子にこんな言葉を伝えています。
「着らく」を始めたければ着物と知恵は腐るほどあるから言いなさい。

「私の言葉はいつも、
 半分は冗談でも半分は本気なんですよ。」(*^^)v

「着物の着替えを教えるのに資格は必要ない!」
こんな常識すら通じない時代もあったのです。(・_・;)

人としての常識が育てば、
昭和の着物教室で着替えを着付けだと教えた理由も、
私が伝えなくても若い人は自然に理解しています。


着物のプロと言われる人達がお客さんや生徒さんから、
着付けの表現を間違いとして指摘されるのは恥です。
何も言わないお客さんと生徒さんは黙って離れます。


「プロは過去の間違いを正す立場です。」(#^.^#)


アレレ?令和になっても更新がカラフルになっている!
まだプロと言われる人達に対して伝えたい情熱が残っていたんですね。

プロが気付けば半年後には、
そのお店や教室の空気は良い方向に一変しています。

「その空気は直ぐに日本中に広がると思いますよ。
 正しい事を教え伝えるのはプロとして当たり前です。」(*^^)v
posted by kiraku at 19:02| 愛知 ☁| Comment(0) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年11月03日

きものを簡単に着替えるには・・・(*^_^*)

今日のタイトルは着替えている人の環境によって伝える内容は違います。(^_^;)

誰でも簡単に着替えてしまう小庵「着らく」の空気になれてしまうと、
簡単に着替えられない人は何を困っているのか?

まさか令和の今でも昭和の悪夢を引きずっている人や環境があるとは思えません。

ある日の小庵「着らく」

前回の小庵「着らく」は初めての子と2回目の子と3回目の子が、
オレンジ名札の先輩2人と遊びに来てくれました。

最近は着なれていない子の相手は私がするように心掛けています。
理由は簡単!
早く着なれてくれれば本人も先輩も私も楽ができるからです。(*^_^*)

先ずは着物の形から子孫を思いやる着物文化の温もりを伝え、
帯の歴史と種類もクイズ形式で簡単に伝えてからお着替え開始!

着物を羽織ったらロングドレスをはしょる意味を伝えながらはしょるコツを教え、
大きな風呂敷は始末が大変になる理由を伝えながら道具の使い方は適当に伝える。(^_^;)

着物が巻けたら一言。

「帯は何を結びたい?」

「・・・・・・」

「浮かばなければ来年のお茶会用にお太鼓にするか?」

「ハイ」

「3人なら今日中に手順は覚えられるから安心しなさい。」

「ハイ」

3人にはマネキンを使いお太鼓の手順だけを簡単に一通り伝えてから、
後は自分で選んだ帯を順番に知恵を出し合いながら結んでもらいました。

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着なれていない3人の1回目の着物姿です。
初めての子も浴衣を自分で着た経験があるのでバッチリでした。
バカボンにもグダグダにもなっていないので先輩と私はガッカリ!(*^_^*)

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背中の帯も3人の知恵を出し合えば簡単に形は作れます。

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オレンジ名札の先輩は私に後輩を任せてお茶会用の着物姿!

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同じに見える着物姿でもオレンジ名札の子は選ぶ着物と後ろ姿に貫禄があります。

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先輩の着物姿を見ながら後輩3人は次の着物と帯を選んでいました。

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着物を巻いたらまた順番に知恵を出し合い帯結び!

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結んでもらったら次は結んであげる!

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3人で着替えると1回の着替えでお太鼓の手順は3回おさらいができます。

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着なれていない子の2回目の着物姿です。

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まだ頭を使いながらの帯結びでも、形の作り方は上手になっています。

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帯の手順を手が覚え始めると着物や帯を選ぶのが楽しくなります。(#^.^#)
この頃から着物と帯の色柄を見ながら好き嫌いを口にして選んでいるのです。

「皆さんにこの意味が分かりますか?」

この子達は着物を難しいとか大変とは思っていないのです。
次はどんな着物姿になるのかな〜。 こんな着物姿になりたいな〜。
と、自分の着物姿にワクワクドキドキとした気持ちで着物に触れているのです。

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着物と帯を選んだらお着替え!

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大きな風呂敷を体に巻いて一本の紐で留めるだけの衣服!
背中の帯は着付け師ゴッコで遊びながら手順を覚える!

「こんなに簡単で楽しい衣服を大人は着られないと胸を張るんだぞ〜」

3回目の着物姿を見れば・・・こんな私の言葉の意味も分からないと思います。

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もうお太鼓の手順は頭を使わなくても結べます。
「何で頭を使っていないと分かるの?」
それは手にした帯の個性とクセをみながら会話をしているからです。

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4回目の着替えです。

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着物や帯と会話をすれば着物姿は習わなくても、
手にした着物と帯が教えてくれます。

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この子達が次回遊びに来る時には、
先輩や私は何もしなくても勝手に着替えて遊んでいます。

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この日が2回目の小庵「着らく」だったこの子も、
次回は自信を持って友達に着替えを教えています。
そんな自信を感じた後姿でした。ヽ(^。^)ノ

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着物は四角い風呂敷を体に巻いて、
たった一本の紐で留めるだけの衣服です。

頭で小難しく考えながら着替える事の方が、
本当は大変で難しいと教えるのが着物のプロです。(*^^)v

昭和の着物教室では見えない背中の帯を、
最初から自分で結びなさいと教えていました。

今でもその無理難題を強要した時代を思い出すと、
日本のイジメが陰湿になった原因だと思っています。
(^_^;)


今日はご近所の着物店の奥さんが娘さんを連れて遊びに来て、
3人で着物の未来について楽しい話で盛り上がりましたよ。

「着物業界に右肩下がりの時代は過去も今も存在しません。」

こんな話で盛り上がれるのも令和の着物文化ですね。(#^.^#)

アッ、遊びに来ている子が着物教室のテレビCMを見て、

「師匠、米倉〇子が着物は1回では着られないと言っていましたよ」(笑)

着物に関わる人達はこんな常識が育っている事を忘れてはいけません。

着物を簡単に着られては困る?

簡単に着られないから捨てられるのです。

着られる高価な衣服を捨てた人が、
新たにその高価な衣服を買う事はありません。
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2019年10月30日

きものは簡単に楽しく着ましょうね。(*^_^*)

小庵「着らく」は遊びに来る人の予定に合せて、
相も変わらずのんびりとしたペースで開催しています。

今月は小庵「着らく」始まって以来の親子三代で遊びに来てくれた日がありました。
この話を遊びに来ている子にすると「エッ、19年間で初めてですか?」

遊びに来ている子供達にはいつもお母さんやお父さんを誘いなさいと言っています。
しかし返事はいつも同じ「絶対に無理です!」(^_^;)

その理由は三世代で着物に触れる姿を見て何となく分かりました。

60歳以上の御祖母ちゃん世代は着物教室を経験している世代です。
その娘さんで30代〜40代のお母さんは着物から一番遠ざかった世代なのです。
では世間の10代〜20代のお孫さん世代はどうなんでしょうか?

今月最後の小庵「着らく」

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空気が育たないと伝えられない言葉があります。
それは「若い子にお太鼓は似合わない!」
若い子が背中の帯を結ぶなら角出しにした方が着物姿は楽です。(#^.^#)

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こんな当たり前の常識を伝えられるのが令和の空気だと思います。
子供達もお太鼓の着物姿よりも角出しの方が・・・

「楽でカッコイイ!!!」と分かっているのです。

背中の帯で手順が一番簡単なのは袋帯の二重太鼓です。
ただ背負っている本人は見た目も重たく窮屈さを感じます。(^_^;)

名古屋帯の一重太鼓と角出しはドッコイドッコイですね。
手順は角出しの方が簡単でも長い帯は垂の始末に苦労する!

理想は楽しくて一番楽な半巾帯です。
茶道なら女の子が紬に男結びでお点前をする姿はカッコイイ!(私の妄想です)

アッ、これは先生が手本を示せば直ぐに令和の常識になる気がします。
何故なら、その着物姿の方が質素倹約の茶道には似合うからです。

女性の帯は体に二回巻いた後にキメルまでの手順はどれも同じです。
後は余った長さで形を考えれば良いのです。

お太鼓は名古屋帯でも長ければ二重太鼓!
袋帯や丸帯でも巻いて短ければ一重太鼓!

昭和の着物教室を経験した人達は、
袋帯は二重太鼓! 名古屋帯は一重太鼓!
なぜか帯の名前で結ぶ形を決めてしまいます。

一般に歴史の浅い袋帯が長いのは振袖の飾り結びをする為です。
袋帯が二重太鼓になるのは長いから! それ以外の理由はありません。

「ハレの場では幸せが重なるように二重太鼓?」 
遊びに来ている子供達はこんな後付けの言葉に騙される事はありません。(*^^)v

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着物教室に通っている人で意外に知らない帯の常識があります。
それは受け継がれた帯は長さも仕立ても違うものが多いのです。

普通に巻くと胴の柄が反対になる帯があったりします。
長さの違う帯の始末は数をこなせば自然に体が覚えます。(^_^;)

昔の人は帯も自分の体に合せて仕立てていた事を忘れてはいけません。
タンスに受け継がれた着物や帯にとって昭和の着物教室とは、

「〇✕▽&%#%’」文字にできないほどの辛い思い出だと思います。

本来の常識を持って着替えれば着物は簡単な衣服だと気付きます。
そして世間の形も無限にある着物姿の一つだと分かります。

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小庵「着らく」からのお知らせです。
来月の16日は日帰りで妻と温泉に行きたいので予定を入れないで下さいね。
(*^^)v
posted by kiraku at 20:01| 愛知 ☀| Comment(0) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年10月21日

「きものが大好きになりました!」(*^_^*)

今日のタイトルは着物店の息子さんとの会話の中で伝えた言葉です。

「お客さんの口からこんな言葉を聞けたら仕事が楽しくなりますよ。」

令和の着物店ではお客さんに対して本来の着替えを教えるのは、
着物を売るプロとしての常識だと私は考えています。

本来の着替えを知れば誰でも着物を大好きになってくれます。
こんな当たり前の環境作りをするのがプロの仕事だと思います。(*^_^*)

ある日の小庵「着らく」

着物に着なれた子は古い時代の着物の着やすさと着こなしを知っています。

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戦前の着物は裄は足りてもはしょりの出せない着物が多い!その理由は?
昔の写真を見ながら説明すればその理由と着やすさの意味は直ぐに理解できます。

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後姿も背中のシワが気になる時は友達に頼めば簡単です。

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着物姿で一番楽しいのは帯結び!

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帯締めと帯揚げの色が決まらない!その時は友達のセンスを借りる!

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遊び疲れたら帯を結ぶスタイルも変わるものです。(^_^;)

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帯締めだけは立って「親の仇ー!」と締め上げる。

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友達に手を貸した分だけ着せ付けの知恵と工夫は生まれます。

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この子は4回目で着物の着心地と着やすさを理解して、
時代のある着物でも粋に着こなしています。(*^^)v

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着なれた子はお太鼓を自分で結ぶのもそれほど大変ではありません。

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自分の背中にお太鼓を結ぶのも着なれた子のチャレンジ精神の形です。

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友達は手を貸したいけど・・・帯と遊んでいるのに邪魔はしたくない?

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やはり背中の帯は友達の手を借りた方が楽ちんです。(#^.^#)

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「若い子にお太鼓は似合わないから角出しを覚えなさい。」 「ハイ!」

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着なれた子は遊びの工夫も増えて来ます。

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背中の帯は友達を手伝いながら手順を体で覚えるのが一番です。

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棚から帯をドッサリ出しても晴れ着の帯が決まらない! 一番楽しい時間です。(#^.^#)

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手にした帯にあわせた工夫は友達を見ながら自然に学ぶ!(#^.^#)

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遊びに来ている子供達の数だけ自己流の工夫があり、
手にした着物と帯の数だけ着替えの工夫が生まれます。

初めての子も着なれた子も分け隔てなく楽しく着替えれば、
手を貸した子は感謝の言葉の数だけ着せ付けと着替えの腕も上がります。

昨日の小庵「着らく」でこんな話をしました。

なんで昭和の着物教室では
「はしょり」の長さを決めたのか分かるか?

なんで昭和の着物教室では、
袋帯の二重太鼓を正装の帯にしたのか分かるか?

なんで昭和の着物教室に通った人は、
お直しオバサンになったのか分かるか?

その答えと理由を誰にでも分かる言葉で伝えれば、
日本人の着物に対する間違った考えは無くなります。(#^.^#)

来月はお茶会があります。
世間にあわせた着物姿にする為に今月は帯板を入れたりしてます。

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本当は世間にあわせるよりも楽しく遊びたい!

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アッ、この着物姿はこの子にあわせて私が選んだお茶会用の着物と帯です。
「オー、迫力あるぞー!」ハッキリ言って世間に合せるのが一番苦手なのは私です。(^_^;)

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お茶会用にお太鼓の練習!

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四角四面の着物姿はイマイチ盛り上がりに欠ける?

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でも着物は楽しいです。(#^.^#)

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この着物姿ならお直しオバサンの餌食にはなりません。

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世が世なら本当はこれ位でも豪華すぎる着物です。

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学生ならこの着物姿でもありです。(私の個人的な意見です)

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アッ、子供達は世間にあわせる知恵も学んでいますので安心して下さい。(*^^)v

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この2人の2年生は着物や帯と話をするのが本当に楽しいみたいです。
向かって右側の子はタンスの一番下に隠しておいた着物を探し出していました。
普通の人は目にしても自分からは手にしない個性の強い着物です。

「エッ、その着物はタンスの一番下に入れてあった・・・」「ハイ、一番下にありました!」
「何で出したの?」・・・・・「着たかったから出しました!」
「へ〜、〇〇はもうその着物を選んで着こなすのか〜」

過去にこの着物を着こなしていた着物姿の記憶は、
10年ほど前に50代のハヤ〇さんが粋に着ていた記憶があるだけです。
二十歳の子が選んで着ている姿に着物文化の奥深さを感じてショックを受けました。

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アッ、最後に着物店の息子さんとの会話の続きです。

「着物が売れないと考える前に、
 着る物を扱っている自覚はありますか?」

「・・・・・・・・」

「日本人にとって着物は平安時代から続く、
 着心地と着やすさを求めた知恵と工夫の形です。
 その意味を伝える自覚と覚悟を持っていますか?」

「・・・・・・・・・」

こんな会話を遊びに来ている子供達に聞かせても、
平成生まれの子供達はそもそも着物店や着物教室とは無縁になっている世代です。

新たな環境を作るには良い時代になっていると私は思うのですが・・・・(^_^;)

私が着物に関わる人と話をして昔から残念に思う事があります。
それは売れなくなった現実に対して嘆きぼやく元気はあっても、
今まで売って来た着物が捨てられている現実にはまったく無関心な事です。(T_T)

新たな着物が売れない事よりも深刻な問題だと誰も気付いていない?
だから無料着付け教室だとしたら・・・救いようのない業界です。(^_^;)

「きものが大好きになりました!」(*^_^*)

日本中の着物店で聞ける日が来ると良いですね。
ヽ(^。^)ノ


posted by kiraku at 23:01| 愛知 ☔| Comment(2) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年09月16日

きものは穏やかな心を育てる衣服文化!(*^^)v

珍しく金土と2日続けての小庵「着らく」を終えて、
昨日は夏の着物を段ボールに仕舞いのんびりと秋冬着物に入れ替えです。

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仕舞う着物の中に楽しい着物がありました。
そこで前回の小庵「着らく」での会話を紹介します。

初めての子に脱いだ着物の畳み方を教えながら左の胸にシミを見つけて、

「このシミは何のシミか分かるか?」

「え〜・・・・・???????」

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「戦前の着物でこの場所にこんなシミのある着物は、
 反対の胸にも同じようなシミのある着物が多いんだぞ〜」

と言って反対側の右胸を見るとありました!(*^^)v

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この着物は地味に見えても乳児をおんぶしていたお母さんの着物です。
おそらく年齢は20代から30代前半のお母さんになるのです。

着物の年代から考えると・・・・
このお母さんからお乳をもらっていた子も令和の現代では70歳以上ですね。(^_^;)

小庵「着らく」で着物に触れている子供達はシミや破れを見つけると、
「師匠、思い出を見つけました!」と嬉しそうに見せてくれます。

この振り袖は表の生地にも沢山の思い出を残していて、

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裏地を見ればかなりのダメージを受けていたので、
アイロンを掛けた後は解くつもりで棚には入れないでよけていました。

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しかし子供達は
「師匠!この振り袖可愛い!!!着ても良いですか?」と言うのです。

私はこの言葉に目の前の振り袖から、
「ひょっとして私を解く積もりでしたか?この鬼!」と怒鳴られるのです。(^_^;)

こんな会話が今の小庵「着らく」では日常になっています。(*^_^*)

着物文化とは訳の分からないたった一つの着物姿を手本にして、
これまた訳の分からない手順や道具を駆使しながら着替えるものではありません。

戦後の着物文化を振り返れば、
誰が考え出したのかも定かでは無い奇々怪々な決まり事を、
大層な言葉でまるで江戸時代から続くしきたりの様に教え、
日本中の人から穏やかな温もりの心を伝えた着物文化を奪ってしまい、
日本人が着物に着替えられないのは当たり前だと胸を張るような、
着物文化にとって前例のない暗黒時代を半世紀近くも続けたのです。

日本の着物文化とは、
受け継いだ着物に残された思い出から、
穏やかな感謝に包まれた心を育てる文化なのです。

令和になった現代では、
着物に関わる人や着物教室の先生から、
本来の着物文化を学べるハズです。(#^.^#)

小難しく教えられる着替えなど最初から無かったのです。
着物はどんな体型でも温かく包み込む大きな風呂敷です。

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襟周りやはしょりの長さを決めるなど言語道断!
これは令和の現代では日本中の着物教室で間違いだと教えているハズです。

初めて着替えた子の着物姿はバカボンでもグダグダでも良いのです。
それが初めて着替えた着物姿の思い出になるからです。

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着なれてしまえば二度と戻れない貴重な着物姿です。(*^^)v

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「一枚の着物と一本の帯だけを使い、
 100回着替えても何の意味も無い!」

「その理由を遊びに来ている子供達は、
 自分で選んだ棚の着物から学んでいます。」


友達が合せる帯に困ればみんなで考えれば良いのです。
こんな風に遊んでいれば色合せのセンスは磨かれます。(*^^)v

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2回目の子は初めての子に自信を持って手を貸してあげれば良いのです。
それだけで伝える楽しさと感謝の心は育ちます。

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シワを取り除くのは補正を入れなくても簡単!
この意味と方法も手にした着物が教えてくれます。(^_^;)

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私がいつもまじめに伝えているのは形の作り方ではありません。
手にした着物や帯と楽しく会話をする方法です。
着物や帯と楽しく会話をしながら着替えれば着こなしは自然に身に付きます。

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「皆さんにこの意味が分かりますか?」

洋服を手にしてそのサイズと自分の体型を見ないで、
最初から目の前の手本通りの形に着なさいと言われたら・・・・・

「皆さんはそれに従いますか?」

同じサイズの洋服を持たされ着替えても、
着ている本人の体型は同じではありません。

誰でも目の前の手本よりも、
先ずは手にした洋服を見ると思います。

そもそも衣服の着替えに手本など存在しないのです。

国が認可を与えた学校で着替えにセンチの手本を示されたら、
手本通りに着られないタンスの洋服は捨てるしかありません。

今の着物文化に起きている現実は、
同じ事をされればタンスの洋服でも同じです。

洋服と着物の大きな違いは、
洋服は自分の体に合せた袋に体を入れる文化です。
着物はサイズの違う体でも包める大きな風呂敷文化なのです。

おかしな手本を真似なければ、
受け継がれた着物に捨てられる理由はありません。

と、前回は大学で日本文化を勉強している子に、
着物文化の素晴らしさをまじめに伝えていました。(*^^)v

初めての子でも意味を知って着替えれば、
帰る頃には粋な着こなしになっています。(*^^)v

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今から妻と三谷幸喜さんの映画を観に行きます。ヽ(^。^)ノ
posted by kiraku at 08:12| 愛知 ☀| Comment(0) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年09月11日

着物に着替えたり友達に着せ付けたり・・・笑顔は同じ!(*^_^*)

前回の着らくでの会話・・・

「師匠、また無料着物教室のテレビコマーシャルが始まりましたね。
 最近あのコマーシャルを見ると師匠のイラッとした顔が浮かびます。」(^_^;)

「エッ、私のそんな顔が浮かぶのか〜」(笑)

平成までは正直に言って馬鹿な事をしていると思っていましたが、
令和になってからはまったく興味がありません。

無料を続ける以上は協賛しているのは着物業界です。
着物業界の未来を見るにはあのテレビコマーシャルを見ればいいのです。

若い子が見て行きたくなる内容であれば着物業界の未来は明るい!

それは私が判断する事ではありません。
その子に「行きたいと思ったか?」と聞けばいいのです。(*^_^*)

百年先の子孫を思いやる心を伝えたのが着物文化です。
若い人には40年後の自分を想像できない程の時間があります。
私は40年後にはおそくらこの世にいない自分が想像できるのです。

40年後にはこの世にいない私が若い人の道を塞いではいけません。
還暦を過ぎた私の仕事は若い人を育てる事です。

令和の小庵「着らく」はそんな私の想いを伝えている気がします。

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この子達が私を必要とする時はどんな時だと思いますか?
それは着替え終わって一言 「師匠!写真を撮ってください!」

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百年先の子孫を思いやる着物文化を通して見る高齢化社会とは、
若い人は大勢のお年寄りに支えられる素晴らしい社会です。

受け継がれた着物を捨てるような高齢化社会とは、
大勢のお年寄りを若い人に支えなさいと強要する真逆の社会です。

どちらが楽しいと思いますか?

着物のプロと言われる人でなくても分かる事です。

初めて着物に触れた子の着物姿に本人は鏡を見ながら、
「少し短くなってしまいました!」
私は「今日は台風の予報だったから外を歩くにはその長さで丁度良い!」(*^^)v

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丈の長さは巻きなれてしまえば手が自然に動いてしまい、
雨天の時には短くする着方の方が反対に難しいのです。

私の引き出しには目の前で着替えている人を笑顔にする言葉しかありません。
その言葉は19年間に出会った人の数だけ無尽蔵にあります。(#^.^#)

無料着物教室の先生にはどんな言葉の引き出しがあるのでしょうか?

来年春のテレビコマーシャルは堂々と、
無料きもの着替え教室になると良いですね。

若い人達が友達を誘って行きたくなる着物教室なら、
着物業界は何もしなくても3年後には再生しています。(*^^)v

着物教室とは・・・
日本に受け継がれた着物の着やすさと着心地を、
誰にでも分かる言葉で楽しく伝える場です。

間違っても着替えを着付けだと教えてはいけません。
その間違いを正すのが令和の着物教室の仕事だと、
遊びに来ている子供達には常識として伝えています。


小庵「着らく」からのお知らせです。
9月16日は妻の好きな三谷幸喜さんの映画を一緒に観に行きます。
9月28日は母親の妹さんの49日の法要で蒲郡に行きます。
予定を入れないで下さいね。


posted by kiraku at 10:02| 愛知 ☁| Comment(0) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年08月23日

今どきの着物姿は?(*^_^*)

令和の新鮮な空気を胸一杯に吸い込みながら元気に生きている師匠であります。(*^^)v

ただ個人的に少し厄介な問題を抱えてしまい人並みに落ち込む事もしばしばですが、
「師匠!遊びに行っても良いですか!」のメールを見れば、
「了解しました!」と遊びに来ている子供達から元気をもらっています。(*^_^*)

2000年の8月から始めた着方の世界も今月で丸19年!
考えたらこの間にも今以上に大変で辛い事が何度もあったような気がします。

しかし自分で言うのもなんですが・・・「私はしぶといのです。」

このしぶとさの源は何なんだろうと考えた事があります。
答えは簡単!

「師匠は殺されても死なない!」と信じている?
この子供達の笑顔を何があっても裏切れなかったのです。(*^^)v

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令和になって私の伝える言葉が少し変わって来ました。
それは着物文化を通して良い空気を自分の回りに集めなさいと伝えているのです。

遊びに来ている子の中にハーフの子がいます。
外国人のお母さんには受け継がれた着物はありません。

最近はその子が遊びに来ると勝手に私が着物を選び、

「オイ、お母さんにこの着物は似合うぞ。」

「アッ、好きかも知れません。」

「この着物に白い帯で角出しでどうだ?」

「絶対に似合うと思います!
 ところで師匠は母にあった事無いですよね。」

「お母さんの着物の好みは話と子供の雰囲気で分かる!」(*^^)v

前回はその子とこんな会話をしました。

「師匠、この前借りた着物を母が気に入ってもう少し借りてても良いですか?」

「それなら今回はそれ以上に似合う着物を自分で選んであげなさい。
 本来の着物文化とは笑顔で着物に触れる親子の姿の中にあるんだぞ。」

ここで皆さんに令和の着物について一言。

私の思い描く令和の着物文化とは、
センチに固められた着物姿ではありません。

「着物を通して笑顔になれる家族の姿です。」

日本の家庭にはまだ沢山の着物が残されています。
タンスから出して家族で楽しく着替えて下さいね。(#^.^#)


それが出来ない理由は何ですか?

そんな理由を考える方が難しいと思います。

令和の小庵「着らく」は帯結びが多彩になりました。

ゆかたに大輪の花!

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小庵「着らく」の帯結びに同じ形はありません。(*^^)v

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言える事は・・・二度と同じ結び方はできない!(^_^;)

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その理由は、手にした帯と楽しく会話をしながら結んでいるからです。

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手にした帯を見ながらその時の気分で結んだ形は、
本人でも二度と同じ形には結べないのです。(*^_^*)

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左から二番目の子は着物の色からスイカを連想して結んだそうです。
この子の感性と創意工夫の技術はいつも感心します。

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子供達が着物に触れて一番笑顔になるのは帯結びなのです。
これは四角四面のお太鼓でも友達に結べば同じです。(*^^)v

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一ヶ月間フランスに留学していた子から嬉しい報告がありました。

フランスのマダムに着物を着せた写真を見せてくれたのです。

「日本人なら誰でも着物は着せられる!」 これも令和の常識になります。(#^.^#)
posted by kiraku at 15:33| 愛知 ☔| Comment(0) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年08月02日

きもの文化は無くなりません。(#^.^#)

今日のタイトルは日本中の人が思っている事ですね。(*^_^*)

無くならない事を前提に着物業界や着物教室は存在しています。
バブル経済の真っただ中でも着物姿を見かける事は無かったのですから、
普通に考えれば着物の良さを伝えるだけで増える事はあっても減る事はありません。

「では、着物の良さとは何でしょうか?」

こんな問い掛けに着る人が納得する答えを持てば良いのです。

着物は日本の四季にあった着心地と着やすさの衣服です。

自分でも不思議なのですが、
令和になってから昭和の話をするのは時代遅れのような気がしています。

今日の名古屋の気温は37℃だと聞かされて、
昭和では真夏日でも31℃だったと思っても口には出せません。

夏になれば37℃が令和の常識であって異常とは言わないからです。

古着屋さんで加賀友禅の訪問着を3000円だと聞かされて、
昭和では破れと汚れの訪問着でも数万円はしたと思っても口には出せません。

古着では加賀友禅でも3000円が令和の常識であって異常とは言わないからです。

令和の常識はどんな環境から作られて行くのでしょうね。
できれば昭和と平成の反省から生きやすい常識が生まれると良いですね。

令和になって感動した事があります。

1年半前に娘から孫が産まれる前に預かった合歓の木があります。
それを昨年の暮れに根腐れをさせて枯らしてしまいました。(T_T)

これはかなりショックな事で諦めきれずに植え替えをして見守っていたのですが、
桜の季節も過ぎて諦めかけていた令和になって小さな芽が出ていました。
この小さな芽を見つけた時は思わず大声が出ました。「ヤッター!」ヽ(^。^)ノ

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上の枝は完全に枯れていますが、7月には青々とした葉に成長してくれました。

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8月になった今朝の合歓の木です。
前を通るたびに霧吹きで葉に水をかけながら声を掛けています。

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着物文化も諦めなければ本来の姿に戻るのは早いかも知れませんね。

着物の良さと楽しさを伝えられるのは、
日本人なら普通の事だと思いませんか?

「なんで着物なの?」

「楽だから!」(#^.^#)

「なんで着物なの?」

「楽しいから!」(#^.^#)

これは誰でも伝えられる令和の常識です。
posted by kiraku at 13:13| 愛知 ☀| Comment(0) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年08月01日

令和10年頃の着物文化!(*^_^*)

今日は10年後を想像してのタイトルです。

その足がかりを求めて新たな紆余曲折の小庵「着らく」です。

今の場所に移してからは子供達を中心に空気を育てて来ました。
そんな子供達にいつも掛けてきた言葉があります。

「今度はお母さんを誘いなさい。」

「エー、母は着物に興味はありません。」

「それならお父さんを誘いなさい。」

「エー、もっと無理です!」

「う〜ん、無理か・・・・
 帯は親子で遊ぶと楽しいのに残念だな〜」

子供達はおそらく私の言葉を冗談として聞いていたのだと思います。
しかし、私は本気でその姿を想像していました。

本来の着物文化とは親から子に、子から孫に伝えられるものです。(#^.^#)

ある日の小庵「着らく」

御祖母ちゃんに連れられてお孫さんの登場!ヽ(^。^)ノ

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アッ、この日は2人とも初めての小庵「着らく」で緊張していた?
私の方が初めての人に最初から最後まで相手をするのは8年ぶりだったのです。(^_^;)

ある日の小庵「着らく」

台風の接近で無理して来なくていいと伝えていたのですが、
お孫さんからメールで「師匠、行きます!」と入り、
2回目は台風接近の中をお孫さんに連れられて御祖母ちゃんの登場になりました。

さてこの着物姿はどちらがお孫さんになるのでしょうか?
答えは紫の時代着物はお孫さんで緑の現代晴れ着が御祖母ちゃんです。(*^_^*)

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こんな風に遊べる衣服は日本の着物だけです。
この場にお母さんとお父さんも一緒にいる姿を想像して下さい。
それが令和10年の着物文化の姿だと私は真剣に考えています。

本来の着物文化とは、
家族の和に存在するものです。

皆さんの家にある着物も同じです。


私も10年後の年齢を考えるとさすがに健康でいられる自信はありません。
これからは本来の着物文化を伝えられる人と環境を育てて行けたら幸せです。

大きな着物学院でも今では着付けの表現は消え始めています。
 
次は何が求められているのか?
その答えに辿り着けない教室は自然に消えて行くと思います。

アッ、求められる答えは生徒さんの数だけ無限に広がり続けると思いますよ。(*^^)v

その答えの数が日本の着物姿です。ヽ(^。^)ノ


今月の18日(日曜日)は蒲郡まで遊びに行きます。
予定を入れないで下さいね。

昨日は母親の一周忌でした。
「あれから一年か〜」と、介護の日々を思い出しながらお経を読んでいました。(*^_^*)
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2019年07月08日

令和の着物文化は誰が伝えるの? (*^_^*)

今日のタイトルはブログを始めた12年前から、
一言一句変わっていない表紙に書かれている内容ですね。

令和になってやっと・・・理解されるようになった気がします。(^_^;)

ある日の小庵「着らく」

初めて遊びに来た子とこんな会話をしました。

二回目からは解る範囲で良いから初めての友達に教えてあげなさいね。

「・・・ハイ」

着物も洋服と同じように考えれば、
パジャマに着替えられない友達がいたら自然に手を貸して教えるだろ。

「ハイ!」

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私がこの子供達と同じ二十歳だった四十年前の着物文化を考えれば
令和の着物文化には選択できる道が増えています。(#^.^#)

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四十年前の日本では、
着物を着たい人にはたった一つの選択しか無かったのです。

令和になって空気が一変したと感じるのは、
着物教室から着付けの文字が消えて着方になっている事です。

教える内容も着付けから着替えの常識になるのは時間の問題です。(*^^)v

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着替えの常識が育てば着物姿も変わります。

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たった一つの手本に合せる無理と矛盾にも気付きます。

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同じ形の着物を色柄の違いだけで、
「これはハレ着です」 「これは普段着です」
等と、着替え方を区別をする嘘にも気付きます。

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着物や帯にありもしない格付けをして、
着て行く場所を悩ませた嘘にも気付きます。

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日本のタンスに眠っている着物と帯は、
子孫を悩ませるために受け継がれたのではありません。

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誰でも楽しく着替えながら・・・

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思い出と温もりを語り伝える衣服です。

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こんな当たり前の常識を伝えることは、
大層な資格が無くても誰にでも伝えられます。(*^_^*)

「ワイワイ!ガヤガヤ!」笑顔の絶えない雑談で良いのです。

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笑顔の絶えない環境で着替えると何が起こるのか?
それは笑顔を包んでいる着物と帯も笑顔になっている事です。

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どんなに古い着物でも笑顔になるのです。(*^_^*)

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戦前の着物には日本の辛い時代の思い出もあります。

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それでも平成生まれの子孫を温かく包んで笑顔にしてくれます。

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私の仕事は笑顔のお手伝い!

前回は新作の抹茶どら焼きを作りました。(*^^)v

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着物文化を通して健全な空気を育てるコツは?
それは子供の素直な心を何よりも大切にする事です。

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私は着物の常識を伝えながら人としての良識を伝えるだけです。
常識と良識が育てば、後は教え方も伝え方も各自の自分流で良いのです。

帯を結んでもらいながら目の前の友達に帯を教えていました。(#^.^#)

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形を決めなければ楽しい工夫は自然に生まれます。

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この着物姿のテーマはマイメロとキキララらしい・・・?
「何だソレ?」と私が意味の分からない顔をしていると、
マイメロのキキララの画像を見せながら色の違いを教えてくれました。

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前回の小庵「着らく」で一年前から引きずっていた、
ドッペルゲンガー事件の真相が明らかになりました。

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ドッペルゲンガー事件は長くなるので止めときますね。
アッ、一年前に私がこの事件を場違いな場所で語った事で、
母親の戒名が決まったような気がします。(^_^;)

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この3人の中に半巾帯の神様がいます。

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神様の感性と工夫だけは誰も真似はできないのです。

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着物の着替えはハレ着も普段着も同じです。
ユニクロとシャネルでも着替え方は同じです。(#^.^#)

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左の子がダラリにしているのは本人の意思です。
今回は帯締めが外れた訳ではありません。(#^.^#)

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一年半ぶりの先輩に角出しを教える後輩!
しかし先輩は直ぐに「アッ、思い出しました!」(*^^)v

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後輩に半巾帯の楽しさを教える先輩の技は・・・

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完成した形は後輩を笑顔にする「オムライス」でした。(*^_^*)

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楽しい帯結びには同じ形は無いのです。
その事を学んだ後輩の帯結びも周りを笑顔にします。

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皆さんはこの着物姿を見て、

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戦前の粋な着こなしだと気付きましたか?

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小庵「着らく」で帯締めを締める時の掛け声は、
15年前の先輩から受け継がれている。

「親の仇ー!」(*^^)v

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社会人になった子供達に伝えた事は、

「飲酒運転は絶対にいけない!」
「正しい場所で生きれば、周りは良い人ばかり!」

私は小庵「着らく」で悪い人に出会った事はありません。(#^.^#)

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本当は帯枕を使ったお太鼓の着物姿は若い子には似合わない!
「本当は!」の意味を知って楽しく世間と付き合って下さい。

帯枕を取るだけでその着物姿は、
大層な装束姿から日本人の衣服に変わります。(*^^)v

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「令和の着物文化には、
 着替えを着付けと教える教室は存在しません。」

「着物を教える先生は、
 正しい日本語を伝えるだけで笑顔になれます。」

「着物のプロと言われる人達は、
 衣服の常識を持つだけで仕事は楽しくなります。」


小庵「着らく」からのお知らせです。

8月31日〜9月1日は予定を入れないで下さいね。
5年ぶりに岐阜の温泉で鮎三昧の料理を食べに行きます。ヽ(^。^)ノ

令和の小庵「着らく」は今までと変わらずのんびりと前に進む予定です。(*^_^*)
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2019年06月12日

令和の着物文化は楽しい!(#^.^#)

令和になってからのタイトルを繋げると、

「着物は誰でも簡単に着られる衣服です。
 これからはのびのびとした環境でのんびり楽しく着替えましょう。」

こんなに楽しい着物文化をどうやって、
無関心になってしまった平成生まれの子供達に伝えるか・・・

皆さんは着物をこんな風に考えた事がありますか?

その前に着物の楽しさや着心地を知っている人がどれほどいるのでしょうか?
おそらく着物の大変さを知っている人は大勢いると思います。

しかし簡単に着られない意味を知れば自然な流れで、
無駄な大変さよりも、理にかなった楽しさは勝ります。

アッ、先日近所の用水脇の道をプラプラと散歩していたら、
ナント!カモの親子が上流から優雅に流れて来ました!
その姿はお風呂に浮かぶアヒルのおもちゃにそっくりでした。(*^_^*)
小さくて見づらいですが右側に子ガモもいます。

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着物の着替えとは誰かに習った記憶も定かでは無く、
気付いたら自然に着られるようになっているものです。

次に目指すのは親の姿を見ながら見よう見まねで自然に身に付く、
カモの親子のような姿になるのが着物文化の理想ですね。(*^^)v

こんな風に着物に着替えられるのは日本人にとって、
特別でも大変な事でもありませんと伝える環境は大切です。

私は令和になって日本の空気は一変したと感じています。

今までの無理と矛盾が一度に吹き出しているような気がします。(^_^;)

無理と矛盾は抑え込まれているよりも表に出してしまい、
良い方向に改善するのが良いに決まっています。

しかし、着物文化を例にすれば、
着替えられない理由は何となく気付いても、
着物の楽しさと着やすさを知らなければ誰も見向きもしません。

「エッ!それでは着物文化は消えてしまう運命ですか?」

「このまま何もしなければ、自分では簡単に着られない、
 おまけに高価で着心地の悪い衣服を誰が着ますか?」

この会話は私が2000年に着方を伝え始める前の事です。
あれから20年近くの歳月が流れています。

小庵「着らく」での着物文化は笑顔に包まれています。
世間の着物文化も同じような空気に包まれている!
と・・・私は勝手に思っています。(*^^)v

前回の小庵「着らく」は半年間フランスに留学していて、
半年ぶりに友達と2人で遊びに来た子がいます。

小庵「着らく」では留学しなくても一年ぶりに来る子もいます。(*^_^*)
しかし、普通に着替えを覚えた子は着方を忘れる事などありえないのです。

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この2人の着替えながらの会話を紹介すると、

「何かその着物お母さんみたい!」

「エッ、なんで?」

「結婚式の時にお母さんが着てるやつじゃね〜」

「なら今回のテーマは母親と娘?
 エッ、なんで私があんたのお母さんになるの!」

遊びに来ている子の着替えながらの会話は聞いているだけで楽しい!

昭和と平成の日本には、
沢山の着物教室や着物店がありました。

すべての着物教室や着物店で、
正しい着物文化を伝えるのは当たり前の事です。

令和の着物文化は花開く事はあっても、
消える事など絶対にありえないのです。(*^^)v

もしも令和になった今でも、
消えかかっている着物教室や着物店があるとしたら、
今から行動すれば明日からの未来は明るくなります。

アッ!今でも着物のプロとして、
着替えを着付けと表現している人は論外です。(^_^;)

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2019年06月05日

令和の着物文化はのんびりと育てましょう。(*^_^*) 徒然日記

前回のタイトルはのびのびで今回はのんびり!

一度壊れてしまった文化は焦っても簡単には元に戻りません。
平成元年に25年後の日本の姿を想像していた私も還暦を過ぎて、
令和になった今は10年後の日本を想像しています。

平成元年は着物離れの真っただ中!
あれから30年の歳月が流れ、
令和元年は着物無関心時代の真っただ中!

着物離れと言われた時代よりも今の方が、
問題としては深刻でも環境としては良くなっています。

「エッ、意味がよく分かりません!」

アッ、着物離れとは着物を否定する環境です。
無関心とは否定も肯定もしない興味すら持たない無の環境です。

嫌われてマイナスになった着物も30年の時を経て、
やっとゼロの世界まで回復したと私は思っています。

これからどんな10年後を想像して行動して行くのか、
時間はたっぷりとありますからのんびりで良いのです。(*^^)v

過去の経験から伝えられる事があるとすれば、
ダメだ!ダメだ!と言いながら何もしなくても、
不思議と健康で元気なら20年後は必ず来るのです。

夢も希望も無いまま近付く未来に怯えるよりも、
明るい未来に向かってのんびりと歩いた方が楽しいですよ。

何もしないで過ごす一年よりも、
一年に一つの縁を育てる努力をすれば、
誰でも10年後に夢と希望は持てます。

一年に一つの縁は簡単でも、
その縁を十年後に繋げる努力が夢と希望です。(#^.^#)

着物を教える先生でも、着物を売っている皆さんでも、
着物を作っている産地の皆さんも同じです。

着物の着心地と着やすさを伝える努力は、
本業の片手間の縁から始めればいいのです。

「着物は楽しいから着てみましょう。」
 
「着物は洋服よりも着やすい衣服ですよ。」

「一度も着替えた経験がないのはおかしい!」

令和の着物文化はどこを見ても、
普通の事を伝えるだけで明るい未来しかありません。(#^.^#)

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2019年05月22日

令和の着物文化はのびのびとした環境で育てましょう。(*^_^*)

今日のタイトルはそのままです。(*^^)v

前回の更新でねこっこさんのコメントに返事をしながら、
アレレ????

小庵「着らく」では自然な会話でも改めて文章にしてみると、
アレレ????の理由に今朝気付きました。

8人で遊びに来て、その内の4人が初めての子だったのです。
その事を遊びに来たその日に聞かされての会話です。

「師匠、4対4だから何とかなりますよ。」と、赤矢印の子が言ったのです。

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先輩が4人で初めての後輩が4人です。

「皆さんにこの会話の意味が分かりますか?」

そうです!
「私は最初から数に入っていないのです!」(^_^;)

世間の着物教室は知りませんが、
小庵「着らく」では当たり前の空気になっています。(*^^)v

本来の形で着物文化を伝えると、
生徒さんはのびのびとした環境でワイワイガヤガヤと着替えられ
先生と言われる立場の人は教える必要は無くなり楽ができるのです。

今回は初めての子の中に男子君がいました!(赤矢印)
何年ぶりかの男子君に玄関で思わず「オイ、ハグしても良いか!」
入り口でいきなり還暦爺さんにハグをされた男子君でした。(*^^)v

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お昼の休憩前にはタスキの掛け方を教えてもらい、
着物姿のまま昼食タイムです。

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子供達は着物の着替えを教える楽しさを知っています。
着替えの手伝いをすれば自然に着せ付けの練習にもなるのです。(*^^)v

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男子君は自分の着た着物で畳み方を習い、
初めての子でもこんな事を繰り返しているだけで着心地や着物の扱いは、
頭で覚えなくても体が覚えてしまうのです。
体で覚えた着替えと着物の扱いは一生忘れる事はありません。

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ワイワイガヤガヤと楽しく着替えていると、
自分が着物を着ている事を意識しなくなります。
これが着こなしの入り口になるのです。

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着こなしの世界に入るのが一回目なら、
オレンジ名札の子の着物姿は貫禄が出てきます。

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アッ、右側の子はまだ5回目でした。(^_^;)

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今回は男子君が一番着替えていましたよ。
好き勝手に棚から選んで着替えるのですから、
女物も男物も関係なく着替えられます。ヽ(^o^)丿

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いろんな着物に着替えた数だけ着なれる!
一番着替えていた男子君は同級生を見守る着物姿にも違いが現れます。

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帰る頃には誰でも着なれている理由は?

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その理由は簡単です。

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頭を使わずワイワイガヤガヤと着替えれば、
洋服に着替えるのも着物に着替えるのも同じ感覚になるのです。

「師匠、帯締めが外れました!」

「だらりの帯と考えれば正しい形です。」(#^.^#)

最初からシワや形を気にしてはいけません。
着なれてしまえばシワや形など簡単に直せます。

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こんな空気で令和の着物文化は育って行きます。
ちなみに手前の着物は子供達が一日で着替えた着物の山です。(*^^)v

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男子君の着物姿も最後はしっかりと着なれていました。
これからは茶道部の着付け師を目指してくれると良いですね。(*^_^*)

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平成生まれの皆さんには理解できない話をすると、

着物文化が衰退した一番の理由は、
昭和の一時期に着替えを着付けだと教えられ、
その嘘を隠すために質問など絶対に許されない様な、
威圧的でピリピリとした空気の中で着替えさせられ、
生徒さんはビクビクしながらも、
小難しい着物用語と奇々怪々な手順を頭で必死に覚え
最後は着替えに着付けの資格を買わされたのです。

そんな時代を生きたお母さん世代の人達は口を揃えて、
「若い頃に習ったけど忘れてしまった!」と言うのです。

令和の着物文化は明るい!

それは資格を手にして教えている先生達も、
若い頃には威圧的な空気の中で着替えさせられ、
自分自身が習ったことの間違いに気付いています。

今は楽しい教え方の工夫をしている先生も大勢います。(#^.^#)

反省の無い着物文化に未来は無く、
反省から始まる着物文化には明るい未来しかない!

日本に生まれて

「着物に着替えた事はありません!」

どこの家にも受け継がれた着物はあります。
誰でもその気になれば着替えられる環境です。
 
着物は誰でも簡単に着替えられる日本人の衣服です。

「皆さんは着物は難しく苦しいと教えられ、
 何も不思議だとは思いませんでしたか?」

今まで着替えを着付けだと教えていた先生が、
急に小庵「着らく」の空気を真似るのは大変です。

先ずは着替えを習いに着ている生徒さんに対して、
生徒さん自身が着付けと勘違いしている人もいます。

その時は着物を教える先生として、
「自分で着るのは着替えですよ」と教えてあげて下さい。

それだけで着物に触れる入り口の空気は変わります。

日本中の先生が正しい日本語を伝えるだけで、
令和は詐欺大国と言われる汚名は返上できます。(*^^)v

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2019年05月03日

着物は誰でも簡単に着られる!(#^.^#)

今日のタイトルは「言うは易し、行うは難し!」

普通に着替えればたやすい、
しかし、普通に着替えるのは意外に難しいかも知れません。

なぜかと言えば、
普通だと思っている着物姿のイメージに問題があるからです。(^_^;)

着物はシワなく画一的に着替える為に習わなくてはいけない!
もしも最初からこんなイメージで着物に触れるのは昭和の遺物だと言われます。(T_T)

昭和に生まれたお着替え詐欺の文化を真似ても楽しくない!(*^^)v

アッ、本題に入る前に令和になって初めての更新ですね。
平成最後の小庵「着らく」と令和になって最初の小庵「着らく」で奇跡が起きました。
どちらも遊びに来た子の中に・・・ナント!誕生日の子がいました。

おかげで私は平成最後と令和の最初はバースデー・ケーキ作りになりました。(^_^;)

ここで小庵「着らく」からのお願いです。
「誕生日は避けて遊びに来て下さい。」(*^_^*)

ここから本題に戻ります。

小庵「着らく」では初めての子でも、
当たり前のように振り袖に着替えます。

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なんで?
それは棚から選んだ着物がたまたま振り袖だったから!

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エッ!振り袖は簡単に着られないのでは・・・と思った人は着替えを知らない人です。

小庵「着らく」の棚には百年分の着心地が詰まっています。
百年前の着物と帯もあれば、現代晴れ着と帯も区別なく雑多に同居しています。

浴衣に着替えられる人は振り袖も着られます。
それは袂の長さが違うだけで着物の形は同じなのです。

棚から選んだ着物が時代着物でも現代晴れ着でも同じです。

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なんで同じように着替えられるの?

着物を楽しく着ている人には当たり前だと言われそうですが、
令和の常識もまだ年号が変わって日が浅いので、
ひょっとしてその理由が分からない人がいるかも知れません。
そんな人の為に理由をお伝えすると、

「今日は振袖の着替えを教えます!」
「今日は浴衣の着替えを教えます!」
「今日は留袖の着替えを教えます!」

等と同じ形の着物を色柄だけで区別するのは、
昭和に流行ったお着替え詐欺の被害者なのです。(*^^)v


これは帯も同じです。
小庵「着らく」で着物に着替えている子供達は、
半巾帯も名古屋帯も袋帯も丸帯もまったく意識しないで結んでいます。

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背中の帯なら長ければ二重太鼓!短ければ一重太鼓!

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半巾帯なら余った長さで自由に遊ぶ!

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令和の常識では帯は楽しい遊び道具です。
エッ!帯を結ぶのは習っても難しいと思っていました!
こんな言葉も令和になってまだ日が浅いからかも知れませんね。

令和の常識をお伝えすると、
背中の帯は自分では結ばないのが普通です。
自分で背中の帯を結ぶのは着物に着なれた人の特技です。

着なれない人は絶対に真似をしてはいけません。
何故なら、見えない背中の帯を自分で結んでも楽しくない!(*^^)v

背中の帯は友達や家族に結ぶと楽しい帯結びになります。

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「着替えを小難しく習うのはおかしい!」これが令和の常識です。

アッ、小庵「着らく」では平成からの常識でした。(^_^;)

本来の形に着物文化を戻せば良い事ばかりです。

「生徒さんも楽しく着替えられる!」
「教える先生も楽しく教えられる!」

着替えを教えている先生方も気付いていると思います。

「着物に着替えるのは難しいか?」

「楽しいです!」

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「着物に着替えると苦しいか?」

「楽です!」

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令和の着物文化は日本を明るくします。

なんで?

それは百年前の着物でも現代着物でも、
着物の形をしているだけで着替える子供達を笑顔にする!
そんな力と温もりに溢れた着物は世界に誇れる衣服文化です。

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最後に余談ですが、
昔から小庵「着らく」で時々見られる帯結びの秘儀!

矢印の子は自分で背中に結ぶ特技に挑戦しているのですが、
自分で結ぶ時は座って結ぶと帯は楽な形に結べる!

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アッ、これは教えられてやっているのではありません。
時々こんな結び方をする子が現れるのです。

座って結ぶと前かがみになり帯の上に余裕が生まれるのです。
すると自然に楽な形で帯を結んでいる事になります。(#^.^#)

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アッ、これも着なれた子の遊び方です。
着なれない人は真似をしても楽しくありませんよ。

着物は着替えた数だけ着なれる!
背中の帯は友達に結んで手順を体で覚える!

着替えを教える先生はその姿を見ながら、
困った顔をした時だけ黙って手を貸してあげれば良いのです。

「生徒さんも楽しく着替えられる!」
「教える先生も楽しく教えられる!」

令和は着替えを教えている先生達も笑顔に溢れます。
ヽ(^。^)ノ

令和になった現代でも昭和の間違いに気付かないで
着替えを着付けだと信じて教えている先生がいたら、
そっと教えてあげるのは本当の思いやりと親切です。


今朝は竹の子掘りに出掛けていました。
昼前に帰宅したのですが金曜日は可燃ゴミの収集日!!!!!!

町内に出されたゴミ袋を見て「エッ!今日は金曜日?」

竹の子の皮を剥いてゴミを出さないと大変だー!と思い、
慌てて作業をしていたら包丁で小指の爪と肉を少し削いでしまい、
「令和になって還暦爺さんに小指の思い出ができた!」と喜んでおります。(*^^)v
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2019年04月27日

きものに着替える楽しさは? (*^_^*)

今日のタイトルは誰に聞けば教えてもらえるのでしょうか?

着物を売っている皆さんでしょうか・・・
着物を教えている皆さんでしょうか・・・

「楽しいから着物に着替える!」
こんな気持ちで着物に触れている人なら悩む問題ではありません。

30年前には着物に関わると恐いと言われた時代があり、
その結果として20年前には着物離れと言われ、
今は着物にまったく興味を示さない無関心な時代です。

着物文化を通して着物を売っている皆さんや、
着物を教えている皆さんは「令和」をどんな時代にするつもりですか?

過去の反省をすれば、
着物は恐いと思われたら離れるのは当然です。
離れても反省が無ければ無関心になるのは自然の成り行きです。(T_T)

令和の時代は日本中でこんな言葉が飛び交う・・・

「着物は楽しい!」
「エッ!着替えたこと無いの?」
「日本に生まれて着物の楽しさを知らないのは勿体無い!」

アッ、小庵「着らく」では2000年の8月から始まっている会話です。(*^^)v

2019年には日本中の着物店や着物教室で交わされる会話!・・・の予定でした。
「現実はどうなんでしょうか?今は世間に疎いので誰か教えて下さい。」

ある日の小庵「着らく」

ワイワイ、ガヤガヤ・・・

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帯が決まらない!!!!

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帯が決まれば友達にお願いする。

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着替えは習うよりも着なれる事が大切です。

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背中の帯は友達に結んだ数だけ腕が上がる!(*^^)v

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ワイワイ、ガヤガヤ・・・着物とは関係のない会話が飛び交う!

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黒留袖も着替え方はウールと同じ!

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着なれてしまえばどんな着物も同じです。

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着替えた数だけ着せ付けの腕も上がる!(*^^)v

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着こなしも着替えた数だけ上手になります。

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少しくらいおかしくても気にしない!
着なれてくれば自然に形は作れます。(#^.^#)

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お昼は休憩!

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休憩が終わったらワイワイ、ガヤガヤ・・・

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同じ着心地の着物はありません。

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帯も同じものはありません。

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小庵「着らく」の棚には百年分の着心地が詰まっています。

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時代着物は帯枕を嫌うのはナゼ?
答えは簡単! 昔は帯枕をしなかった!(#^.^#)

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手にした着物や帯と会話をすれば教えてくれます。

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何がナンでもお太鼓ではありません。(^_^;)

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お茶会前は着せ付けの練習?

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着なれていない後輩の着せ付けがあるから!(#^.^#)

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お太鼓姿が増えるのもお茶会前だからです。(^_^;)

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やはり若い子がお太鼓を結ぶのはおかしい!
と・・・私の独り言は無視!!!!!!
子供達の方が世間に対しては柔軟です。(#^.^#)

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百年分の着心地は一日の着替えで覚えます。

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座る子が増えるのは少し遊び疲れてます。(^_^;)

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それでも着替える!

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理由は? 「楽しいから!」

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着なれていない子でも振り袖姿で友達の帯を結ぶ!
理由は? 「楽しいから!」

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この辺りから着替えハイ?

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お太鼓は友達に結ばないと上手に成らない!

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着替えに頭は使わない! 
ワイワイ、ガヤガヤの環境が大切です。

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それでも手が覚えた着替えなら・・・
頭と道具を使わなくても黒留袖にも着替えられるのです。(*^^)v

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頭や道具を使いながら着替えると・・・
舞台の上で踊りながら着替えても恥ずかしくない???
子供達は真似をしないと思います。(^_^;)

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日本人なら着物に着替えられるのは普通の事です。

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「令和」には着物文化の常識になります。

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最後まで残った2人は・・・

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着替えた着物と帯の山の横で・・・・・

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倒れる!(^_^;)

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それでも起き上がり・・・着替えだす!

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「なんで?」  「楽しいから!」

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「令和」には日本中で見られる着替え風景です。
ヽ(^。^)ノ

私は平成の内に伝えたい事の半分は伝え尽くしました。
残りの半分は時代が変われば伝えなくても良い事です。

アッ、平成最後の小庵「着らく」は明日と30日です。
その前に今日は倉庫にある着物をすべて中を確認して積み直しました。

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いったい何着あるのか?????(^_^;)
令和になったら開封していない着物にアイロンを掛けます。
本当は平成の内に出してあげたかったのですが・・・・
サボっていました。(*^_^*)

明日の小庵「着らく」について、

今日は一日倉庫で段ボールケースを移動していたので・・・腰が!!!
明日のオヤツは期待してはダメです。(#^.^#)
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2019年04月15日

きものに着替えるとは・・・・・ナニ?????(*^_^*)

最近の小庵「着らく」は今の場所に移した当時に戻り始めている!

「初心忘れるべからず」

こんな言葉を使うとカッコイイのですが、
個人的には私の適当過ぎる病気が出始めているような?

それでも遊びに来ている子供達はしっかりと着替えている!

「なぜ?」

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私が「エッ、もう着替えるの?」と言えば、

「着替えます!」と言いながら自発的に着替えているのです。

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皆さんに「なぜ?」の理由が分かりますか?

「それは楽しいからです。」(#^.^#)

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「友達の背中に帯を結ぶのも楽しい!」(#^.^#)

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着替えるとは・・・
どんなに大層な言葉を使っても・・・
どんなに小難しい手順を使っても・・・
どんなに難解な着付け道具を使っても・・・

「着替えは楽しい遊びの世界でしかないのです。
 楽しい遊びの世界を意識すれば教え方も変わります。」

着替えを着付けだと教えるよりも

「今から着付けゴッコで遊びましょう!」の方が健全です。(*^^)v

私も還暦を過ぎ、親の介護も終わり、
改めて小庵「着らく」の空気を胸一杯に吸い込むと、

「初心忘れるべからず」
 
平安時代から続く着物文化に 突然 着替えを教える教室が誕生して、
日本中の人が着物に着替えられなくなったのも、たった40数年前からです。

「そうです!」
誰でも楽しく着物に着替えられるのは当たり前!!!!!
こんな空気を育てるのが小庵「着らく」の始まりです。(*^^)v

着物から洋服に着替えても、洋服から着物に着替えても、
楽しい遊びの世界は同じです。

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着物に着替える楽しさだけは本人しか分かりません。

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手にした着物や帯と、
どんな会話をしているのかも本人にしか分からないのです。

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「なんでこの着物を選んだの?」

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「なんでこの帯を選んだの?」

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返事はいつも同じです。

「好きだから!」 「可愛いから!」

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着物の着替えには決まり事が無いように、
手にした着物と帯との会話は百人百通りです。

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着物を教えている先生は、
その無限の楽しさを教え伝えられる立場です。

「夢があり過ぎて困りませんか?」(#^.^#)


遊びに来ている子からこんな話を聞きました。

「師匠、部活の勧誘で着物を着ていたら、
 学校に着物で来ている子から声を掛けられましたよ。」

「へ〜、その子にまた会えるのか?
 会えたら遊びに来るように言いなさい。」

「ハイ、着物姿も昔風の着こなしでした。」

「ほ〜、それなら会えたら絶対に誘いなさい!」

「ハイ」

着物の環境は確実に育っていますね。(*^_^*)



小庵「着らく」からの連絡です。

次回はゴホン!ゴホン!ヴァレイのリクエストに応えて、
食感のバリエーションを増やす為に試行錯誤しています。

新たな方向が生れそうです。(*^^)v

ところで前回のケーキは生クリームと卵の量を完全に間違えてました!
指摘のあったセンター?ストライプに伝えておいて下さい。

卵と生クリームの量を倍にしていました。
何を考えていたのか?
おそらく何も考えずに作っていたのです。(^_^;)

次回は土日と続けて鬼ヶ島饅頭の予定です。(*^_^*)
posted by kiraku at 19:04| 愛知 ☀| Comment(2) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月09日

きものは贅沢品? そんな馬鹿な烙印は外しましょう。(^_^;)

今週の名古屋は暖かく町内の桜もやっと満開です。

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やっと満開?
アッ、毎年町内で焼きソバ等の屋台を出して桜祭りをするのですが、
じつは今年の桜祭りは3月30日だったのです。

3月30日は肌寒い曇り空でおまけに桜の花は数える程度!(^_^;)

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今年は花の無い桜祭りになったのです。(;O;)

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来年は満開時期に当たる事を願いながら、
今朝はブラブラと満開の桜並木の下を歩いていました。

今日のタイトルは若い人達には 「エッ!着物は贅沢品だったの?」
おそらく贅沢品の理由が分からない過去形になっていると思います。

「着物=贅沢品」とは
着物は生活に直接必要のない高価な品。

着物にとって過去に受けた贅沢品の烙印とは
ぬぐい去ることのできない汚名を受ける。
また、 周囲からそういうものとして決めつけられる。
戦後のハレ着ブームは悲しい現実だった気がします。

質素倹約の形を直線裁ちの仕立て方で受け継いだ、
本来の着物文化にとっては悲しい過去の烙印です。

着物に無関心になってしまった若い人達に対して、
今だから伝えたい事や伝えられる事は山ほどあります。

これは間違いに気付いた着物を教える先生や、
着物に着替える楽しさを知っている皆さんも同じだと思います。(#^.^#)

小庵「着らく」は場所を選ばず!

この言葉はブログの中で伝え続けた言葉です。

令和の新年号には、着物を通して日本中の人が穏やかな顔になり、
受け継がれた着物に包まれる温もりと意味を誰でも伝えられる時代です。

「エッ!きものに着替えたこと無いの?」

「それなら私が教えてあげる!」

これが2000年の8月に始まった小庵「着らく」の原点です。(*^^)v

日本人が着物に着替えられない?
それ以前に着物に着替えたことが無い?

なんでこんな文化に育ってしまったのでしょうか?

着る物の着替え方に資格を付けて学ぶような、
誰が見てもおかしな歪んだ環境を国が推奨すれば、
その国で生まれた子供達は何を信じれば良いのでしょうか?

衣食住は文化の基本です。
その一つでも歪んでしまえばおかしな環境が育つ!

「着物は贅沢品!」
 
この意味が分からない若い人達が正しいのです。(*^_^*)

遊びに来ている子供達に伝えている言葉に、

今の日本で着物に着替えられる人は、
アラブの大富豪よりも贅沢な衣服を、
ユニ〇ロの靴下よりも安く買える楽しい時代!

アッ、本当はおかしな時代だと表現した方が正しいのです。(^_^;)

小庵「着らく」は場所を選ばず!

令和の新年号までには・・・まだ20日ほどあります。
お着替え詐欺の過去を新年号まで持ち込んではいけません。

着物に関わる人や教えている先生も含めて、
晴れ晴れとした気持ちで新年号を迎えて下さい。

嘘偽りのない着物文化には、
温もりと笑顔しかありません。(#^.^#)

posted by kiraku at 12:29| 愛知 ☀| Comment(2) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月06日

帯の入れ替え・・・(*^_^*)

「約束通り帯を入れ替えてますよ〜」(*^^)v  

今週はのんびりと空いた時間に帯の入れ替えをしていました。
これが棚から出してみると意外に多く収める場所に困っています。

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集めた着物と帯に囲まれながらつくづく思う事があります。

我々世代が生きた戦後の時間は何だったのかな〜・・・

私は昭和32年(1957年)生まれです。
幼稚園の頃は自転車にリヤカーを付けて荷物を運ぶ人がいて、
我が家の自家用車はもちろん自転車しかありませんでした。
家にテレビと掃除機が来たのもこの頃だった記憶があります。

「ALWAYS 三丁目の夕日」世代ですね。

前回の小庵「着らく」でこんな話をしました。

ほんの70年ほど前はプロペラの戦闘機で戦っていた人類が、
70年後の今は宇宙にロケットを飛ばし銀河の果てを目指し、
眺めるだけと思っていた月に行き、次は火星を狙っている!

しかし、人類以外の生き物は何も変わっていないのです。(^_^;)

こんな話をしながら、月や火星で暮らす地球人を想像すると、
地球人は完全に宇宙人になってしまうような?(*^_^*)

着物の右前は地球から見た太陽の昇る方向で決めたのですから、
他の星で着物に着替える場合は右前も左前も関係なくなりますね。

アッ、話がとんでもない方向に向かってしまいました。(^^ゞ

裏の倉庫から新しい帯を出すのに段ボール箱を移動しながら、
羽織りと書かれた箱や雑多な着物も結構あるのです。

今の時代を考えると着られる羽織りは・・・少ないですね。

ウールのアンサンブルをお正月に着ていたのは、
40年前が最後だったような気がします。

こんな理由から羽織りと書かれた段ボール箱を見ると、
う〜ん・・・困った!  「誰か使い道を教えて下さい。」

ここでまた変な話をしますが、
倉庫にはまだアイロンも掛けていない現代晴れ着の山もあるのです。
資源の無い日本で絹の晴れ着をゴミ扱いにしているのはこの20年ほどです。

これは高度成長期に生まれた空前の晴れ着ブームの呪いか祟り?

タンス一杯の置き物様が暗いタンスの中から、
「置き物は嫌だ〜、着てくれ〜」と囁く声が聞こえて来るようです。(^_^;)

庶民にとって絹の晴れ着は1200年間も憧れ続けた衣服です。
どんなに着たくても身分やら何やらで庶民には手が出せない着物でした。

その1200年間も憧れ続けた高価な絹のハレ着を終戦後の日本では、
やっと・・・本当にやっと手にする事ができたのです。

「1200年間も憧れ続けた絹のハレ着です。」

なんで現代晴れ着は直ぐに飽きられたのか?
それは庶民には扱えない着物だと気付いたからです。(^_^;)

小庵「着らく」の倉庫に積まれている着物は、
皆さんが何十万円以上のお金を払い買った百年着られる衣服です。
そんな着物の山に囲まれながらの独り言です。

「なんでお前達は此処にいるんだ?」

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すると横に積まれた段ボールからこんな声が・・・

「さぁ〜、やっと子孫に会えると思ったら、
 タンスのまま放り出されて此処にいたんだよ〜」(T_T)

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「もう日本中の人が気付いていると思います。」

きものに着替えられる人は誰でも自由に、
周りの人に着替えを教えられるのです。

着物に着替える楽しさは一歩踏み込んで、
周りのお友達に声を掛けて欲しいのです。

「着物は誰でも簡単に着られる楽しい衣服です。」

「着物は洋服よりも簡単に着替えられる衣服です。」

「着替えるだけで時間を忘れて丸一日も遊べる衣服は、
 おそらく世界中を探しても日本の着物だけです。」

友達と一緒に着物に着替えて遊びに行く・・・
こんな思い出を残しても楽しいと思います。(*^^)v

こんな常識を着物を売る人や作る人に伝えてもダメでした。
着物を教えている先生も今は着替えの練習中だと思います。(^_^;)

今はそんな時代ですから、
できれば着替えられる皆さんに伝えて頂きたいのです。

「着替えなら私が教えてあげる!」

と、「日本中のタンスに残されている、
   着物からの祈りに近いお願いです。」

小庵「着らく」ではこれからも伝え続けます。(*^^)v

アッ!帯の入れ替えはやっと昨夜終わりましたよ。

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棚の帯は段ボール6箱に収まりました。(*^^)v

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裏の倉庫は一杯なので置き場所を思案中です。(^^ゞ

令和はどんな時代になるのか?
昭和から平成に起きた時代の変化を考えると、
今からの時代は想像もできませんね。

それでも百年後の日本で変わらないのは、
タンスに受け継がれた着物の温もりと、
その着物を出して着替える皆さんの笑顔だけは同じです。(#^.^#)
posted by kiraku at 11:29| 愛知 ☀| Comment(2) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年03月31日

きもの文化は万国共通の常識で考えましょう。(*^_^*)

今日のタイトルは「人が衣服を身にまとう!」
こんな人としての常識の範囲で考えられる事です。(#^.^#)

「着物は平安時代から日本人の着ていた物です。」

その着物に着替えられない人や時代があったとしたら、
それはおかしな事だと誰でも気付くのです。

平安時代からその着物姿にも流行がありました。

平安時代から公家と武家と庶民の着物姿は身分で違い、
戦国時代に流行った着物の着こなしもあれば、
泰平の世に流行った着物の着こなしもありました。

その時代にあわせた着物姿の流行はあっても、
日本中の人は誰でも着物に着替えていたのです。

幕末明治以降は西洋文化を受け入れ、
着物だけの生活から洋服の選択が生まれました。

皆さんが着物よりも洋服を選ぶ理由は何でしょうか?

「着物よりも洋服の方が楽で好きだから!」(*^^)v

これは世界の民族服でも起きている普通の事です。

しかし、日本には着物文化を教える着物教室や、
国から認可を受けた着物学院まであるのです。

その国で洋服を選ぶ選択の以前に、
着物に着替えられない人がほとんどだとしたら、
皆さんは不思議だと思いませんか?

民族服はその国では誰でも着替えられるのは、
おそらく世界共通の常識だと思います。

皆さんが着物よりも洋服を選ぶ理由は何ですか?

「着物よりも洋服の方が楽だから!」

この言葉を素直に受け止める前に、

「着物は洋服よりも楽しく簡単に着られる、
 民族服として着物に着替えた事がありますか?」

着物文化からこんな常識が欠落したのは何故ですか?

初めて着物に触れる人には、

「その洋服は普通に着替えて来ましたか?」

「????・・・ハイ!」

「なら着物も簡単に着替えられます!」(*^^)v

皆さんは目の前で子供達が悪意を持った大人に、
騙されている姿を見かけても見ない振りをしますか?

このブログも10年目を迎えて感慨深いものを感じています。
10年後の日本を想像しながら続けてやっと辿り着いた今です。

ブログを始めた年は私の子供達が家を出て独り暮らしを始め、
その子供達も今は子供にも恵まれ幸せな家庭を築いています。

そして19年目を迎えた小庵「着らく」は、
着物を通して子供達の笑顔に溢れています。(#^.^#)

突然余談ですが、
3月24日に学生時代の友人から突然電話がありました。

「オー、どうした?」

「イチローの引退でテレビをつけるとイチローばかりで、
 何かお前に電話しないと悪い気がして電話した!」

これが還暦を過ぎて爺さんになった学生時代の友人との会話です。(^_^;)

アッ、私は幼少期はイチローお坊ちゃまと呼ばれ、(お坊ちゃまは嘘!)
学生時代から今日まで親しい人は皆さん「イチロー」と覚えて、
何十年の付き合いでも今も上の名前を知らない人は結構いるのです。

なんでこの話をしたのかと言うと、
この友人が15年ほど前にまじめな顔でこんな事を言いました。

「イチロー、もう着物の事は忘れたらどうだ。」

この当時は本来の着物文化を伝えようとしても、
誰にも相手にされず四面楚歌の状態だったのです。

おそらく友人は私の事を心配していたのだと思います。

この頃に出会ったのが今も遊びに来ている子供達の先輩です。
大学1年生の子が2年生になり後輩を連れて来てくれたのです。

子供が後輩を連れて来てくれた信頼に応えるには、
大人としてこの信頼を10年先の後輩に繋げる責任がある!

気付けば今の後輩はあれから15年後の後輩です。(#^.^#)

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「このブログを続けながら、
 私の誤算は何だと思いますか?」

それは世の中が未だにおかしな着替えを強要され、
テレビCMでは着替えを教える無料着物教室が、
未だに着付け教室だと宣伝している現実です。

着替えを着付けだと教え、
おかしな資格や道具を売り付け、
奇々怪々な手順を強要しなければ、
成立しないのがお着替え詐欺です。

着替えを着付けだと教えればその時点で、
誰でも気付く言葉の間違いから始まる、
幼稚な詐欺が今でも存在している事です。

こんな事を続ければ日本人にとって着る物は、
洋服の選択しか選べないのは当然の結果です。

「皆さんは着物を民族服として、
 毎日着ている洋服よりも簡単に、
 着物に着替えた経験はありますか?」

遊びに来ている子供達は部活の勧誘に、
この着物姿ではなく、

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民族服としての常識と意味を知って、
この着物姿を選択しているのです。

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日本人にとって着物は、
特別な時にだけ着る装束ではありません。

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日本人にとって着物は、
自分では着られなかったその装束の形を、
自分の体に補正を入れ寸胴にした体型に、
一本のシワもなく着替えた人だけに与えられる、
その資格を持った人だけが着る権利を手にする!

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そんな衣服ではありません。(*^_^*)

着付けゴッコで着替えた着物姿と、

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大層な言葉と道具を駆使して着替えた着物姿に、

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皆さんはどれほどの違いを感じますか?

私の言える事は、
着物を民族服として着ている子供達は、
難しい着物用語も知らず補正も道具も使わずに、
洋服よりも楽しく簡単に着替えている事だけです。


着物の資格を手にして教えている皆さんには、
目の前でお着替え詐欺に遭っている人に出会ったら、
優しく声を掛けて助けてあげて欲しいのです。

「着物は誰でも簡単に着られますよ。
 それが日本に受け継がれた着るものです。」


政府の発表では明日には新年号が分かりますね。
切り替えは5月1日だと聞いています。

まだ新しい年号になるまで一ヶ月もあります。

「まだ間に合います!」

皆さんが晴れ晴れとした気持ちで、
新しい年号を迎える姿を心から願っています。 
その姿は日本の未来を必ず明るくします。(*^_^*)

私より若い鈴木イチローさんも引退したので
還暦爺さんのカラフル更新は今日を最後にしますね。


次回からは爺さんの、
腰が痛い!目がかすむ!シミが!白髪が!頭髪が!
こんな悩みも今から30分以内にお電話頂ければ直ぐに解決!

「アホか!」と日々のボヤキブログになるかも知れません。(^_^;)
posted by kiraku at 14:36| 愛知 ☀| Comment(0) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年03月29日

きもの時間の百年は長い?それとも短い?(*^_^*)

今日のタイトルは時間の感じ方ですから人それぞれですね。(^_^;)

小庵「着らく」では受け継がれた着物に汚れやシミを見つけると、
遊びに来ている子供達は着物に残された思い出と表現します。

昨日も初めて出した着物の右裾の上に薄いシミを見つけて、

「師匠、この着物は思い出が残されています。」

私はそのシミを見ながら、

「エッ、右前に思い出が残るか?」

この言葉にその子は着物を広げ直して、
左前にも同じ場所にシミを見つけ嬉しそうに、

「師匠!左にもありました!」

「それはお味噌汁だな」と、私の言葉に大笑いでした。(#^.^#)

その家に受け継がれていれば大切な着物として
思い出を語った後でも染み抜きで簡単に消せるのです。

「私は何を伝えたいのか?」

何度も同じ事を念仏のように繰り返して申し訳ありませんが・・・

それは受け継がれた着物の価値は、
織りや染めの華やかで豪華さにに付けられた、
見るからに高価な置き物としての価値ではありません。

受け継がれた着物の価値は、
その思い出を子孫に語る時の笑顔にあるのです。

残された着物に着物姿の思い出が無ければ、
皆さんが新たな思い出を残せば良いのです。

着物時間の百年はその為の時間です。

日本人の着物姿は、
自分の体に補正を入れ寸胴にしたその体に、
一本のシワもなく着替えなさいと強要され、

「その特技を手にした人だけが着物を着られる!」

そんな忌まわしい過去の着物文化も振り返れば、
たった40数年の悪夢でしたと笑える今が幸せです。

遊びに来ている子供達は受け継がれた着物を通して、
百年の時間に包まれ感謝と温もりを感じています。

この国がまだ貧しかった、
昭和30年代に着られていたこの着物も、

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この着物も、

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この国にコンビニも原発も無かった、
幕末明治に着られていたこの着物も、

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この着物も、

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平成生まれの子供達を笑顔にして、
新たな思い出を残しているのです。(*^^)v

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着物を教えている皆さんは、
自分の体を寸胴にして一本のシワも無い、
その画一的で無機質な着物姿を、
今でも生徒さんの手本だと思っていますか?

「今ならまだ間に合います。」

何故なら、
着物時間の百年には皆さんも含まれるのです。
posted by kiraku at 12:37| 愛知 ☁| Comment(0) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年03月28日

着物文化の苦痛はたったの40数年!(#^.^#)

今日のタイトルも意味はそのままです。(^_^;)

今日は小庵「着らく」の予定が入っているので、
昨日は夕方に入った仕事を昨日の内にサッサと済ませ、
夜は早めに布団に入ったのですが・・・・・・・

ブログで伝えられる事は今月中で伝え切れるのか?
等と考え出したら頭が勝手にあれもこれもと働きだし、
還暦を過ぎても私を寝かせない自分の脳ミソだけは、
情けないほど自由奔放で管理が出来ないものです。(・・;)

仕方がないので4時半に布団から出て、
サツマイモを茹でて潰して砂糖、卵、HM、生クリームに
バニラエッセンスを入れしっかり混ぜて炊飯器に入れ、
今の時間は5時半です。

今から掃除機はさすがに早すぎる!

かと言って寝不足で文章を書くほど頭が起きていない!

このままパソコンを閉じて後から更新します。(*^^)v

無事に小庵「着らく」を終えてホッとしている師匠であります。
タイトルについて話をする前に今日の小庵「着らく」にて、
大爆笑が何度かあったのですが・・・内容が思い出せない!(^_^;)

要するに他愛もない内容だったのは確かです。(*^_^*)

そんな空気で着替えている着物姿を紹介すると、
5人並べばそれぞれの着物姿でした。

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後姿にも個性は現れます。

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着替え風景も毎回同じようでじつは違うのです。
この違いだけは文章では伝えられません。(^_^;)

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今日は珍しい事がありました。

先輩達がお互いに帯を結んでいる中で、
4回目の後輩が座ったまま名古屋帯のテを肩に掛け、
自分の体に帯を巻く仕草をしているので、

「自分で結ぶのか?」と私が聞くと、
先輩の結ぶ姿を見ながら真似をしていたようです。

4回目の子は友達や先輩に何度も結んでいます。

そこで私が
 「自分で背中に結ぶならいっそ目を閉じて、
 友達に結んでいるイメージで手を動かしなさい。」

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もう一人の4回目の子は棚の上に振り袖を見つけて、

「この着物いいですか?」

「着るなら出しなさい。」(*^_^*)

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そんな子供達の着こなしの着物姿です。

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同じような着物姿でも画一的な手本を示さなければ、
着る人の個性は自然に出るものです。(*^^)v

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これだけ違う着物と帯に着替えれば、
着替えた数だけ着心地と着やすさの違いは、
手にした着物と帯が教えてくれます。(*^^)v

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50年前の日本に着物教室が無かったのは、

それ以前の日本には教える手本も無ければ、

教えられた通りに着替えるような着物文化は、

平安時代から千二百年間、一度も無かったのです。

着物を着ていた日本人が着替えられない?

着物を自分で着ると偉いね〜と褒められる?

受け継がれた着物は着られない着物に化ける?

この40数年の間に何が起きたのでしょうか?


こんな現実を悩まないで、
目の前の数字に悩むのは無駄な事です。

と、遊びに来ている子供達には、
意味を知って生きる大切さを伝えています。(*^_^*)

生徒さんが集まらない本当の意味を知って、
日本中で嫌われているお直しオバサンを
皆さんの力で世直しオバサンにして下さい。(#^.^#)


お直しオバサンを育てたのは誰ですか?
posted by kiraku at 23:40| 愛知 ☁| Comment(0) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年03月27日

きものは着る物では都合が悪い?(^_^;)

今日のタイトルを書き直すと、

「きものは普通に着ては都合が悪いですか?」

このタイトルは着物に関わる人や教える人が理解するのは、
おそらく無理か紆余曲折の時間が掛かると思います。(^_^;)

着物はよくハレ着と普段着に区別されますが、
この言葉を「フォーマル」と「カジュアル」にすると、
何となく理解しやすいのかも知れません。

洋服の世界では「フォーマル」と「カジュアル」では、
着替え方は同じでも着こなしのイメージは違います。

着物の世界では「フォーマル」と「カジュアル」では、
着替え方が違うと頭のおかしな人から教えられただけで、
着こなしのイメージだけが完全に抜け落ちているのです。

「着物姿は同じでも紬を着ればカジュアル?」

これが40年以上も一つの手本に縛られた、
着物文化の惨状を見せられている原因です。

着物を教えている先生なら、
ご自分の着物姿を鏡に映して考えれば、
その姿は無限にある着物姿の一つだと気付きます。

そのフォーマルな着こなしで焼き鳥屋に行きますか?

この意味は遊びに来ている子供達は普通の感覚で、
フォーマルとカジュアルを着こなしで区別しています。

着こなしの楽しさは、
着物を教えている皆さんが伝える事です。(#^.^#)


posted by kiraku at 07:16| 愛知 ☀| Comment(0) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年03月26日

きものの着替えは誰に聞けば良いの?

今日のタイトルは・・・誰なんでしょうね。(^_^;)

着せ付けは美容院か着付け師さんに頼めます。
では着替えは誰に聞けば良いのでしょうか?

皆さんはこんな事を考えた事がありますか?

若い人は着物=振り袖になっていますから迷わず、
着物=美容院かホテルでの着せ付けが頭に浮かぶと思います。

もしも若い人が古着屋さんで可愛い着物に出会い、
その着物に着替えたいと思った時は、
誰に着替えを習えば良いのでしょうか?

「日本人が着物の着替えを習う?????」

「イギリス人が洋服の着替えを習う???」

「韓国人がチマチョゴリの着替えを習う?」

皆さんは着替えをこんな風に考えた事がありますか?

「日本人は着物に着替えられるのは普通です。」

「イギリス人は洋服に着替えられるのは普通です。」

「韓国人はチマチョゴリに着替えられるのは普通です。」

こんな理由からどこの国にも日本にも、
受け継がれた衣服文化の着替え教室は無いのです。

小庵「着らく」で着物に着替えている子供達は、
最初から自分で着物を着るのは着替えだと、
普通の常識で着物に着替えているだけです。

30年前の日本では国が認可を与えた着物教室で、
当たり前のように着替えを着付けだと教えていました。

資格を手にして着替えを教えている先生は、
今でも着替えを着付けだと信じていますか?

お着替え詐欺を考えた皆さんが、
たった一つの着物姿にこだわった理由は何ですか?

そのたった一つの手本通りに着替える事は、
着替えでも着付けだと教えた理由を知っていますか?


わざわざ世界の民族衣裳を研究しなくても、
着替えを着付けだと教えた国は日本だけです。

何故なら言葉の常識として、
着替えを着付けだとは言わないからです。(^_^;)

資格を手にして着物を教えている皆さんは、
着付け師を育てる為に着せ付けを教えていますか?
着方が分からない人に着替えを教えていますか?

こんな風に考えると教え方の工夫が生まれます。(#^.^#)

着替えでも着せ付けでも衣服としての常識はあります。
それは着ている本人の着心地と着やすさです。

生徒さんが古着屋さんで可愛い銘仙を見つけたら、
その着替え方を教えてあげれば良いのです。

「銘仙は着付け道具を嫌います。」

その事を生徒さんと一緒に着物から学べます。

「この着物は余りがダボダボしないから、
 コーリンベルトは必要ありませんね。」

着替えの着物姿は無限です。
生徒さんの輪も無限に広がります。(#^.^#)


気付いた先生なら資格を与えた教室の看板が無くても、
生徒さんを集められる事に気付いてくれます。(*^^)v

もしも若い人が古着屋さんで可愛い着物に出会い、
その着物に着替えたいと思った時は、
誰に着替えを習えば良いのでしょうか?

それは着替えと着付けの区別をしっかりと持って、
着物の着替えを教えている皆さんです。

過去の着物文化で詐欺師の皆さんが
たった一つの手本通りに着替える事は、
着替えでも着付けだと教える事に確執したのは、 
本当の事を言ってしまえば、
着替えを教えるのに資格も看板も必要ないからです。 


「これは世界共通の着替えの常識です。」   

今の着物文化に必要なのは、
普段着でもハレ着でも
誰でも普通に着替えられる環境です。(#^.^#)


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カラフル更新で目がチカチカしたらすいません。(・_・;)
posted by kiraku at 12:53| 愛知 ☁| Comment(0) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年03月25日

ハレ着に同じ着物姿はありません。(#^.^#)

今日のタイトルは「エッ、当然ですよ!」と言われそうですね。(^_^;)

ハレ着は広襟に仕立ててある理由は過去記事で何度も伝えています。
普段着はバチ襟に仕立てある理由も過去記事で何度も伝えています。

今だから理解できる事があるかも知れませんので、
もう一度その理由をお伝えすると、

ハレ着は一生に何度も着る機会のない着物です。
成人式で着た振り袖を次に着るのは独身の内に何度ありますか?
結婚してその振り袖の袂を短くした留袖も同じです。

昔の人はハレ着をタンスに仕舞う時は、
袖に躾糸を縫い付けて仕舞っていたのです。

皆さんにこの理由が分かりますか?

次にその晴れ着を出して着るのは何年後か、
何十年後かの子孫になるかも知れないからです。

ハレ着は一度着たら次に着るまでの時間が違うのです。
汚れないからその形のまま受け継がれる着物になります。

次に着るのは体型の変わった自分なのか?
それとも自分より背丈の違う子供か孫なのか?

誰が着てもそのままの形で着られるように、
襟を広くして裄の調整ができるようにしたのです。

ハレ着の広襟を全部広げているこの着物姿は、
受け継いだハレ着の襟の幅で裄を出している、
理に適った着こなしの着物姿になるのです。

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皆さんにこの意味が分かりますか?

ハレ着には決まった着物姿の手本など、
着物文化の常識として存在してはいけないのです。

もしも手本通りに着られる世界があるとすれば、
それはバチ襟の普段着になるのです。

皆さんにこの意味が分かりますか?

普段着がバチ襟なのは毎日着るからです。
皆さんは毎日着ている洋服が汚れても、
めんどくさいと言って洗いませんか?

おそらく常識の範囲で洗濯をすると思います。

バチ襟の普段着も季節の変わり目には解いて、
洗い張りをして(洗濯)タンスに仕舞ったのです。

皆さんにこの意味が分かりますか?

バチ襟の着物を受け継ぐ時は、
洗い張りの終わった反物の形で受け継がれたのです。

今でもヤフオクを見れば、
解き反物として沢山の着物が出ています。

皆さんにこの意味が分かりますか?

普段着は解き反物として受け継がれ、
そして自分の体に合ったサイズに仕立て直したのです。

皆さんにこの意味が分かりますか?

もしも着替えに手本があるとしたら、
自分に合せた仕立てのできるバチ襟の着物なのです。

今は5センチのはしょりが流行っているから、
御祖母ちゃんのこの解き反物は長めに仕立てる!

袂の長さもバチ襟の着物なら、
その時代の流行で自由自在に出来たのです。

皆さんにこの意味が分かれば、
ハレ着の着物姿を一つの手本に合せると、
日本中で何が起こるのか・・・

本来の意味を知って、
日本に受け継がれた着物文化の惨状を、
皆さんの目で見て心で自覚して下さい。


最後に小声で独り言です。(^_^;)

「オレオレ詐欺は個人の罪でも、
 お着替え詐欺を認めたのは国の罪です。」

う〜ん、これを小声で言うのは私らしくない・・・(・_・;)

「詐欺大国と言われるまで、
 この国の着物文化を捻じ曲げたのは、
 他でもないお着替え詐欺を認めた国の責任です!」

「資格を手にして教えている先生は、
 被害者として堂々と言えば良いのです。」
posted by kiraku at 12:39| 愛知 ☀| Comment(0) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年03月24日

きもの文化を伝える楽しさは日本の財産です。(*^_^*)

今日のタイトルは・・・・・・う〜ん 伝え方が難しい!(^_^;)

「何が難しいのかと言えば、
 誰に伝えれば良いのでしょうか?」

国の財産とは子供や若い人達です。

その子供や若い人達に着物の常識を、
伝えられるのは誰なんでしょうか?

過去の着物文化で私が情けないと感じた事があります。
それは小さな子供や若い人を着物に関わる人達が毛嫌いした事です。

毛嫌いとは
《鳥獣が、相手の毛並みによって好き嫌いをするところから》
これという理由もなく、感情的に嫌うこと。わけもなく嫌うこと。

アッ、成人式だけは手の平を返したように若い人に群がり、
成人式が終わればもう用無しとばかりに離れて行くのです。(・_・;)

こんな時間を40年以上も続ければ、
子供や若い人にとって着物は七五三と成人式だけになり、
着物姿は一生に一度の一大イベントの道具にされ、
ド派手に着飾るだけのコスプレ衣裳になってしまいます。

「これはこれで楽しい世界だと思っています。」(#^.^#)

しかし、やり過ぎると着物文化から衣服としての常識は消え、
受け継がれた振袖があるのにサイズが合わない柄が古いと言われ、
着替える楽しさと温もりだけが完全に抜け落ちている気がします。

アッ!教育現場で着替えを着付けと言いながら
小さな子供や若い人に教えるのはもっと最悪です。(-_-;)

「では誰が本来の着物文化を、
 次の世代に伝えられるのでしょうか?」

こんな事を考えながら突き詰めて行くと、
先ずは日本中の人がお着替え詐欺に気付くのが一番!

この詐欺だけは警察も手が出せない!
親が気付いても着物に触れない事でしか対処できない!

世の中が間違いを認識しない限り、
間違いに気付いても正せない環境もあるのです。

やはり着物を教えている人達が気付いて、
過去の間違いを正して行くのが一番です。

先生自身が教えられた形に何の意味があるのか、
その意味と答えを知って
先生に資格を与えた人に聞いて下さい。

「自分では着替えられない着付けの形を、
 なんで着替えの手本にしたのでしょうか?」

003.JPG

「私には未だに分からない事があります。」

着替えを着付けと教えれば日本語の間違い!

着替えに着付けの手本を真似させる間違い!

最初から背中の帯を自分で結ばせる間違い!

着せ付け道具を使わせて着替えさせる間違い!

・・・・!・・・・!・・・・!・・・・!

今の小庵「着らく」の空気は、
気付いた間違いを一つ一つ正しただけの結果です。

私は気付いた着物文化の間違いを、
誰に伝えれば良かったのでしょうか? (・_・;)

着物に関わる人には先生も含めて伝えて来たのです。

「間違いを正すのは誰の仕事になるのでしょうか?」

分かっているのはこの20年間で、
着物文化は完全に崩壊している事です。

「今からでも間に合いますよ。」(#^.^#)

これからは着物に関わる皆さんで、
着物文化の間違いを正して見てはどうですか?

間違いを一つ一つ正して行くだけで、
今までの百倍は楽しい時間になります。(*^^)v


と・・・昨日はこんな更新をしようかと思いながら、
画面を残して更新しないまま寝てしまいました。(^_^;)

50年前の日本には着付け教室はありませんでした。

30年前の日本では日本中の着物教室で、
着替えを着付けだと当たり前のように教えていました。

20年前の日本では着物教室に生徒さんが集まらず、
名古屋でも着物教室の数が減っていたのです。

今は多くの教室が着付けから着方の表現に変わり、
着替えの形を模索している時代だと思っています。

皆さんは日本の現代ハレ着が大き過ぎる
ガバガバサイズになった理由を知っていますか?

受け継がれた着物文化には着替え辛いだけの、
ガバガバサイズの着物は少ない事を知っていますか?


遊びに来ている子供達は現代ハレ着を手にすると、
その大きさに着辛さと始末の大変さの意味は、
衣服の常識として大き過ぎると理解しています。

「何でわざわざ着替え辛い大きさに仕立てたの?」

この事を理解するには教える皆さんの引き出しに、
着心地と着やすさの着物姿を持てば良いのです。

生徒さんと一緒に過去の間違いを、
一つ一つ正して行くのは本当に楽しい時間になります。

それには先ず先生自身が、
着替えと着せ付けの区別をしっかりと持つ事です。

自分で衣服に着替えるのは着付けですか?

「それは誰が見ても着替えです。」

自分で衣服に着替えるのに手順や手本は必要ですか?

「手順と手本を示すから生徒さんは、
 着心地と着やすさを考えられないのです。」

先生自身も同じ体験をしていると思います。

「着心地と着やすさを考えて、
 着物に着替えた事はありますか?」

着替えを着付けだと教えられた人達にはその経験から、
着心地と着やすさは教えられると私は思っています。

着物に無関心な人でも、
着心地と着やすさを考えて着物に触れれば、
誰でも着物を好きになります。

背中のお太鼓も楽しい遊び道具になります。

「私は着物文化の楽しさを、
 誰に伝えれば良かったのでしょうか?」

「お着替え詐欺に注意しましょう!」

近い将来には着物を教えている教室で、
皆さんが生徒さんに伝える言葉になります。


もう直ぐ今月も終わります。
こんな内容の更新は平成で終わりにしたいと思います。

昭和の凸凹は平成で区切りを付けて、
晴れ晴れとした気持ちで新年号は迎えましょう。(#^.^#)
posted by kiraku at 14:22| 愛知 ☁| Comment(2) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年03月22日

受け継がれた着物は・・・(*^_^*)

今日のタイトルは素直な心で考えましょう。

「タンスに受け継がれた着物は誰が何のために残したのでしょう。」

一枚の布に託された着物時間は百年です。
着物は解けば仕立てる前の反物に戻せる衣服です。
その為に直線裁ちで仕立てられているのです。

百年前の洋服を解いても元の布には戻りません。
それは体に合せて曲線に裁断されているからです。
小さく仕立て直す事は出来ても裁断する前の、
広幅に織られた布の形には戻らないのです。

着物は浴衣も振り袖も解けば、
直線に裁断された八枚の布になります。

その布を縫い合わせると着物になる前の小幅の反物になるのです。

タンスの着物を捨てる前に浴衣でも振り袖でも解けば、
浴衣は五枚で豪華な振り袖は十枚にはなりません。
浴衣も振り袖も同じ形で裁断された八枚の布になります。

その断面を縫い合わせると、
買った時と同じ元の反物に戻るのです。

皆さんにこの意味が分かりますか?

私が不思議でならないのは、
日本にはどこの街にも着物を教える教室があり、
一枚の布に託された着物時間も教えているハズです。

それなのに遊びに来ている子供達にこの話をすると、
初めて聞かされた内容に驚くのは何故なんでしょうか?

この国の着物文化の常識は、
どんな言葉で伝えられているのでしょうか?

教えられた画一的な形で着るための衣服?

その形で着るのは大変だから、
タンスの置き物にして悦に浸るだけの衣服?

日本にはこれだけの着物教室があり、
どこの着物教室でも着替えを教えているのです。

お金を払い着替えを習ってでも着たい衣服だったのが、
着替えを覚えたら着たくない衣服になっていませんか?

前回の小庵「着らく」で遊びに来ていた子が、

「部活の勧誘に着物を着ても良いですか?」

普通の着替えを覚えると着物は誰でも着たくなるのです。

「現代晴れ着に帯枕は人を遠ざけるから、
 時代着物に帯枕を外して下駄にしてもおもしろい。」

大人は着物姿に選択を与える事が大切であって
どの着物姿を選ぶかは子供達のセンスと個性に任せる。

今の若い人には信じられないかも知れませんが、
御祖母さんやお母さん世代の人達は、
「着物に関わると恐い!」と感じた時代があったのです。

着物教室に行けば高価な着物や帯を買わされる!
着物店に行っても高価な着物や帯しか勧めない!

ユニクロで洋服を買っていた人でも、
着物に一歩足を踏み入れると絹のロングドレスを買わされる!

「着物に関わると恐い!」と言われたのは、
今の若い人には想像もできない時代の空気があったのです。

その頃に育った空気と言葉が「騙される人が悪い!」です。

アッ、平成も終わろうとしている現代では、
誰に聞いても「騙す人が悪い!」に戻っています。(*^^)v

今でも一部の人達は「騙される奴が悪い!」をスローガンに、
時代遅れのオレオレ仕事をされているようですね。(T_T)

タンスに受け継がれた着物は百年待ってくれます。

その時間とはどんな時代になっても百年先には、
すべてが変わっている時間でもあるのです。

百年前の常識も環境も今ではすべてが過去です。
それでも着物は日本のタンスに受け継がれています。

普通に着替えれば洋服よりも簡単で楽しい!
着物を教えている先生はその事を伝えられるのです。

着替えを着付けだと教えた過去を反省すれば、
百年先の笑顔に出会える素晴らしい仕事です。(#^.^#)


着物は日本中の人が着やすさと着心地で着る物です。

003.JPG

御祖母さんに聞いても教えてもらえない!
親に聞いても教えてもらえない!
着物店に行っても教えてもらえない!

資格を手にして着物を教えている先生には、
正しい着物を教える義務と責任があります。(*^_^*)
posted by kiraku at 12:38| 愛知 ☁| Comment(0) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年03月21日

着物の常識は健全でなくてはいけません。(#^.^#)

今日の名古屋は朝から雨で肌寒かったです。

昼前に雨が上がったので妻と大府市にある、
JAアグリタウン元気の里まで野菜を買いに行っていました。

フードコートで着物姿の女性に出会い、
お太鼓姿の着物姿に帯枕を外した姿を思い浮かべると・・・

やはり日本の着物姿を軽くするには、
着物を教える皆さんの力は必要ですね。(*^^)v

学校で教えられた事に間違いはありません。
意味は分からなくても取りあえず従えば心配はありません。
それが着物を教える先生と言われる人達の立場です。

大勢の生徒さんを育てる責任は、
着物を教える皆さんの言葉に存在します。

「着物文化の常識とは何ですか?」

ハレ着の広襟はどんな理由で広くなっていますか?

ハレ着の襟が広い理由は一生に何度も着ない着物だからです。
受け継がれたハレ着は襟の広さで裄を調整したのです。

襟の形をセンチの単位で決めるなど、
言語道断な非常識だと教えて下さいね。(*^^)v

001.JPG

普段着のバチ襟はどんな理由で狭くなっていますか?

着物の形は同じでも使用頻度が違うからです。
その意味を伝えれば着替え方は同じだと教えられます。

001.JPG

お太鼓は自分で結ぶ帯ですか?

見えない背中の帯は着付け師さんの結んだ帯です。
友達と着付け師ゴッコで遊べば楽しい帯結びになります。

012.JPG

着付け師さんの手を借りた、
お太鼓の着物姿で出掛ける先は?

そんな大層な着物姿で出掛ける先は、
通学通勤には不向きな事は誰でも分かります。

004.jpg

何故なら、
現代のお太鼓の正装姿は昭和30年代に結婚式で流行った、
着付け師さんの着せ付けた留袖姿になるからです。

003.JPG

師弟関係で受け継がれた高度な技術で着せ付けた、
その着物姿をそのままそっくりパクリ!!!
これは着付けだと教えながら着替えを強要し!!
その着替えに着付けの資格と道具を売れば・・
 
「皆さんは健全な着物教室だと思いますか?」

着替えられた人は誰でも特技として、
「あんたその形に着替えたの!偉いね〜」と、
自分の体に着せ付けた特技を褒められるのです。

背中の帯まで自分で結ばせたら・・・
何も知らない子供には苦行以上の拷問です。

せめて背中の帯だけでも、
「着付け師ゴッコ」として遊ばせてあげて下さい。(#^.^#)


着物を教える先生の常識は、
健全でなくてはいけません。

健全とは、
(身体・精神などが)すこやかで異常のないさま。

着替えを着付けだと教えれば、
その時点で健全な心では無くなります。

生徒さんの素直な心を食い物にするよりも、
常識を教え大切に育てる方が遙かに楽で喜ばれます。


「資格を手にして教えている先生は、
 誰からどんな常識を教えられましたか?」
posted by kiraku at 19:57| 愛知 ☀| Comment(0) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年03月20日

タンスの着物を着ないのはもったいない!(#^.^#)

今日のタイトルもそのままの意味です。

ブログを通して同じ事を延々と伝えながら、
良くぞネタが尽きないものだと我ながら感心しています。

何も伝えずに今を生きるのは
ひょっとして何も変わらない現実は同じでも、
先で見る世界は天と地ほどの違いがあります。

と、昨日は遊びに来ていた大学生の子に話していました。

私は遊びに来ている子共達に着物の温もりを伝えながら、
最後に「私の言葉はすべて忘れても気にしない!」と伝えます。

皆さんにこの意味が分かりますか?

初めて聞かされる着物の話は頭に入らなくて当然なのです。
言葉の意味は着物に触れながら自分自身で辿り着く場所です。

ある時に突然「アッ、師匠の言っていたのはこの事なんだ!」と、
何年先でも何十年先でも思い出した時が理解する時です。

着物時間の百年とは、
どんな時代になったとしても、
着物は静かに待ってくれる時間なのです。

「タンスに受け継がれた着物は捨てないで下さい。」

皆さんがこの言葉の意味を理解する前に、
タンスから出されて捨てられた着物も沢山あります。

同じ事を延々と伝えながら、
捨てられた着物に新たな思い出を残している人も大勢います。

おかしな着物文化は昭和39年(1964年)に入り口を開き、
1980年代をピークにしてさまざまな流派が増え、
10年後の1990年代にはもう失速しているのです。

皆さんにこの意味が分かりますか?

たった数人の頭のおかしな人が流行らせた手本に、
日本中の人が騙されたのは着物文化千二百年の歴史の中で、
「たったこの程度の時間です。」

その結果として1990年代から着物離れと言われ、
2000年には着物無関心時代になっていたのです。

私が着方を通して本来の着物文化を伝え始めたのは、
2000年の8月からです。

当初はこんな分かりやすい詐欺は5年で何とかなる!
と、思っていたのですが・・・(・_・;)

「着物に関わる人はまったくの他人事で無関心!」

「着物を教える先生は自装を着替えなど論外!」

2009年からこのブログを始めたのは、
満身創痍の末に考え出した最後の手段です。

あれから10年の歳月が流れ私は今でも伝え続けています。
続けながらいつまで続ければいいのでしょうか?

こんな分かりやすい詐欺に付き合って、
40歳だった私が還暦になっているのです。(^_^;)

この十年で過去の着物文化を創り上げた人も、
一人二人と80歳半ばであの世に去っています。

私も95歳の母親を看取ったからなのでしょうか、
自分の行ないを正さないまま残された生徒さんに丸投げにして、
この世を去るのはあまり褒められた人生とは思えないのです。

小庵「着らく」には百歳を過ぎた着物と帯もあります。
どの着物や帯も思い出をたくさん残しています。

受け継がれた家で広げれば、
どれほど雄弁に思い出を語ってくれたのでしょう。(T_T)

着物は平安時代から受け継がれている、
日本人の温もりと感謝の心を伝えた衣服です。

それを子供に伝えるのは親の躾です。
その親が着物無関心世代になっているとしたら、
その親を躾けるのはその親の親です。
その親の親がお着替え詐欺に遭っているとしたら、
だれが本来の着物文化を伝えれば良いのでしょうか?

着物は他人事で無関心だった着物店ですか?
正しい日本語など論外な着物の先生ですか?

こんな悪循環が40年以上も続けば、
タンスの着物は生きた心地はしません。

「本来の着物文化を伝えるのは
 着物を教えている先生ではないのでしょうか?」

目の前の生徒さんに正しい事を教えれば、

「生徒さんから喜ばれ、
 タンスの着物からは感謝されます。」

生徒さんは先生を信頼して通っているのです。

「何か不都合な事がありますか?」

誰が着ても温かく包んでくれる着物に、
無関心になるのは勿体無いと思います。(#^.^#)


日本人なら一度くらい普通に着替えて、
その着心地と着やすさを知ってから、
着る着ないの選択をすれば良いのです。

「着替えられないから着ない!」
 
それは詐欺師に騙されているのと同じです。

「着物は難しいと騙されて、
 着ないのは悔しくないですか?」 


着物文化の温もりを伝えるのは、
先生と言われる人達の生きる為の仕事です。

こんなに楽しい着物文化を知らずに、
着物を教えている先生がいるとしたら、

それはお着替え詐欺に騙されているのと同じです。


「着物を教える人として悔しくないですか?」

皆さんは着物を教える先生です。
教える内容に間違いがあってはいけません。

「着替えを着付けや自装だと教えるのは論外!」
 
今なら着物の常識だと思いませんか?(#^.^#)


昨日は私が仕事をしながらの小庵「着らく」でしたが、
子供達の楽しい会話に大笑いをしました。(#^.^#)

友達に二重太鼓の結び方を教えている時の会話。

「この帯はバカ長いから・・・・」

袋帯も素直な子供の前では、ただのバカ長い帯でした。(#^.^#)

011.JPG

棚から帯を選びながら

「この帯チョコレート色でおいしそう!」

小庵「着らく」19年の歴史で初めて帯を選ぶのに
おいしそうだと言って帯を決める子に出会えました!(#^.^#)

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「本来の着物文化とは、
 着替える風景に和みと温もりがあるのです。」(#^.^#)

時代着物を着こなしている子は2人とも3回目です。

005.JPG

3人で何をしていると思いますか?
帯を結ぶ順番をジャンケンで決めていました。

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空気が育てば着なれる速度がどんどん早くなる!
 
皆さんにこの理由が分かりますか?

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着物好きな皆さんなら答えは簡単です。(*^^)v

着物を教えている先生は最初に教える内容です。(#^.^#)


着物文化は振興の時代ではありません。

捨てられる着物の惨状を見れば復旧と復興だと、
着物に関わるすべての人が気付けば良いのです。

皆さんが真剣に取り組めば、
振興の時代まで3年も掛かりません。
posted by kiraku at 21:25| 愛知 ☁| Comment(0) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年03月19日

なんで着物はお太鼓なのかな〜・・・個人的な独り言の更新です。(^_^;)

今日のタイトルは・・・伝えても無駄な独り言です。

「なんで着物はお太鼓なのかな〜?」

お太鼓が正装の帯結びはもう変えられない?

古い映画やテレビの時代劇ではお太鼓姿は珍しい・・・

せめて着せ付けの帯だと学校で教えてくれたら、
若い子の結ぶ帯ではありませんと言えるのですが・・・

「なんで着替えに結ぶ帯がお太鼓なのかな〜」

若い子がわざわざ着付け師さんに頼んで、
高いお金を払い結んでもらうような帯を結ぶのは、
身の丈にあっていない着物姿だと言えるのですが・・・

本当はお茶会でも学生の子は、
ウールの着物に半巾帯が正装になると思うのですが・・・

「そんな常識を教えたらお金儲けにならないですね。」

だとしたら今まで通り小庵「着らく」では、
意味を知って世間の非常識に合せなさいと教えるしかありません。(^_^;)

世間の常識が例え非常識だと分かっていても、
大人の決めた事に逆らうのは子供には無駄なストレスです。

しかし、世間の常識は理に適わなければ変化して行くものです。

私の若い頃はお葬式から帰ると玄関で必ず塩を体にかけていました。

周りの大人から聞かされた理由は、
葬儀から帰ったら塩で清めてから家に入らないとダメ!
子供ながらに不浄なものを清めるのだと理解していました。

しかし、何が不浄なのかが分からないまま、
最近は何故かこの習慣が無くなっているのです。

葬儀と着物文化を同じだとは思いませんが、
やはり今の古着市場で山積みされた着物を見ると、
何か釈然としない不条理さを感じます。

おそらく山積みされた着やすい着物は、
タンスから出た後の理不尽な扱いに驚いています。

「なんで着物はお太鼓なのでしょうかね〜」

お太鼓を結べる着物は限られています。

着やすい着物は例え名古屋帯でも帯枕を嫌います。
帯枕を外すだけで見た目の印象が時代に合うのは、
昔は帯枕を入れていなかったからです。

時代着物でも銘仙等は半巾帯がよく似合い、
名古屋帯でも帯枕は着物が嫌います。

「なんでお太鼓を庶民の着物姿にしたのかな〜」

お太鼓は庶民には縁の無かった帯なのです。
縁の無かった着せ付けの帯結びを、
自分で結びなさいと言われたのですから・・・
40年以上も着物好きな日本人を苦しめたのです。

私にはこれだけが未だに理解できません。
お父さんが首の後ろでネクタイを結びなさいと言われ、
その行為が40年以上も受け継がれているのです。

その技をわざわざ世界に出掛けて披露されても・・・

自分の背中で帯を結ぶのは、
着付けでも着替えでもありません。
海外の人から見るとそれは個人の特技です。

私が首の後ろでネクタイを結ぶ姿を披露したら、
皆さんは子供や孫に真似をしなさいと言うのかな?

着付けと着替えの意味をしっかりと伝えれば、
親から子に受け継がれない理由は誰でも気付く!
と、私は思っていたのですが・・・

私はストレッチ体操になるなら挑戦しますが、
その特技を人前で披露したいとは思いません。


個人的に思う独り言ですが、
頭のおかしな人が教えた特技を、
日本の着物文化にしてはいけません。


「着付け代を節約する為に練習する特技です。」
posted by kiraku at 00:18| 愛知 ☁| Comment(0) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年03月18日

きもの姿のイメージは多彩です。(#^.^#)

今日のタイトルは着替えを覚える楽しさ!

皆さんは着物姿のイメージを持っていますか?

同世代の人でも若い頃に憧れた着物姿と、
還暦を過ぎてからの着物姿ではイメージが違って当然です。

イメージとは
心に思い浮かべる姿や情景。ある物事についていだく全体的な感じ。

私には戦後の女性の着物姿は、
国から認可を受けた学校で同じ着物姿を強要された、
ファッションでは無く国民服のようなイメージがあります。

右を見ても左を見ても上を見ても下を見ても、
着物を着用する時はセンチの単位まで似せてこの着物姿にしなさい。

この着物姿以外はダメだと言われたら、
皆さんはこの着物姿にどんなイメージを持てますか?

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通勤通学に似合う!
子育てはこの着物姿が一番!
夜桜見物にはこの着物姿しか無い!
彼氏とデートはこの着物姿で居酒屋!
この着物姿はディズニーランドが似合う!

たった一つの着物姿にその情景を合せても、
常識の範囲で考えてもかなりの無理があります。

破綻した着物学院はこの着物姿で通学をさせたのです。
冷静に考えれば毎朝この着物姿に着替えるのに、
ベットの上に着付け道具を並べて鏡を見ながら、
毎日同じ着物姿に自装して通学しなさいと言われたら、

「皆さんは耐えられますか?」

着物姿のイメージとは楽しいファッションです。

今日はこの帯をこんな風に結んで通学したら、

「キャー!ネコ柄の猫結び!カワイイ!ー」

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今日は帯枕を外して粋な感じで通学したら、

「キャー!着なれた感じでカッコイイ!」

003.JPG

こんなイメージで日本中の人が着替えられたら、
街で着物姿の人に出会うのが楽しみになります。

帯締めを飾り結びにするのが得意な子もいれば、
衣紋の開け加減で自在に雰囲気を変える子もいれば、
創作の帯結びに長けた子もいるのです。

小庵「着らく」に形を教える先生がいないのは、
教える形が最初から存在しないからです。

帯結びの好きな子の結んだ着物姿には、
自然に友達が集まり帯結びを習っています。

この国には着物を教える教室があります。

若い人に着物文化を伝えられる環境はできています。

「問題はその教えている内容だけです。」

着物を教えている皆さんは、
生徒さんが集まらない理由に気付いていますか?


この国には着物を教える教室があります。

若い人に着物文化を伝えられる環境はできています。

「問題はその教えている内容だけです。」

「背中の帯を自分で結ばせてはいけません。」

「着替えを着付けだと教えてはいけません。」

「着物姿のイメージを一つにしてはいけません。」


先ずは着物の常識を教える事です。(*^^)v

アレレ?また目がチカチカするカラフル更新になりました!(^_^;)
先生が気付けば大勢の生徒さんが笑顔になれる!
そんな気持ちが色に出るのです。(#^.^#)
posted by kiraku at 08:42| 愛知 | Comment(0) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年03月17日

きものに着替えない理由は? (*^_^*)

今日のタイトルは人それぞれですね。

着替えられる事を前提に考える?
着替えられない事を前提に考える?

着替えられる事を前提に考えると、

動きづらい?
洗濯がめんどくさい?
袖のぶらぶらが邪魔?

他は・・・何ですかね〜
アッ、男性の場合は奥さんの意見がありました。
旦那さんが着物でいるとお風呂掃除が頼みづらい!
あぐらをかくと前がはだけて見苦しい!
一緒に外を歩くのに旦那さんが着物では困る!

男性の着物姿は女性よりもかなりハードルが高いのです。(^_^;)

着替えられる事を前提に考えても、
着物は洋服よりもハードルが高いのは事実です。

昭和30年代から洋服の世界にファッション性が生まれ、
日本人の意識が着物から洋服に変わる転換期がありました。

下駄の需要が急速に落ちたのも昭和30年代です。
これは着物姿の減少と道路がアスファルトになったからです。

ファッション性を衣服の形で表現するなら、
着物は直線裁ちの形を変える事は出来なかったのです。

「着物を教えている先生に、
 この意味が分かりますか?」

着物のファッション性は、
個性に合せた着こなしと自由な帯結びなのです。

「着物を教えている先生に、
 この意味が分かりますか?」

着物から個性に合せた着こなしと、
帯結びで遊ぶ世界を奪ってしまえば何も残らないのです。

15年ほど前の話になりますが、
東京でファッションの勉強をしていた知り合いの娘さんが、
成人式に時代のある振り袖を探して来て、
花魁風に着こなして成人式に出たいと言ったのです。

その時に親子で何が一番苦労したのかと言うと、
娘さんのイメージで着せ付けのできる、
美容師さんを探す事だったそうです。

 「決められた形から外れると苦労するのは、
 決められた形があるからだと思いませんか?」

大きな風呂敷を体に巻けば、
衿を詰めなければ裄は出すぎてしまいます。

大きな風呂敷を体に巻けば、
合せた布はダブダブとあまり始末に困ります。

大きな風呂敷を体に巻けば、
余った布はダボダボとシワになり始末に困ります。

その始末を決められた手順と道具を使い、
決められた形にするのが着物の着替えなのでしょうか?

 「先ずは普通に着替えて、
 大き過ぎる事を教えてあげると楽しいですよ。」

着物を教えている先生はこの写真の着こなしを、
生徒さんに教えてあげて下さい。
受け継がれた裄の足りない晴れ着の広襟を、
そのまま広げて裄を出す着こなしです。

001.JPG


「帯結びも同じです。」

「四角四面のお太鼓は着替えの帯結びではありません!」
これを教えられるのは皆さんしかいないのです。

「先生から言われたから自分の背中に結びました。」
こんな過去も直ぐに正せるのです。

先生の言葉で、
「背中の帯は着付け師の結んだ帯ですから、
 お母さんか旦那さんに結び方を教えなさい。」

この一言で、
「日本中の人は帯の苦痛から解放されます。」

「着物を教える楽しさは、
 皆さんの一言で誰でも笑顔になれる事です。」


着物を教える楽しさは先生自身の引き出しに、
着物姿が増えた分だけ生徒さんの数も増えて行くのです。

もしも先生の引き出しに、
一つの手本と一つの着物姿しか無ければ、
逆に何を教えれば良いのか戸惑いませんか?

着物姿は無限です。
先生の引き出しに着物姿が増えれば、
集まる生徒さんも無限に広がります。(#^.^#)

着物のファッションは着こなしです。
それを奪うのでは無く、与えるのが先生の仕事です。

私にはこれだけ着物に無関心な時代になった今!
こんなに楽しい着物文化を教えている着物教室に、
生徒さんが集まらない理由がほんとうに分からないのです。

「皆さんが苦労されている理由は何ですか?」
posted by kiraku at 11:53| 愛知 ☀| Comment(0) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年03月16日

きものを教える楽しさ。(*^_^*)

今日のタイトルは教え方だと思います。

手本に合せて着替える楽しさもあれば、
手にした着物や帯に合わせて着替える楽しさもあります。

着物姿が無限にあるように
教え方も教える人の数だけあるのは当然です。

一つの手本に合せながら和気あいあいと着替える。
着物や帯に合わせながら和気あいあいと着替える。

日本人にとって着物に着替えるとは、
和気あいあいと楽しく着替える空気が大切です。

私が着替えの言葉にこだわる理由は他でもありません。

着替えを着付けだと言われてしまうと、
和気あいあいとした空気が一変してしまうからです。

着物教室は着物文化を教える場として考えれば、
過去の間違いを正す事もできると思っています。

着付けは昔なら髪結いさんや着付け師の仕事です。
素人の人が習う技術でもなければ、
師弟関係でしか受け継がれなかった高度な技術です。

「正しい着付けの意味を、
 生徒さんに教える事もできます。」

破綻した学院では振り袖の飾り結びを、
ハメ込み式の帯にして教材として売っていました。

着付けの意味は習っている生徒さんも知っていたハズです。

その教室で振り袖の飾り結びをハメ込み式にして、
自装だからこれを背負いなさいと言われたら、
違和感を感じながら従うにも限度を越えていた気がします。

「着物教室は何を教えれば良いの?」


今の日本は着物に無関心な人の方が圧倒的に多くなり、
浴衣に着替えた経験はあってもそれ以外の着物には、
触れた事もない若い人が大勢育ってしまいました。

男性は浴衣に着替えた経験すらない人もいます。

「今だから着物教室は必要です。」

何を教えるかは生徒さんの立場で考えれば良いのです。
着替え方は無限、着物姿も無限、教え方も人の数だけある。
その事を教えるだけでも教室に通う価値はあります。

手本だけを見て来た先生には戸惑いがあるかも知れません。

むかしの小庵「着らく」でこんな事がありました。
大手の着物学院で着物師範の資格を取りなさいと言われ、
その金額に驚いて小庵「着らく」に来た子がいます。

私が棚から好きな着物を出して着なさいと言うと、
その子は棚の前で立ちつくして「着れません」と言ったのです。

正確には伊達締めも補正道具も無く、
何をどうしろとも言われないので、
何をして良いのか分からなかったのだと思います。

手本と先生の指示に従いながらの着替えはありません。

この事を先生自身も自覚して、
教え方の工夫をすると楽しいと思います。

手っ取り早いのは従来の形で教える時は、
「着付けゴッコ」と最初から言ってしまう事です。

着替えを着付けと教えるよりも、
精神的にはかなり楽になると思います。(#^.^#)

皆さんは気付いていないだけで、
着替えを着付けだと教えるのは生徒さんよりも、
教えている方がストレスになっている事が多いです。

和気あいあいを意識しても、
空気が育たない原因にもなります。

アレ?今朝のカラフル更新は消したんですか?
ハイ、カラフル過ぎて目がチカチカしたので消しました。(*^^)v
posted by kiraku at 16:31| 愛知 ☀| Comment(0) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年03月15日

「きものはこれからの衣服!」その理由 (*^_^*)

今日のタイトルは
「着物を教える先生は明るい楽しい仕事になる!」(#^.^#)

このタイトルは私が小庵「着らく」を続けながら、
いつも思い続けていた事です。

日本にはこれだけ着物を教える先生がいるのに、
何でこんなオヤジが着物の着替えを教えるのか!

20年前は着物を教える先生からは露骨に敵視され、
着物を売るプロの皆さんからは暇人のように言われ、
「オイオイ、これは皆さんの仕事だ!」と思いながら、
情けない気持ちで続けていた時代もあったのです。

この数年は先生やプロの方でも会って話せば、
今ままでの間違いは10分もあれば納得してくれます。

「皆さんにこの理由が分かりますか?」

そうです!
着物は売れなくなり生徒さんも集まらなくなり、
何をやっても上手くいかない時代になって初めて、
人の話に耳を傾ける心の余裕が生まれたのです。(^_^;)

「皆さんも普通に考えて下さい。」

過去の40数年を振り返れば、
着物を教える皆さんは着替えを着付けだと教え、
洋服よりも簡単な衣服を難しく着替えなさいと教え、
着物を売るプロの皆さんは質素倹約を形にした衣服を、
高価なハレ着が着物だとお客さんに勧めたのです。

「バブル経済の時に日本中の人がおかしくなり、
 土地は永遠に上がり続けると言われた様に、
 着物も高価な装束だと皆さんが信じて教えたのです。」

そろそろ過去を反省して皆さん自身の言葉で、
本来の着物文化を伝えても良いのではないでしょうか?

「きものはこれからの衣服です。」

本来の形に戻せば無関心な人でも着たくなる!
それが温もりを伝えた着物文化です。

「皆さんにこの意味が分かります?」

50年前の日本で着物を教えると言えば、
和裁を習いに来る生徒さんを相手にしたのです。

今は着物を教えていますと言えば、
ほとんどの人が着替えを教えているのが現実です。

「皆さんにこの意味が分かりますか?」

50年前は着物教室=和裁を教える教室だったのが、
知らない間に着物教室=着替え教室になったのです。

着替え教室が増えて、
着物に着替えられない日本人が増えた???

「もしもこんな事が起きたら皆さんはどう思います。」

着替え教室で何かおかしな事が行われている!!!!
と、誰でも気付くと思うのですが・・・

「皆さんは不思議に思いませんでしたか?」

アッ、これは着物を教えている先生と、
私と同世代の人達にお尋ねしています。

「エッ、私が着物教室で習ったのは着付けです。」

着せ付けを習って資格を手にしたのなら、
子供やお孫さんに着付けてあげましたか?

「エッ、私が習った着付けは自装です。」

こんなトンチンカンな会話が、
20年前には着替えの常識になっていたのです。

誰が見ても教えている道具と内容は着せ付けでも、
生徒さんのやらされていた事は着替えなのです。

資格を手にして教えている先生は、
着替えを着付けだと教えられ、
その着替えに高価な資格を売りつけられ、
誰も詐欺だとは気付きませんでしたか?

「エッ、でも私の通った着物教室は、
 国から学校法人の認可を受けていました。」

お着替え詐欺を誰も疑わなかったのは、
最後のこの言葉で誰も疑えなかったのです。

国は日本中のタンスから着物が消えても、
認可を与えた責任と間違いを認める事はありません。

「最後は自己責任だと言われて終わりです。」


資格を手にして着物を教えている先生は、
意味を知って賢く生きる知恵を持てば良いのです。

資格は着物を教えるには立派な肩書きになります。
その肩書きを利用する賢さが問われている時代です。

「皆さんにこの意味が分かりますか?」

20年前と同じでは先が見えています。
着替えを習いに着ている生徒さんに何を教えますか?

「自分流の着替えですか?」
「それとも着替えを自装だと教えますか?」

2017年に大手の着物学院が破綻しました。
それでも皆さんの手にしている肩書きは生きています。

自分流に教える内容を誰からも縛られること無く、
手にした肩書きだけは今でも利用できるのです。

意味の無い資格に支払った高額なお金も、
着物を教える肩書き代金と思えば価値はあります。(*^^)v

賢く生きるとは、着物本来の意味を知って、
手にした資格を生徒さんの為に利用する事です。

これからの着物文化には、
過去の間違いに気付いた皆さんの肩書きは、
生徒さんを救う大きな力になります。(#^.^#)

生徒さんにとって大切な事は、
皆さんの肩書きよりも教える内容なのです。

それに気付いた先生には、
肩書きは無くても良いような気もします。(*^^)v

「私は一つの手本しか知りません!」

「きれいに着替えるコツは手本よりも、
 先生自身がいろんな着物に触れる事です。」

今まで通りの教え方を続けながら、
自分自身で自分流の着替え方を考えれば良いのです。

それには先ず生徒さんに対して、
過去の間違いを伝えるのではありません。
日本語を正しく伝えれば良いのです。

「今からこの着物姿の着替えを教えます。」

正しい日本語の環境が育てば、
自然な形で自分流の形が伝えられます。

皆さん自身が過去の着物文化では、
世間から忌み嫌われている、
お直しオバサンになっていたのです。

忌み嫌うとは
嫌って避ける。ひどくいやがる。

これからは肩書きを利用して、
世直しオバサンを育てれば良いのです。

その先にある20年後の姿を想像して下さい。(*^_^*)


posted by kiraku at 08:14| 愛知 ☀| Comment(0) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年03月13日

着物文化には環境作りが一番大切です。(#^.^#)

今日のタイトルは私がいつも感じる事です。

環境作りは昨日今日で作れるものではありません。
小庵「着らく」の空気も紆余曲折末に辿り着いた環境です。

しかし、今は20年前の環境とは違います。

「着替えを着付けと教えて資格を売れば詐欺になる!」

こんな当たり前の常識を言葉にできる時代になっています。
20年前には考えられなかった環境の変化です。

これからは着物を教えている先生達が、
着物文化の環境を変えて行く時代です。(*^_^*)

先生に正してもらわないと、
生徒さん達は何も言えない立場にいるのです。(T_T)

この国にはまだまだ沢山の着物教室があります。
日本中の着物教室が本来の着物文化を伝えれば、
着物文化の環境はあっという間に変わります。

着物に着替えて学校に行く!
着物に着替えて仕事に行く!
着物に着替えて遊びに行く!

日本では別に特別な事ではありません。(本当は!)

何が云いたいのかと言うと・・・
遊びに来ている子供達はもっと自由に、
着物に着替えて出掛けたいと思っています。



「それができる環境を作るのは誰ですか?」

着物教室でおかしな常識や、
決まり事を教えられては困るのです。

学校に行く時の着物姿の提案!
仕事に行く時の着物姿の提案!
遊びに行く時の着物姿の提案!

これを教え伝えるのが着物教室の仕事です。(*^_^*)

着物に好き勝手な格付けをしなくても、
振り袖姿で毎日学校に行く人はいません。
付下げ姿で毎日仕事に行くのは花柳界の人です。
昼間の会社で付下げは仕事になりません。
訪問着で遊びに行けるのは京都くらいです。
ディズニーランドはどんな着物姿が良いですか?

どちらにしてもシワを気にしながら、
この着物姿でウロウロされたら気を使います。

004.jpg

皆さんの引き出しには、
幾つの着物姿がありますか?

100ですか?
1000ですか?
10000ですか?

過去の着物教室では先生の引き出しには、
たった一つの着物姿しか無かったのです。

それでも着物講師として通用した時代もあった!
今から思うと着物文化にとっては恐怖の時代でした。

着物を教えている先生は生徒さんと一緒に楽しく、
着物姿の引き出しを増やして行けば良いのです。

「すると着物姿の引き出しは無限だと気付きます。」

着物の事を何も知らなかった素人の考えた、
たった一つの手本がどれほどお粗末な着物姿なのか、
先ずは無限の着物姿から自覚する事です。

この作業は本当に楽しい時間になりますよ。
何故なら、
引き出しが増える分だけ生徒さんの笑顔に出会える!(*^_^*)

この着物姿は昭和30年代に流行った
神前結婚式での留袖の着付け姿なのです。

004.jpg

当時は着付け教室はありません。

「皆さんにこの意味が分かりますか?」

シワの無い着方も背中の帯も、
最初から自分では着られない着せ付けの形を、
着替えの手本として教えたのです。(T_T)

生徒さんはシワ取りに苦労していませんか?
生徒さんは背中の帯で苦労していませんか?
生徒さんは着付け道具に悩んでいませんか?

「今も着付けの言葉にこだわる理由は、
 お着替え詐欺に使った手本は、
 あくまでも着せ付けの形だからです。」(^_^;)


誰がそんな事を創めたんですか?

「・・・・・・・・・・・・・・・」

国が認めた詐欺ですから言えません。

資格を手にして教えている先生は被害者です。
胸を張って間違いを正せる立場にあるのです。

手本と看板を自分流にすれば、
着物姿の引き出しは自然に増えます。(*^^)v


この国には大勢の着物を教える先生がいます。
皆さんが正しい着物文化を教えるだけで良いのです。

私には今まで正せなかった事が不思議でなりません。


ふ〜、言いたい事はまだまだ山ほどありますが、
これ以上カラフル更新を続けると日本中で、
お直しオバサンが着物鬱になるかも知れません。(^_^;)

若い頃にお着替え詐欺に遭い、
次にお直しオバサンと言われては気の毒です。
タンスの着物は捨てないで下さいね。

過去の着物文化は本当に罪が深すぎます。(T_T)

posted by kiraku at 00:09| 愛知 ☀| Comment(0) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年03月12日

着物の着替えを着付けと言ってはいけない理由!(*^_^*)

今日のタイトルは・・・普通に笑われるから!(*^^)v

着物教室や着物業界の謳い文句に「きもの振興」があります。
 
振興とは
物事を盛んにすること。また、盛んになること。

ほんとうにきもの振興を望むなら、
着替えに着付けの表現を死語にするのが一番!

だと私は思うのですが、皆さんは違いますか?

「着付け教室」の看板では、
過去のトラウマがあるから敷居が高い!

これからの日本では「着物にお着替え教室」

「きものに着替えてみませんか?」

こんな看板なら娘が行きたいと言えば私でも考えます。

これから先はくどいと言われるかもしれませんが、
季節になると現れる無料教室でも着替えをアピールしながら、
表現は相も変わらず着付けに拘る意味が分かりません。

テレビCMで堂々と
「当社は着替えを着付けだと嘘を教えている教室です。」


世界中を見ても、
「着替えを着付けだと嘘を教える学校はありません。」

これはこれで良心的なCMになるのでしょうが、
着物業界の評判を落とすだけで何のメリットも無いのです。


過去の日本で「きもの振興」の表彰を受けている人を見ると、
なぜかお着替え詐欺師の皆さんの表彰数がダントツなのを、

「皆さんは知っていましたか?」

日本の総理は過去の20年を失われた20年だと言う。

私は着物文化にとって過去の20年は、
反省から再生の20年だった気がします。(*^_^*)

私にはこのズレが理解できないのです。(・_・;)

きもの振興とは着物文化の振興なのか?
数字を上げれば何でもありの文化振興なのか?

それなら最初から、
詐欺振興と謳った方が良かった気がします。

アッ、そんな正直者は詐欺はしませんね。(^_^;)

「今年の花見はタンスを開けて、
 着物にも桜を見せてあげて下さいね。」(#^.^#)
posted by kiraku at 13:42| 愛知 ☀| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年03月11日

きものを難しく教えても何のメリットもありません。(#^.^#)

今日のタイトルはどう説明すれば良いのか?

おそらく着物を教えている先生は、
自分が難しく教えている自覚がない?

先生自身が着替えを着付けだと習ってしまい、
道具を使わない本来の着替えを知らない?

アッ、過去の着物教室で着替えを習った人は、
たかが着替えるだけに何でこんなに難しいの?
これも少し距離をおくとその理由が分かるのです。

「そうです!」

たかが着替えるだけに資格やら道具を売り付けるには、
どれほど無駄な手順と道具と言葉が必要なのかが分かるのです。(^_^;)

着物に着替えたくて着物教室に通い、
もしも今でも着替えを着付けだと教えていたら、
それは先生自身が着替えを教えている自覚がないのです。

「皆さんにこの意味が分かりますか?」

「皆さんの習っているのは単なる着替えです。」         

「皆さんの教えている事は単なる着替えです。」


単なるとは
それだけで、ほかに何も含まないさま。

「ただの着替えなのです。」

「これはどう対処すればいいのか?」

もしも皆さんの周りでひょっとして今でも、
おかしな着替えを教えている先生がいたら・・・

もしも皆さんの周りでひょっとして今でも、
おかしな着替えを習っている生徒さんがいたら・・・

着物を通して日本中の人が笑顔になる未来を、
皆さん自身で想像しながら何かをすれば良いのです。
(*^^)v (*^_^*) (#^.^#) ヽ(^。^)ノ

「未来を明るく思い描くのは楽しい事です。」(*^_^*)

私は2000年から19年後の今を思い描いて、
着方を通して本来の着物文化を伝えて来ただけです。

そして2009年から10年後の今を思い描いて、
ブログを通して着物の楽しさを伝えて来ただけです。

20年後の未来とは・・・この子が

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二十歳になり着物を通して笑顔に包まれる姿です。

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日本がどんな国に変貌しても、
皆さんの周りは着物を通して笑顔に溢れています。

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今!今!今!で、今を考えても何も変わりません。

3年先の笑顔に向かって歩けば何かが変わります。
5年先の笑顔に向かって歩けば今の問題も変わります。
10年先の笑顔に向かって歩けば今は小さくなります。

今、今、今で歩き続けると・・・・・
20年後の今も同じ問題を抱えて生きている!

還暦になってそんな人に出会うと悲しくなります。

アッ、着物に関わる人との縁を遠ざけたのも、
悲しくなりたく無かったのかも知れませんね。(#^.^#)

今!今!今!だけの人や社会と向き合うと、
その今に何十年も付き合わされる事もあります。
これだけは相手が気付かなければ、
ほんとうに辛い時間になるかも知れません。(T_T)



「自分を信じて諦めなければ、
 明かりの見えない未来はありません。」!(^^)!

「皆さんは温もりを伝えた着物を通して、
 楽しく3年先の笑顔に向かって歩いて下さいね。」(*^^)v


教える先生にも、習う生徒さんにも、
その権利と義務と責任があるのです。(#^.^#)
posted by kiraku at 05:22| 愛知 ☔| Comment(0) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年03月10日

きものは誰でも・・・(^_^;)

今日のタイトルは尻切れトンボ!

「日本人なら誰でも着物は着られる!」

小庵「着らく」の空気に染まってしまうと、
こんなタイトルは何か違和感を感じてしまいます。

「日本人なら誰でも・・・・・」
この次の言葉が思い浮かばないのです。

「皆さんにとって着物とはどんな衣服ですか?」

先ほどパソコンを開いたら、
ヤフーニュースにこんな見出しの記事がありました。

「福島第一事故の対応に最大81兆円 シンクタンクが試算」

日本の抱える負債が1071兆円と言われていますから、
まあ、それほど大した金額ではないのでしょう。(^_^;)

しかし、誰の負債を誰が返済して行くのか?
なぜか一番大事な当事者がまったく見えない!

アッ、なんで原発の話をしたのかと言うと、
戦後の日本にほとんど同時期に現れたのが着付け教室と原発なのです。
なぜかどちらも一度出現してからの増殖力は凄まじかった!

後先を考えずに増殖するスピードは、
目の前にぶら下がるニンジンを追いかける馬の姿を連想します。

40数年経って日本の現実を見渡すと、
着物教室は日本中に点在しているのに、
着物に着替えられない事が当たり前の国民になっている?

後先を考えずに走るには、
40年以上の時間は長過ぎる気がします。(^_^;)

しかし、ご安心下さい!
着物教室は国の干渉を受けないのです。

個々の先生は人として、
本来の着物文化を伝える権利を持っています。

皆さんにこの意味が分かりますか?

国は着替えを着付けだと教えなさいとは、
最初から指導していたのではありません。

無責任に経済効果があるから黙認しただけです。

皆さんにこの意味が分かりますか?

個々の先生は正しい言葉で、
着物文化を伝える義務と責任があるのです。

正しい事を生徒さんに教えるのは難しいですか?

小庵「着らく」では
「着物に着替えられないのは恥ずかしい!」
こんな当たり前の常識で着物に着替えているのです。

着物を教える皆さんは、
正しい事を教える権利と責任がある!
 
生徒さんの笑顔を大切にして下さい。(#^.^#)  
posted by kiraku at 15:10| 愛知 ☔| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年03月09日

きものは特別な衣服ではありません。(*^_^*)

今日は今年大学を卒業する子供達が6人で遊びに来ていました。
去年の卒業生を思い出しながら今年の四年生は着替えるのかな?

「エッ、卒業前は着替えないの?」

「アッ、この時期に四年生だけで来ると、
 何となくのんびりとして着替えない空気になります。」

「師匠、おはようございます。」

001.JPG

奥の秘密基地に入り・・・動かない!

003.JPG

賑やかな笑い声は聞こえるのですが出て来ない!

私が何も言わないのは4年生に伝える事は何も無いので、
話に飽きて着替えたくなったら着替えるだろうと思っているのです。

しかし、今年の4年生は話題が尽きない様子!

そのまま時間が流れ・・・・・
一度も着替えないまま満足した顔で、
「ごちそうさまでしたー!」と帰って行ったのです。(*^^)v

004.JPG

「今年の四年生は私の介護生活と完全に重なってしまい、
 その間もしっかりと後輩を育ててくれた子供達です。」

そのお礼と感謝を込めて、おでんにオヤツに・・・・・
一度も秘密基地から出ないまま帰って行ったのです。(^_^;)

アッ、着替えはじめればオヤツを作るのをやめたのですが、
着替える気配が無かったので私も退屈で退屈で・・・

おそらく今日一日で全員太ったかも知れません。(*^_^*)

「きものを着たければ着替えればいい、
 楽しい時間なら無理に着替えなくてもいい。」

日本人にとって着物とは、
着替えられる事は常識として考えれば、
私はこんな空気も大切だと思っています。(#^.^#)

皆さんにこの意味が分かりますか?

今の小庵「着らく」の空気は着物も洋服も、
同じように着替えていた50年前の日本の姿です。


皆さんにこの空気が分かりますか?

「普通に着物を着ている子供達には
 反対に着替えられない事が不思議なのです。」

これは50年前の日本では着物の常識です。

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私は着なれない子には着物の温もりはしっかりと伝え、
楽しく着替えられる空気だけは大切にしています。

過去の着物文化を見れば、
着替えを着付けだと教えた時点で、
完全に常軌を逸した着替え方になるのです。

常軌を逸するとは
普通と違った、常識外れの言動をとる。


小庵「着らく」で先輩が後輩に伝えている着替えは?

お母さんがパジャマに着替えられない子供に、
パジャマを着せる姿を思い浮かべれば良いのです。

パジャマに着替えられない子供に言葉で、
「このボタンは・・」などと教えますか?

「そうです!」

「先輩は言葉よりも先に手を貸しているのです。」(*^^)v

「着替えは習うよりも自然に着なれるものです。」 


日本の着物文化には、
こんな常識も理解されない時代もあったのです。

きものは特別に難しい衣服ではありません。
難しいと感じたら・・・
初めてのパジャマを思い出して下さい。
習った覚えは無くても、
気が付いたら自分で洋服も着ていた!(*^^)v

着物を教える時はこんな常識に立ち戻り、
教え方の工夫をすると教室の空気は変わります。(#^.^#)
posted by kiraku at 22:15| 愛知 ☁| Comment(0) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年03月08日

きものにも還暦はあります。 (#^.^#)

今日のタイトルは時代着物について、
古着屋さんに並ぶ着やすい着物はほとんどが還暦世代です。

「皆さんにこの意味が分かりますか?」

この質問は、
着物のプロと言われている皆さんにお聞きしています。

小庵「着らく」の棚に一段だけ還暦世代の着物をまとめると、
棚に積まれた着物から縫い糸がチラチラと伸びているのです。

そうです!
還暦世代の着物はそろそろ縫い糸の寿命が来ている着物なのです。
お客さんに売った着物は次の世代に受け継がれる準備をする時期です。

ハレ着は洗い張りをするほど汚れてはいないかも知れません。
しかし、寸法直しも兼ねて仕立て直す時期でもあるのです。

タンスに残されている60年前の着物は、
まだ日本にお着替え詐欺の現れる前の着物です。

「皆さんにこの意味が分かりますか?」

そうです!
裾に汚れや擦り切れた破れのある着物も沢山あります。
二代目の着物店であれば先代の売った着物です。

着物の温もりを伝え続けた着物店は、
60年前に先代の売った着物の、
洗い張りと仕立て直しで忙しいのです。!(^^)!

この時代に暇な着物店はどんなに立派な店舗でも、
お着替え詐欺の片棒を担いだお店だと分かります。(^_^;)

きものは百年受け継がれる衣服です。
還暦世代の着物に触れると、
その意味を知った職人さんの気概があります。

気概とは
困難にくじけない強い意思

「現代の着物とは何が違うと思いますか?」

「その違いを着心地と着やすさから伝えるのが、
 着物のプロと言われる人の仕事ではありませんか?」

「そろそろお着替え詐欺の呪縛から、
 自分達の売った着物とお客さんを、
 助けてあげても良いのではないでしょうか?」

「タンスに残されている還暦世代の着物は、
 子孫に着られるのを待ち続けた着物なのです。」

「現代の古着市場の惨状を見ても、
 着物のプロとして何も感じませんか?」

惨状とは
目も当てられないほど痛ましく、むごたらしい有様。 

posted by kiraku at 09:32| 愛知 ☀| Comment(0) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年03月07日

誰でも簡単に・・・きものに着替えるコツは一つでした!ヽ(^。^)ノ

今日のタイトルは昨夜気付きました!(*^^)v

「オイ、オイ、まだ発展途上なんかい!」

着物文化には千二百年の歴史があります。
まだ還暦になったばかりの私がすべてを知るのは無理!(^_^;)
昨夜は今日の更新内容を考えながらフッと気付いたのです。

着物に着替えるコツは巻き方と腰紐の二つ位です。

こんな簡単な衣服を日本中の人が「着替えられない!」
こんな簡単な衣服に着替えるだけで周りから、
「偉いね〜」と褒められたのはナゼなんでしょうか?

昨夜はこんな事を考えながら、
このモヤモヤとする心の気持ち悪さを感じながら・・・アッ!

「着物に着替えるコツは巻き方でも腰紐でもなく、
 誰でも簡単に着替えられるコツは一つなんだ!」

考えたら着物を伝えている私自身も、
お着替え詐欺やお直しオバサン世代でした。(/_;)


今の若い人ならそのコツを伝えても一言です。

「エッ、何それ?」

「何それと言われても・・・
 還暦爺さんは昨夜やっと気付いたのです。」(^_^;)

昨夜はこの事に気付いてから、
「老いては若い人に従え!」を痛感しました。(*^_^*)

着物に無関心な世代が、
これからの日本と着物文化を明るくしてくれます。

着物に無関心な若者世代には、
日本中の人を40年以上も苦しめた、
手本も決まり事も最初から存在しないのです。(*^^)v

しかし、若い人達でも着物に関心を持つと、
世間の手本や決まり事に染まり始めてしまいます。

「皆さんにお願いしたいのは、
 若い人には本来の着物文化を伝えて下さい。」

「それが自分では着替えられない奇々怪々な、
 着物文化を放置した大人の自覚と責任です。」

着物を教える先生は生徒さんが困った顔をしたら、
その困った顔を笑顔にする工夫を伝えてあげる事です。

着物を手にしたら最初にその着物を羽織らせて、
それからそのサイズに合せた着方の工夫をする!

裄が足りなければ衿を全体に広げて裄を出す!

裄が長ければ衿を詰めるか折り加減で調整する!

着物の丈ははしょりの長さで加減する!
 
はしょりの長さを出したい時はその工夫を伝える!

身幅の広い着物には着付け道具の便利さを教える!

身幅の狭い着物には道具を使わない意味を教える!

「着物を簡単に着替えるコツは、
 手本と決まり事を最初から持たない事でした!」

これは私も不思議に思っていた事なのですが、
何も教えない方が子供達はきれいに着替えるのです。

10回目のオレンジ名札になる頃には、
友達の着せ付けもしっかりと出来るようになっている。

「エッ、いつの間にこんな着こなしを覚えたの?」
「エッ、教えていないのに友達に着せ付けをしている!」

なぜだ?何故だ?何故なんだ????????

子供達に着替えと着せ付けを教えていたのは、
手にした着物と帯が優しい言葉で伝えていました。

着心地も着やすさも着こなしもすべて、
受け継がれた着物や帯と楽しく会話をしながら、
自然な形で学んでいたのです。

大人がありもしない形や決まり事を押し付けなければ、
着物は日本中を元気な笑顔にする力を持っています。

その事を伝えるだけで着物は誰でも着替えられます。

「着物に着替えるコツは一つだけ!
 ありもしない形と決まり事を押し付けない!」

今では日本中の着物教室で伝えている事です。(*^_^*)

もしも身近にそんな教室が無ければ、
皆さんの言葉で周りの若い人に伝えてあげて下さいね。

「この形で着替えたい!」と言われたら、
「将軍家のお姫様ゴッゴですよ」と伝えてから、
楽しく笑顔で教えてあげれば良いのです。(#^.^#)

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私が小庵「着らく」を始める遙か昔に、
近所の着物店でブログで伝えている内容と同じような話をした事があります。
するとご主人はこんな事を言われました。

「そんな話は新しい着物が売れなくなるだけでなんのメリットも無い!」

着られない高価な着物や帯が売れた時代に、
ほんとうに馬鹿な話だったのかも知れません。

しかし、着られない高価な着物と帯が、
永遠に売れ続けると思っていたとしたら・・・
ご主人はお着替え詐欺の片棒を担ぐのに必死で、
ご自分が何を売っているのかも忘れていた気がします。

アッ、そのお店は10年以上前に無くなり、
今は美味しいラーメン屋さんになっています。(^_^;)

着物は百年先まで受け継がれる衣服です。
今からでもまだ間に合う!
現代のプリント柄の着物よりも、
遙かに高価な着物が捨てられている時代です。
先ずは着物を捨てさせない為にも、
着物本来の温もりを伝えるのが先だとは思いませんか?

と、ラーメン屋さんでは話せないのです。(^_^;)
posted by kiraku at 12:44| 愛知 ☁| Comment(0) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年03月06日

きものは楽しいー!(*^^)v それとも苦しいー!(T_T)

今日のタイトルは19年前から伝え続けている言葉です。

「着物は楽しいか?」

「着物は苦しいか?」

着物を脱いだ時に「アー、苦しかった!」「やっと解放された!」
こんな言葉を当たり前のように聞かされた時代がありました。

「オイ、オイ、着物は苦しいのかい!」

皆さんは着物に対してどんなイメージを持っているのでしょうか?
おそらく無関心な人は「着物は苦しいー!」と思っていませんか?
昔の着物教室を経験した人も同じように着物は苦しいだけですか?

だとしたら、日本人としてこれほど悲しい事はありません。

日本人は着ていて苦しいだけの衣服を、
千二百年も着続けた民族になってしまいます。(/_;)

昔からこんな言葉を口にする着物のプロがいます。

「ハレ着と普段着は着方が違う。」

皆さんはこの意味が分かりますか?
私には何を言っているのか理解できないのです。

着物を教える先生はどんな答えを持って教えているのか?
何が違うのか分かる人がいたら教えて下さい。(*^_^*)

私の答えをお伝えすると、

「ハレ着も普段着も着方は同じです。」

ハレ着に着替えた子も普段着の子にも同じように、

「着物は苦しいか?」

「苦しくないです!」

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これは衣服の常識だと思いませんか?(*^_^*)

「着ている本人が苦しいと感じて、
 それを我慢しなさいと言われたら二度と着ない!」

これもハレ着や普段着に関係なく、
人としての常識だと思いませんか?

「着物を苦しいと感じたら理由を探すのは簡単です。」

苦しいと思っている本人が、
その苦しいと感じる場所を探せば良いのです。

次にその原因を取り除けば楽になると思いませんか?

皆さんは苦しいと感じた時に何か工夫をしましたか?

着ている本人が苦しいと感じながら、
その苦しさを取り除く工夫もできない??????

「きものは人としての尊厳を持って着れば楽になる!」

「苦しくても、痛くても、窮屈でも、
 教えられた通りに我慢して着なさい!」

今では笑い話ですが、
過去にはそんな理不尽な空気で着替えを強要した
奇々怪々な着物教室もあったのです。(^_^;)

理不尽とは
理にかなわない仕方で行うこと。その態度・様子。



posted by kiraku at 09:31| 愛知 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年03月05日

きものは誰でも自由に着替える権利がある! (*^_^*)

今日のタイトルもおかしなタイトルですね。(^_^;)

「着物は自由に着替えてはいけなかった!」
こんな時代が無ければ意味不明なタイトルになってしまいます。

今の若い人には意味不明なタイトルでも、
御祖母さん世代の意識を変えるには必要なタイトルなのです。

お直しオバサン世代の考え方が変われば、
着物文化の見晴らしはかなりよくなります。

アッ、お直しオバサンは皆さんが思っているほど、
大勢いるわけではありません。

前回の更新で載せたこの写真は
まだ日本にお着替え詐欺の現れる前の昭和30年の写真です。

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私が昭和32年生まれですから、
この赤ちゃんも現在は還暦を過ぎていますね。(*^_^*)

お着替え詐欺の嵐が吹き荒れる前の日本では、
衣服としての着物はしっかりと存在していて、
日本中の人は洋服のように着物に着替えていたのです。

「何で日本人は着物に着替えられなくなったの?」

この問題を真剣に考えるのは、
仕事として着物を扱っている皆さんです。

もしも過去に間違いがあったとしたら、
それを正して行くのは着物を教えている皆さんの仕事です。

私が今でも不思議でならないのは、
一個人の詐欺行為に国が認可を与え、
その間違いを指摘されても、
誰も責任を感じないまま放置した事です。

一度認めた事は例え詐欺行為であっても、
覆すことは国の威信にかかわる?????

その行為を黙認する事の方が国の威信にかかわる!
とは誰も思わなかったのでしょうか?(・・;)

だとしたら・・・
言葉と行ないに責任の存在しない、
考えても恐ろしい国になってしまいます。

「それが今の着物無関心世代を育てた気がします。」

世間に合せた形で着物に着替える時は、
その意味を知って付き合うと楽しい!!!!!

と、私は遊びに来ている子共達には、
おかしな時代に流されるのではなく、
意味を知って賢く生きなさいと伝えています。

この言葉はそのまま、
着物を教える先生が生徒さんに伝えれば良いのです。

親先生の顔色を見るよりも、
生徒さんの笑顔に目を向ければ簡単な事です。

理想は親先生が気付いて正す事です。

理想は親先生に間違いを伝えた人が正す事です。
「上に行けば行くほど間違いを正すのが難しくなるのは、
 定年齢を上げると国の勢いが無くなると同じです。」

今は世の中の流れや動きを見ていると、
それが出来る時代まで国民の意識は育っています。

意識とは、
自分が現在何をやっているか、
今はどんな状況なのかなどが自分でわかる、心の働き。

「間違いを正すのはそれほど難しくありません。
 素直な気持ちをそのまま言葉にすれば良いのです。」


「この形は着せ付けの着物姿です。
 だから最初から着付けだと言葉にして教えています。
 間違っても自分の体に着せ付けてはいけません!」

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「エッ、この形で着るのは自装だと習いました!」

「着付けとは人の体に着せ付ける事ですよ。
 着付けに自装などあるハズがありません!」

「エッ、でも昨日まで先生が・・・・」

「私も間違いに気付いたのは昨日です。
 だから今日から間違いを正して教えます。
 何か文句があるなら他の教室に行きなさい!」

「エッ、他の教室では今でも自装ですか?」

「おそらく今でも自装です。」

「なら先生に習いたいです!」(#^.^#)

「正さないまま続ける苦痛に比べれば、
 正す事など一瞬の戸惑いでしかありません。
 先ずは言葉の間違いをしっかりと正す事です。」


「着付けに自装など無い!」

着付けと言葉にしたら着せ付けを教え、
着替えと言葉にすれば着物姿は無限です。

「着替えと教える方が、
 教え方の楽しさも無限に広がりますよ。」(*^^)v

アッ!過去の習慣でもしも、
着替えを着付けと言ってしまったら、
直ぐに訂正して下さいね。

「自分で着物を着るのは着替えです。」

これはもう日本の常識になっています。(*^^)v
posted by kiraku at 12:54| 愛知 ☀| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年03月04日

きものは誰が何の目的で着る物なの? (#^.^#)

今日のタイトルは不思議なタイトルになってしまった!(^_^;)

どんなタイトルにしようかと思いながら、
きものを着て出掛けてご近所さんに会うとめんどくさい!
こんな話を思い出してこのタイトルにしたのです。

きものは誰が=着物の好きな人が
何の目的で=洋服よりも楽だから
普通に着ているだけではダメですかね〜(^_^;)

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きものは楽しいから着るではダメですかね〜(^_^;)

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きものは楽だから着るではダメですかね〜(^_^;)

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きものは普通に着替えてはダメですかね〜(^_^;)

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「きものは誰が何の目的で着る物なの?」

こんな質問はおかしいのです。

 「きものは誰が何の目的で、
 自分では着替えられない画一的な形にしたの?」

明治時代に着せ付けの形で頂点にあった着物姿。
これは着せ付けの形ですが・・・どこかで見たような?

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庶民にこの形で着替えなさいとは言えない!
庶民はこんな風に着替えたいとは誰も思わない!


何で? 
それは将軍家の着せ付けの形だからです。

着付けをした人の緊張を想像して下さい。
衿は揃えないと失礼になる!
シワがあっては失礼になる!

なぜならこれは日本の頂点にいた人の、
記念写真を撮るために着せ付けた着物姿です。

日本の着物姿を誰が何の目的で、
自分では着られない画一的な形にしたのでしょうか?

庶民がこんな着物姿に着替えて、
街を歩けば誰でも不思議に思います。

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アレレ!!!!!
何か似たような着付けの形がありました!


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誰が何の目的で着せ付けの形を、
着付けだと教えて着替えさせたのか?

資格を手にして教えている先生はその理由と、
教えている形の意味を知っているのでしょうか?

着物姿を画一的にして、真に受ける姿に喜び、
背中の帯を自分で結ばせて、その姿に満足して
皆さんにおかしな資格を売りつけて、
お金儲けをした人が過去にいたのかも知れません。 


この着物姿では誰が何の目的で着るのか?
私でも気になって思わず聞くかも知れません。

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アッ、着替えの世界では
「将軍家のお姫様ゴッコ」として遊べば、
かなり楽しい着物姿になりますよ。ヽ(^。^)ノ

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「きものは誰が何の目的で着る物なの?」

昭和30年代に生まれた人は着物文化を通して、
おかしな時代を生きたのかも知れませんね。(^_^;)

この赤ちゃんのお母さんも10年後には・・・

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将軍家の着物姿になるのか!
それとも着物をやめて洋服にするのか!

皆さんのお母さんはどちらを選択しましたか?

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着物を教えている先生は形の意味を知って、
生徒さんに伝えるのも仕事ではないでしょうか?

意味を知って形を教えれば、
楽しい将軍家のお姫様ゴッコとして遊べます。

生徒さんを騙すよりも一緒に遊ぶ方が楽しい! 

舞台の上で着替えの舞を披露しても、
「お姫様ゴッコ着替えの舞」なら楽しそうです。


新年号の発表まで一ヶ月を切りました。
新しい年号は晴れ晴れとした気持ちで、
生徒さんと楽しく着物に触れて下さいね。(*^^)v

今から本来の着物文化を伝えれば、
一か月後には御着物から御が取れて、
着付けの言葉は耳障りになりますよ。(*^_^*)
posted by kiraku at 12:48| 愛知 ☔| Comment(0) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年03月03日

きものは正しい日本語で教える!(*^^)v

今日のタイトルは日本語の話せる人なら誰でも分かる!(*^^)v

私が着替えと着付けの違いをブログで伝え始めて丸10年です。
ブログの表紙に書かれている文章は10年前から同じです。

さすがに今でも着替えを着付けだと教えている教室があるとは思いません。
しかし、同世代の人と話をすると今でも「着物=着付け」なのです。(^_^;)

これだけは世代が入れ替わるまで、
後20年は続くのでしょうかね〜(・_・;)

その間にも無関心な人は、
着物の楽しさを知らないまま時は流れ、
完全に世代の入れ替わる20年後を待っていたら、

二十歳の人でも四十路になり、「今さら着物?」
三十路の人は五十路になり、「今さら聞きづらい?」

するとその子供やお孫さんは誰にも聞けない!

こんな未来を作らない為にも、
着物を教えている先生の力が必要なのです。

今の生徒さんに正しい日本語で着物文化を伝えれば、
10年後には生徒さんは親として子供に伝えてくれます。

「今日はお母さんと着物に着替えて食事に行く?」

「ワーイ、私は御祖母ちゃんの赤いウールが良い!」

「お母さんは御祖母ちゃんの紬にするね。」(#^.^#)

教える内容は急には変わらないと思います。
それでも自らの言葉で間違いを正して行くだけで、
着物を教える環境に嘘は無くなります。

すると自然に教え方にも工夫は生まれるのです。

この着物姿は無限にある着物姿の一つでしかない!

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皆さんは教えている着物姿の始まりを知っていますか?

まさか江戸時代から日本人は、
センチの指摘をした画一的な着物姿で生活していた?

まさか江戸時代から日本人は、
習い事として着物の着替えを習っていたと思いますか?

まさか江戸時代から日本人は、
着物に格付けをして厳しい決まり事を守っていた?

着物文化から、
着替えを着付けだと教える嘘を正すだけで、
着物を教える楽しさは無限に広がる意味は、
本来の着物文化には無限の着物姿があるからです。

その楽しさを伝えられるのが、
着物を教えている皆さんの仕事です。

着替えを着付けだと教えるからこの形に縛られる!
教えている皆さんはこの形の入り口を知っていますか?

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小庵「着らく」には着物教室が日本にできる前の、
昭和30年に撮られた写真があります。

その写真を見れば戦後の一時期に流行した、
まさに着付け師の着せ付けた形だと分かります。

皆さんは生徒さんにその着せ付けの形を示して、
自分の体に着せ付けなさいと教えていたのです。

今日からはこの手本を示して、
生徒さんには、
「この形に着替えなさい」と教えれば良いのです。

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「エッ!それでは前と変わりませんよ。」

と、思ってもそれがまったく違うのです。(#^.^#)

着付け=詐欺師の考えた決まり事が付いて来る!

着替え=自由な着物姿の一つだと自然に分かる!


資格を手にして教えている先生は、
紛れも無くお着替え詐欺の被害者なのです。

なぜなら最初に教室を創った人には、
資格を与えた人は誰もいなかったからです。(・_・;)

皆さんにこの意味が分かりますか?

皆さんの手にしている資格は最初に教室を創った人が、
好き勝手に考え出した根拠のない資格なのです。

皆さんは自分で着物に着替えながら、
それを着替えだと習いましたか?

着付けだと思うからセンチの決まり事も真に受け、
着付けだと教えられたから背中の帯も
「難しい!」「大変だ!」「ナンテ日だ!」と思いながら、
自分の背中に結んだのではありませんか?(^_^;)

「違いますか?」

同じ事を目の前の生徒さんにしてはいけません。
過去の間違いは反省のためにあるのです。(#^.^#)

生徒さんから、
「自分で着るのは着替えではありませんか?」
と指摘をされるよりも、
自然な形で着替えと口にすれば良いのです。

それが自然になる頃には、
着付けの言葉が耳障りになります。(*^^)v

「着替えの教え方は、
 これから自分流に工夫をすれば良いのです。」(#^.^#)
posted by kiraku at 12:39| 愛知 ☁| Comment(0) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年03月02日

きものはご先祖様からのタイムカプセル!(*^_^*)

今日のタイトルは普通に着物を羽織れば誰でも肌で感じる!
着物は受け継がれた温もりを子孫に伝えたタイムカプセルです。(*^^)v

「そんな風に着物を感じた事は一度もありません!」

「エッ、その前にタンスから着物を出した事がありますか?」

「着物を出すと畳めないので・・・・」

これが私と同世代の還暦過ぎた人との会話です。(^_^;)

「皆さんにこの意味が分かりますか?」

日本人が普通に着ていた着物を、
装束のように着付けとして教えるには、
着物に御を付けて御着物様にしないと都合が悪い!

「御着物!」 「御着物!」 「御着物!」

そして最後はおいそれとは着られない
タンスに眠るだけの高価な「置き物」にしたのです。


過去の着替えを着付けだと教えた教室では、
「御着物」を連呼したのには意味があったのです。

昔は御着物の言葉に私の顔色が曇ったのはこれが理由です。(^_^;)
今の小庵「着らく」では誰一人として「御」を付ける人はいません。(*^^)v

還暦世代の人でも着物が畳めないのは、

「おいそれとは着られないからさわらない!
 さわらないから畳み方も忘れてしまう!
 畳み方を忘れてもさわらないから関係ない!」(T_T)

これが過去の着物文化だとしたら、
タンスの中身は高価な置き物様で埋まっている!


「御祖母ちゃん!着物に着替えたい!」

「エッ、あなたは何を言っているの?」

「着物に着替えたいから出して!」

「置き物様は着替える物ではありません!
 出しても広げないでその価値を眺めるものです。」

「エッ、着物は着ないとダメになると言われたよ。」

「置き物様を汚したら幾ら掛かるとおもっているの!
 私はあたなのお母さんにそんな躾をした覚えはありません!」

「???・・・・・・・?????」

その主がン十年後に亡くなれば、
着物は本来の温もりを伝えないまま、

「着物だけはいらない!」と言われる!

その理由は?
国がおかしな教育環境を認めて放置したからです。
アッ、国は間違いを認めませんからこれは無駄!
最後は自己責任だと言われて終わりです。(^_^;)

だから若い人には意味を知って賢く生きなさいと、
過去の着物文化を例に伝えているのです。(*^^)v

古着市場に溢れる着物を見れば、
過去の間違いは誰でも気付く筈です。

ン万円、ン十万円、ン百万円の着物が本来の価値そのままで、
ン百円、ン千円、ン万円で温もりを伝えないまま売られているのです。

売られている価格は販売価格であって、
引き取り価格は0円、ン百円、ン千円が相場です。

何で絹の布がそんなに安いの?

「それは着物の形に縫われているからです。」

「本来の着物文化とは、
 おいそれと着られない形ではありません。」

「解けば元の反物に戻せるのが直線裁ちの着物です。
 着物の形には百年先まで子孫が困らない工夫があります。」

「それが両袖にぶら下げた百年分の当て布です。」

「その当て布を使うどころか一度も袖を通さずに捨てるのは、
 おかしな着替えを教えた最大の罪だと私は思っています。」

若い人に本来の着物文化を伝えながら、
還暦を過ぎた今だから思う事があります。

40年前に小難しい着物用語を教える前に、
正しい日本語を教えてくれる大人がいたら、
この国は今よりは明るくなっていた気がします。

「着替えを着付けだと教えればお金になる!」

こんな子供騙しの詐欺を40年以上も放置すれば、
立派な詐欺大国に育つのは当たり前です。(^_^;)

受け継がれた着物に包まれると、
人は無意識に行ないを正して凛とした姿になる!

それが本来の着物姿です。(*^^)v

この人達に着替えを着付けだと言えば一言。

「アホか!」

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この人達に着替えを着付けだと言えば、一言。

「あんた尋常小学校へ行きなさい!」

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この子達に着替えを着付けだと言えば、一言。

「大人が嘘を言ってはいけません!」

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この子達に着替えを着付けだと言えば、一言。

「何それ?????」

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着替えを着付けだと信じるから騙された!
そんなお粗末な着物文化も過去にはあったのです。

小庵「着らく」ではこの子達が生まれた19年前に、
もうすでに消えていた遠い遠い過去の都市伝説です。


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先生が気付いて正すのか?

生徒さんが気付いて正すのか?

どちらにも正す権利と義務がある!

誰でも分かる日本語の間違いですよ。(*^^)v

posted by kiraku at 21:02| 愛知 ☁| Comment(0) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年03月01日

きものは何が難しい? お昼休みの独り言。(#^.^#)

今日のタイトルは「着物は難しいと思う事がおかしい!」

この常識もかなり定着しているように思うのですが、
今でも着物は難しいと思っている人はいるのでしょうか?

おそらく難しいと思っている人は無関心になっている人ですね。(^_^;)

無関心な人に対してこんな画一的な着物姿で
「着物は楽しいから一緒に着付けを習いましょう!」

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もう過去に戻るのは無理だと思いませんか?(^_^;)

着替えを着付けだと教えて、
過去には一時の繁栄はあったのかも知れません。

しかし、着替えを着付けだと教える無理は、
所詮は詐欺師の考え出した姑息な悪知恵です。

昭和40年代から始まり平成元年には着物離れと言われ、
今では着物に無関心な世代が何歳になっていると思いますか?

おかしな着物文化が40年以上も続けば親子三代になります。
二十歳だった人が40年後には私と同じ還暦になるのです。

正直に言って本来の着物文化を伝えていなければ、
私は若い人に着物は日本の文化だから着なさいとは言いません。

なぜなら、私が若い頃に味わった異常な世界を、
若い人に対して同じ思いをしなさいとは言えません。

「この意味が分かりますか?」

今の還暦世代の人は子供や孫に対して、
日本の文化として着物を着なさいと、
言わないのでは無く、恐くて言えないのです。


小庵「着らく」は今年で19年目です。
この19年を同じ想いで過ごした着物店があれば、
お店は着物を通して若い人達の笑顔で溢れている!

この19年を同じ想いで過ごした着物教室があれば、
教室は着物を通して生徒さんの笑顔で溢れている!

「着物が売れない!」
「生徒さんが集まらない!」

私にはこの言葉の意味が分からないのです。

やっている事を見ればそのまま、

「着物を売りたくない!」
「生徒さんを集めたくない!」

私にはそんな言葉と姿にしか見えません。

着る物を売ってお客さんが着られないと困っていたら、
何で着られないのか考えればいいだけの事です。

着物を教えて生徒さんが難しいと困っていたら、
何で簡単に着られないのか考えればいいだけです。

プロなら当然の自覚と責任から生まれる仕事です。

一人ではおいそれと着られない衣服を、
40年以上も売って来られた事が奇跡です。

習っても簡単には着られない着物文化を、
40年以上も教え続けて来た事が奇跡です。

皆さんがプロの仕事をしっかりとするだけで、
明日から着物文化には笑顔が溢れます。

それともお着替え詐欺の片棒を担ぎながら、
「着物が売れない〜」「生徒さんが集まらない〜」
とボヤキながら、世間から笑われて過ごしますか?

もうそんな仕事や生活にも、
いい加減に疲れていると思うのですが・・・(^_^;)

「着物は楽しい!!!!!これからの衣服!!!!!」

着物を扱う人や着物を教える人が、
この意味を知らずにお店や教室を畳むのは悲しい!

と、私は今でも思っています。(*^_^*)

posted by kiraku at 13:03| 愛知 ☀| Comment(0) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年02月27日

きもの姿は自分で考える!(#^.^#)

今日のタイトルは小庵「着らく」では当たり前!

皆さんにこの意味が分かりますか?

「エッ、着物姿を自分で考える???」

こんな風に戸惑う人は何で戸惑うのかを少し考えて下さい。
ひょっとして着物の着替えに手本を求めていませんか?

「エッ、若い頃に通った着物教室では、
 先生が前に立って手本通りに着替えなさいと言われました。」

それで同じように簡単に着替えられましたか?

「ただその通りに着替えないといけないと思うだけで、
 耳から入る言葉が多くて何も考えられませんでした。」

その時に手にした着物と帯を見ましたか?

「先生の手本を見ながら真似をするのが精一杯で、
 そんな余裕はまったくありませんでした。」
 
手にした着物と帯が先生と同じだったとしても、
先生の体型と生徒さんの体型は違うと思いませんでしたか?

「そんな事を考える余裕はありませんでした。
 でも習った先生は私よりもかなり太っていました。」

ここで問題です。
同じサイズの風呂敷を太った先生が巻くのと、
細い人が巻くのではどちらが巻きやすいと思いますか?

「エッ、エッ、エッ、違いのある事も考えませんでした。」

ここで問題です。
同じ長さの帯を太った先生が巻いて余る長さと、
細い人が巻いて余る長さはどれほどの違いになると思いますか?

「エッ、エッ、エッ、手順だけを見ていて考えませんでした。」

着物の着替えに手本などあってはいけないのです。
着物の着替えに手順などあってはいけないのです。

「エッ、でも形の作り方は教えてもらわないと、
 この形の通りには着替えられません。」(T_T)

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教えられた手順の通りに着替えると難しくなるのは、
着替えている本人が自分の手にしている、
着物と帯をまったく見ていないからです。(^^ゞ

 「エッ?エッ?エッ?・・・・」

着替えのできる人は着せ付けもできる。
先ずはこの常識をしっかりと頭に入れて下さいね。

「ハイ」

まだパジャマの着られない妹に、
パジャマの着られるお兄ちゃんが着せてあげる。

こんなごく当たり前の常識です。(#^.^#)

小庵「着らく」で着替えている子供達は、
最初から手にした着物と帯を見ながら着替えています。

「この意味が分かりますか?」

「何となく普通の事だと理解できます。」

自分の着るものを見ながら着替えている子供達は、
無限の着物姿を想像しながら着替えているのです。

「この意味が分かりますか?」

「手本が無ければ手にした着物と帯を見る?」

「その通りです! もう分かりましたか?」

「エッ、何となく分かるのですが、まだちょっと・・・」

小庵「着らく」で遊んでいる子供達は、
自由に着替えながら無限の着物姿を想像しています。

この着物姿も無限にある着替えの姿です。

一般武家井戸端会議凄い意思です。

この着物姿も無限にある着替えの姿です。

親子の着方振り袖銘仙明治40年

この着物姿も無限にある着替えの姿です。

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この着物姿も無限にある着替えの姿です。

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この着物姿も無限にある着替えの姿です。

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この着物姿も無限にある着替えの姿です。

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「もう分かりましたね。」(*^_^*)

「ハイ!分かりました!」ヽ(^。^)ノ

「着替えのできる子供達にとって、
 この形は無限にある着物姿の一つでしかない!」

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おかしな着付け道具を使わなくても、
形を真似るだけなら着替えの一つの形なのです。

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着物姿に手本も手順も無ければ、
着付け道具など使う意味は最初から無いのです。

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何で日本人はこんなに楽しい衣服を捨てるの?
何で日本人はこんなに簡単で楽しい衣服を、
難しいと言ってタンスから出すのも嫌がるの?

「アッ、これは過去の話でしたね。」(^_^;)

「過去の話を何度もしつこい!聞き飽きた!
 と言われても、年寄りは同じ事を何度も言うのです。」
 
「皆さんは若い人に楽しい着物文化を伝えて下さいね。」
 
「その時まで何度でも伝え続けると思います。」!(^^)!

「日本人は着物の着替えを忘れたのではありません。」

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「日本人は着物の温もりを忘れたのではありません。」

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「日本人は着物の着心地を忘れたのではありません。」

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頭のおかしな人が、おかしな着替えを、
国の認可を受けて堂々と強要したからです。

「着替えを着付けだと教えなさい!」

「着付けだと教えれば背中の帯も自分で結ぶ!」

「着付けだと教えればセンチの形でも真に受ける!」

「着付けだと教えればどんな決まり事も真に受ける!」

「着付けだと教えれば高価な着物と帯は必ず売れる!」

「着付けだと教えれば着物姿は一つでも間に合う!」


こんな幼稚な嘘でも国の認可を受ければ、
この日本から無限の着物姿を消す事もできたのです。

「アッ、あくまでも過去の話です。
 今でも行われていたら国益に関わる大問題です。」(^_^;)


過去の間違いは本人が正すのが一番!

「詐欺の宗家ではあの世の居心地は悪いですよ。」と独り言です。(^_^;)
posted by kiraku at 12:25| 愛知 ☁| Comment(2) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする